二十二.目が覚めると、アンジェリンが同じ寝床で
目が覚めると、アンジェリンが同じ寝床で眠っていた。ベッドは二つあった筈だが、父親の寝床に潜り込んで来たらしい。
これだけ甘え癖が発症していると、オルフェンに帰ってから大変そうだ、とベルグリフは苦笑した。
むしろ十二歳の頃の方が、一人で寝る訓練などと言い出していたのだから、余程大人だったかも知れない。
まだ夜明け前だ。ゆっくり眠ろうと思っていても長年の癖は早々抜けてくれない。
上体を起こすとまだ関節や筋肉がぎいぎいと軋む。それでも、昨日よりはまだマシなような気がした。寝床が柔らかかったからだろうか?
膝を曲げ、肩を回す。さほど動きが制限される感はない。
「いい子だ……」
ベルグリフは膝や肩を撫で、義足を付けてゆっくりと立ち上がった。
アンジェリンは起きる様子はない。むぐぐと唸って寝返りを打った。酒臭い。話が盛り上がったのか何なのか、どうやら随分飲んだようだ。
深酒するなと言ったのに、と思ったが、若者には無駄な忠告だったか、とベルグリフは頭を掻いた。
雨は上がったようだ。
まだ雲はかかっているが、薄く、風で流れは早い。
ベルグリフは剣を持って、そっと部屋を出た。屋敷の中はまだ静かだ。
しかし、台所の方は騒がしい。家主たちが起き出す前に朝食の支度をしようと、使用人たちが忙しく働いているのだろう。廊下を歩いて行くと、窯でパンの焼ける良い匂いが漂って来た。
見張りの兵たちに挨拶しながら、朝靄にけぶる中庭に出て芝生を踏むと、くしゅと靴の裏に水気を感じた。昨晩は随分降ったようだ。しかし今日は晴れそうである。
ベルグリフは丁寧に体をほぐしてから剣を構え、一つ一つの動作を確かめるようにしながら振り始めた。筋肉痛らしき痛みは大分癒えたようだが、関節はきしきしと軋んで少し痛む。違った痛みが一度に来ていたようだったが、全身くまなく痛かったから混同していたようだ。
その痛みの原因を探るように、少しずつ動きを変えるように、自分の体と向き合いながら、彼は剣を振るい続けた。若い頃ならば多少の無理は出来たが、この歳になって関節を過度に痛めては取り返しがつかない。自分の体の限界を探らなくては。
足先から腰を通って背骨を伝い、やがてそれが腕の動きへと連動して行くように、力の通りを意識する。体を痛めぬように、しかし力は最大限に引き出せるように。
「……固い」
呟いた。アンジェリンとの立ち合いの動きで、体の芯がずれてしまったような、そんな感じだった。
しかし、それでも取り戻せない事はなさそうだ。
今すぐには無理だが、少しずつ、毎日感覚を取り戻せばいい。どうせトルネラに帰れば時間はたっぷりある。
剣などやめてしまえばいいのに、と少し自嘲的な笑みが浮かんだ。しかし今となっては、剣を振るわずに過ごした時間よりも、剣と共に暮らした時間の方が長い。両腕がなくならない限りは、命の尽きるまでやめられないだろう。
小一時間の素振りの後、ベルグリフは腕を下ろして息を突いた。いつもの素振りよりもゆっくりと行ったのだが、よほどくたびれた気がする。
「見事だな」
後ろから声がした。驚いて振り返ると、アシュクロフトが立っていた。壁に寄り掛かり、腕を組んで、しかし眼鏡の奥の目は鋭く、不機嫌そうに細められている。
「体の軸、振り下ろされる剣の鋭さ、どれも義足とは思えん。中々のものだ」
「それは、どうも……」
「だが、サーシャ様が絶賛するほどとは思えんな」
アシュクロフトは嘲るように鼻を鳴らした。挑発しているような気配だ。ベルグリフは苦笑して頬を掻いた。
「ええ、私もそう思うのですがね……どうもサーシャ殿は思い込みが激しいようで」
「む……」
アシュクロフトは面食らったように少し顔をしかめた。てっきり激高するか、嫌味で返して来るかと踏んでいたのだろう。
