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一三五.すらりと抜かれた刀身が、陽の光を照り返して


 すらりと抜かれた刀身が、陽の光を照り返して目に眩しく光った。

 上体を軽く逸らして正眼に構えたサーシャの立ち姿は凛としていた。相対するベルグリフは深く息を吸うと、全身の力を抜いてサーシャを見据えた。


 風が吹いている。髪の毛が揺れて、顔や首筋をくすぐるようだった。


 つま先が地面を蹴る微かな音がしたと思ったら、サーシャが前に出た。

 ベルグリフは剣を前に出し、サーシャの一撃を受け止める。しかしサーシャは深く踏み込まず、軽く距離を空けた。そうしてジッとベルグリフの出方を窺っている。

 ベルグリフの方も前に押して反撃するような事はしない。初撃を退けると、距離を取ったサーシャの動きに合わせるように、剣先を小さく動かす。


 しばしのにらみ合いの後、またサーシャの方が仕掛けた。直線ではなく、やや弧を描くように駆けてベルグリフの右側から切り込む。

 ベルグリフがそれを受け止めると、なんとサーシャは大跳躍してベルグリフを飛び越え、背後から剣を振り上げた。


 だがベルグリフも左足で強く地面を蹴り、右の義足を軸に独楽のような敏捷な回転でサーシャの方を向いた。

 上段から剣を振り下ろそうとしていたサーシャは、回転と共に横なぎに繰り出された剣に、慌てて後ろに飛び退った。そうして再び距離を取って睨み合っている。


 少し離れた所で眺めていたパーシヴァルが感心したように呟いた。


「中々良い動きするじゃねえか、あの姉ちゃんは」

「AAAランクらしいからね。基本の型に忠実だけど、たまにアドリブ効かせる辺り戦い慣れてるね。ベルにはちょいと厳しいかな?」


 隣に腰を下ろしているカシムが笑いながら言った。


「しかし守りに入ったベルは早々とは崩せんぞ……ベルが守り切るか、サーシャが攻め切るかどっちかな」

「へえ、色々言ってた割に評価高いね」

「俺たち四人の中じゃ一番弱いかも知れんが、あいつは守る事に重点を置きさえすれば、格上相手でもいくらか足止めできる。だから後ろを任せられるんだろうが」

「分かります。某もベル殿の守りを崩すのは難しいと考えます故」


 ダンカンもそう言って頷いた。


 しかしながら、この評価は必ずしも対人戦での実力を保証するものではない。ベルグリフの守りは堅いが、逆に言えば攻撃面ではそれほどもないと言える。

 パーティを組んで戦う場合は、守り切れさえすれば、より実力のある冒険者の応援が見込めるが、一対一の立ち合いではそうもいかない。要するに、ベルグリフの戦法は籠城戦に近いもので、外部からの力添えがあって、初めて十全の威力を発揮するようなものだ。


 それでも、義足という体の特徴を利用した変則的な動きは、初対面の相手であればある程度の翻弄は可能だ。サーシャもそれで敗退した過去がある。

 しかし、今回のサーシャは、彼女自身の地力が高まったのに加え、ベルグリフの戦い方も十分に心得ている。だから無暗に踏み込まず、カウンターを狙うベルグリフの意図をことごとく退けた。

 かつての猪突猛進な様子は鳴りをひそめ、その慎重さはおよそサーシャらしくなかった。これはベルグリフからの影響なのかも知れない。


 両者は互いにけん制し合いながら幾度となく衝突を繰り返したが、ある瞬間、ベルグリフの剣が大振りに空を切った。パーシヴァルやグラハムといった実力者たちがぴくりと眉を動かす。


