一一八.建物の壁であると考えれば、外に
建物の壁であると考えれば、外に抜けていると思われたのだが、穴の奥はいつまでも暗がりが続いていた。モーリンの出した光球が照らす床は石のように黒く照り返していたが、変につるつるとしていた。
パーシヴァルを先頭にモーリンが続き、一番後ろにトーヤがいた。敵の気配はないが、何だか不気味で心がざわつくようだった。
やがて地面が下り坂になって来た。
相変わらず敵の気配は感じない。空気がしんしんと冷たくて、風もないのにむき出しの顔に刺さるようだった。モーリンが身震いする。
「うー、寒いですねえ」
「濡れたから余計にか。大丈夫か?」
「慣れですねえ、もうちょっとすれば平気かと思いますけど……辛いものが食べたいなあ」
「全部終わったら好きなだけ食わしてやるよ」
「ホントですか! わーい」
緊張感がないというか、肩の力が抜けていいというか、パーシヴァルは呆れたように笑った。
一方のトーヤは硬い表情のまま黙って歩いている。何か考え事をしているようにも見えた。パーシヴァルはしばらく何も言わなかったが、やにわに見返って口を開いた。
「おい、トーヤ」
「えっ、あっ、はい!」
「考え事もほどほどにしろ。転ぶぞ」
「す、すみません……」
バツが悪そうに頭を掻くトーヤを見て、パーシヴァルはくつくつと笑った。
「まあ、気持ちは分かる。だが相手は思考を鈍らせて勝てる相手か?」
「……いえ、まず勝てないと思います」
しっかりしないと、とトーヤは自分の頬を両手でぱんと叩いた。
地上で出くわしたアンデッドと、それを操っていた魔力の気配から、この先に待ち受けている相手は“処刑人”ヘクターにまず間違いないと思われた。彼は今まで殺した盗賊や賞金首をアンデッドとして使役しているらしかった。
ヘクターはベンジャミンに奇襲をかけたらしいサティをシュバイツと一緒に撃退したという。Sランク冒険者であるという事実もあり、かなりの強敵であることは間違いないだろう。
どちらにせよ、ここでベンジャミンに繋がる糸が手繰り寄せられたのは僥倖だ、とパーシヴァルは思った。自分の勘もまだまだ捨てたものではない。
三人は足元を確かめるようにゆっくりと、しかしなるべく早足で進んだ。硬い床を分厚い靴底が踏んで行く音がこつこつと響いている。
両側には壁が迫っていた。人が二人並んで歩ける程度には広いけれど、ここで戦いになるのはあまり良い状況ではないなとパーシヴァルはより感覚を尖らした。
不意に光球が揺れるようになって、光が不安定に明滅した。
「どうした」
「どうもこの辺りは魔力が乱気流みたいになってるみたいです。空間自体が魔法で作られている可能性もありますね……」
モーリンが光球を安定させようと小さく詠唱をしていると、何やらひたひたと足音が聞こえて来た。トーヤが後ろを向いて腰の剣に手をかける。
「パーシヴァルさん」
「お出ましか……焦るな。狭いのは向こうも同じだ」
暗がりの向こうに何かが揺れたと思ったら、黒いマントの影が幾つも迫って来た。床だけでなく、横向きになって壁まで走って来る。骨の手に握られた剣が鈍く光った。
「後ろは任せた! 突破するぞ!」
パーシヴァルはマントを翻して、前から寄せて来る骸骨に向かって駆けた。向こうが剣を振りかざす時には、もうパーシヴァルの剣が二度三度と振るわれた。骨はマントもろともバラバラになって床に散らばり、靴で踏み付けられて砕けた。
「来い!」
まだ奥から骸骨が寄せて来ている。だがパーシヴァルはちっとも臆することなく剣を片手に走る。その後ろからはモーリンが続き、一番後ろをトーヤ、その後ろからは敵の骸骨が追いかけて来たが、追いすがろうとする者はトーヤが切り伏せた。
