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五十五.ホールの天井は高く、いくつものシャンデリア


 ホールの天井は高く、いくつものシャンデリアが下がって、黄輝石の光で大理石の床がぴかぴかと光っていた。そこに大勢の人々が入ってざわざわしている。

 奥の方には少し床が高くなっている所があって、そこに幾つか椅子が並んでおり、背後の壁には帝国旗と公国旗が交差するように立てかけられていた。


 中央辺りに大公らしき初老の男が座っている。

 茶色い髪の毛には既に白いものが混じり、顔の彫りは深く、何か病を患っているのだろうか、少し顔色が悪いようだ。

 それでも背筋はしゃんと伸び、眼光は炯炯として、帝国の大公爵らしき威厳を漂わせていた。

 その隣にはベンジャミン皇太子が座り、その隣にフェルナンド、さらに隣にはリーゼロッテが座っている。大公を挟んで反対側には大公妃らしき女性、その隣にヴィラール、フランソワと続く。


 アンジェリンは高床に向かって右側の来賓席らしい所に座らされた。有力貴族や、大公家に縁のある者たち、あるいは直々に招かれた者たちがいるらしかった。

 隣にオズワルドが腰を下ろしていた。

 随分酒が回っているらしく、小刻みに左右に揺れて、眠そうに目をしばたかせている。リーゼロッテの婚約者といえど、正式に婚礼の儀を行っていない為、まだ一門の座に連なる事はできないらしかった。


 アンジェリンはぼんやりと大公家の面々を眺めた。

 途中でベンジャミンと目が合った。ベンジャミンは涼し気に微笑んでウインクした。アンジェリンはムスッと口を尖らして目を逸らした。

 確かにまともに見るとこっちが照れ臭くなるくらいの美形だが、だから逆に親近感が欠片も湧かない。


「……ねえ、皇太子ってどんな人なの?」


 アンジェリンがそっと話しかけると、オズワルドは眉をひそめた。


「後に殿下とつけなきゃ駄目だよ……見ての通り、絶世の美男だよ。それだけじゃなくて、文武に優れてカリスマもある。継承争いも起こらないくらい、圧倒的なお人さ。フェルナンド義兄上も大したものだけど、皇太子殿下はまた役者が違う」

「ふうん……完璧超人みたいな」

「まったく、世の中には凄い人もいるもんだよ。けどね」


 オズワルドはそっと耳打ちした。酒の匂いがする。


「実は、数年前はとんでもない暗愚って言われてたんだ。実際にかなりの放蕩者でね、その美貌で女をいっぱい侍らして、金使いも荒かったみたいだよ」

「……それが変わった?」

「そう。ある時突然ね。今じゃ誰も暗愚だなんて言う奴はいないよ」


 アンジェリンは改めてベンジャミンを眺めた。大公と何か話をしている。その立ち振る舞いは優雅そのものだ。

 貴族の頂点みたいなものだな、とアンジェリンは妙に納得した。


 やがて場の喧騒が収まって来ると、フェルナンドが立ち上がった。


「皆さん、本日はお集まりいただきありがとう。こうして諸兄の健勝たる姿を見るのは我らとしても実に喜ばしい事だ。舞踏会は楽しんでいただけたかな? これだけ多くの方々に遥々足を運んでいただけるならば、大公家の威信もまだまだ保たれていると考えていいだろう」


 フェルナンドは朗々と通る声と、滑らかな舌で快活に挨拶し、大公家の面々、それから皇太子のベンジャミンを紹介した。大公の嫡男という立場で、実に優雅な立ち振る舞いをするが、声や仕草には見る者に親しみを覚えさせるものがあった。

