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五十八.記憶の色はセピア色だ。濃淡はあるが


 記憶の色はセピア色だ。濃淡はあるが、色彩が鮮やかというのではない。

 吹いて行く風や、それで揺れる葉擦れの音もどことなくよその事のようで、薄い膜一枚隔てたように感じる。

 ただ、天頂に近い太陽の光が葉の間から漏れて来て、それが目にひどく眩しい。その子は目を細めてしきりに瞬きした。


 逆光になったその向こうに誰かがいた。女のようだった。青白い顔で、しかし愛おしいものを見るような表情をしている。

 苦しそうだった。ひゅうひゅうと甲高い呼吸の音がした。

 質の良さそうな服は、着古されているのかところどころに汚れが目立ち、くたびれてよれている。頬には涙の痕があった。


「ごめんね……どうか……」


 女は祈るように呟き、干した薬草を編んだらしいものをその子の上に置いた。

 ふわり、と風がその子の髪の毛を揺らした。女はそっと頬に口づけし、寂し気に微笑む。別れを惜しむかのようだ。


 ――どうしたの?


 と、その子は言おうと思った。しかし口が上手く動かなかった。喉の奥から声ともつかぬ音が漏れるばかりだ。

 女は深呼吸して周囲を見回した。


「察知される前に……」


 呟いて胸元に手を当てる。しかし名残惜しそうに目線を落とした。


「大丈夫……きっと、誰か……良い人があなたの元に」


 女の姿が陽炎のように揺らめいたと思ったら、もう消えていた。風が一際大きく吹いて、紅葉しかけている木々がざわざわした。


 どれくらい経ったのだろう。陽射しは温かいのに、風は冷たい。

 一人ぼっちなのがひどく寂しく感ぜられて、その子は顔をしかめ、湧き上がって来る悲しみに任せて泣き声を上げた。

 がさがさと茂みを分ける音がした。落ち葉や枯草を踏みながら誰かがやって来た。


「……なんとまあ」


 温かな手がその子を抱き上げた。とても安心する。その子の黒い瞳に、赤髪と困惑した顔が映った。



  ○



 オルフェンの都はすっかり冬が深まり、連日の雪ですっかり白くなっていた。一日に何度も掃除夫たちが行き来して雪を掻き、それでも間に合わないような所には冒険者ギルドに依頼が回り、下位ランクの冒険者や、日銭を稼ぐ小さな子供たちがスコップを手に駆け回った。


 スラム街の一角に空き地になった所がある。かつては建物があったようだが、老朽化か何かで倒壊し、瓦礫を片付けてからは何も建っていない。

 普段は浮浪者やストリートチルドレンの溜まり場になっている空き地だが、今日は大勢の人々が列をなしていた。教会が音頭を取って、スラム街の人々に炊き出しを行っているのである。


 雪がちらつく中、大鍋でシチューが煮られ、固く焼いた薄切りのパンが添えられる。普段あばら家や路上で寒さに震える人々は、久々の温かな食事に舌鼓を打った。


「はーい、横入りしないで! まだなくならないからね!」


 ロゼッタが白い息を吐きながら言った。シスターたちがシチューをよそい、暖を取るために焚かれた火を人々が囲んでいる。そこかしこで白い息が上がり、鼻や頬を赤くした子供たちがふうふう言いながらシチューを頬張った。

 人の間を縫うようにして、薪の束を抱えたベルグリフが歩いて来た。


「ロゼッタさん、薪はどこに置きましょうか?」

「あ、ベルグリフさん! ありがとうございます! ええと、ここに置いて下さい!」


 ロゼッタの指差した所に、ベルグリフはがらがらと薪を下ろした。大鍋の下の火は熾きになっている。揺れる火こそ立たないが、熱は十分そうだ。

 ベルグリフはいくらかの薪を上にくべた。

 大鍋が焦げ付かないように、シャルロッテがかき混ぜている。ぶかぶかの僧帽を眉毛が隠れるくらいまでかぶって、さながら顔を隠すようだ。髪の毛もひっつめて帽子の下に隠している。