緩やかではあるが斜面を下って行く形だから、次第に速度を増して勢いづいた。敵の骸骨は数こそいるが、数がある分狭い通路では却って動きが取れずに不利らしく、抵抗らしい抵抗もできずにパーシヴァルに次々と倒された。
そうしてしばらく駆けて行くと、段々と傾斜がなくなって平らになり、向こうの方に明かりが見えた。パーシヴァルはさらに勢いづいて足を速め、骸骨を三体まとめて斬り飛ばすと光の見えた方へ飛び込んだ。
不意に空間が広くなった。
とはいえ、驚くほどではない。小部屋というくらいの広さの四角い空間だ。壁に淡い光を放つランプが吊るされて、足の折れた小さなテーブルと椅子とが無造作に転がっている。
骸骨の最後の一体を斬り倒したパーシヴァルは、周囲を見回して目を細めた。
「妙な気配だな……モーリン、何か感じるか?」
「んー」
光球を消したモーリンは目を閉じて集中していたが、やがて目を開いた。
「魔獣の気配ですね、これは。それも災害級の……しかもいっぱい」
「ははあ」
パーシヴァルは面白そうな顔をして剣を収めた。
「魔獣を飼育でもしてんのかな?」
小部屋には開きっぱなしの扉があり、その向こうに道が続いていた。パーシヴァルはずんずんとそちらに歩いて行く。トーヤとモーリンもその後に続いた。
部屋の外は廊下のようだったが、幅も広かった。
その両側には鉄格子の牢屋が幾つも並んでいて、何も入っていない部屋、骨や服の残骸が転がっている部屋などが多かったが、魔獣らしいのがうずくまっている部屋もあった。
そういった部屋には床にも壁にも天井にも、魔術式の模様がびっしりと描かれており、それが魔獣を牢に縛り付けているらしかった。
パーシヴァルは面白そうな顔をしながらそれを眺め、魔獣を挑発するように鉄格子をこんこんと叩いた。
「こいつは面白いな。魔獣なんぞ捕まえてどうするつもりなのやら」
「パーシーさん、肝が太いですねえ……どれも高位ランクの魔獣ですよー?」
「この程度の魔獣ごときに俺は負けん。まあ、どのみち動けなさそうではあるが……ここはシュバイツや偽ベンジャミンの研究施設だと思うか?」
「何とも言えませんが……ヘクターがいるならその可能性は高いと思います」
トーヤは油断のない目つきで廊下の奥の方まで見渡していた。パーシヴァルは腕組みした。
「ここも魔法で作られた空間か?」
「ええ、恐らくは。時空魔法の一種だと思いますけど……凄いですよね。こんな空間、構築するのはもちろん、維持するのだってどういう術式を組めばいいのか……」
「画期的な魔法だな。まあ、開発したのが悪人じゃ世間に広めたりはしねえか」
転移の魔法は難易度が桁違いだ。しかも素養が必要で、誰にでも使える魔法ではない。しかし、その素養どころか魔法使いですらないパーシヴァルもあの空間を通る事ができた。
魔法によって空間と空間をつなぎ、自由に行き来できる魔法というのはまだ開発されていない筈だ。まして時空を弄って別空間を作り出すなど、桁違いの難易度であることは間違いない。しかし敵方はそれを手に入れ、しかもここまで実用にこぎつけている。
「……時空魔法か」
パーシヴァルは眉をひそめてしばらく考え込んでいたが、やがて諦めたように顔を上げた。
時折牢屋の間に扉があって、そこは小部屋だった。どの部屋も無人で、寝床や机、椅子などがしばらく使われた様子もないまま放置されていた。覗き込み、何も手がかりがないのに肩をすくめて廊下に出る。
「ふぅむ……あまり使われている様子はないな。稼働してるのか、この施設?」
「うーん、どうでしょう?」
「けど放棄しているとしたら、魔獣やあの転異空間を放置しているのは妙だし……そもそもこの空間を残しておく必要が」
「放棄されてはいない」
突然第三者の声がした。目をやると、黒いコートを着て焦げ茶の髪の毛をひっつめて結び、右の目に刀傷のある男が立っていた。トーヤが凍り付いたように体を強張らせた。
「ヘクター……!」
