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四十八.何日も馬車に揺られて辿り着いた


 何日も馬車に揺られて辿り着いた公都エストガルは、オルフェンの雑多な街並みとは違った、どこか洗練されたような雰囲気があった。より帝国に近い為か、随所に帝国文化の様式が使われており、通りの壁なども塗り直されているらしく、大きな汚れは見受けられない。


 真ん中を貫くように大きな川が流れている。

 かつて帝国の北伐軍と、北方豪族の連合軍とが、この川を挟んで戦ったそうだ。勝利した帝国軍はここに町を作り、エストガルはこの川を利用した貿易によって栄えたらしい。今も川面には大小の船が行き来している。

 あちこちに桟橋や船着き場があり、その桟橋が川の奥まで張り出して、小舟をつなぎ合わせたような木の床の上に家が並んでいた。操船や漁を生業とする人々が暮らしているようだ。


「……川の水が増えたらどうするのかな、ギルさん?」


 向かいからぴゅうぴゅう吹いて来る風に顔をしかめながら、アンジェリンは呟いた。

 手綱を引いていたギルさんと呼ばれた女は目を細めた。


「ほら、見てごらん」


 指さした先にアンジェリンが目をやると、桟橋の先の方は空の樽などを利用して、水の上に浮かんでいるだけのようだ。家も、もやいでつながれてはいるが、その気になれば漕いで動かせるようになっているらしかった。

 アンジェリンは感心したように頷いた。


「すごい……でもなんでわざわざ水の上に……」

「祖先が人魚っていう伝承があるのだよ。迷信深い人々は、それを信じて水に近い所に暮らそうとしているわけだね」

「……ホント?」

「嘘。ふふふ」


 アンジェリンは口を尖らして馬車の背もたれに体を預けた。


 一人旅になるかと思われたアンジェリンだったが、荷物持ち兼雑務係として、かつてのライオネルの仲間の一人が同行してくれることになった。

 名をギルメーニャという。現役のAAAランクの冒険者で、赤みがかった茶髪を短めに切っている。

 ライオネルたちと同世代だから、もう四十に近いというのに、その顔つきは二十代といっていいくらい若々しい。

 ライオネルのパーティでは主に補給や索敵、旅の準備などサポートや裏方仕事全般を取り仕切っており、腕も立つし機転も利く。そういう面でアンジェリンの助けになるだろうという人選であった。