 貧民街でのソロモン教の演説と札の売り付けを気に揉んでいたシャルロッテは、ずっと何かしらの形で騙した罪を償いたいと思っていた。

 はじめは金を返そうとしていたが、買った人間が分からない上に、相手が少女だからと居丈高に出て来る者が多く、それは難航した。

 だから、使わずに持っていたお金を教会に寄付し、それを元に炊き出しをしてもらって手伝う事で、多少なりとも罪滅ぼしにしようとしているのである。

 とはいえ、そのアルビノの容貌は目立つ。変に難癖を付けられても何の意味もないから、こうやって変装まがいの事をしている。


 ルクレシアを追われて以来ヴィエナ教に嫌悪感を持っていたシャルロッテだったが、ロゼッタを始めとしたシスターたちや孤児院の子供たちとの交流もあって、その嫌悪感はすっかり薄れていた。

 元々は敬虔な信徒であったし、ルクレシアの高貴な人間たちが政治の道具に使っているヴィエナ教はともかく、こういった素朴な信仰までも否定するべきではない、と思い至ったらしかった。


 そのつながりでベルグリフは何度か教会孤児院を訪れ、あれこれと雑用を手伝い、子供たちの相手をしてやった。今日は炊き出しを手伝っている。こういう事は嫌いではないし、寒さの中で動き回るのは慣れもあって得意だ。女性ばかりで男手の少ない教会孤児院はこれを喜んだ。


 やがて日が傾き、シチューがすっかりなくなると、大鍋に雪を入れて溶かして軽く洗い、火の後始末をして片付けの段である。


「ビャク、そっちを持ってくれ」


 ビャクは黙ったまま鍋の片側の取っ手を持った。もう片方をベルグリフが持ち、よいしょと持ち上げる。

 分厚い鉄でできた大鍋は重い。ビャクは少しよろめいたが、意地を張るようにしっかと両足を踏ん張った。それを見てベルグリフは小さく笑った。


「……なんだよ」

「いや、頑張ってるなと思って。けど、もう少し鍛えた方がいいかもな」

「チッ……」


 ビャクは舌を打った。ぐいと鍋を持ち直す。


「おいおい、そんな風に持っちゃ服に煤が付くぞ」

「うるせえ、クソ親父。さっさと行くぞ」


 そう言ってビャクはよたよた歩き出した。ベルグリフはくつくつ笑いながら足を動かす。

 しばらくの同居生活で、この二人の間には不思議な信頼感が生まれていた。ビャクの態度は相変わらずぶっきらぼうだが、行動はそこまで反抗的ではなくなって来て、呼称もおっさんからクソ親父になっている。悪化したように思われるが、ある種の他人行儀さがなくなったという事でもあった。

 ベルグリフの方としても、反抗期の息子でもできたようで、それが何だか楽しい。

 アンジェリンは何だかんだいって娘だ。男親としてはどうしても丁寧に扱う気分になる。それがビャク相手なら、やや乱暴に、からかうように対応しても許される気がするのである。男同士でなければ分からない感覚もあるものだ。


 甘やかし甘えられるという関係ではなく、喧嘩しながらも何だかんだと一緒に行動できるというのが、ベルグリフには面白く感じられた。

 そんな事を思いながらビャクを見ていると、ビャクは眉をひそめてそっぽを向いた。そうしてつまずきかけて不機嫌そうに舌を打った。


 教会孤児院の台所に鍋を運び込み、改めて鍋を綺麗に洗い直して諸々を片付けた。

 他のシスターたちはあちこちに散らばって、夕方の礼拝の準備などをしているらしい。庭先では子供たちが雪で遊んでいる声が聞こえる。ロゼッタが花茶を淹れながら嬉しそうに笑った。