 それからは色んな人が前に出て挨拶した。

 大公の御機嫌を伺う者もいたし、大公に挨拶してから、観衆の方を向いて何か演説めいた事を言う者もあった。しかしすべて大公や帝国を讃える言葉であった。


 分かりやすい御機嫌取りだ、とアンジェリンは椅子にもたれて息をついた。

 こんなものを延々と聞かされるのは眠くなって仕方がない。式典などといってもこんなものか、と思う。


 目を閉じかけてうつらうつらしていると、隣から肘で小突かれた。

 ムッと口を尖らして見ると、オズワルドではなく女性が座っている。紫のドレスを着て、エキゾチックな魅力を放っている。

 はて、と首を傾げたアンジェリンは、すぐに目を見開いた。


「え……ギルさん?」

「似合うかい? ふふふ」


 すっかり貴族然とした恰好のギルメーニャはくつくつと笑った。アンジェリンは呆れたような安心したような、ともかく脱力した。


「オズワルドは?」

「ぐーすか寝てらしたから、ご退場いただいたよ、ふふふ」

「さすが器用だね、ギルさん……」

「おっと、今の私はクレメンタイン伯爵夫人だよ。間違えないでおくれな」

「んむ、これは失礼いたしました……」


 アンジェリンはくすくす笑った。ギルメーニャは身をかがめた。


「さて、そろそろ叙勲になるよ。あの馬鹿な次男坊が口上を述べ立てて、それから呼ぶだろうけど、落ち着いてゆっくり行けばいい」

「……なにか起こりそう?」

「さて、確証はないね。ただ、三男坊が何か怪しいね。長男は見ての通り泰然とした男だから、今更弟の功績に水を差す事もしないだろうさ」

「……そんな事しなくても、ヴィラールじゃフェルナンドには勝てない?」

「御名答。けど三男坊は違う。妾腹を気にしていて、暗い情念が胸のうちで燃えてる。母親は彼を産む時に亡くなっていてね。どうも大公家そのものに含むところがあるようにも見受けられるよ。ちょっとした厭世家かもね」


 アンジェリンは昨晩のフランソワとの邂逅を思い出して顔をしかめた。

 余興を準備した、などと意味深な事を言っていたが、何を企んでいるのだろう。何かをあげつらって、アンジェリンを笑い者にする魂胆だろうか。

 そうすれば、叙勲を献言したヴィラールの面目も潰れる。そうなれば、家中のフランソワの発言権が上がるというわけなのだろうか。


 回りくどいし、小細工が過ぎる。

 面倒臭いなあ、とアンジェリンは嘆息した。

 厭世家を気どるにしても、他人を巻き込まないで欲しいと思う。


 ギルメーニャが少し真面目そうな顔をして言った。


「アンジェ。君が大公の面前に出てからじゃ、わたしも表立って助ける事はできない。大変だろうけど、何をされても自分を見失っちゃ駄目だよ? 何も知らない貴族様たちよりも、オルフェンの皆の方が君の良い所はよく知ってるんだから」

「うん……大丈夫。ありがとう、ギルさん」


 そうだ。自分の事をよく知らない連中にあれこれ言われても、何を気にする事があるもんか。

 アンジェリンが頷くと、ギルメーニャはにっこり笑ってアンジェリンを小突いた。


「伯爵夫人だろ?」

「そうだった……」


 次第に外は日が暮れかけているらしい、明るいホールの中にいる分だけ庭先がとても暗く見える。使用人たちがあちこちにランプや黄輝石の照明を並べていた。


 やがて粗方の挨拶が済んだようだ。フェルナンドが返礼の挨拶をし、それからちらとアンジェリンの方を見た。アンジェリンはドキリとして少し姿勢を正した。フェルナンドはにこりと微笑み、前を向いて口を開いた。


