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一一〇.まるで収穫期の麦のように、木々は黄金の葉を


 まるで収穫期の麦のように、木々は黄金の葉を揺らしていた。

 しかしよくよく見てみれば、その黄金色の向こう側に青みが見えるように思えた。光そのものに色があるようで、それを照り返しているからそう見えるのだろう。


 豊かに見える森なのに、鳥や獣の気配がしない。そうして冬が間近である筈にもかかわらず、まるで早春の如き暖かさと草木の茂り具合だ。山育ちのアンジェリンには、それが奇妙で、どうにもしっくり来ないような気がして、落ち着かなかった。


 ちょっと待ってて、と向こうに行っていたハルとマルが駆けて来て、腰を下ろしたアンジェリンの頭に花で編んだ冠を載せた。


「あげる」

「マルと作ったんだよ」

「ありがと……よくできてるね」


 シロツメクサの白い花も、この場所のセピア色の光を受けて黄金色だ。

 双子はアンジェリンを挟むように座って、くりくりした黒い瞳で彼女を見上げた。


「アンジェリンはどうしてきたの?」

「サティに会いにきたの?」

「うん」

「すごい」

「お外からのおきゃくさんだ」


 双子は顔を見合わせてきゃあきゃあとはしゃいだ。


「あなたたちは……サティさんの子供?」


 アンジェリンが言うと、双子は首を振った。


「サティはお母さんのお友だち」

「そっか。お母さんは?」

「こっち」


 ハルがアンジェリンの手を引いて立ち上がった。導かれるままに家の裏手に回って行くと、小さな墓石があった。新しい花が供えてある。アンジェリンは息を呑んだ。双子は墓石の前に駆けて行った。


「お母さん、ここでねてるの」

「ねぼすけさんなんだよ。いつおきるのかなあ?」


 そう言って双子はくすくすと笑った。アンジェリンはどくどくと打つ胸を押さえながら、双子に歩み寄った。双子はそれぞれアンジェリンの手を握ると、座れと促すように引っ張った。


「サティはね、お母さんをいじめるわるい人たちから、お母さんを助けてくれたんだ」

「わたしたちもいっしょだったんだよ」

「くらいところだったよね」

「こわかったもんね」

「……ここはどこなの? サティさんのおうち?」


 アンジェリンが言うと、双子は頷いた。


「サティがまほうで作ったんだって」

「ここから出ちゃだめなんだって。わるい人がいるからって」

「でもお外ってすごいよね。人がいっぱいいるって」

「わたし、お魚見てみたい。お水の中をおよぐんだって。ほんとう?」

「本当、だよ……あと、鳥っていってね、翼で空を飛ぶ生き物もいるんだ」


 思った通り、ここには生き物がいないのだ。双子はサティが外から持って来る食材としての鳥や魚、獣は知っていたが、生きているものは知らないようだ。どちらも目を輝かしてアンジェリンの話に聞き入った。


「お外すごい。お母さんもサティもいっしょに行きたいな」

「アンジェリンにもお母さんいるの?」

「わたしにはいないんだ。でもお父さんがいるよ」

「おとうさん?」

「おとうさんってなーに?」

「う、うーん……? 男の、親。女の親がお母さんで、男の親がお父さん」


 双子はきょとんとしている。よく分かっていないようである。


「……わたしのお父さんはベルグリフっていうの。とっても強くて、カッコ良くて、優しいんだよ」

「つよい?」

「やさしい?」

「そう。おんぶしてもらうと、とっても背中が広くて……あと女にはない髭っていう短い髪の毛みたいなのが生えるんだ。この、ここ。顎の所に」


 アンジェリンが手を伸ばしてマルの顎を触ると、マルはくすぐったそうにきゃっきゃと笑った。ハルは笑いながら自分の顎を撫でている。


「頬ずりするとじょりじょりしててね、気持ちいいんだよ」

「じょりじょり」

「やってみたい!」


 双子は興奮した様子で手足をぱたぱた動かした。アンジェリンが何となく和んだ気持ちでそれを眺めていると、後ろからくすくすと笑う声がした。振り向くと、サティがトーヤに肩を借りて立っていた。