「いやあ、ありがとうございます、ベルグリフさん。おかげですっかり助かりました!」

「いえいえ、このくらいなんでもありませんよ。シャルの言い出した事でもありますしね」


 帽子を取って髪を解いたシャルロッテはもじもじと手を揉み合わせた。


「その……少しは罪滅ぼしになったかしら?」

「もちろんだよ。シャルのその気持ちはきっと主神も汲んでくださるよ」

「うん……ありがとうロゼッタ、手伝ってくれて。お父さまもビャクも」


 ベルグリフはにっこり笑ってシャルロッテをぽんぽんと撫でた。ビャクは黙ったまま目を伏せた。


 花茶を飲んで一息入れる。

 アンジェリンたちは依頼を受けて出かけている。高位ランク冒険者だからといって、遊んでばかりではいられない。その代わり、一度の依頼で下位ランク冒険者とは文字通り桁違いの報酬が出るのだが。

 花茶をふうふうと冷ましながら、シャルロッテが呟いた。


「お姉さまたちはどうしてるかな」

「遠出じゃないからな。カシムも一緒だし、事によるとそろそろ帰って来るかも知れないね」


 昨日から出て、近くのダンジョンに潜っているそうである。自分の食い扶持を稼ぐ為だと冒険者に復帰したカシムも一緒だ。思わぬ戦力増強にライオネルは嬉しそうであった。

 花茶のお代わりを注ぎながら、ロゼッタが言った。


「そういえばベルグリフさんは、冒険者には復帰されないんですか?」


 ベルグリフは少し考えて口を開いた。


「予定はありませんね。どの道、春になればトルネラに帰る予定ですし、復帰しても仕様がないかと思います」


 カシムがオルフェンに来てからも、勿論パーシヴァルやサティの足取りは調べ続けている。しかし今のところ有力な情報は得られていない。

 後ろ髪を引かれるような気もするが、ベルグリフにとってトルネラも大事な場所だ。自分の都合で突っ走っていつまでもグラハムやミトを置き去りにしておくわけにはいかない。

 そう思うくらいには、自分は歳を重ねたのだな、とベルグリフは苦笑した。


「そっか、帰っちゃうんですね……寂しくなるなあ」


 ロゼッタはそう言って花茶をすすった。シャルロッテがそれをじいと見ながら、言った。


「ロゼッタはお父さまの事が好き? 結婚したい?」

「んぶっ! げほっげほっ! な、何を言うだあ!」


 ロゼッタは顔を赤くしてむせ込んだ。ベルグリフは呆れたように額に手をやった。


「シャル、お前までそんな事を言ってるのかい?」

「だって、お姉さまが……お父さまはロゼッタの事好きじゃないの?」

「そりゃ好きだよ。でもロゼッタさんはまだ若いんだから。俺みたいなおじさん相手じゃ勿体ないよ」


 ベルグリフは泰然としたものである。まったく動揺していない。

 好きとはそういう意味じゃないのに、とシャルロッテは不満そうに頬を膨らませ、ロゼッタはホッとしたように笑った。


 実際、孤児院のシスターの間でベルグリフの評判はいい。

 しかし、それは有名人を一方的に見てきゃあきゃあと騒ぐ類のもので、深い仲になりたいだとか、人となりをもっと詳しく知りたいだとか、そういったものとは違っていた。


 ロゼッタはアンジェリンの策謀もあって最初はベルグリフの事をやや意識してはいたが、ベルグリフにそういうつもりが全くないのが分かったせいか、今はそうでもないようだ。

 勿論彼を慕ってはいるけれど、それでもベルグリフに向く感情は兄や父親に向くものと同じようなもので、恋慕とは別個のものらしかった。


 ベルグリフの父性にあてられたか、とシャルロッテは小さくため息をついた。

 ビャクがくつくつと笑った。


「脈なし。死亡確認だな」

「うー……やっぱりサティさんなの……」


 シャルロッテはムスッと口を尖らした。ベルグリフは困ったように笑った。


「そういうのじゃないって言ってるのに……」


 からんからんと夕刻を告げる鐘が鳴った。ロゼッタはハッとしたように立ち上がる。