「さて、それでは本日は珍しい客人を呼んである。英雄数あれど、魔王殺しの名を冠する者はそう多くない。まあ、ここからは弟のヴィラールに説明してもらおうか」


 フェルナンドがついと身を引くと、ヴィラールが早足で前に出て来た。フェルナンドと違う、早口でまくし立てるような調子で喋り出す。

 どうにも言葉の調子に威厳も何もなく、アンジェリンは呆れたように腕を組んだ。


「ホントに駄目だな、あいつは……」

「そんな風に言っちゃ駄目だよ、あれでも一生懸命なんだから。ふふふ」


 ギルメーニャと顔を寄せ合って薄笑いをこぼしていると、ヴィラールがこちらを向いた。


「では彼女を呼んでみましょう! おい、アンジェリン!」


 アンジェリンはつと横目でギルメーニャの方を見た。ギルメーニャは小さく笑って、そっと手の平でアンジェリンの背中を叩いた。


「ガンバ」

「ん」


 アンジェリンはスッと立ち上がり、昨日練習した通りにしずしずと歩み出た。堂に入ったその動きに、客席の貴族たちから嘆声が漏れる。

 ヴィラールは自慢げに胸を張ってホールを見回した。


「ご照覧あれ! この美しき“黒髪の戦乙女”アンジェリンの姿を! 可憐な容姿にも関わらず、その腕は魔王を屠る! まさしく勲章に値する英雄だ!」


 アンジェリンは黙ったままぺこりと頭を下げた。誰からともなく客席から拍手が上がった。

 端の方で嬉しそうな顔をしたリーゼロッテが、アンジェリンに向かって小さく手を振った。アンジェリンは小さく笑ってそれに応え、それからスカートをつまんで大公に向かって丁寧にお辞儀をした。


 公国の支配者にして、帝国の大貴族である初老の男性は、炯炯たる眼光でアンジェリンをジッと見ていた。

 遠目には力強くも見えたが、何だか近くで見ると不思議に悲しい感じがした。高貴でありすぎるがゆえだろうか、妙な孤独感が彼を包んでいるように思われた。

 ヴィラールに促され、アンジェリンは大公の方に一歩歩み寄った。


「さあ、父上! この英雄にふさわしい勲章をお授け下さいませ!」


 大公が頷き、立ち上がろうとした時、別の声が響いた。


「少しお待ちください」


 ヴィラールがギョッとしたような顔をして声の方を見やる。そうして見る見るうちに怒りに顔を赤く染めた。


「フランソワ、控えよ! 父上の……大公閣下の御前だぞ!」

「兄上、そう大声を出されまするな」


 フランソワは泰然とした様子でくつくつと笑った。フェルナンドも少し顔をしかめた。


「フランソワ。式典の進行を妨げるのだ。ゆえあっての事であろうな?」

「無論ですよ」


 フランソワはこつこつと真ん中の方に歩み寄った。


「彼女は魔王を倒したという。成る程、素晴らしい功績です。それが本当であれば、ですが」

「なっ! 貴様! こいつが嘘を言っているとでも言うのか!」


 ヴィラールが怒ったようにフランソワに詰め寄る。

 しかしフランソワは涼しい顔をしてヴィラールをあしらった。


「それを確かめたいのですよ。話によれば、彼女が魔王を討伐したというのは一年は前の事です。話が歪曲して伝わっていてもおかしくはない。冒険者とは物事を誇張して言いふらす事もありますからなあ」


 そう言って、フランソワはアンジェリンを見た。アンジェリンは黙ったままフランソワを見返した。

 確かに、冒険者の中には、仕事や名声を得る為に自らの功績を誇大に吹聴する者もいないわけではない。ボルドーの酒場で突っかかって来た“迅雷”を自称するチンピラ冒険者などがいい例だ。

 しかし、高位ランクの冒険者は本当の実力がなければ到達できない地位だ。Sランクのアンジェリンがそのような事をする意味も理由もない。


 フランソワとてそれを知らないわけではないだろうが、恐らく知っていて難癖を付けているのだ。

 客席の貴族たちは、元々冒険者を下に見る者も多いようで、フランソワの言葉に同調したようにざわめく者も多かった。

 ヴィラールが慌てたように口を開く。


「馬鹿を言うな! 僕はきちんと調べてこいつを呼んだのだぞ? 言いがかりを付けて僕の顔に泥を塗るつもりか!?」

「兄上、落ち着いて下さい。何も、僕は嘘だからやめろと言っているのではない。本当かどうか確かめたいと言っているのです」


 フランソワはそう言って客席に向き直った。


「冒険者の討伐譚ともなれば、それを実証するには如何にすべきか? そう、実際にその腕を見てみるのが一番手っ取り早いでしょう。しかし、生半可な相手では魔王を倒したという者には力が足りぬでしょう。そこで、僕は腕を見るにいい者を連れて来ました。諸君もご存じでしょう? 帝国を襲った悪夢、“虚空の主”を討伐した英雄、“天蓋砕き”の名を」