「――そこっ!」


 この機会を逃さず、サーシャは素早く剣を翻し、ベルグリフの肩を打った。指先まで響いて来た衝撃に、ベルグリフは剣を取り落とす。

 サーシャは剣を構えたまま、油断なく距離を取ってベルグリフを見据えた。


 ベルグリフは膝を突いて、打たれた肩を手の平で撫でた。そうしてサーシャの方を見て微笑んだ。


「完敗です。お見事です、サーシャ殿」


 サーシャはしばらく構えを崩さぬままじっと立っていたが、やがて剣先からぷるぷる震え出すと、全身から喜びを発散させて跳び上がった。


「やったぁ! ついに……ついに師匠に一太刀当てる事ができた! やったーっ!」


 ぴょこぴょこ飛び跳ねるサーシャを見て、面白がった双子が一緒になって跳んでいる。そのまま地面に腰を下ろしたベルグリフに、サティが手ぬぐいを渡した。


「はい、お疲れ様」

「ああ、ありがとう……やれやれ、見事な太刀筋だ」


 ベルグリフが汗を拭っていると、サーシャが駆けて来て手をがっちり握った。


「師匠、胸を貸していただきありがとうございます! このサーシャ・ボルドー、おかげさまでまた一歩先へと進む事ができそうです!」

「そんな大げさな……あなたはとうに私など追い越していましたよ、サーシャ殿」

「何をおっしゃる! 師匠のおかげでわたしは自分の未熟さを思い知り、より精進する事ができたのです! これを感謝せずしてどうしろというのですか!」


 サーシャはそう言って握った手をぶんぶんと振った。

 ベルグリフは苦笑を浮かべたが、何か言うのはやめた。言い訳をしても仕様がない。

 ミトがやって来て、服の裾を握った。


「お父さん、負けちゃったの?」

「ああ。お父さんよりも強い人はいっぱいいるんだぞ?」

「むう……」


 ミトは何となく不満そうだったが、それ以上何か言う事はなかった。

 カシムが大きく欠伸をして、それから立ち上がった。


「さーて、前哨戦はこれくらいでいいだろ。食休みも終わったし、ぼつぼつ本戦と行くぞー」


 結界の張り直しが終わる頃には昼を少し過ぎるくらいだった。それで先に昼食を取り、腹ごなしにとサーシャがベルグリフに手合わせを願って、そうして今に至る。

 昼前までに仕事を一段落させて来たらしい村の若者たちも、見物をしに来たのか少しずつ集まって来ている。どういうつもりなのか武器を携えている者たちもいた。


 パーシヴァルはぐるりと周りを見渡して、大声で言った。


「お前ら、今からお前らが見るのは冒険者っつうモンのある意味極だ。一生縁のない奴もいるが、それは構わん。いずれにせよ、こういう化け物と戦う可能性があるって事を頭に入れとけ」


 そうしてグラハムと一緒に、結界の棒杭に囲まれた辺りに歩いて行った。若者たちは顔を見合わせて、ざわざわと何か話し合っていた。どうなるだろうとか、大げさだなとかいう声が聞こえた。


 バーンズがリタと一緒にベルグリフの所にやって来た。


「ベルさん」

「おう、バーンズか。弓なんか持ってどうした?」

「いや、もし何かあったらと思って……」


 ベルグリフはくつくつと笑った。


「用心深くて結構だな。だが今回は出番はないぞ」

「分かってるよ」

「わたしを守ってくれるんだよ。ね?」


 リタがそう言った。バーンズは口をもぐもぐさせて頭を掻いた。サティが愉快そうに笑う。


「仲が良くていいなあ。バーンズ君、後ろにいなさいね。いざとなったらリタちゃんを一番に守ってあげなきゃ駄目だよ」

「は、はい」


 何となく落ち着かない様子のバーンズの腕を、にんまり笑ったリタががっちり掴んだ。

 サーシャとダンカンもそれぞれに武器を携えて、万が一に備えるように結界の方を注視している。


 さっきと同じように、カシムの指示でシャルロッテが魔力を流す。髪の毛がつむじ風に巻かれたように暴れて、唇もくっと真一文字に結ばれていた。術式が強力になった分、魔力を流す負担も大きいのだろう。

 しばらくすると、前のものよりも明らかに強力な光の膜がドーム状に棒杭の内側を覆った。分厚い硝子のようだった。

 パーシヴァルは剣先で軽く結界を突いてにやりと笑った。


「これでいい。最初からこうしときゃいいものを」それからグラハムの方を向いた。「こっちはいいぞ」

「あいよ。シャル、ご苦労さん。危ないからベルたちんトコにいな」

「うん!」


 シャルロッテはホッとしたように力を抜いて、ベルグリフたちの元に駆けて行った。カシムはひょいと結界の中に入り込むと、ひらひらと手を振った。


「よっしゃ、仕上げといこうぜじーちゃん」


 グラハムは頷くと、懐から魔導球を取り出した。赤く光るそれは、内部で黒い雲が渦巻いているように見えた。

 魔導球を乗せた手を前に出すと、向かいに立ったカシムがその上に両手をかざし、詠唱を始めた。魔力が魔導球を中心に渦を巻いて、カシムやグラハムの髪の毛や服の裾を揺らす。