「すみません、礼拝に行かなきゃ」

「もう夕方ですな。我々もぼつぼつお暇します」

「ベルグリフさん、今日は本当にありがとうございました。また気軽に遊びに来てくださいね。シャルもビャクも」

「ええ、勿論。その時はアンジェも一緒に連れて来ますよ」


 四人は立ち上がって食器を片付け、ロゼッタは礼拝堂に、ベルグリフはシャルロッテとビャクを連れて家路に就いた。



  ○



 がらがらと音を立てて、街道を荷車が進む。雪の上に轍が残り、そこだけが黒い土になっている。

 二頭立ての借り馬車だ。アネッサが手綱を握り、アンジェリン、ミリアム、カシムが荷車に乗っている。三人の脇には変異種の亜竜の皮や爪に牙、鱗などが積まれていた。

 アンジェリンは遠くに見えるオルフェンの都を眺めてやきもきした。


「アーネ……もっと速く」

「無茶言うなよ。四人も乗ってる上に素材も満載なんだから」


 アンジェリンはむうと口を尖らした。早くベルグリフの所に帰りたいのである。不機嫌そうに荷車の縁に背中を預け、そうして唐突ににやけて呟いた。


「……晩ご飯、なにかな」


 家で父親が待っていてくれるというのを想像すると嬉しくて仕方がないらしい。

 ミリアムが亜竜の巨大な牙を手の平で撫でながら言った。


「変異種っていうからどんなかと思ったけど、そんなに大した相手じゃなかったねー」

「そうだな。でも下位ランクじゃちょっときつかっただろう。AからAAってとこかな」

「ふん。わたしたちの敵ではない……カシムさんもいたし。ね」

「へっへっへ、別にオイラは何にもしてないけどな。お前ら強いなあ」


 カシムはにやにやしながら山高帽の位置を整えた。

 オルフェン近郊には魔力が集まりやすいのか数多くのダンジョンがあり、高位ランクのものも数か所ある。

 ダンジョン探索は素材収集における基本の仕事であり、また、ダンジョン内の魔獣を討伐する事は、そこから魔獣が溢れる事を防ぐ意味合いもあった。冒険者の数はいくらでも必要であり、それがこの都が冒険者で栄える所以にもなった。


 今回アンジェリンたちが受けた依頼は、下位ランクのダンジョンに現れた変異種の魔獣の討伐であった。

 冒険者ギルドは長い歴史の間で、冒険者たちの戦った記録などを元にそれぞれの魔獣の特性や弱点などをリストにして保管してある。

 それによって魔獣の危険性などをランク分けして、依頼の難易度の目安にしているのだが、今でも突然変異的に現れる魔獣というものがある。そういったものは危険性が判断できず、ひとまずは実力のある冒険者に討伐を任せて危険度の判断をさせるという事が多かった。

 今回の依頼はそういった類のものだ。

 尤も、彼女たちにとってはちっとも大した相手ではなかったのだが。


「けど、ベルの娘と一緒にダンジョンに潜れるなんて、オイラ感激だよ」

「わたしもお父さんの友達と一緒に戦えるのは嬉しい……よ」

「へへ、いいなあ、こういうの。ベルたちとパーティ組んでた時の楽しさを思い出したよ」

「ねえねえカシムさん。ベルさんってパーティじゃどういう役割だったのー? “覇王剣”の人とかいたんだよね? 一緒に前衛張ってたの?」


 ミリアムが言うと、カシムは考えるように顎鬚を捻った。


「そうだなあ。確かに基本の前衛はパーシーがやってた。そこにベルとかサティが適時入るって感じだったな。でも頻度はサティの方が多かったかも。オイラは完全に後衛だったけど、ベルが隣にいる事も多かったよ」

「剣士なのに?」

「そう、そこがベルの面白い所でさ。あいつは観察眼が凄かったんだよ。依頼の時は常に周囲を警戒してたし、不意の事態にも最初に反応するのはいつもベルだった。数の多い魔獣を相手にする時に指示を出してくれるのもベルだった。パーシーとサティがイケイケドンドンで前に押してる時に、素早く後ろの守りに入るのもベルだった。要するにパーティ全体の参謀とか補佐みたいな役割だったんだ」