 飄々としていて、かなりの頻度で変な事を言うので、アンジェリンは彼女と話すのが結構好きだった。


 通りは横広で、馬車が行き交う事も出来る。大公直轄の都という事もあって、貴族の往来も多いのであろう。


 アンジェリンもエストガルは初めてだ。

 知らない所に行くというのは、心ならずとも気分が高揚する。出発の時には燃え上っていた帰郷をふいにされた怒りも、半月近い旅の途中でやや収まったように思われた。

 しかし、ふとトルネラの風景などを思い出すと、またむらむらと怒りが湧いて来て、エストガルの風景も突然面白くないように思われた。


「……ギルさんはエストガルに来た事はあるの?」

「あるよ。川の向こうに帝国の北伐軍。こっち側には豪族の英雄バラブリエン。あの合戦は見ものだった」

「……そんな事があったの?」

「三百年くらい前にね、ふふふ」

「さんびゃく……」

「ま、冗談はこれくらいにして……」


 ギルメーニャが言った。


「ギルドに行ってみる?」


 アンジェリンは首を横に振った。


「別に仕事しに来たわけじゃないし……エストガルのギルドなんか興味ない」

「御機嫌斜めだね。可愛い顔が台無しだぞ」

「可愛くない……」

「可愛くない顔が台無しだぞ。ふふふ」

「言い直さないでいい……」


 アンジェリンはムスッとしたまま膝の上に肘を突き、頬を乗せた。ギルメーニャは面白そうな顔をしてアンジェリンの頭をつんつんつついた。


 やがて旅籠に着いた。馬や馬車も預かってくれる大きな宿だ。冒険者や行商人、旅人たちが大勢出入りしている。

 舞踏会は三日後だそうである。旅程が順調に行き過ぎて、返って時間を持て余しているような有様だ。

 しかし、行くと決めた以上、どうせオルフェンで膨れていても仕様がない。面倒はさっさと済ませるに限る、とアンジェリンは無理矢理に開き直った。


 部屋に荷物を運んで、お茶を運ばせて一服した。二階の部屋だ。川辺の宿だから、窓の下には川が流れている。

 ギルメーニャは砂糖菓子をリスのようにかじりながら言った。


「わたしはここで待ってるけど、アンジェは大公のお屋敷に行くといいよ」

「え……なんで?」

「だって招待されたお客様なんだから……行ってドレスとか用意してもらっちゃいな。豪華なお部屋で接待してもらえるよ、ふふふ」

「じゃあギルさんも一緒に行こうよ……一人じゃ居心地悪そう」

「行っても無駄だと思うよ。アンジェは功績があるから招待されてるけど、基本的に貴族は冒険者と折り合い悪いから」

「……散々依頼とか持って来るくせに?」

「そこが貴族っていう生き物なのだよ。向こうからすれば、冒険者を使ってやってるって思ってるのさ。ふふふ」


 アンジェリンは機嫌悪げに椅子にもたれ、カップのお茶を飲み干した。


「気に食わない……やっぱり来なければよかった……」

「わたしもそう思うけど? なんで来たの?」

「……なんでだろ? 皆に迷惑がかかると思ったから……」


 ギルメーニャはくつくつ笑った。


「真面目だねえ、アンジェは。ま、そうかもね。直接的な戦いはわたしらの方が強いけど、貴族はからめ手を知ってるからね。ちょっとした悪評や処罰、買収なんかであっという間に追い込まれる……腕っぷしだけじゃどうにもならない事もあるんだねえ、世の中には」