 次第に魔導球の赤い光が強まって来たと思ったら、魔導球がひとりでに浮き上がった。そうして、内側から滲むように黒い雲が溢れて、魔力の渦に巻かれるように結界の中を駆ける。


「……ッ!」


 不意に幻肢痛が鎌首をもたげ、ベルグリフは顔をしかめて右の太ももを押さえた。それほど激しい痛みではないが、気持ちのいいものではない。

 サティが心配そうにベルグリフの肩に手をやった。


「大丈夫、ベル君?」

「ああ、大丈夫だ……子供たちを見てやっててくれ」

「ん……無理しちゃ駄目だよ?」


 ミトは首から下がったペンダントを握りしめていた。真剣な表情で結界を見つめている。ずっとはしゃいでいた双子も、何やらおびえた様子で手をつなぎ、サティの傍に寄り添っていた。

 何か見覚えがある、とベルグリフは目を細めて黒い雲を眺めた。

 もう随分前だが、ボルドーの屋敷でこんなものと相対したような記憶がある。ちらと目をやると、シャルロッテも驚いたように目を見開いていた。


 魔導球から吹き出した黒い雲は勢いを弱める気配も見せなかったが、やがて一所に集まって、何やら形を作り始めた。子供のような黒い影が幾つも空中を跳ね回ったと思ったら、不意にけたたましい笑い声が聞こえて来た。しかしそれは楽し気な笑い声というのではない。相手を蔑み嘲笑うような響きを持った笑いである。


 見物に集まっていた若者たちがどよめいた。蒼白になっている者もある。見た目には龍のような恐ろしさはないものの、あの影法師たちが放つ異様で不気味な雰囲気を感じ取ったのだろう。


 結界の中で突然稲光のような閃光がほとばしった。

 グラハムが聖剣を振り下ろしたのだ。

 魔力をまとった剣撃は衝撃の波となって、周囲を取り巻いていた影法師たちを砕いた。


 しかし砕かれた影法師は再び黒い煙となって宙を渦巻いたかと思うと、別の場所でまた人の形になって、不愉快な笑い声を上げた。

 だが、それも次の瞬間には縦に真二つになっていた。一太刀で影法師を両断したパーシヴァルは、返す刀でさらにもう一体を斬り払い、次いで横なぎに振るってまとめて三体を斬り倒した。

 いくつもの剣撃が舞い、魔法が飛び散らかった。

 影法師は次々に切り伏せられ、砕かれたが、また煙に戻ると、別の場所で人型になってグラハムたちに襲い掛かる。切りがないように思われた。


「ベ、ベルさん、大丈夫なのかな、三人とも……」


 バーンズがはらはらしたような声で言った。

 ベルグリフは幻肢痛の疼く右の太ももを押さえながらも、安心させるようにバーンズに笑いかけた。


「あの三人は大丈夫だ。どのみち、俺たちじゃ助けにもならんさ」


 実際そうだった。

 パーシヴァルは中年を越したとは思えぬ身のこなしで結界の中を駆け回り、対照的にグラハムは無駄のない小さな動きで敵を粉砕する。カシムも魔法を自在に操って敵を近づけない。

 村の若者たちはもちろん、ベルグリフにも手が出せない。ダンカンもそうだし、サーシャも一歩及ばないだろう。パーシヴァルが言ったように、確かにこれは冒険者の一つの極かも知れない。


 戦いは果てしなく続くようにも思われたが、三人が影法師を倒すほどに、結界の中で渦巻く黒い雲の量が減っているように見えた。


「……煙自体が魔力の塊みたいだね」


 サティが言った。ダンカンが頷く。


「そうですな。おそらく人型を取るのにも魔力を消費するのでしょう。少しずつではありますが、確実に力を削いで行っているのは間違いござらぬ」

「それにしても凄まじい……これがSランク冒険者の本気なのですね」


 サーシャが驚愕と感嘆の入り混じった声で言った。

 煙が薄くなるほどに幻肢痛も薄らいで行くので、ベルグリフは怪訝そうに目を細めて、義足の右足を見た。それから戦いの場に目を移し、ぽつりと呟いた。


「……あれは、やはり魔王だったんだろうか」


 やがて黒い煙がすっかり晴れ、グラハムの一振りが残った影法師たちを残らず消し飛ばした。

 笑い声は掻き消えて、背筋を撫でるようだった冷たい緊張感もなくなった。息を呑むようにしていた若者たちもざわつき始める。幻肢痛もすっかりなくなった。


 結界が解けて、ざあと音を立てて風が吹き上がって来た。結界の張ってあった辺りだけ、嵐が来たように地面がめちゃくちゃになっている。かなりの激戦だったようだが、遠目に見る三人は別段怪我をしている様子もなかった。