パーシヴァルがにやりと笑って前に出る。
「はは、ようやくお出ましか。客を待たせやがって」
「ここまで辿り着く者は少ない……その失敗作が来たのは驚いたが……」
「ヘクター……」
「久しぶりだなモーリン。だが貴様に用はない」
ヘクターはぎろりとパーシヴァルを睨んだ。
「並の使い手ではないな。名乗れ」
「パーシヴァルだ。“覇王剣”って言った方が通りがいいか?」
ヘクターは驚いたように目を見開いたが、すぐに愉快そうに笑い出した。
「そうか、お前が“覇王剣”か。これは極上の獲物が迷い込んでくれたものだ」
「俺を獲物呼ばわりとは恐れ入るね。お前は“処刑人”だな?」
「ほう、私を知っているとは光栄だな。そっちの失敗作に何か吹き込まれたか?」
顎で指されたトーヤは唇を噛んで剣の柄に手をやり、今にも飛びかかりそうな気配を漲らした。しかしそれをパーシヴァルが手で制す。
「落ち着けって言ってるだろう。深呼吸しろ」
「ッ……すみません」
トーヤは大きく息を吸って、吐いた。パーシヴァルはにやりと笑って、トーヤの背中をぽんと叩いて前に押し出した。
「けじめ付けて来い」
「はい!」
「ええ……あの、パーシーさん? 一人でやらせるんですか?」
モーリンが心配そうな顔をしてトーヤを見、パーシヴァルを見た。パーシヴァルは腕組みして片方の足に体重をかけた。
「なに、危なそうなら助けに入ってやるさ。男にはよ、辛いと分かっててもやらにゃならん事があるんだよ、モーリン」
「男……えーと……」
モーリンは何か言いたげに口をもぐもぐさせたが、諦めたように黙った。ヘクターは不機嫌そうに顔をしかめている。
「何をしている“覇王剣”。私は雑魚に用はないのだが」
「奇遇だな。俺もだ」
そう言ってパーシヴァルは欠伸をした。ヘクターは眉根の皺を深くした。
「思い上がるな」
やにわに剣が抜かれた。先端の欠けたカットラスだ。ヘクターはそれを逆手で持って地面に突き立てる。硬い筈の地面に欠けた剣先は易々と突き刺さった。
同時にヘクターの影が水面のように波立った。トーヤが剣を抜いて怒鳴る。
「パーシヴァルさん、来ます!」
ヘクターの影から数体の骸骨が飛び出して来た。手には剣や槍、斧などの武器を持っている。
パーシヴァルは感心したように顎に手をやった。
「いいなあ、魔法が使えて」
「ひええ、さっきの骸骨よりも強そうですよ、あれ! 魔力の量が段違いです」
「そうかそうか」
トーヤの脇を抜けて来た数体の骸骨は、各々に武器を振り上げてパーシヴァルにかかって来た。しかしパーシヴァルは腰を落とすと剣を抜き放ち、それらをまとめて切り払ってしまった。
「俺には同じだ。トーヤ、しっかりしろ! 兄貴の仇を取るんだろうが!」
骸骨数体に囲まれて手間取っているトーヤに、パーシヴァルが怒鳴った。
トーヤはぐっと歯を食いしばって、素早い身のこなしで群がって来た骸骨を吹き飛ばし、そのままヘクターの方に駆けた。その勢いのままに剣を突き込んだ。
しかし、ヘクターは少しだけ体を反らしてそれをかわし、そのままトーヤを後ろに受け流した。地面に刺さった剣を抜く。トーヤは素早く反転してヘクターの背後から斬りかかった。
「詰まらん」
ヘクターは振り返りもせず、カットラスでトーヤの一撃を軽々と受け止め、押し返した。
「誰が教えた剣だと思っている」
「――ッ! このッ!」
距離を取ったトーヤは剣を後ろに引き、左手を前に出す。魔力が集まり、魔弾となって撃ち出された。
ヘクターは面倒臭そうに振り向くと、それらを剣で打ち払う。そうして剣の切っ先をトーヤに向けて、魔弾を撃ち返した。トーヤは慌てて防御に回り魔弾をかわした。
ヘクターは魔弾を撃ちながらトーヤに一歩ずつ近づく。
「鬱陶しい……お前を片付けて、それからゆっくりと“覇王剣”と戦うとしよう」
「く……」