「……貴族って何のためにいるの?」

「勝手に生えるのさ。雨が降るとそこいらにぽこぽこと。そしてポケットからお金と勲章を掴み出して、我々を堕落させる。ふふふ」

「……嘘でしょ?」

「うん」


 アンジェリンは諦めたように嘆息した。

 同じ貴族でも、サーシャやセレン、ヘルベチカたちは良い人だった。貴族が皆ああならいいのに、と思うけれど、世の中はそう上手くはできていないらしい。


 いずれにしても、来てしまったからには顔くらい出していかねばなるまい。

 叙勲がどういうものか知らないけれど、勲章をくれて終わりなのなら、舞踏会の前に行って勲章だけもらって、さっさと帰ってもいい。むしろそれがいい。

 アンジェリンは立ち上がった。


「それじゃ、行ってみる……でも道が分かんない。案内して」

「いいよ。わたしも道は知らないけどね。ふふふ」

「……知らないの?」

「ううん。知ってる」


 アンジェリンは口端を緩め、無言でギルメーニャを小突いた。


 二人は宿を出て、馬車には乗らずに往来を歩いて行った。冷たい風が吹いていて、むき出しの耳や鼻を容赦なくこすって行った。


「招待状は持って来たろうね?」

「うん」


 アンジェリンは外套のポケットの中の封筒を確認した。くしゃくしゃになっているが、きちんと読める。

 ギルメーニャはアンジェの肩に手を置いた。


「アンジェ、気に食わない事だらけだろうけど、爆発しちゃいけないよ? 適当に相槌打って、やり過ごして、さっさとオルフェンに帰ろうね」

「……うん」

「あと、言葉遣いは丁寧に。貴族はへそを曲げると後が怖いからね」

「……前向きに検討する次第であります」


 ギルメーニャの先導で川に沿って歩いて行き、中途で折れた。

 次第に道が上に傾斜して、街並みが次第に閑静になり、屋敷一つ一つが大きくなるように思われた。

 私兵の小さな練兵場を有している所もあるようで、訓練しているらしい兵士たちのかけ声が聞こえた。


 その一番奥まった高い所に、一際大きな建物があった。高い石の壁に囲まれて、まるで砦のようだった。石造りで、頑丈で、歴史が深そうだ。

 振り返ると、広い川の両端に広がっているエストガルの街並みが一望できた。

 恐らくは、川向こうの外敵を警戒して建てられた砦が、そのまま利用されているのだろう。


 鉄の大きな扉は開いていた。両側に屈強そうな兵士が立って、大きな目でぎろりと辺りを睨め付けている。

 舞踏会の準備の為だろうか、使用人らしい男女や、土産物を積んでいるらしい貴族の馬車、ドレスの仕立て屋、各種食材の卸問屋らしい人々が出入りしている。


 アンジェリンはしばらく突っ立っていたが、やがて入り口の兵士に話しかけた。


「あの」

「なんだ、お前は? ここは貧乏人の来る所ではないぞ」


 兵士は明らかに侮ったような態度でアンジェリンに応対した。

 アンジェリンはふんと鼻を鳴らして、無言で招待状を取り出して手渡した。

 兵士は怪訝そうな顔をしていたが、手紙の印を見て目を開き、中を見てさらに驚いたようにアンジェリンと手紙とを比べ見た。


「ま、魔王殺しの“黒髪の戦乙女”……?」

「……文句ある?」

「い、いや……通れ」


 兵士は狼狽えながらも道を開けた。アンジェリンは顔をしかめる。


「ねえ、ただ通されても困る。誰か分かる人はいないの?」

「ぐむ……我々はただの門番だ。中に入って、使用人に聞いてみろ」

「そう……ありがと」


 アンジェリンは軽く会釈して、それから振り向いてギルメーニャの方を見た。


「行くけど……いいのギルさん? 来ないで」


 ギルメーニャはからから笑った。


「華やかな所は性に合わないしね。貴族と喧嘩するのも嫌だから宿で待ってるよ。気を付けていってらっしゃい」

「ん……行ってきます」


 アンジェリンは大股で門をくぐった。

 壁の内側は中庭になっていて、人が通る所は土肌がむき出しになって、馬車の車輪の跡がくっきりとついているが、他の場所は芝生が生えており、手入れされた花壇や庭木がそこかしこにあった。

 季節が季節だから色合いは地味だが、それでも幾つもの木や草が花を付け、それなりに目を楽しませてくれるようだった。

 壁にくっ付くようにして、かつての見張り台らしきものがある。木と石と漆喰で作られた建物が幾つも並んでいる。使用人や来賓の泊まる場所なのだろうか。


 そんな場所を通り過ぎて奥まで行くと、一際大きく、絢爛な建物があった。ここが母屋であろう。

 玄関の扉は大きく両開きで、開け放された向こうに広く、テラスのあるエントランスが見える。大理石を使っているらしく、つやつやとして美しい。

 ボルドー家の屋敷も立派だったが、ここはそれとは比べ物にならないくらい大きく、立派だ。


 まったく馴染みのない風景に、アンジェリンは少し気圧されて突っ立った。

 誰に声をかけたものかも見当がつかない。

 土産物を携えて大公の御機嫌伺いに来ているらしい貴族たちがそれを横目で見て、嘲笑するように笑ったり、ひそひそ言葉を交わしたりした。


 その時、「おい」と声をかける者があった。見ると、使用人らしい中年男が立っていた。


「誰だお前は。どっから入って来た」

「……おじさんはここの人?」

「だったらどうした。そんなみすぼらしい恰好で大公様のお屋敷に……」

「招待されて来たの。大公様ってどこ?」


 アンジェリンは招待状を手渡した。使用人は招待状に目を通し、驚いたように目を開いた。


「お、お前があの“黒髪の戦乙女”なのか……噂には聞いていたが本当に若いな……」

「問題でもある?」

「いや、ない。不遜な口を利いて悪かった、ちょっと待っていてくれ」


 使用人は早足で館の中に入って行った。

 アンジェリンは腕組みして嘆息した。何だか気疲れしていけない。見回せば、建物もいる人々も皆絢爛だ。自分ばかりがみすぼらしく、変に目立つような気がする。

 そんな事で気後れする筈がないと思ってはいたが、実際にこういう状況になってしまうと、何だか場違いで恥ずかしい気がした。


「……恐るべし貴族」


 アンジェリンは館の壁にもたれて目をつむった。

 やがて足音がしたので目を開くと、使用人が立っていた。


「取次ができた。こっちにどうぞ」

「ありがと……」


 アンジェリンは使用人に連れられて館に入る。入った途端にまた身がすくんだ。

 エントランスホールの天井から、巨大なシャンデリアが下がっている。ガラスと金銀で飾られ、きらきらと光っており、火ではなく黄輝石を使うらしい。

 一つ買うのに金貨が飛ぶ高価な黄輝石がふんだんに使われているのに、アンジェリンは呆れるやら関心するやら、何だかくらくらするような心持だ。

 足元の大理石の床は磨かれてピカピカして、顔を寄せると映るようである。靴が汚れているのが気になって仕様がない。

 絨毯の敷かれた廊下を進み、部屋に通された。


「ここで待っていろとの事だ」


 使用人の男は入り口横に立っていたメイドに何事か言うと、早足で出て行った。

 それほど広い部屋ではないが、来客用らしい、綺麗に整えられ、あちこちにさりげない意匠がこらしてあるようだった。奥の方に開いた扉があって、それとなく覗き込むと風呂場が見えた。


