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三十六.目を覚ますと、何だかさらさらした抱き心地の


 目を覚ますと、何だかさらさらした抱き心地のものが腕の中にあった。アンジェリンが怪訝な顔をして見ると、白い髪の毛が見える。小さな少女を抱きかかえているようだ。


「……そうだ。寝床が一個だけだったから」


 アンジェリンが身をよじると、腕の中のシャルロッテはもぞもぞと動いて、アンジェリンに抱き付いた。胸元にぐりぐりと顔を押し付けて来る。


「ふみゅ……おかあさま……」

「むう……わたしにはそこまで母性はないぞ……」


 寝転がったまま、部屋の中にぐるりと視線を巡らす。ソファにはビャクが座って腕を組み、深く頭をもたれていた。寝ているらしい。

 ベッドに立てかけておいた剣がある事を確認して、アンジェリンはシャルロッテを抱き直した。柔らかい。


「これはいい抱き枕……でもお風呂に入れなきゃ」


 汚れているせいか、少し臭う。本当はもっといい匂いがする筈だ。


 アンジェリンはしばらくシャルロッテの抱き心地を堪能していたが、窓の向こうが既に明るいのを見とめて、シャルロッテの頬をむにっとつまんだ。

 シャルロッテはむにゃむにゃ言いながらうっすらと目を開けた。


「ふにゃ……にゃんらの……」


 と言いかけて、アンジェリンが目に入り、色々と思い出したらしい、慌てて跳ねるように起き、寝床から飛び出した。


「おっ、おはようございます! あ、あの、ひさしぶりにまともな寝床だったから、あの、その……」

「そんなに怖がらないでよ……別に取って食いやしない」

「あ、あう……」

「ひとまず朝ご飯……おい、起きろ」


 アンジェリンはソファに腰かけるビャクの足を蹴った。ビャクは頭をもたれたまま答えた。


「……起きてる。なんだ?」

「お手伝い。皿を並べる」


 ビャクは面倒臭そうに立ち上がり、棚から皿を出した。シャルロッテはもじもじしながら上目遣いにアンジェリンを見た。


「その、アンジェリンさま……わたしはどうしたら……」

「顔洗っておいで。そしたらわたしのお手伝い」


 シャルロッテは慌てて流しに行ってぱしゃぱしゃと顔を洗った。タオルで顔を拭い、アンジェリンの方を見る。


「洗いました!」

「ん。こっちおいで」


 アンジェリンはシャルロッテの髪の毛を束ねてやると、葉野菜を千切るように言って、自分は焔石の焜炉にフライパンを乗せて熱し、そこにベーコンと卵を落とした。じゅうじゅうと音がして、香ばしい匂いが漂う。シャルロッテはごくりと喉を鳴らした。


 買い置きのパンを温め直し、サラダとベーコンエッグの朝食である。

 ビャクは相変わらずの無表情でもそもそ食べているが、シャルロッテなどは食べながらぽろぽろ涙をこぼした。

 アンジェリンは少し呆れながら花茶をすすった。


「大げさ……そんなにおいしい?」

「はいぃ……だって、あったかいご飯、久しぶりで……」


 あれだけ鞄にお金があったのに、ちっとも使わなかったのか、とアンジェリンはシャルロッテの気持ちを少し見直した。少なくとも本気で反省はしているようだ。

 けれど、人死にまで出すほどの事をやったのだ。どれだけの事が贖罪として適正なのだかアンジェリンには分からないが、少なくともボルドー家の人々にはきちんと謝らせないといけないだろう。その上で向こうが何を求めるか、それは分からない。だが、それがけじめというものだ。