決して弱くはない筈のトーヤが防戦一方である。
しかし何だかおかしい。トーヤの動きはもう少し洗練されていたように思うのだが、とパーシヴァルは怪訝な顔をしながら戦いを見守っていた。
モーリンがじれったそうに足踏みした。
「パーシーさん……トーヤを助けてあげましょう」
「仇との戦いに手出しされたくはないだろうよ」
「そりゃそうかも知れませんけど……このままじゃ殺されちゃいます」
「……トーヤの奴、何だか動きが鈍くないか。“処刑人”はそういう魔法も使うのか?」
「うぐ……わ、わたしから言っていいのか……あ!」
いよいよトーヤが追い詰められて来た。魔弾で体勢が崩れた所にヘクターが剣を振り下ろした。
トーヤは何とか受け止めるが、ヘクターは手を伸ばしてトーヤの胸ぐらを掴んだ。そのまま引き倒そうと引っ張る。
だがトーヤも足を踏ん張って抵抗した。貫頭衣が音を立てて引きちぎれ、互いにバランスを崩して少し離れた。
モーリンはもう我慢できないというように、一気に足先に魔力を集約した。そうして地面を蹴り、床すれすれにまで体を低くして、滑るように飛んで行った。そのままヘクターの横をすり抜け、トーヤを抱きかかえて距離を取る。ヘクターは面白そうな顔をして剣を肩にぽんと載せた。
「そうか、お前もいたな。二人がかりでも構わんぞ、モーリン。その方が面白い」
「……もうやめましょうよ。トーヤはまだどこかであなたを慕ってるんですよ?」
「そんな事ない。モーリン、下がってて……」
「もう! この意地っ張り! 親子で殺し合うなんて!」
いつもは柔和なモーリンが怒ったように怒鳴った。パーシヴァルは眉をひそめた。
「なんだと? どういう事だ?」
「え、あ」
モーリンは慌てて口をつぐんだ。
「なんだ、貴様ら何も話していなかったのか」
ヘクターが言った。
トーヤは唇を噛んだ。破けた服の下、胸の所にさらしがきつく巻いてあるのが見えた。薄暗さの中でも妙に際立つ肌の白さは、何だか丸みがあるように思われた。パーシヴァルは額に手をやって嘆息した。
「……おい、ちょっとお喋りしようぜ“処刑人”。お前とトーヤはどういう関係だ?」
「父と娘、師と弟子といったところか」
「娘、ね……トーヤよぉ、お前も随分な役者だなあ?」
「……ごめんなさい」
トーヤは俯いた。彼――彼女は男ではなかったのである。
そういえば帝都への旅路でも着替える所などは見た事がなかったし、途中で温泉に立ち寄った時も風呂には入らなかったな、とパーシヴァルは思い起こした。
「まあいい。だがこいつの兄貴を殺したと聞いているぞ。お前、自分の子供を殺したのか?」
「殺されるような軟弱者は我が子ではない」
「中々ストイックだな。涙が出そうだ。おかげで娘に恨まれちまったってわけだ」
「不出来な種をまいてしまった事が私の失敗だった……ヒナノ、貴様もあの時殺しておくべきだったな。それが貴様にとっても幸せだったろう」
ヘクターはトーヤの方を見てそう言った。パーシヴァルははてと首を傾げる。
「ヒナノ? 誰だそりゃ」
「本当に何も聞いていないのだな。トーヤとは兄の名、こやつはヒナノだ」
「ははあ、なるほど。確かに女の子だったわけだからな」
名前も恰好も兄のものに変え、男として遍歴を重ねた少女の心情はパーシヴァルには分からなかったが、何かやるせないものを感じた。パーシヴァルは乱暴に頭を掻いた。
「察するに厳しい修行で殺しちまったって所か。お前、教えるの下手だな?」
「付いて来れぬ方が悪い。お前にも分かる筈だ“覇王剣”。本当の力は死の淵からでなければ湧いては来ないと……生き延びる為には力が必要なのだ。それが身につけられないならば生きている価値などない」
「そうだな。俺もそう思っていた……少し前まではな」
「……なに?」