「終わりだね」


 サティが双子を抱えて立ち上がった。怯えたような様子だったハルとマルも、辺りの雰囲気が変わった事で気が晴れたらしい、丸い目をぱちくりさせてサティの服を握りしめて興奮したように囁き交わした。


「すごかったね」

「じいじもパーシーもすごいね」


 バーンズがショックを受けたように大きく息をついた。


「やべえ……俺、冒険者やれる気がしないかも」


 ベルグリフはくつくつと笑った。


「あれは別格だよ。あんな相手はそうそう出会わない……絶対じゃないけどね」

「脅かさないでよ、ベルさん……」


 ダンカンが笑いながら戦斧にもたれた。


「いやはや、結局某らの出番はありませんでしたな。まあ、出番がある状況になってはまずかったでしょうが」

「しかし少しあれらと手合わせしてみたかったような気も……むむう」


 サーシャは複雑そうな顔をして腕を組んだ。


 周囲がそんな風に勝利の喜びに沸き立つ中、ミトは唇を結んだままじっと前を見ていた。首に下げたペンダントを、手が白くなるくらい握りしめている。あの異様な影法師が自分の魔力を元に生まれて来たという事実に、幼いながら何かしら感じるものがあるらしかった。


 ベルグリフはそっとミトの頭に手をやって、優しく撫でた。


「大丈夫だよ」

「……うん」


 ミトはベルグリフを見上げて小さく笑うと、「じいじ、お疲れさま!」と、こちらにやって来るグラハムたちの方に駆けて行った。



  ○



 マルグリットも加えた新生アンジェリンチームは、無事に初仕事を終えた。しかし元より前回の旅路で共闘を続けていた仲なので、今更チームワークがどうこうという風でもなかった。

 それでも、ベルグリフもカシムもいない四人だけの戦いというのは初めてだから、そういった意味では新鮮であった。

 ベルグリフという強力な歯止めがなくなったからか、実力伯仲で我の強いアンジェリンとマルグリットは、知らず知らずに互いに張り合うような場面が多く、事あるごとに言い合ったり、じゃれるように小突き合ったりした。一応の調停役であるアネッサは、やっぱりベルグリフは偉大だと思ったものである。


 さて、ともあれ初仕事を終えて、次の仕事をしようという段になったが、変異種の調査だの災害級の討伐だのといった仕事はいつでもあるわけではない。魔王騒ぎの時は本当の異常事態だったのである。

 だから今度はダンジョンにでも行って、何か素材の収集にでも赴こうかと計画している。

 ギルドに持ち込まれる依頼の他にも、ダンジョンから産出する種々の素材はギルドが買い取ってくれるのだ。まして今のオルフェンは独立ギルドになってから商会と提携して素材の流通網を強化している。持って行けば持って行った分だけ売れるだろう。


 それでギルドに行って、ダンジョンの資料を借り受けて、広げて見ながらあれこれと相談していると、見覚えのある大柄な影がロビーを横切って来た。ミリアムが「げ」と言った。