「なるほどー。そういえば、前のボルドーの騒動の時も、ベルさんが異変に気付いてお屋敷に戻ったからヘルベチカさんたちが助かったんだもんね」

「そうだったなあ……それって、結構高度な事だよな。よほど冷静じゃないと無理だよ」


 アネッサの言葉にカシムは頷いた。


「だね。目立たないけど、ランクが上がるほどに重要性が身に沁みる所だな。ぶっちゃけ、駆け出しとか下位ランクの連中はその重要性を理解してない連中が多くてさ、実際、下位ランクだとそういう役職がなくても何とかなっちゃう部分も多いから」


 確かにそうだ、とアンジェリンは頷いた。下位ランクの魔獣の討伐や素材の収集などは、きちんとした戦略を立てずに勢いだけで何とかなる事も多かったように思う。

 しかし、高位ランクになってからは一人の限界というものを少しずつ感じていた。ギルドの意向でアネッサとミリアムとパーティを組む事になって、そのありがたさが実感できるようだった。


「けど、ランクが上がると勢いだけじゃどうにもならない……よね?」

「そうそう。だからベルは高位ランクの連中がするような事を下位ランクの時からやっちゃってたわけだな。だからそれが理解できない奴らには結構邪険にされてたみたいでさ、あちこちのパーティを渡り歩いたらしいよ。あいつの自己評価が低いのはそのせいもあるんじゃないかなあ……」

「そっか……ふふ、でもやっぱりお父さんは凄い」

「索敵、後方の警戒、戦況の把握、か。確かにパーティに一人は欲しいな」


 そう言ったアネッサの肩を、カシムは笑いながら叩いた。


「だろ? ま、今のお前の役割も同じようなもんだよ、アーネ」

「そ、そうですか……? へへ……」


 憧れているベルグリフと同じような役割だ、と言われてアネッサは嬉しそうに頬を染めた。今のパーティ内でも、基本的にアネッサが戦況を俯瞰して見ている事が多い。

 アンジェリンは面白くなさそうに頬を膨らました。


「……わたしも今度から後ろで観察する」

「いやいや、お前が下がっちゃったら誰が前に出るんだよ……」

「だってアーネばっかりずるい……わたしもお父さんと同じがいい」

「へっへっへ、お前はベルとは性格が違うからなあ、アンジェ」


 アンジェリンはムッと口を尖らして、笑うカシムを小突いた。


「どう違うっていうんだ……」

「そうだなあ……まずベルは人当たりがいい。凄くいい。物腰も穏やかで、いつも一歩引いて冷静に物事を見てる。オイラ含めたベル以外の三人は皆結構我が強くてさ、喧嘩になる事も多かったけど、いっつもベルが間に入って諫めてくれた。ベルに言われるとオイラたちも大人しくなったもんさ」


 カシムはいたずら気にアンジェリンを見てにやりと笑った。


「で、アンジェ。お前は不愛想だし、人当たり悪いし、頑固だし、全然違うだろ」

「ぐむ……」


 アンジェリンは悔しそうに唇を噛んだ。カシムは満足そうに笑いながらアンジェリンを小突いた。


「けどまあ、それ以上にいい子だってのは確かだけどな!」


 ミリアムがくすくす笑った。


「なんか、ベルさんってその頃からお父さんみたいだったんだねー」

「かもなあ。アンジェ見てると、ベルはホントにいい父ちゃんなんだなって思うよ」


 途端にアンジェリンは機嫌が良くなってカシムの肩を抱いた。


「そうでしょ? カシムさんはよく分かってる……」

「ふふん。お前らも機会があれば一度ベルとダンジョンに潜ってみるといいよ。安心感が段違いだから」


 カシムに言われ、アンジェリンは子供の頃にベルグリフと森を歩いたのを思い出した。ベルグリフが後ろにいてくれるというだけで、確かにひどく安心したのを思い出す。


 だが、カシムの言う安心感はそれとは少し違うのかも知れない、とアンジェリンは思い直した。

 子供の頃に感じたそれは父親がそばにいるという安心感だ。純粋に冒険者として頼りにできるベルグリフというのはまだ知らない。その剣技は安心に足るものだけれど、カシムの話からすると、どうやら剣の腕に起因するものではなさそうだ。