 客席がどよめいた。

 がしゃがしゃと鎧の触れ合う音がした。リーゼロッテが「あ!」と言った。

 アンジェリンが目をやると、兵士に連れられたカシムがふらふらと歩いて来るのが見えた。よれよれのシャツにズボン、それに山高帽子という、相変わらずの汚い恰好である。

 カシムはアンジェリンを見て、にやりと笑った。


「よ、奇遇だね」


 ヴィラールが侮ったように鼻を鳴らした。


「この浮浪者が“天蓋砕き”だと? ははっ、酔狂だなフランソワ! 妄言を吐いてまで僕を貶めたいか!」


 フランソワはヴィラールの言葉を無視すると、兵士たちに目配せした。

 カシムに付き添っていた兵士たちは突然剣を抜くと、両側からカシムに斬りかかった。客席から悲鳴が上がり、思わず立ち上がる者たちもあった。


 だが、その剣はカシムに届く前に空中で止まっていた。

 兵士たちは脂汗を流し、ぐいぐいと力を込めているようだが、止まった所から剣は少しも動かなかった。


 カシムは面倒臭そうに指を振った。

 すると、兵士たちが突然宙に浮かび上がり、ぐるぐると何度も回転してから床に落っこちた。兵士たちは目を回して立ち上がれずに呻いている。

 カシムは嘆息した。


「無駄な事すんなよな……」

「小手調べさ」


 フランソワはにやりと笑った。ヴィラールは顔を引きつらせて叫んだ。


「ふざけるな! こんな! こんな事で本当の“天蓋砕き”だか分かるものか!」

「ええ、そうでしょう。ではこれから証拠をご覧に入れます。“虚空の主”を仕留めたという大魔法、『ハルト・ランガの槍』をね……やれ」


 カシムは面倒臭そうに頭を掻いていたが、やがて手を空中に向けて、指を回した。


『指の先に連なり 糸はよりて紐となり 遠き頸木の顎を砕かん』


 すると、空間がまるで歪んだように揺らめきはじめ、それが次第に渦を巻き始めた。まるで竜巻のように中心がカシムの指先へと伸び、次第に円錐形に形が整って来た。

 強い風がカーテンを揺らし、客席の貴族たちが驚いてあたふたする。

 カシムはやれやれと頭を振ってフランソワの方を見た。


「撃っていいの? 天井吹っ飛ぶけど」

「まあ、待て。さて、どうですかな、兄上?」


 ヴィラールはぽかんとして何も答えられないような有様であった。フェルナンドがやれやれと頭を振った。


「分かったフランソワ。“天蓋砕き”君、ホールを壊されては困るのだよ。君が本物だという事は分かったから、矛を収めてくれたまえ」


 カシムは手を下ろした。

 すると、まるで何もなかったかのように魔力の渦も吹き荒れていた風も止んでしまった。人々は夢でも見ていたかのように呆気に取られた。

 そこに愉快そうな笑い声が響いた。皇太子ベンジャミンが笑っていた。


「こいつは面白い! いや、実は僕もね、こんな美しいお嬢さんが本当に魔王なんてものを倒せるのか不思議だったのさ! 実力が見られるなら見てみたいねえ!」


 我が意を得たり、とフランソワは笑った。


「殿下の同意も得られたようですな! さて、“黒髪の戦乙女”。君の実力を見せるいい機会だ。精々あがいて見せたまえ」


 フランソワが促すと、金髪の兵士長が歩み出て、アンジェリンに剣を差し出した。


 アンジェリンは何も言わずに立っていた。

 ひどい茶番だと思った。こんな事をして何の意味があるのだろう。


 自分が冒険者として戦って来たのは、貴族を楽しませる為でもないし、自分の力を誇示する為でもない。