彼は自分に良い感情を抱いていないな、とベルグリフは思った。それは若さから来る自信と、ぽっと出の自分がヘルベチカやサーシャに評価されているという嫉妬から来るものだ、と分かる。
まだ二十代の前半で北部の大領主の家令を任されるほどの器量だ、何処の馬の骨とも分からぬ中年男が気に食わないのも当然だろう。
アシュクロフトの態度は無礼ではあったが、ベルグリフは気にしなかった。むしろ若さゆえの居丈高さに微笑ましささえ覚えた。
そして、彼は前評判の色眼鏡を通さず自分の剣を正当に評価してくれそうだ、という淡い期待感もあった。
詰まらなそうにして次の言葉を紡ぎあぐねているアシュクロフトに、ベルグリフはにっこりと笑いかけた。
「アシュクロフト殿、貴殿も剣を嗜まれるそうですが……」
その言葉に水を得た魚のようにアシュクロフトは言った。
「ああ……サーシャ様には及ばないが、少なくともさっき見たあんたの剣よりはマシな剣を振るえる。冒険者ギルドでもサーシャ様を除けば勝てない相手もない」
「成る程、それはお見事。貴殿のような御方がそばに付いておられるなら、ヘルベチカ殿も安心というものですな」
ベルグリフは素直に感想を言ったのだが、相手は皮肉と受け取ったらしい、少しカチンと来た表情で口を開いた。
「ふん……卑屈だな。“赤鬼”だか何だか知らないが、俺はあんたの事など評価しちゃいない。あまり調子に乗らない事だな」
「いや、まったく。ご忠告痛み入る」
あくまで柔らかな態度を崩さぬベルグリフに、アシュクロフトは少し苛立って来たらしい、不機嫌そうに眼鏡の位置を直し、踵を返して去って行った。
その後ろ姿を見てベルグリフはくつくつと笑う。ああいう無鉄砲な若さは可愛げがあっていい。
靴に付いた泥を落として、部屋に戻った。アンジェリンはまだベッドに転がって唸っている。どれだけ飲んだのか、ベルグリフはちょっと呆れてアンジェリンを揺さぶった。
「アンジェ、起きなさい。朝だよ」
「む……ぅみゅう……」
うっすらと目を開けたアンジェリンはのそのそと上体を起こした。
着慣れないドレスはボタンやホックが外れかけて乱れており、目も口も半開きで、体はぼんやりと左右に揺れている。
ベルグリフは嘆息した。
「深酒はするなと言ったのに」
「ん……おはよー……おとーさん」
「はい、おはよう……眠いならもう少し寝るか?」
「んみゅう……ねりゅ……」
アンジェリンはぽふんとベルグリフに寄り掛かるように倒れると、再び寝息を立て始めた。これでは隣室の二人も同じだろう。
ベルグリフは諦めてアンジェリンを寝床にきちんと寝かせ、布団をかけてやると、椅子に腰を下ろして窓の外を眺めた。
素振りの最中に上り始めていた太陽はすっかり顔を出し、流れていた雲も姿がない。
すっかり青い空が広がり始め、夕べの雨で濡れた木々の葉や草が陽を照り返してきらきら光った。美しい光景だ。
次第に太陽が高くなる様子を眺めた。
朝靄が晴れて、鳥たちが飛んで行く。眠っていた者たちが目を覚まし、まるで世界そのものが息を吹き返したようだ。
果たして街道整備の話がまとまるのはいつになるだろうか、あまり長くならなければいいが、とベルグリフは頬杖を突いた。
その時扉がノックされた。「どうぞ」と返事をすると若いメイドがひょこっと顔を出した。
「おはようございます。あのう、お嬢様方が朝食を御一緒にいかがかと……」
「ああ、ありがとうございます。それは是非とも」
「ではご案内を……」
「少し待ってください、娘が……」
ベルグリフは立ち上がって、眠っているアンジェリンを揺さぶった。
「ほらアンジェ。朝ご飯だよ」
「むー……いらにゃい……」
「そんな事を言って。せっかくヘルベチカ殿が招待してくださってるのに……」
「やぁだ」
アンジェリンはもそもそと布団を頭からかぶって丸くなってしまった。ベルグリフは嘆息した。