 彫刻の施された椅子に腰かけて、何となくもじもじする。

 尻の下のクッションは柔らかだ。座り心地は良い筈なのに、何だか立ち上がりたくなるような気分である。メイドがお茶を淹れてくれたが、カップに口を付けるのも憚られる。


 なるほど、確かに綺麗過ぎて落ち着かない。

 ギルメーニャが来たがらなかったのも当然か、とアンジェリンは納得した。そして、こんな所で暮らすのが日常になっていては、確かに貴族は冒険者を蔑むな、とも思い、しかしそんな事は下らない事だとも思った。


「……裸で立てば誰だって同じなのに」


 ぽつりと呟いた。絢爛な服に身を包んでいようが、立派なお屋敷に住んでいようが、裸一貫、荒野にでも放り出されれば同じ人間だ。そうなった時、帰るのならこんな落ち着かない所よりも、煤と藁の匂いのするトルネラの暖炉の前の方が余程いい。


 その時、扉が開いて誰かが入って来た。

 二十を少し超えたくらいの男だった。中背中肉の体を小奇麗な服で包み、癖のあるアッシュブラウンの髪を撫でつけている。

 男は品定めするような目つきでアンジェリンをじろじろ見た。アンジェリンは嫌だったが、少し眉をひそめただけで何も言わなかった。


「……お前が“黒髪の戦乙女”アンジェリン?」


 アンジェリンは黙ったまま頷いた。男は顔をしかめてアンジェリンの向かいに腰を下ろし、不機嫌そうに指を鳴らした。メイドが慌ててやって来て、カップにお茶を注ぐ。


「不愛想な奴だな。せっかく僕が父上にお前の叙勲を献言してやったのに」

「……お前はどちら様ですか?」

「おま――ッ? な、なんだその口の利き方は!」

「……田舎者でして、どうかご容赦を」


 アンジェリンはぺこりと頭を下げて、しかめっ面を隠した。

 こいつがわたしをここに呼び寄せたのかと思うと、今すぐ横っ面をひっぱたいてやりたい気分に駆られた。しかし、そんな事をしては大変である。両手を膝の上で組んでぎゅうと握った。

 男は憤慨していたが、気持ちを落ち着けるようにふんと鼻を鳴らした。


「まあ、魔王殺しといっても所詮は冒険者だからな! ある程度の無礼は許してやる!」

「……ありがたき幸せ」


 アンジェリンの慇懃な態度に少し機嫌を直したのか、男は椅子にふんぞり返った。


「僕はヴィラール・エストガルだ。僕の名を聞いた事は?」


 アンジェリンは首を横に振りかけたが、考え直して首肯した。思った通り、ヴィラールは自慢げに口端を上げた。


「はは、オルフェンみたいな田舎にもやはり知られているか」


 実際はまったく知らないのだが、アンジェリンは曖昧に頷いておいた。

 ヴィラールはテーブルに肘をついて身を乗り出した。


「魔王ってのは強かったんだろうな?」

「ええ……強かったです」

「そうか……うん、それならいい」


 ヴィラールは立ち上がって部屋の中を行ったり来たりした。


「安心した。下手な人材に叙勲をなどと献言していたら恥を掻くからな。しかし、強力な魔獣を討伐したとなれば、勲章くらいは当然だ。名誉に思えよ?」

「は……」

「ふふ……これで父上も僕の事を見直すだろう……兄上にばかり良い顔をさせてたまるか」


 さっさと終われ、とアンジェリンは苦い顔をしながらお茶をすすった。

 どうやら、このヴィラールという男は、兄に張り合う為か、父であるエストガル大公からの覚えを良くする為か、ともかく自分の為にアンジェリンの叙勲を申し入れたらしい。貴族の権力ゲームに付き合わされていると考えるとうんざりする。