パーシヴァルはフッと笑ってこつこつと歩き出した。身構えかけたヘクターの横を素通りして、床に膝を突くトーヤ――ヒナノとモーリンの所に行く。
「でもなあ、俺は優しさと愛とでめちゃくちゃ強くなった娘を知ってんだよ。親父に剣を教わってな。そりゃ厳しさは必要だろう。だが愛しているからこそ厳しくなれるのさ。憎しみだけで力を付けた俺がちっぽけに見えた……お前、子供に辛く当たったのは何の為だ? 俺には自己満足にしか聞こえねえな」
パーシヴァルはマントを脱いでヒナノの肩にかけた。
「着とけ。女の子が破けた服のままでいるもんじゃねえ。モーリン、こいつを頼むぞ」
「は、はい」
「……あの」
「ちょっとお前の親父にキツイお灸をすえてやるが、構わねえな?」
ヒナノは目を伏せて俯いた。
パーシヴァルはニッと笑ってヘクターの方に向き直った。軽く肩を回し、腰の剣を引き抜くと雰囲気が変わった。全身から溢れ出す闘気と威圧感が、冷たい空気をぴりぴりと揺らすようであった。
「前置きが長くなったな。お待ちかねの殺し合いだ」
「……くく、待ちかねたぞ」
ヘクターの方もそれに臆する事はまったくないように見えた。カットラスを構え直し、鋭い視線でパーシヴァルを射抜く。
しばらく互いに睨み合っているばかりであったが、パーシヴァルが先に動いた。床を踏み砕くのではないかというような凄まじい踏み込みで、限界まで引き絞って放たれた矢の如き勢いで間合いを詰める。全身から放たれる威圧感は、その姿を倍以上に大きく見せた。
だがヘクターも尋常の使い手ではない。怪物のようなパーシヴァルの威圧感に全く臆する事もなく、パーシヴァルの突き出して来た剣を真正面から受け止めた。鋼同士が打ち合う鋭い音が響く。互いの手が衝撃に震えた。
ヘクターの顔が愉悦に満ちた。
「素晴らしい……これだから戦いはやめられん」
ヘクターはその長身に似合わぬ軽業師の如き身のこなしで飛び上がると、パーシヴァルの背後に降り立ち横なぎに剣を振るった。パーシヴァルは素早く地面を蹴ってそれをかわしたが、ほんの少しかすって腕に傷が走り、血が滴った。
「……そうか、マントがなかった」
普段は鎧代わりのマントはヒナノに着せている。ああいう便利な道具を持っていると戦い方が雑になるなとパーシヴァルは苦笑し、剣を構え直した。
「伊達な異名じゃねえな“処刑人”よ。だが俺を殺せるかな?」
「くく、失望させてくれるなよ“覇王剣”……!」
ヘクターは剣を床に突き刺した。途端にヘクターの影が地面を伸びて来て、パーシヴァルの足元に絡みついた。足を動かそうにも掴まれたように動かない。
「噂の暗黒魔法か」
ヘクターが剣を構えて距離を詰めて来た。パーシヴァルは動揺するそぶりも見せずにそれを迎え撃つ。ヘクターは腕を鞭のようにしならせて強烈な斬撃を放って来たが、パーシヴァルは上半身の動きだけでそれらをかわし、受け止め、押し返した。
両者の勢いが凄い為か、ヒナノもモーリンも手を出しあぐねているらしい、後ろの方で黙ったまま見守っている。
「お前、シュバイツや偽皇太子とつるんでんだってな」
「それがどうかしたか」
ヘクターは強力な一撃を振るった。パーシヴァルは危なげなく剣で受けるが、カットラス自体に何か魔法があるのか、一撃を受けていないにもかかわらず頬や腕などに時折小さな痛みが走るように思われた。
「お前らは何を企んでんだ?」
「私を相手に無駄口を利く余裕があるとは流石だ」
パーシヴァルの一撃を受け止めたヘクターは一度距離を取った。少し痺れたらしい手を握って、開き、それから剣の切っ先をパーシヴァルへ向ける。
「シュバイツやベンジャミンが何を企んでいようと関係がない。私は雇い主の仕事を忠実に行うだけだ」
「はは、それがこのちんけな施設のお守りか。“処刑人”も堕ちたもんだな」
「だがこうして貴様がやって来たわけだ、“覇王剣”」