「じゃあ、お父さんは行って来るからね?」
返事はない。寝たようだ。ベルグリフはやれやれと頭を振って、メイドの案内を受けた。
食堂らしき所に入ると、ボルドーの三姉妹が既に席について何やら歓談していた。アシュクロフトも傍らに控えている。
ヘルベチカがベルグリフに気付き、笑って手招きした。ベルグリフはにっこり笑って促された席に腰を下ろした。
「ヘルベチカ殿、おはようございます」
「おはようございます、ベルグリフ様。よくお休みになられましたか?」
「ええ、おかげさまで。娘たちは深酒したせいか起きて来ませんが……」
苦笑するベルグリフを見て、サーシャが呵々と笑う。
「はっはっは、昨晩は随分飲みましたから! いやはや、楽しい夜を過ごさせていただきました!」
「ちい姉さまが飲ませたのではないですか……? まったく、酒豪なんですから」
セレンが嘆息する。そういえば昨晩はサーシャも一緒に飲んでいた筈だ。それなのにけろりとして笑っている。随分強いものだ、とベルグリフは感心した。
貴族の食卓は流石に綺麗だ。焼き立ての柔らかいパンにベーコン、ゆで卵、シチュー。ザワークラウトにソーセージ、蒸かした芋などが並んだ。盛り付け方も上品である。
上品過ぎて、ベルグリフなどは返って落ち着かない。食前の祈りを済ました姉妹たちが各々に始めるのを、何となく眺めているだけだ。
食事の作法なども分からないから、下手に手を出すのも何となく気恥ずかしかった。
その様子に気付いたヘルベチカがくすくすと笑った。
「ベルグリフ様、作法など気にせずお好きに召し上がってくださいな」
「は……しかし」
もたもたするベルグリフに、セレンが優しく笑いかける。
「いいのですよ、ちい姉さまなんか、貴族なのに作法を無視なさるのですから」
「何を言うかセレン。わたしだって弁える時は弁えるぞ。家族と師匠の前で改まって食事をする理由がどこにある」
そう言ってサーシャは白パンを丸のままシチューにつけ、大口を開けてかぶりつく。まるで冒険者のするような食べ方だ。ベルグリフはそれを見て少し気が楽になり、それでは、とうまい朝食に舌鼓を打った。
ふと、ヘルベチカに尋ねる。
「いかがでしょう。話は進展しそうですか?」
「いえ、もう少し……けれど三、四日のうちには何とかしたいと思っています。お急ぎなのですか?」
「私自身は急いでいるわけではないのですが、何せ村始まって以来の大事業ですからね、皆浮足立ってしまっておりまして」
そう言って苦笑するベルグリフを見て、ヘルベチカはくすくす笑う。
「分かりましたわ。杜撰な話にするわけにはいきませんから、まだお待ちいただきますが、なるべく急ぎましょう。それまではどうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいな」
「恐れ入ります」
ゆで卵の殻を剥きながらサーシャが言う。
「師匠! それならば今日はまだ時間がおありなのでしょう? よければ是非とも手合わせをお願いしたいのですが!」
「はは、構いませんよ。尤も、今日はもう負けると思いますが……」
「何をおっしゃる! 今日こそは本気を出していただけるように頑張ります!」
サーシャは発奮して騒いでいる。ベルグリフは困ったように顎鬚を撫でた。
末席に控えるアシュクロフトは不満そうな顔をしてその様子を眺めていたが、やがて口を開いた。
「お言葉ですがサーシャ様、彼の剣技は言う程優れたものではないかと」
「なんだと?」
サーシャはじろりとアシュクロフトを睨み付けた。
「どういう了見だアッシュ。お前、ベルグリフ殿の剣を見た事があるのか?」
「ええ、今朝彼が鍛錬している所を拝見しました。成る程、体の軸も重心も取れているし、剣筋は鋭い。しかしそれだけです。サーシャ様。あなたが負けたというのも信じがたい。何か卑怯な手でも使われたのでは――」