 ベルグリフの言ったように、力のない者を守り、仲間たちと笑っていられるように強くなったのだ。だからベルグリフだって褒めてくれた。それが自分の誇りでもある。それを見世物のように扱われるのは、そのすべての人に対する侮辱のように思われた。


 腹の底が熱くなって来た。

 フランソワが怪訝な顔をした。


「どうした? 怖気づいたか? 魔王殺しなどというものもハッタリだったか?」

「取れ」


 兵士長が嘲笑を浮かべて、アンジェリンに剣を押し付けた。


 アンジェリンは眉を吊り上げて、剣を取った。

 すわ、抜き放つかと思われたが、アンジェリンは鞘から剣を抜かず、床に叩きつけるように放り投げた。


「無用!!」


 闘気を全身から漂わせながら、アンジェリンは、どん、と足を踏み鳴らした。

 空気が振動し、靴の踵が大理石の床にひびを入れた。兵士長は思わず後ろへ引き、カシムを除く誰もが驚愕に目を見開いて息を飲んだ。


 ぎろり、とフランソワを睨み付ける。フランソワは思わず身をすくめたが、気丈に足を踏ん張り、口を真一文字に結び、アンジェリンを睨み返した。


「貴様……!」

「よく聞け! わたしの剣は余興の為の剣じゃない! 力のない人たちを守って、悪い魔獣を退治するための剣だ!!」


 アンジェリンは皇太子や大公の方も一瞥し、なおも続ける。


「冒険者にも誇りがある! 剣を握り、命をかける者の誇りだ! 貴族の誇りが平民を導く事なら、冒険者の誇りは平民を助ける事だ! それを見世物にできるかッ! こんな権力争いの茶番に何の意味がある!」


 拳を振った。空気を切り、風が巻き上がるようだった。


「偽物だと! 臆病者だと嘲笑いたければ勝手に笑えばいい! 魔王殺しが本物かどうかとか、わたしには何の興味もない! こんな事でもらえる勲章に何の栄誉があるんだ! こっちから願い下げだ! 貴族ならもっと誇り高くあったらどうなんだ!!」


 しん、と場が凍り付いた。

 フランソワは歯を食いしばって震えている。ヴィラールも慌てた様子でアンジェリンと大公を交互に見やった。カシムだけが愉快そうにからから笑っている。


 こつん、と杖を突いて大公が立ち上がった。フェルナンドがハッとしたように傍によって肩を支える。


「……その通りだな」


 しわがれた、しかし力強い声だった。


「このような事は無意味だ。フランソワ、そなたはこの戦いの後に何を見出すつもりであったのだ? 自分が連れて来た男が彼女を打ち砕く事に愉悦を感じる為であったか?」

「ち、父上、僕はただ真実を……」


 フランソワは何か言おうとしたが、言葉が見つからないらしい、諦めて口を閉じた。

 初老の大公は愛おしむような目でアンジェリンを見つめ、謝意を表すように小さく頭を下げた。貴族たちがどよめく。


「アンジェリンよ、そなたは実に誇り高い……どうか息子たちの無礼を許して欲しい」


 アンジェリンは黙って頭を下げた。

 大公は微笑んで背中を伸ばし、客席の貴族たちの方を向いた。


「冒険者に貴族の何たるかを教えられるとは、余は実に痛快である……だが、これは教訓とせねばならぬ。絢爛さを身に纏い、しかし驕らずに何を誇りとすべきかを、我ら貴族は問い続けねばならぬようだ……礼を言うぞ、アンジェリン。そして、是非とも勲章を受け取って欲しい。これはそなたの高潔な心にこそふさわしい……よろしいですな、殿下?」