ヘクターが魔力を込めると、カットラスから魔弾が撃ち出された。パーシヴァルはそれを剣で打ち払う。ヘクターは魔弾に紛れてパーシヴァルに肉薄すると、再び猛攻を加えた。
「……この施設、本丸とは繋がってんのか?」
「それがどうした。お喋りは終わりだ」
ヘクターの剣は勢いを増してパーシヴァルに襲い掛かった。
相変わらず足は動かないし、防戦一方に思われたパーシヴァルだったが、やがてヘクターの剣を受け流すのと同時に、床の影をサッと切り払った。すると足が拘束から解かれ、パーシヴァルは思い切り跳躍した。
「小細工頼りで俺に勝てると思うな」
落下の勢いも加わった強烈な一撃がヘクターに振り下ろされる。先ほど攻撃を受け流されて体勢を崩したヘクターは、咄嗟に剣を出して受け止めるが、物凄い衝撃で思わず膝を突いた。パーシヴァルはそのまま押し込む。ヘクターの腕が震え、額に脂汗が滲んだ。
「どうした。終わりか?」
「……流石だ。だが慢心するのはまだ早い」
ヘクターが小さく何か唱えた。パーシヴァルは肌が粟立つのを感じ、咄嗟に後ろに跳び退った。ヘクターの影から数本の剣や槍が罠のように上へと飛び出して来た。あのまま鍔競り合っていたら貫かれていただろう。パーシヴァルは剣を構え直した。
「ふうん、芸達者だな……」
「この緊張感……これこそ狩りの醍醐味だ」
武器の後からまた骸骨が出て来た。顎の骨をかちかち言わせながら次々と現れてパーシヴァルを取り囲んで行く。パーシヴァルは面白そうな顔をして剣を肩に載せた。
「この骨、お前が殺した奴らなんだってな。随分殺したもんだな、おい」
「褒め言葉だな」
「この施設、ベンジャミンどもの本丸か?」
「かつてはそうだ。今は王城が本拠地だが」
「成る程な。お前、ベンジャミンが偽者だって知っているわけか」
「些細な問題だ……どちらにせよ貴様はここで死ぬ」
ヘクターは剣を構えた。魔力が渦を巻いた。
『欠けぬ月 暗き太陽の粒 悪夢の果てと幻想と 影と光のひとくさり』
大魔法だ。
パーシヴァルは眉をひそめて剣を構える。
ヘクターの後ろの方から何やら巨大な影が膨れ上がったと思うや、頭上から降るようにしてかぶさって来た。途端にパーシヴァルは体に重みを感じた。手の一部のように扱っていた剣が嫌に重い。
周りを取り囲んだ骸骨兵たちが一斉に前へと押し出した。パーシヴァルへと武器が突き込まれる。武器同士がぶつかり合うがちゃがちゃいう音が響き渡った。
仕留めた、と思われたがヘクターは怪訝そうに顔をしかめた。
「……? 妙だ。手応えが」
「トーヤ!」
パーシヴァルの怒鳴り声が聞こえた。ヘクターはハッとして後ろを見返る。マントを翻してヒナノが剣を突き出した。いつの間にか、ヘクターはパーシヴァルを前に、ヒナノとモーリンを背後にする位置に動いていたのだった。
「ぐぬっ!」
剣はヘクターの左腕を貫いた。だがヘクターも即座にヒナノを叩き切ろうと剣を振り上げる。だが振り上げたカットラスにモーリンの魔弾が直撃し、手は衝撃に震えた。
「おのれッ!」
ヘクターは怒りに燃えた目で、次の攻撃を繰り出そうとするヒナノを蹴り飛ばした。だがヒナノはその足にしがみ付き、決して放すまいと抵抗する。
ヘクターはまたも剣を振り上げようとしたが、腕に力が入らない。目をやると、右腕が肩の所から寸断されていた。
「貴様……!」
「言ったろ。小細工頼りじゃ俺には勝てねえってよ」
いつの間にか骸骨兵の囲いから抜け出していたパーシヴァルは、剣を袈裟に振り下ろした。ヘクターは背中を斬られ、堪らずに床に倒れ伏した。
パーシヴァルの方を見る。彼も無傷ではない。頬や額からは血が流れ、服や鎧も傷だらけだ。彼の足の向こうで、足を斬られて地面に転がっている骸骨兵たちが見えた。
「くく、大魔法を受けても剣を振るうとは……体が重くなったそのままに床に伏せたわけか」