「すっかり懐いちゃって……よかったねえ、ハル、マル」

「あ、サティ」

「おきたの?」


 双子は立ち上がってサティに駆け寄った。サティは笑って双子をくしゃくしゃと撫でた。


「言ったでしょ、わたしは強いって。ほら、アンジェリンちゃんにもっと大きな冠を作ってあげなよ。トーヤ君だって冠欲しいって」

「わかった!」

「お花つんでくるね」


 双子は張り切った様子で駆けて行った。それを見送ると、サティはゆっくりと腰を下ろした。まだ傷が治っている筈はない、やや表情が辛そうだ。

 アンジェリンははらはらした気持ちでサティの肩に手を置いた。


「サティさん、無理しないで……」

「あはは、大丈夫大丈夫、死にやしないから……改めてありがとう、アンジェリンちゃん、トーヤ君。正直、もう駄目かと思ったよ」


 サティは小さく頭を下げて謝意を示した。アンジェリンは口をもぐもぐさせる。


「あの、あの……サティさんはずっと戦ってたの?」

「……もしかしてあの子たちから聞いた?」

「うん……お母さんと一緒に、サティさんに助けてもらったって」


 サティは目を伏せて嘆息した。


「……シュバイツたちはね、ソロモンの遺産、つまりホムンクルスに関する実験をずっと行って来たの」

「魔王を人間にするっていう……?」

「あれ、知ってるの」


 やや驚いた顔をしたサティに、そうやって産まれたビャクや、利用されて邪教を広めていたシャルロッテの話をした。サティだけではなく、トーヤも興味深げに耳を傾けていた。


「……それで、今はトルネラで暮らしてる」

「そっか。あはは、流石はベル君だ」

「魔王、か。想像もつかないな……でも、魔王を人間にして、それでどうしようっていうんですか? 俺にはよく意味が分からない」


 トーヤは腕組みして唸った。サティはため息をついて、少し悲し気に目を伏せた。


「……わたしには詳細は分からない。ソロモンのホムンクルスを研究している連中はいくつもあったけど、人間にしようって奴らはシュバイツたちだけだった。でも、人間にする事が最後の目的じゃないみたいだったよ。その先に何かがある。そしてそれはソロモンの鍵が必要な筈」

「ソロモンの鍵……?」

「それは一体?」

「ソロモンの遺産の一つだって。なんでも、昔ソロモンはそれを使ってホムンクルスたちを統制していたらしいけど……でもあいつらが手に入れる寸前に、わたしが横からかっさらった。それで破壊したよ。これであいつらの計画も進まないさ」


 サティはそう言って、ぎゅうと拳を握りしめた。


「わたしは許せなかったんだよ、そういうひどい事はさ。だから戦って、施設や道具を壊して邪魔した。耐えながら機会を待って、捕まった女の人たちや生まれた子供を助けた。でも、みんな死んじゃったよ。苛烈な実験に体が耐えられなかったのかな」


 アンジェリンはハッとしたように傍らの墓石に目をやった。サティは微笑んで頷いた。


「そう、ハルとマルのお母さん。一度はここに匿えたけど、段々憔悴して、ね」


 サティは懐かしそうに、しかし辛そうに目を伏せた。


「気丈な人だった。最後までわたしの事を気にかけてくれた。助けてあげられなかったのが心残りだよ。他のお墓はもっと向こうにある。たくさん、看取ったよ。幸い、あの子たちだけは元気に育ってくれてる。それが救いかな……」


 アンジェリンは何も言えずに口をもごもごさせた。トーヤは絞り出すように言った。


「じゃあ、あの二人は実験体の生き残り、ですか……?」

「そういう事になるね。ふふ、でも今は娘みたいなものだけど」

「……フィンデールのエルフもサティさん?」

「うん。ここじゃ食べ物はあまり手に入らないから、疑似人格の魔法を使って買い出しに出てた。まさかあれで尻尾を掴まれるなんて思わなかったよ……」


 サティはそう言って笑った。


「数年前から……皇太子が偽物に取って代わった時から何となく予感はあったんだけどね」

「え……偽物?」

「それ、本当ですか? 今の優れた為政者が?」


 アンジェリンとトーヤは思わず目を見開いた。サティは頷く。


「聞くでしょ、皇太子は元々は凄い暗愚だったって。その変わりようは皆驚いたみたいだけど、優秀になる分には誰も文句は言わないでしょ? しかも地位は驚くほど高い。いくら不自然でも、偽物だと追及する事なんかできないよ」