 かちゃり、とカップを置いてアンジェリンは言った。


「それで……勲章はいつもらえるんですか? できる事なら早い方がいいんですが」


 ヴィラールは呆れたような顔をした。


「お前、勲章はただもらえばいいものではないんだぞ? 荘厳なる式典があって、箔を付けていただくものなんだ。そうでなくては、誰がお前が叙勲されたと分かるんだ。何の名誉にもなりゃしない」


 別に誰にも知られなくていい、と言いたかったが、そうもいくまい。ギルメーニャの言葉を思い出しながら、アンジェリンは不承不承に頷いた。要するに、舞踏会で行われるという式典までは帰れないのだ。

 ヴィラールはアンジェリンをじろじろ眺めて、ふんと鼻を鳴らした。


「しっかしまあ、小汚い恰好だな。そんな恰好で舞踏会に出られては僕の面子が潰れる。おい」


 ヴィラールはメイドを呼んだ。


「お前はこいつの世話をしろ。風呂に入れて綺麗にして、上等のドレスを宛がうんだ。僕が呼んだ来賓だという事を忘れるなよ? 三日間で徹底的に綺麗にするんだ。少し痩せ気味だから、食事もたっぷりな! 最低限の礼儀作法も教えておけ。僕に恥をかかせるな」

「はい」


 メイドは頷いた。

 ヴィラールは満足そうに笑い、アンジェリンの方を見た。


「僕は忙しいからな、お前はここにいろ。あまり面倒を起こすなよ?」


 そう言って、ヴィラールは大股で出て行った。

 扉が閉まったと同時に、アンジェリンはぐたっと体から力を抜いた。

 高位ランクの魔獣と戦っても、ここまでくたびれる事は少ない。同じ貴族の筈なのに、ボルドー三姉妹とはまったく違う。爆発しなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。


「……恐るべし貴族」


 アンジェリンは呟いて、メイドに声をかけた。


「あの、お茶をもう一杯もらってもいい……?」

「はい」


 淹れてもらったお茶をすすった。さっきよりも気持ちが落ち着いたのか、美味しく感じる。アンジェリンは大きく息をついて、メイドに話しかけた。


「あの人はどういう人なの……?」

「え? ご存じではないのですか?」

「知らない……名前しか」


 一応そう付け足しておいた。メイドは納得したように頷いた。


「ヴィラールさまは大公閣下の第二子であらせられます」

「……あなたは、あの人の事どう思ってるの?」


 アンジェリンの問いかけに、メイドは少し困ったように目を泳がした。アンジェリンはくすりと笑った。


「大丈夫、わたしは冒険者……貴族のスパイじゃないよ?」


 メイドもくすりと笑った。


「そうですね……くれぐれも内密にお願いしたいんですが」

「もちろん」


 メイド曰く、ヴィラールは典型的な貴族の若造であるらしい。

 生まれながらの大貴族だから、成り上がり者と違って金銭欲はさほどでもないが、権力欲は強く、大公の嫡男である兄のフェルナンドに事あるごとに張り合おうとしているらしい。

 しかし、フェルナンドの方があらゆる点でヴィラールを上回っており、中々上手く行っていないというのが実状のようだ。


「アンジェリンさまの叙勲も、ヴィラールさまが言い出したのです。舞踏会の目玉になるような何かがないか、という大公閣下のお言葉に対して提案されたのですね、おそらく」


 だから叙勲の時期が一年越しと変に遅れたのか、とアンジェリンは嘆息した。あまりにくだらない理由過ぎて、怒る気も萎えるようだ。


「……兄弟仲が悪いの?」

「どうでしょう? 傍から見る分にはそう見えるわけではないのですが……」

「ふぅん……二人兄弟?」

「いえ、下に妹君がおられますわ。それから腹違いの兄弟がお一人。計四人ですね」


 アンジェリンは頬杖を突いた。彼らとも早かれ遅かれ顔を合わせる事になるのだろうか。

 ぼんやりとしているアンジェリンの周りを、メイドが歩き回ってしけじけと見ている。


「……なに?」

「いえ、どんなドレスがお似合いになるかな、と」

「……ドレスは苦手なんだけど」

「そうもいきませんわ。アンジェリンさまは磨けば光る逸材だと思うんです……お風呂に入られます?」

「……お手柔らかにね?」


 アンジェリンは立ち上がった。


 お父さんは今頃何をやってるのかな。

 そんな事を思った。



  ○



 アンジェリンがエストガルに到着した頃、オルフェンには冬が訪れようとしていた。

 先日に初雪が降って、往来は白く染まったが、揺り戻しのように暖かな日が訪れて雪は溶け、それから再び冷たい風が吹き始める。こんな風に何度か寒い日と暖かな日がやって来て、次第に冬が本格化する。