アシュクロフトが言い終える前に、サーシャが激高した様子で立ち上がった。
「黙れ! お前如きが剣について語るとは片腹痛い! そういう事はわたしに勝ってから言ってみろ!」
「私はサーシャ様には勝てないでしょう。しかし“赤鬼”とやらに負ける気はしませんな」
「おのれえ、師匠を愚弄しおって……! 師匠!」
何ともない気分でザワークラウトを食っていたベルグリフは、驚いて顔を上げた。
「は」
「是非ともこの大馬鹿者を叩きのめして、現実を分からせてやっていただきたい!」
「……はっ?」
アシュクロフトはにやりと笑って立ち上がった。
「いいでしょう、面白い。サーシャ様、あなたの幻想も覚まして差し上げます。来い“赤鬼”。その鼻っ柱、へし折ってやる」
「は、はあ……」
ベルグリフは状況がよく呑み込めず、眉をひそめて首を傾げた。セレンはおろおろしたように視線を泳がせ、ヘルベチカはにこにこしている。
訳の分からぬまま屋敷の裏の練兵場に連れて行かれた。
雨の後だからむき出しの地面がぬかるんでどろどろしている。立ち会うには難しそうな場所だ。
木剣を手渡され、握ったり振ってみたりして感覚を確かめていると、ようやく起き出したらしいアンジェリンたちがやって来た。アンジェリンは少し眠そうなだけだが、ミリアムとアネッサは頭を押さえている。二日酔いなのか、顔色があまり良くない。
「うう……飲み過ぎたー……」
「サーシャが強すぎるんだ……くそ、当てられてつい……」
「お父さんいた……何やってるの?」
「それがお父さんにもよく分からんのだが……アシュクロフト殿と手合わせする事になってね」
「ふぅん?」
アンジェリンはじろじろと品定めするようにアシュクロフトを見た。
アシュクロフトは怪訝そうに眉をひそめてアンジェリンを睨む。アンジェリンはしばらくアシュクロフトを見ていたが、やがて詰まらなそうに大きく欠伸をした。
「ふあ…………雑魚だな……」
「なんだと……ッ!」
アンジェリンの一言に、アシュクロフトは眉を吊り上げた。木剣の切っ先をアンジェリンに向けて咆哮する。
「魔王殺しだか何だか知らないが……“赤鬼”の次は貴様だ小娘ッ!」
その言葉にアンジェリンもカチンと来たらしい、不機嫌そうな顔でベルグリフを見た。
「お父さん……ぶっ潰しちゃって」
「いやいや……お前そんな物騒な……」
「いーやベルさん。あの人ちょっと痛い目見た方がいいと思うよー」
「そうだな……喧嘩を売る相手の実力を正しく見られないのは致命的だ。いい勉強になるだろう」
パーティメンバーを侮られたのが気に食わないのか、二日酔いの不機嫌さも手伝ってか、珍しくミリアムとアネッサも顔をしかめている。
「先輩方の言う通りだ! アッシュ! 少し痛い目を見るがいい!」
サーシャも同調して大声を出す。
何だか外野ばっかりが盛り上がっている気がする、とベルグリフは取り残されたような気分になった。そうしてアシュクロフトに少し同情した。
ともあれ、立ち会うならば手を抜く失礼はするべきではない。
ベルグリフは大きく息を吸うと、いつものように仁王立ちのような構えを取る。
アシュクロフトも構えた。流麗な構えである。かなりの使い手である事が見て取れた。
経緯はどうあれ、強敵と剣を交える事は嫌いではない。
普段を過ごす自分と、こういった時の自分は別物のように感じる。相対し、剣を構えると、不思議と静かな心持になる。その静けさの底の方で、じりじりと燃えている何かを感じた。
足元が悪いから、アシュクロフトも一歩を踏み出すタイミングが掴めないらしい、少しずつ距離を詰めながら、油断なくベルグリフを見据えている。
いい剣士だ。こんな男が家令ならば、ヘルベチカ殿が襲撃されてもまず安心だろう、とベルグリフは場違いな事を思う。