「まあ、まだボルドーには行かないけど……」


 準備が必要だ。不用意に動いてはまたボルドーの人たちを巻き込む可能性がある。

 いやまてしばし。確かビャクは空間転移の魔法を使えた筈ではなかったか。


「ねえ」

「……なんだ?」

「お前、確か空間転移できたよね? あれってどこまで行けるの?」


 ビャクは眉をひそめた。


「記憶にある場所なら行けたが……もう無理だ。取られたからな」

「……取られた?」

「あの魔法は借り物だ。連中から離反しちまったから、取られた」


 アンジェリンは顔をしかめた。魔法の貸し借りなど聞いた事がない。しかしこの状況でビャクがわざわざ嘘を言うとも思えない。


「立体魔法陣は使えたじゃない」

「あれは俺が自分で習得したものだ。空間転移は借り物だ」

「……貸し借りなんてできるんだ」

「そういう連中なんだよ」


 ビャクは花茶をすすった。アンジェリンは落胆した。ビャクがあれを使えればトルネラに帰るのも楽だったというのに。


「役に立たない奴だな……」

「……悪かったな」


 ともあれ、そういう事ではやはりまだボルドーには行けない。敵の出方を伺いつつ、準備を整えなくては。

 少なくとも、ボルドーへの旅の途上で襲撃されるよりも、オルフェンの方が味方も多いから安心だ。それに、秋口にマリアやユーリを連れて行けるならば、安全度は遥かに上がる。ベルグリフの婚活も同時にできる。


「一石二鳥……」


 アンジェリンは一人で頷いてパンをかじった。


 朝食を終え、さてどうしようかと思う。

 いつもはギルドに行ってアネッサとミリアムと待ち合わし、やれる仕事があるかどうか確認する。あれば赴き、なければ休みだ。一人でのんびりするか、三人で遊びに行くか、それはその時決める。


 どちらにしても一度ギルドに行かなくてはなるまい。上手く話が通れば、シャルロッテたちの保護がもっと厚くなるかも知れない。

 魔王を復活させようとしている連中と、ヴィエナ教の浄罪機関。

 どちらかひとつだけならばアンジェリンも対策しやすいが、別個の組織が別々に狙っているとなると、流石に骨が折れる。もしギルドが助けてくれなくとも、アネッサやミリアムが協力してくれるだけで随分楽になるだろう。


 食器を片付け、服を着替えて剣を腰に差した。シャルロッテはアンジェリンの様子を伺っている。


「あの、わたしたちはどうしたら……」

「一緒においで。ギルドに行くから」


 それを聞いてビャクが顔をしかめた。


「おススメしねえな」

「なんで」

「俺たちは一度ここのギルドマスターとやり合ってるんでね」


 アンジェリンは嘆息した。


「面倒な事ばっかりして……」

「あう……ごめんなさい……」


 シャルロッテが俯く。アンジェリンはぽんぽんと頭を優しく叩いてやった。


「まあ、平気。オルフェンのギルドはわたしには頭が上がらないから……」

「……お前は本当に何者なんだよ」


 呆れたようなビャクの問いに、アンジェリンはフッと笑った。


「Sランク冒険者だ。お前より正体ははっきりしてるぞ……ま、その話は後でゆっくり聞く」


 アンジェリンはシャルロッテを促して部屋を出た。ビャクはのっそりした足取りでその後に続く。


 刷毛で塗ったような薄雲がかかっているが、良いお天気である。それでも隣を歩くシャルロッテは、少しびくびくした様子で歩いていた。いつ何処から襲われるか分からない、といった様子である。