 アンジェリンがいない事はギルドの運営に差支えるというほどの事ではなかったが、運営陣は皆顔見知りである。顔を合わせないと何となく寂しいような気がしている。


 その日も依頼人と冒険者とで賑わうギルドで、ユーリはカウンターに座って書類を整理していた。

 高位ランク冒険者専用の受付は、普通の受付と違って次から次へと人が来るわけではない。


「んー……Dランク相当の所でBランクの魔獣……これはこっちかな」


 古い依頼の資料も、後々になって役に立つ事もある。報告書と合わせて内容を確認し、ケースに合わせて分類して置いておく。

 おかしな事態になった時に、過去の事例を調べられるようにデータベース化しておくのだ。魔王騒動で学んだ事柄である。

 ライオネルがふらふらとやって来た。顔色は益々青く、まるで病人のようである。


「ユーリ……アステリノスの近くの……Cランクダンジョンの資料……」

「ちょっとリオ、大丈夫?」

「は、はは……もう罪悪感凄くて……アンジェさん、大丈夫かなあ? ギルがきちんとサポートしてくれてればいいんだけど……」

「もう、だったらもっと早く言っておけばよかったじゃないの。何も前日に教えるような残酷な事しなくたって……」

「俺も、もう出発した事にしようと思ってたんだけど、オルフェンの領主さんにも手紙があったみたいで、アンジェさんがオルフェンにいる事はばれちゃってたんだよね……それで見て見ぬふりしようとしてたら直前に釘刺されて……なんであの人たち、強いわけでもないのにあんなに怖いの?」


 ユーリは嘆息した。


「そうやってまた一人で抱え込んでたからこうなったのよ。他人に迷惑かけまいとするのはいいけど、その結果一番迷惑かけてるんだから、もうちょっと考えなさいな」

「……そうだね。悪い癖だなあ……」


 ライオネルは大きく息をついた。

 その時、カウンターに人影が現れた。ばんと平手でカウンターを叩く。


「たのもう!」

「はえ?」


 ユーリは目を点にした。

 笹葉のように尖った耳と、絹のように滑らかな銀髪。立っていたのはエルフだった。その顔は目こそ勝気につり上がっているが、まるで作り物のように美しい。

 二人は、滅多に見ないエルフの美貌に、思わず言葉を失った。

 しかし、その美しさと相反する如く、エルフの少女は姦しく喚き立てた。


「ここが受付か!? おれ、冒険者になりたくて来たんだ! どうすればいい!?」

「え、えーと、ここは高位ランク専用の受付なんだけど……」

「そうか! 問題ないな! おれはすぐにSランクになるからな!」

「あのー、エルフさん……? 物事には順序というものが……」

「順序!? なら早くしてくれ! どうすればいいんだ?」

「こら」


 身を乗り出しているエルフの肩を、後ろから叩く者があった。


「マリー、嬉しいのは分かるけど、そんな聞き方をしたら駄目だよ」

「そ、そうなのか?」

「そうだよ。職員さんも困ってるじゃないか」


 そう言って、エルフの後ろから現れた中年男は苦笑した。

 男はマントの下に毛皮のチョッキを着て、赤髪を後ろでしばり、同じように赤い髭が顎を覆っていた。

 どこかで聞いたような特徴の容姿だ。

 ライオネルとユーリはぽかんと口を開けた。


「あ、あ、あ、あなたは?」

「ああ、すみません」


 赤髪の男はカウンターに歩み寄って来て親し気に微笑んだ。

 右の義足がこつこつと音を立てた。


「ベルグリフと申します。アンジェリン……娘に会いに来たのですが、どこにいるかご存じないですか?」


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