 アンジェリンは荷車の縁に頬杖を突いた。


「お父さん、復帰するつもりないのかなあ……」

「春にはトルネラに帰っちゃうから、しないんじゃないかなー?」

「けど、カシムさんだって一緒にトルネラに来るのに復帰してる……」


 アネッサが首を横に振った。


「いやいや、カシムさんは元Sランクだし、実績十分じゃないか。いくらベルさんが凄い人だからって、目に見える功績がないと下位ランクからスタートだよ」

「……いや、わたしが言えば大丈夫……オルフェンのギルドはわたしには逆らえない」

「オイラも口を添えれば確実だな。復帰組のじーさまたちも推薦してくれるだろうね。ベルの名前はオルフェンの冒険者の間じゃ有名なんでしょ? 誰も文句言わないって」

「わー、職権乱用。そういうの大好き!」


 けらけら笑う三人に、アネッサは冷や汗をかいた。


「ちょ、本気か!?」

「わたしは本気……そしたらこの面子にお父さんも加わるのだ……」

「すごいぞー。“黒髪の戦乙女”と“天蓋砕き”。それに“赤鬼”が加わって最強パーティの誕生だー」


 ミリアムがおどけたようにそう言って笑った。カシムが笑いながら肩をすくめる。


「ま、ベルの性格的に絶対復帰しなさそうだけどね」

「……なんで? お父さんも誘われたら嬉しいと思う」

「そりゃ喜ぶだろうさ。けど、ベルは真面目だからね。自分で何かしたわけでもないのに、人からの推薦で一足飛びに上に行くのは嫌がると思うな。下位ランクから真面目にやってる人を馬鹿にする事になる、とか何とか言うんじゃない?」

「むう……」


 確かに、ベルグリフがそう言う事は容易に想像できる。そういう点でベルグリフは非常に頑固だ。たとえアンジェリンがどれだけ言っても首を縦に振らないだろう。


「……オルフェンでまた下位ランクからこつこつやる気もない、って事だよね?」

「だろうね。ベルはトルネラが自分の居場所だと思ってるんだろ?」


 前に帰郷した時、寝床でそう言われた事をアンジェリンは思い出した。

 自己評価の低さは改めてもらいたいとは思うけれど、あくまで故郷を愛し、自分の分を弁える素朴なベルグリフの人柄は、アンジェリンにもとても好ましいものであるのは確かだった。

 膝を抱いて嘆息する。残念な気持ちと、そういうベルグリフを誇りに思う気持ちとが胸の内でぐるぐるした。


「……でもそういう真面目な所もお父さんの良い所」

「だな! オイラたちもそれに助けられたようなもんさ」

「うん……パーシーさんとサティさん、どうしてるんだろうね」

「今のところなーんも分かんないからなあ。ま、焦らずに探すよ。とりあえず、オイラはベルに会えただけでもホッとしてるんだ。今は何をするにも楽しくてさあ」


 そう言ってカシムはからから笑った。

 いつの間にか日がすっかり暮れかけて、馬車はオルフェンの都に入った。ギルドに戻って素材を査定に出し、依頼料を受け取る。アネッサとミリアムと別れ、カシムと共に家路に就いた。


 往来は仕事帰りの人や夜警の兵士たちが行き交い、あちこちの建物や露店から良い匂いが漂っている。

 家に近づくほどに、まだ早いと思うのにアンジェリンの顔は緩み、胸はわくわくと高鳴り、外の木の階段を上がる時は早足になった。


 扉の隙間からランプの明かりが筋のようになって漏れている。

 ドアノブに手をかけて捻った。


「ただいま!」


お待たせしました。

毎日更新は追われている感が凄くて作者の神経がすり減りますので、今後は隔日更新という事でご理解ください。

あと、書籍に関する情報と表紙のイラストが活動報告にありますので、気になる方は是非。

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