不意に、雲雀が一羽甲高い声で泣きながら横切った。
ベルグリフの眉がぴくりと動く。
刹那、アシュクロフトが深く踏み込んでベルグリフの方へ駆けた。凄まじい瞬発力だ。
しかし、ベルグリフもそれに反応する。
身をかがめ、右足を前に出して向かって来るアシュクロフトに向かって木剣を振り抜こうと姿勢を整える。
駆ける。前方へ。
だが、想定外の事が起きた。
想像以上にぬかっていた地面に義足がめり込み、しかし体だけは前方へと向かおうとする。結果、体をかがめるというよりも前のめりに倒れるような格好になってしまった。
「ぬっ……!」
だが、幸か不幸かその事故的な動きがアシュクロフトの剣を空振りさせた。
前のめりに転ぶベルグリフの頭上を木剣が掠め、ベルグリフが勢いのまま振り抜いた木剣はというと、アシュクロフトの脛をしたたかに打ち据えた。
アシュクロフトは声にならない悲鳴を上げて、ベルグリフに躓くように地面に倒れると、脛を押さえて悶絶した。
「ぐうおぉおおおぉおおぉ…………!」
「ア、アシュクロフト殿、大丈夫でしたか?」
ベルグリフは慌てて立ち上がるとアシュクロフトの肩に手をやった。地面に転げた為、泥まみれである。打たれた脛も痛そうだ。
ベルグリフがどうしたものかと慌てていると、見物していた者たちが喝采を上げるのが聞こえた。
「はっはははは! 流石は師匠! アッシュ! 身の丈を思い知ったか、愚か者め!」
「ふ……やっぱりお父さんはめっちゃ強い」
「あらあら、アッシュでも勝てないなんて……やっぱりボルドー家に」
「お姉さま」
「わ、分かってますよ、セレン……」
違う。これは事故だとベルグリフが言おうとした時、アシュクロフトが憤懣やるかたなしといった様子で立ち上がった。
「認めんぞお! こんな結果! サーシャ様! 今のは事故です! 泥で滑って偶然剣が当たっただけに過ぎません!」
そうだ、その通り! とベルグリフはアシュクロフトに拍手したい気分になった。
しかしサーシャは蔑むような視線でアシュクロフトを見た。
「アッシュ……負け犬の遠吠えとは情けない……戦場で今のような言い訳をして敵が許してくれるのか? 今のは事故だから無効だなどと。それに、ベルグリフ殿の剣技は常道を遥かに超えた所にあられるのだ。さながら本当に滑ったように見せながら、その実回避と攻撃を同時に行う。まんまと策にはまっておきながら、後になって言い訳とは、なんと見苦しい……」
やれやれと肩をすくめるサーシャに、ベルグリフはおずおずと話しかけた。
「サ、サーシャ殿? 今のはアシュクロフト殿の言う通りで……」
「みなまで言われまするな師匠! こんな男に気遣いは無用です!」
「い、いや、私は本当に」
「む、む、何と慈悲深い……アッシュの数々の無礼にも関わらず、面子を潰すまいと考えて下さるとは……やはり師匠は器の大きいお方だ……」
「あの、サーシャ殿? 話を……」
いつも通り聞く耳を持たないサーシャにベルグリフがやきもきしていると、アシュクロフトがバツの悪そうな顔をして言った。
「その……なんだ……あんたも苦労してるんだな、ベルグリフ殿……?」
「はは……貴殿ほどではありません」
妙な連帯感が生まれかけた時、アシュクロフトの肩に手を置く者があった。
アンジェリンが満面の笑みを浮かべて立っている。
「……お父さんの次はわたしだと言ったな?」
笑ってはいるが、全身から発される激烈な闘気と威圧感は、アシュクロフトを総毛立たせた。
「い、いや、あれは……」
「相手してやる……おいで……」
「ア、アンジェ……アシュクロフト殿はお疲れだから」
「お父さん」
アンジェリンはにっこりと笑った。
「黙って見てて」
朝の練兵場に、アシュクロフトの悲鳴が響き渡った。