 アンジェリンはやれやれと頭を振って、シャルロッテの手をぎゅうと握った。シャルロッテは驚いたようにアンジェリンを見上げた。


「大丈夫。わたしが付いてる」

「……! はい!」


 シャルロッテは嬉しそうにアンジェリンの手を握り返した。こういうのも悪くないな、とアンジェリンは思った。まるで妹でもできたみたいだ。


 妹。

 中々甘美な響きである。母親とはまた違った魅力がある。保護される側ではなく、甘やかす快感というやつか。

 アンジェリンはシャルロッテをじっと見た。


「……シャルって呼んでいい?」

「えっ、あっ、はい!」

「……わたしの事はお姉ちゃんと呼ぶがよい」


 シャルロッテはおずおずと上目づかいでアンジェリンを見上げた。


「えっと……お、お姉ちゃん……?」

「……うむ」


 良い。


 アンジェリンは妙な満足感を覚えながら、軽い足取りでギルドへと向かった。

 ビャクは呆れたように眉をひそめながら黙ってついて行く。

 不意にアンジェリンが振り返った。


「お前は何歳なの?」

「……は?」

「何歳なの……?」

「……十五、だったか……それがどうした」


 アンジェリンはにやにやと笑った。


「お前もお姉ちゃんって呼んでいいぞ?」


 ビャクは苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「冗談じゃねえ……」

「ふふ、照れちゃって……」

「照れてねえ!」


 ビャクは怒ったように怒鳴った。アンジェリンはいたずら気に笑いながら早足になった。シャルロッテもくすくす笑いながらアンジェリンの歩調に合わせる。

 ビャクは苦々し気に顔をしかめ、それでも二人に遅れないように足を速めた。


 ギルドは相変わらずの賑わいである。

 秋を前にした交易の盛り上がりがあって、それに伴う護衛依頼が多いようだ。よそから護衛に来て、別の護衛の依頼で旅をする放浪の冒険者の姿が多く見られた。


 受付に行くと、アネッサとミリアムが既に来ていて、ユーリと何か話していた。

 アンジェリンが呼びかけると、二人はこちらを向いた。


「おはよ、アンジェ。今日は探索依頼のいいのが……」


 言いかけて、アネッサは怪訝そうに目を細めた。


「どうしたんだ、その子」

「妹」

「……え!?」

「というのは嘘」

「おまっ……!」


 口をぱくぱくさせるアネッサの横でミリアムがくすくす笑った。それからシャルロッテをまじまじと見る。


「んー、どっかで見た事ある気がするけど……どこだったっけ?」

「……あ! ボルドーで!」


 アネッサが思い出したようにシャルロッテを見据えた。シャルロッテはびくりと怯えたように身を縮込ませた。アンジェリンは口を尖らせた。


「あんまし脅かさないで……」

「けど、確かボルドーを混乱させた主犯だろう? なんでこんな所に……」

「それについては色々と話があるの。ユーリさん」

「なあに?」

「ギルドマスター、いる?」

「うん、いるわよぉ? いつも通りふらふらしてるけどね」


 ユーリはカウンターの腰扉を開けてアンジェリンたちを招き入れた。アネッサとミリアムも首を傾げながら一緒に行く。


 カウンター後ろの扉に入って、廊下を少し進んだ先にギルドマスターの部屋がある。

 前はライオネルの私室のような状態で、ベッドに執務机、接客用のソファとテーブルくらいしかなかったが、現在は書類で溢れかえっている。

 前ギルドマスターが増築して無駄に広くなっている為、今は話し合いにもよく使われるのだ。


 部屋に入ると執務机でライオネルがぐたっとしながら書類を見ており、脇に置かれた椅子にドルトスが腰かけて同じように書類に目を通している。

 ソファにはチェボルグが腰を下ろし、しかし彼は事務仕事は嫌いらしい、頭の後ろで手を組んで背もたれに深く体重をかけていた。大柄な彼が寄り掛かっているから、ソファはぎいぎいと悲鳴を上げた。