 ベンジャミンは笑って肩をすくめた。


「剣の腕ではなく心で本物を示されるとは思い知ったな。これは魔王殺しも嘘じゃないだろう。僕も異論はない。彼女に勲章はふさわしいですね、卿」

「……アンジェリン、受けてもらえるだろうか?」


 アンジェリンは静かに膝を突いた。


「……謹んでお受けいたします、閣下」


 リーゼロッテが感嘆の面持ちで立ち上がり、ぱちぱちと手を打った。

 客席からも拍手が起こり、たちまちホールは割れんばかりの拍手で満たされた。

 大公は自らアンジェリンに歩み寄り、その首に金の勲章をかけ、にっこりと笑った。


「そなたのような者が公国にいてくれる事を、余は嬉しく思うぞ……遠路はるばる済まなかったな」

「……恐縮です」

「ひとつ教えてほしい。そなたはその誇りをいつ身に着けたのかね? 良き師に巡り合ったのかね?」


 アンジェリンは胸を張って答えた。


「父から教わりました」

「……そうか。立派な父君なのだな」

「はい! 世界一のお父さんです!」


 大公はにっこり笑ってアンジェリンの肩を軽く叩き、客席に向き直った。


「さて、式典を終えるとしよう。もうしばしの宴を楽しんで行くがよい……フェルナンド」


 大公の肩を支えていたフェルナンドが手を振ると、楽団が演奏を始めた。貴族たちは安心した表情で席を立ち、それぞれに歓談やダンスを始める。

 大公はフェルナンドと大公妃に寄り添われて退出し、フランソワは恥辱に顔を染め、足早にホールから出て行った。カシムもいつの間にか姿が見えない。


 リーゼロッテが飛ぶように駆けて来て、アンジェリンに抱き付いた。


「アンジェ! アンジェ! ホントに凄いわ! わたし感動しちゃった!」

「リゼ……はー、疲れたよ、わたしは……」


 ヴィラールが感動した面持ちでアンジェリンに駆け寄って来た。


「よくやった、よくやった! おかげで僕の面子も潰れずに済んだぞ!」

「はあ……」

「もう、お兄様ったら、何がよくやったよ! アンジェに助けてもらったのはお兄様の方じゃない!」

「い、いや、リゼ、しかし……」

「でももだってもないわ! お兄様の馬鹿! あっちに行ってちょうだい!」


 ヴィラールはリーゼロッテに追い払われて渋々向こうに行った。アンジェリンはくすくす笑った。


「ありがと、リゼ」

「いいのよ! お兄様ったら、アンジェにああ言われても分からないのね!」


 リーゼロッテは頬を膨らまして怒った。

 あの馬鹿な次男坊よりも、この末娘の方がよほど聡明だな、とアンジェリンは微笑んだ。



  ○



 兵士の詰め所の一室のようだ。

 ランプの下で、フランソワが拳でテーブルを叩いた。


「何が貴族の誇りだ! 冒険者風情が生意気な!」


 金髪の兵士長が言った。


「殿下、お気を確かに。まだ終わったわけではありません」

「黙れ! くそ、僕に恥をかかせやがって……ただで済むと思うなよ」

「もう諦めなよ」


 声のした方をフランソワは睨み付けた。カシムが地べたに座って壁にもたれていた。愉快そうに表情を緩めている。


「大公相手にあれだけ啖呵が切れるってのは、いいなあ……お前なんかじゃ相手になんないよ」


 フランソワは憎々し気に顔を歪め、カシムに歩み寄った。


「知った風な口を利くな……! 貴様に何が分かる! 妾腹だというだけで能力を正当に評価されない苦しみが! 何が誇りだ!」

「ははっ、大公家を憎むとか何とか言って、それでも貴族なんて地位にしがみついてるんじゃ高が知れるね。妾腹だか何だか知らないけど、憎んでるならさっさと出て行けばいいじゃないの」