「あ、マリアばあちゃん」


 アンジェリンが言うと、マリアは相変わらずの不機嫌そうな目つきでアンジェリンたちを見返した。


「ああ、帰ってたのか……げほっ」

「久しぶり。元気だった、ばあちゃん?」

「これが元気に見えるのか、テメエは。馬鹿。げーっほげほ! チッ……」

「辛いんだ。やーい、ザマ見ろー」


 ミリアムがマリアを指さしてけらけら笑った。


「うるせえんだよ! 少しは師匠を労わりやがれ!」

「ふんだ! 具合が悪い癖にこんなトコにのこのこ出てくるのが馬鹿なんだよう!」


 ミリアムがそう言ってあっかんべーと舌を出すと、マリアは眉を吊り上げた。


「口の減らねえクソ猫が……あたしだってこんな所に好きこのんで出て来るわけがねえだろう! こっちは機嫌が悪りぃんだよ!」


 そう言うや手を伸ばしてミリアムの頭を帽子ごと引っ掴んでぐいぐいとこねくり回した。ミリアムは「ぎゃー」と言って威嚇するように唸りながらマリアに掴みかかった。


「乱暴な妖怪ババアめ!」

「師匠を敬わねえ駄猫が!」


 もたもたと揉み合う二人を見て、アネッサが呆れたように嘆息した。


「顔合わす度に喧嘩するんだから……あーもー、いい加減にしないと皆見てるって。ほら、マリアさんも落ち着かないと咳が……」


 マルグリットがにやにやしながら椅子にもたれた。


「仲良いよなー、あいつら」

「だね……」


 アンジェリンもくすくす笑った。


 ようやっと息切れした二人が引き離されて、マリアは口元を袖で押さえて盛大に咳をした。


「げほっ! げーっほげっほ! ごほっ……くそ、忌々しい……」

「ぐぐ……なんで無駄に力強いんだよ、このババア……」


 ミリアムはくしゃくしゃになった髪の毛を手早く手櫛で整えると、帽子を深くかぶった。アネッサはマリアの背中をさすっている。

 アンジェリンは広げていたダンジョンの資料をまとめてとんとんと揃えた。


「ばあちゃん、何しに来たの? ギルドに頼み事?」

「難しい依頼ならおれたちが受けてやるぜー」


 マルグリットがそう言うと、マリアはふんと鼻を鳴らした。


「生憎と頼まれてんのはこっちだ。筋肉馬鹿の腰の薬を持って来たんだよ」

「マッスル将軍の……?」


 チェボルグが腰を悪くして寝込んでいるという話はアンジェリンたちも知っている。ドルトスから聞いた日、その足で見舞いに行った。

 身じろぎするだけで医務室のベッドが悲鳴を上げるくらいに大柄なチェボルグは、見た目にはとても具合が悪いようには見えなかったが、いつもの調子の大声で何か言うと、それで腰に響いて痛いらしく、「がっはっはっは! 痛てえ!!」と笑っていた。


「元気そうだったけど……そんなに悪いの?」

「知るかよ。あいつがどうなろうがあたしの知ったこっちゃねえ」

「そんな事言いながら、ちゃんと薬持って来てやるんだな」とマルグリットが言った。

「うるせえ。チッ、若い連中は礼儀ってもんが……ごほっ」


 アンジェリンはパーティメンバーたちを見回して言った。


「ねえ、もっかいお見舞い行かない? 将軍も暇だと思う……」

「うん、いいんじゃないか?」

「よっしゃ、行こ行こ」


 マルグリットが勢いよく立ち上がって、医務室の方に歩いて行った。アネッサとミリアムが苦笑しながらその後を追う。

 呆れたように嘆息するマリアに並んで歩きながら、アンジェリンはそっと囁いた。


「ばあちゃん、魔王の研究、進んでる……?」

「あ……? ああ、少しずつはな。だが材料が少な過ぎるんだよ」

「……わたしも魔王なんだよ?」

「は?」


 怪訝そうな顔をするマリアを見て、アンジェリンはくふふと笑った。


「ばあちゃんだから教えてあげるの……」

「何トチ狂った事言ってやがる……」

「本当なの。わたしのお母さんはエルフでね」

「げほっ……じゃあ何でお前は人間なんだ」

「……それは分かんないけど、そうなの」

「要領の掴めねえ事を……」

「お父さんとお母さんなら上手く説明してくれる……ばあちゃん、トルネラにおいで……」

「それが目的か、このガキ……お前の母親になるのはまっぴら御免だって言ってんだろうが」


 アンジェリンはぷうと頬を膨らました。


「誰もそんな話はしていない……わたしにはもうお母さんはいるの。お母さんは可愛いんだぞ。瞳がエメラルド色で、背の高さだってわたしとそう変わらないんだ。甘えるとよしよしって撫でてくれて、この前はこっちにお父さん、こっちにお母さんって両手をつないで一緒に散歩したし……」

「何の話だ、この馬鹿。げほっ、げほっ!」


 そんな事をしているうちに医務室に着いた。チェボルグは一番奥のベッドにいた。上体を起こし、背中を壁にもたれている。いつも着古した軍服ではなくゆったりした服を着ており、軍帽もかぶらずにつるつるの禿げ頭をむき出しにしている。増してアンジェリンが驚いたのは眼鏡をかけている事だった。それで何やら手紙を読んでいるらしかった。