「おはよう」


 アンジェリンが声をかけると、ライオネルたちは顔を上げた。

 チェボルグが愉快そうに笑う。


「がっはっはっは! なんだ珍しいじゃねえかよアンジェ!」

「マッスル将軍、おひさ……元気そう」

「俺が元気じゃないわけないじゃないの! 元気過ぎてよ! 暇なんだよな!」


 ドルトスがうんざりした様子で立ち上がり、チェボルグを小突いた。


「チェボルグ、やかましいぞ……アンジェ、何かあったのであるか?」

「うん。相談事……」

「というか絶対面倒事だよねアンジェさん? その子たち、おじさんめっちゃ見覚えあるんだけど……」


 ライオネルはあからさまに面倒臭そうに顔をしかめ、シャルロッテとビャクを見て嘆息した。

 シャルロッテもライオネルとチェボルグの事は覚えているらしい、おびえた様子で、それでも小さく頭を下げた。


「その節は……あの、ご迷惑を……」


 チェボルグが嬉しそうに立ち上がった。


「あの時の悪ガキどもじゃねえの! がっはっはっは! 今度は油断しねえぞ!! かかって来いっつーの!」

「ひい」


 大柄なチェボルグの威圧感に、シャルロッテは慌ててアンジェリンの後ろに隠れた。アンジェリンはやれやれと首を振った。


「マッスル将軍……違うから」

「えっ!? 何!? アンジェ、何か言ったかよ!?」

「お主は黙って座っておれ。事情は分からぬが、話をしに来たのであるな?」

「うん……エドさんとギルさんは?」

「あいつらにはちょっと交渉事に行ってもらってるよ……ふ、ふふ……少しは俺のストレスを知れってんだ……」


 ライオネルは病的な笑みを浮かべた。


 山積みの書類を除けてスペースを作り、一行は接客机の周りに固まった。

 椅子の数があまりないから、女の子たちはソファにぎゅうぎゅうに詰まった。ビャクは座らずに壁にもたれている。

 ライオネルは決意したように深呼吸してアンジェリンを見た。


「で、どんな話なの?」

「……この子たちは狙われている」

「な、なんだってー! ……どういう事?」


 アンジェリンはシャルロッテやビャクの言も交えつつ、事の顛末を語った。魔王を復活させ、利用しようとしている者たちの存在、ヴィエナ教の暗部たる浄罪機関、そこから推測される陰謀。


「少なくとも、みすみすこの子を殺させるのはわたしたちにもマイナスにしかならないと思う……」

「ふむ……」


 ドルトスが口ひげを撫でた。


「ルクレシアの政変の事は吾輩も聞き及んでおる。ともなれば、バルムンク卿の娘というのがお主か」

「……はい」


 久しぶりに聞いた父の名に、シャルロッテは思わず涙ぐんだ。ライオネルはいつになく真面目な顔をして腕を組んだ。


「つまり、今の教皇庁の人たちは、シャルロッテちゃんを神輿に担ぎ上げる連中を危惧しているわけだな。大っぴらにはなってないけど、あの政変は後で審問の杜撰さが指摘されてるからなあ……バルムンク卿の娘さんを担げば大義名分は立つか。現勢力に反目する連中からすれば、喉から手が出る程欲しい人材だね……」

「がっはっは! それで先に消しちまおうって魂胆かよ! 詰まらねえ連中じゃねえの!!」

「それだけじゃないでしょう。情報が洩れている以上、多分、シャルロッテを抱き込もうとする連中も水面下で動く筈だと思います」


 アネッサが言った。ドルトスが頷き、髭を撫でた。


「しかし、そういった連中が信用できるものかも分からぬな。傀儡として利用するだけとしか思えぬわ」


 アンジェリンはシャルロッテを見た。


「ルクレシアで信用できる人はいるの……?」


 シャルロッテは首を振った。

 あの時味方してくれた人たちは殆どが失権するか異端者として処罰されてしまった筈だ。身を挺してシャルロッテを助けてくれるような者がいるとは思えない。

 ライオネルは嘆息した。


「浄罪機関か……噂には聞いた事あるけど、本当にあるなんてなあ……教皇庁と揉め事にならなきゃいいけど……」

「裏組織ならあまり表ざたにはしたがらないでしょうから、そこまであからさまな圧力はかからないと思いますよ」


 アネッサの言葉にライオネルは嘆息した。


「だといいけど、権力のある連中は時にアクロバティックな事をやってくれるからね……魔王を復活させようって連中の考えは分からないけど……少なくとも放っておいてくれるような相手じゃなさそうだね。参ったなあ……」