「そう。そのまま骸骨どもの足を斬って抜け出した。卑怯だと思うか?」
「馬鹿な。これは騎士の決闘ではない。大魔法を過信し、鼠に気を払わなかった私の落ち度だ……殺せ」
「それを決めるのは俺じゃねえよ」
パーシヴァルは剣を収めてくるりと背を向けた。
ヒナノが荒い息を整えながら、ヘクターを見下ろしていた。ヘクターは力を振り絞って仰向けに転がった。床に広がる血だまりが服や髪の毛に染みて行く。
「……傑作だな。失敗作にこうして見下される日が来るとは」
「俺も兄さんも失敗なんかじゃない」
ヒナノは今にも泣きそうに頬を紅潮させてヘクターを睨み付けた。
「俺は……お前の事が心底憎い。今すぐ心臓に剣を突き立ててやりたい。なのに……なのに……」
ぼろぼろと涙をこぼし、ヒナノは膝を突いた。ヘクターは冷ややかに笑う。
「だからお前は失敗作なのだ……」
「違う! 俺も兄さんも人間だ……お前だって、その筈だったんだ……どうして……」
「甘ったれた事を……だから貴様の兄は死んだ。私が殺した。私を殺すほどの覚悟があれば、あれも死なずに済んだ。それだけの話だ」
ヒナノはくっと唇を噛むと、短刀を抜いて振り上げたが、ついに振り下ろす事はなく、だらりと腕を降ろした。するりと手から短刀が滑り落ち、音を立てて床に転がった。
「くく、その甘さが、いずれ命取りにならなければ……いい、が……な……」
右腕の傷からはとめどなく血が溢れ、やがてヘクターは不気味な笑みを浮かべたまま動かなくなった。目からは光が失われた。ムッと鼻を突く血の臭いが辺りに立ち込め、冷たい死の気配が満ちた。
膝を突いたまま涙をこぼすヒナノにモーリンが駆け寄って肩を抱いた。
「大丈夫ですか……?」
「ごめ……ッ、結局、俺は、最後まで……」
ヒナノは両手で顔を覆った。
「俺は……どこかでベルグリフさんとアンジェリンさんに憧れちゃったんだ。俺も、あんな風に……なんで俺たちはこうじゃなかったんだって……殺してやるって決めてたのに、目の前にすると体が思うように動かなくて……」
パーシヴァルがふうと息をつき、ヘクターの死体の傍らにしゃがみ込んだ。手を伸ばし、死体の目を閉じてやる。
「お前は甘いんじゃない。優しいだけだ。恥ずかしい事じゃない」
「……ッ」
ヒナノは溢れる涙を抑えるように目元に指をやった。
「……まあ、そう簡単に割り切れるもんでもないだろう。気持ちは分かるが、あまりここに長居もできん。厳しいようだが行くぞ」
「はい……すみません……」
ヒナノはぐしぐしと目をこすって立ち上がった。そうしてマントを脱ごうとする。
「マント、ありがとうございました」
「いいから羽織っとけ。服は破れっぱなしだろうが」
パーシヴァルは乱暴にヒナノの頭をくしゃくしゃと撫でた。ヒナノはマントをもそもそと羽織り直し、口元までうずめて俯いた。
パーシヴァルは辺りを見回した。
「……モーリン、何か魔力の流れは感じるか」
「……そうですね、あっちに何かありそうです」
「行きましょう」
ヒナノが自分の気持ちを誤魔化すように乱暴な足取りで歩き出す。すんすんと鼻をすする音が聞こえた。
モーリンがそっとパーシヴァルにささやいた。
「パーシーさん……ごめんなさい、色々」
「素っ気なくて悪いな。どうもそういう性分じゃなくてよ」
「いえ……ずっと黙っててすみません。あの子も色々あって」
「俺は何も気にしてねえよ。お前も大変だったなあモーリンよ。ずっとあいつを守ってやってたわけか」
「柄じゃないんですけどね……ああ、もうあんなに。おおいトー、じゃなかった、ヒナー、待ってくださいよー」
モーリンは努めて明るく振る舞うようにヒナノを追っかけた。
「……気の利いた一言くらい言えりゃあな。ったく、年甲斐のねえ」
自分に向かって悪態をつき、パーシヴァルは二人を追って歩き出した。