「黙っていろ! くそ……こんな事なら」


 あのまま『ハルト・ランガの槍』を撃たせておくんだった、とフランソワは呟いた。


 彼は自らの出自に劣等感を抱いていた。

 正妻の子ではないというだけで、凡庸なヴィラールよりも下に見られてしまう。しかし生まれだけは努力では変えられない。いつの間にか劣等感は憎しみへと変わり、血を分けた筈の家族も憎悪の対象になった。すっかり心が歪んでしまったのだ。


 厭世観は日増しに募り、彼は権力を欲するというよりも、どういう風に連中に絶望をくれてやろうかと、そんな事ばかり考えた。平民出の兵士たちを抱き込み、クーデターを起こすならばいつでも起こせるような状況にもした。

 それでも、まだ足りない気がした。どうせなら、最も絢爛な場を、一気に恐怖の底に叩き落したかった。舞踏会は御誂え向きの場だった。カシムという強大な戦力もある。


 もしもあの場でアンジェリンとカシムの戦いが始まっていたら、カシムに大魔法を撃たせて会場を消し飛ばすつもりだった。それに呼応して、兵士たちで屋敷を占拠する。忌まわしい大公家の連中も、それを支持する貴族連中も、まとめて消えれば少しは静かになるだろう、と思った。

 その後は残った自分が大公の座に座る。権力には対して興味はないが、自分の才能を活かしてみたいという人並の欲望はあった。平民は自分の首さえ平気ならば、上の首が挿げ替えられようとも気にはすまい。


 だが、まったく予想外にアンジェリンが戦いを受けなかった為、それは失敗に終わった。冒険者と侮ったのが間違いだったのだが、その事実が余計に彼を苛立たせた。

 冒険者風情が、とフランソワは唇を噛んだ。


「やあ、フランソワ君」


 突然爽やかな声がした。

 フランソワがギョッとして目をやると、皇太子ベンジャミンが立っていた。ベンジャミンは親し気に笑いながら部屋の中に入って来る。

 フランソワは慌てて姿勢を正して拝礼した。


「こ、これは皇太子殿下……」

「残念だったねえ、せっかくいい提案をしてくれたのにさ」


 ベンジャミンはくつくつ笑いながら椅子を引き出して腰かけた。フランソワは怪訝な顔をした。


「と、言いますと?」

「僕はさ、見たかったんだよね“黒髪の戦乙女”と“天蓋砕き”の戦い」


 ベンジャミンはそう言って肩をすくめた。


「あんな綺麗事でまとめられちゃったけどさ、やっぱ実際の強さって大事でしょ? 君の言ってる事は正しいよ」

「おお……」


 フランソワは喜びに破顔した。


「殿下もそう思われますか……!」

「勿論。Sランク冒険者同士の殺し合いなんて滅多に見られないからね」


 ベンジャミンは笑いながらカシムの方を見た。


「なあ? 君だってやるなら本気でやるだろ?」

「どうでもいいよ」


 カシムは面倒臭そうに言った。


「ま、あの子ならオイラを殺してくれそうだけどね……」


 ベンジャミンは満足そうに笑いながら、フランソワの方を見た。不自然なくらい綺麗な瞳に見られて、フランソワは思わず息を飲んだ。


「どうだい? 君に恥をかかせたあの小娘、片付けてしまえばいいじゃないか。折角”天蓋砕き”もいるんだから。なあに、好きにやればいい。僕が後ろに付いてあげよう」

「……殿下がそれをお望みなら」

「ふっふっふ」


 ベンジャミンは立ち上がった。


「期待しているよフランソワ君。僕を楽しませておくれよ」


 そう言って笑いながら立ち去って行った。

 フランソワは頭を下げてそれを見送っていたが、ベンジャミンの姿が見えなくなると顔を上げて凶暴な笑みを浮かべた。


「殿下のお墨付きならば……構わんな?」

「ええ」


 兵士長がにやりと笑った。

 詰め所の中が慌ただしくなり、鎧や武器の触れ合う音が響いた。


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