「ふむ……国家転覆を目指しているのか、どこかの国や貴族の野望か……いずれにしても碌なものではなさそうであるな」

「がっはははは! けど話に聞く限りじゃ中々の使い手だな! 相手し甲斐がありそうじゃねえの! 面白れえ!」

「けどさー、それってどこもお互いに敵対してるよね?」


 ミリアムが言った。アネッサが頷く。


「そうだな。それが救いと言えば救いだ」

「だが潰し合いは期待しない方がよかろう。少なくとも、シャルロッテを擁したいと思っている者たち以外は、シャルロッテが死ねば目的は達せられるのであるからな」

「そこですねえ。でも相手の事が多少なりとも分かるのはありがたいなあ。前の魔王騒ぎみたいなのは、おじさん勘弁だよ……」


 話し合う大人たちを前に、シャルロッテは少し困惑したようにおずおずと口を開いた。


「あの……た、助けてもらえるんですか? わたし、その、いっぱい悪い事したし……」


 チェボルグが豪快に笑った。


「がっはっはっは! ガキは余計な心配しねえでいいんだよ! 大人しくしてれば大丈夫だっつーの!」

「けど、人が死んだりもしたし……わたし、きっと死刑になるんだって怖くて……そうじゃなきゃ許してもらえないんじゃないかって……」


 アンジェリンは顔をしかめて、シャルロッテの顔を両手で持って自分に向けさせた。


「……死にたいの?」


 シャルロッテは目を見開いてぶんぶんと首を横に振る。


「それなら軽々しく死刑とか言わない……あなたが死んだって、やった事がなくなるわけじゃないんだから」

「あう……」

「悪い事をしたって分かっているならひとまずよし。贖罪の方法は後でちゃんと考える。だから今、訳の分からない連中に殺されたり連れ去られたりしたら困るの……分かった?」

「はい……」


 シャルロッテはくっと口を結んで頷いた。今は守ってもらえる以上、その後にどんな贖罪の方法を求められても、それをしなくてはならない、と覚悟を決めたようだった。アンジェリンはにんまりと笑った。


「まあ、お姉ちゃんがいる限り心配ない……」


 シャルロッテは泣きそうな顔で笑った。


 ともかく、オルフェンのギルドの主だったメンバーたちがシャルロッテを守ると決めてくれたので、アンジェリンはホッとした。ギルドが教皇庁と敵対する事を懸念して、慎重になる可能性も少しは考慮したが、やはり気の良い連中ばかりである、助ける以外の選択肢がないような振る舞いであった。


 オルフェンのギルドは大きいから、そこの冒険者全員が味方になるとは限らない。

 しかし、ギルドマスターを始めとした元Sランクの冒険者たちが力になってくれるのは心強い。これだけであとは内密にしておいてもいいくらいだ。


 そういうわけで上手く協力を取り付けたアンジェリンは、シャルロッテとビャク、それにアネッサとミリアムも伴ってギルドを出た。今日は仕事は休みにして、二人の生活の道具をそろえる予定である。


「まずはお風呂。二人ともちょっと汚い……」

「むう、さっきから臭うのはそれかー。女の子は綺麗にしておかなくちゃだめだよー」


 獣人ゆえに嗅覚が鋭いらしいミリアムは、シャルロッテの臭いに顔をしかめ、くしゃくしゃと髪の毛を揉んだ。

 アネッサは少し片付かない顔をして嘆息した。


「やれやれ……妙な事になっちゃったな」


 それでも、アネッサ個人としては、シャルロッテに悪い気はしていないらしい、ミリアムと両側から挟むようにして、片側の手を握ってやって一緒に歩いている。シャルロッテも嬉しそうだ。