 先に行ったマルグリットたちが近づくと、チェボルグは顔を上げて眼鏡を取った。


「おう、なんだよ! また来てくれたのかよ! がっはっはっは! 痛てえ!」

「なんだよ、まだ痛てーのかよ。だらしねーぞ将軍」

「まったくだらしねえ話だがよ! 俺も寄る年波には勝てそうもないじゃないの!!」


 アンジェリンはひょいとマルグリットの後ろから顔を出した。


「マッスル将軍、何読んでるの……? お手紙?」

「えっ!? 何!? アンジェ、何か言ったかよ!?」

「何読んでるのー!」


 アンジェリンが大声で言うと、チェボルグはげらげら笑いながら手紙をひらひらと振った。


「おう、それがよ! 曾孫が手紙くれたんだよな! じいじ早く元気になってねってよ! もう感動して涙がちょちょぎれそうじゃないの!!」


 しかし目元には涙の気配すらない。アネッサとミリアムが顔を見合わせてくすくす笑った。


「元気そうですね」

「ホントに腰が悪いんですかー?」

「悪いんだよ、これがよ! 俺もよく分かんねえんだけどよ!! 痛てえんだよな!」


 その時、マリアがうんざりした表情で少女たちを押し分けて前に出た。


「少し静かにしやがれ。テメエの喚き声は頭に響くんだよ」

「えっ!? 何!? マリア、何か言ったかよ!?」

「黙れっつったんだよ! このままくたばっちまえばいいものを……おら、薬だ」

「おお、悪りいなマリアよ! ギルドの霊薬の効きが悪いんだよな!」


 そう言って受け取った薬瓶の蓋を開けたチェボルグの仕草を見て、マリアはハッとしたように制止した。


「この馬鹿、それは飲み薬じゃねえ! 腰に塗るんだよ! げほっ、げほっ!」

「なんだそうかよ! もっと早く言えっつーの!! 塗ってくれ!」

「ごほっ……乙女にそんな事を頼むんじゃねえ。自分でやれ」

「マッスル将軍、わたしが塗ったげる……」


 アンジェリンは医務室の備品から湿布を貰うと、そこに薬を塗布して、うつ伏せに寝たチェボルグの腰に貼ってやった。貼られるとチェボルグは「うおお」と言った。


「ひんやりしてて、こいつは効きそうな感じじゃないの!」

「感じじゃねえ、効くんだよ。後は騒がねえで大人しく寝てろ」

「ありがとよマリア! お前の仮病も早く治りゃいいのによ!!」

「仮病じゃねえっつってんだろうが!! ぶっ殺すぞ! げほっ! げーっほげっほ!」


 盛大にむせ返ったマリアの背中を、アネッサが慌ててさすってやる。ミリアムとマルグリットがけらけらと笑い。アンジェリンは薬瓶を閉めて枕元に置いた。


「……医務室で大騒ぎしておる馬鹿は誰であるか」


 呆れたような声がしたと思ったら、ドルトスがやって来た。


「やれやれ、随分賑やかであるな。しかしここは酒場ではないぞ」

「がっはっは! マリアが来ると賑やかになっちまうんだよな!」

「あたしは関係ねえだろうが!」

「いーや、このババアはうるさいよねー」とミリアムが言った。

「こンのクソガキ……」

「どっちもどっちであるな……」


 ドルトスはやれやれといったように頭を振った。アンジェリンはくすくす笑った。


「しろがねのおっちゃんもお見舞い……?」

「見舞い、というよりは差し入れである。もう昼時であるからな」


 ドルトスはそう言って手に持っていた籠をベッドの上に置いた。ランチボックスらしかった。チェボルグは別に腰以外に悪い所はなく、食事などで養生をする必要はないようだ。

 そういえば、確かに丁度昼時だったなとアンジェリンも腹に手をやった。程よい空腹感があるように思った。


「……わたしたちもお昼食べに行こっか」

「そだねー。お腹空いたー」


 アンジェリンはチェボルグの方を向いた。


「じゃあ、行くね。マッスル将軍、お大事にね……また来るね」

「おう、いつでも来いよ!! 俺はよ! 暇だからよ!」


 結局最後まで病人に見えなかったチェボルグたちと別れ、アンジェリンたちはギルドを出た。

 春の暖かな陽が燦々と降り注いで、足元に舞う土埃が嫌にはっきりと見えた。


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