 一方のビャクは、一向に喋らないまま静かに後ろからついて来ていた。先の話し合いの時も、背後の組織に関して少し情報を喋ったくらいで、ずっと寡黙だった。

 アンジェリンは少し歩みを緩めて、ビャクの横に並んだ。


「……お前には色々まだ聞きたい事がある」

「……さっき聞けば良かったじゃねえか」


 アンジェリンはフッと笑った。


「お前とシャルは違うでしょ? ただの人間のシャルはともかく、お前はあんまり正体を明かしちゃまずいかもと思ったから……」

「フン……ただの脳筋かと思ってたが、そうでもねえみたいだな」

「当たり前だろ。わたしは“赤鬼”ベルグリフの娘だぞ。剣の腕だけでSランクになったわけじゃないんだ」

「娘、ねえ……」


 ビャクは忌々し気に顔をしかめた。


「お前はお気楽でいいな」

「逆にお前はなんでそんなに深刻なの? 若さからくる矮小な厭世観だとしたら、数年後に不意に思い出して悶絶する羽目になるから気を付けろってお父さんが言ってた……」

「お前の親父はなんなんだよ……」


 ビャクは嘆息して、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「俺の中には魔王が巣食ってる。カイムって魔王だ……」

「ふうん」


 薄々感づいてはいたが、やはりそうか、とアンジェリンは思った。前にビャクと戦ったとき、変容した彼から感じた魔力はそれに近いものだったからだ。


「けど、オルフェンで戦った魔王とはちょっと違う感じだったけど……」

「魔王ってのは元々ソロモンが作ったホムンクルスだ。不死で、高い魔力と戦闘力を有しているが、主を失って狂気に満ちてる」

「それはさっき聞いた……そのホムンクルスが、どうしてお前の中にいるの?」

「……ホムンクルスを人間の子供として産ませる実験があったんだとよ」

「……どういう事?」

「俺も詳しくは聞かされてねえが……ホムンクルスの持つ高い能力を受け継がせつつ、魔王としての記憶や狂気を取り去ろうとしたらしい……俺はその実験体のひとつだ。尤も、ホムンクルスの自我が深層に残ってるから、失敗作らしいがな」

「ふーん……変なの」

「うるせえ。それに他人事じゃねえぞ」


 そう言ってビャクはアンジェリンを睨んだ。


「多分、お前もその実験体だ」

「……はあ?」


 アンジェリンは目をぱちくりさせたが、やにわに笑い出した。


「わたしが魔王? ふっふっふ!」

「……自分の強さに疑問を持たねえのか?」


 アンジェリンはフンと鼻を鳴らして胸を張った。


「……お父さんのおかげ」

「またそれかよ……真面目に考えろ。明らかな地力の高さはホムンクルスの影響だ」

「じゃあ、なんでわたしはトルネラでお父さんに拾われたんだ?」

「……さあな」

「お前の話じゃお前は帝都にいたんだろ? 帝都からトルネラは相当遠いんだぞ。わたしは生まれたばかりという状態で拾われたんだ。辻褄が合わない」


 ビャクは諦めたように嘆息した。


「もう勝手にしろ……どっちにしても俺の自我が前に出てるうちはホムンクルスの記憶は分からねえ。これ以上は話せねえよ」

「そっか……まあいいや。わたしにはどうでもいい事だってのが分かった」

「……チッ」


 腹立たしく舌を打つビャクを見て、アンジェリンはくすくす笑って肩に手を回した。


「お前も寂しいんだな? 大丈夫だぞ、お姉ちゃんがいるから」

「何がお姉ちゃんだ……」

「そう照れるな、ふふ。そのうちトルネラにも連れて行ってあげる」

「……お前、ホントに面倒臭い女だな」


 その時、風呂屋に着いたらしい、自分たちを呼ぶ声がして、二人は足を速めた。


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