「……ローデシア帝国が魔王の研究をしているんじゃなくて、シュバイツ一派が帝国を利用してるって事ですか」

「そうなるかな。そのせいで、わたしも随分身動きが取り辛くなったから……いよいよ向こうも態勢を整えて手駒を揃えたみたい。ここももう安全じゃなさそうだね。わたしは随分恨みを買ってるから、相手も逃がすつもりはないだろうし」


 サティは寂し気に笑った。アンジェリンは居ても立ってもいられなくなり、サティの肩を抱いた。


「……サティさん、もう一人で頑張らなくていいよ。お父さんもパーシーさんもカシムさんも来てる。わたしだって手伝う。きっと何とかなるよ」

「俺も及ばずながら。因縁のある相手も絡んでいるみたいだし」


 サティは微笑んで、二人の肩に手を置いた。


「ありがとう」

「サティさん」

「……でもね、わたしは失い過ぎたよ。もう、失うのは怖いんだ」


 不意にサティが立ち上がって、素早く二人から距離を取った。魔力の流れを感じた。

 目の前の風景が揺らいだ。まるで擦り硝子を通して見るように、サティの姿もぼやけて行く。転移魔法だ。

 アンジェリンは仰天した。


「サティさん!」

「……ベル君たちに言っておいて。わたしは会いたくなんかない。だから会おうなんて考えるなって。せっかく掴んだ幸せをみすみす投げ捨てるなって」

「待って! 駄目だよ……!」

「あなたと会えて嬉しかった……わたしの事は忘れてね」


 サティはにっこりと笑った。

 アンジェリンが手を差し伸べる前に、セピア色の光が急速に消え去ったと思ったら、アンジェリンとトーヤは元の暗い通路に座っていた。


 アンジェリンは愕然として呟いた。


「なんで……」


 虚空に突き出された手が、だらんと力なく垂れた。



  ○



 話す事が尽きて、ベルグリフもパーシヴァルもそれぞれに何か考えるような顔をしてむっつりと黙り込んでいた。

 マイトレーヤは退屈そうにベッドに仰向けになったりうつ伏せになったりしていたが、やがてうんざりした顔をして口を開いた。


「……どうするつもりなの?」

「それを考えてるんだが……」

「仲間を待つくらいしかできねえよ。大体チビ小悪魔(インプ)、お前、いくら何でも情報持ってなさすぎだ。これじゃ二進も三進もいかん」

「そんなのわたしのせいじゃない。皇太子たちはそれだけ用心深い」

「それにしたって名前くらい聞いとけ。くそ、せめてエルフの正体だけでも分かればな。別人なら皇太子どもと敵対する必要もないんだが」

「うん……」


 ベルグリフは頷きこそしたが、そんな事はないだろうという妙な確信めいたものがあった。

 根拠はない。しかしそう思う。


 ふう、と息をついて椅子にもたれた。動かした義足がこつこつ音を立てた。雨音が強くなったように思われた。


 その時、不意に壁に立てかけた大剣が唸った。

 空間が揺れたと思ったら、宙空にぼんやりと何か映り始めた。即座に剣を抜く構えを取ったパーシヴァルが、怪訝そうに目を細めた。


「こりゃ……通信の魔法か?」


 曇った窓を通したようなぼやけた風景が、やがてはっきりと見えると、そこにはいくつもの人影が映っていた。


『お父さん!』

「アンジェ……?」


 ベルグリフは驚いて立ち上がった。向こうではアンジェリンやカシム、帝都に向かったメンバーが押し合いへし合いしている。薄暗く、青白い明かりの部屋にいるらしい。


『わー、ホントに映ってる! これ時空魔法? すごーい!』

『ちょ、押すなってミリィ!』

『うわあ、こっち詰めてくんなよ、見えねえだろ!』

『サラザール! もうちょい音上げて!』

『こらぁ! お前らが映っても仕様がないだろ! 下がってろって!』

「おい、やかましいぞ。一度に喋らねえで落ち着いて言え。その様子だとサラザールには無事会えたみたいだな。首尾はどうだ?」


 パーシヴァルが笑いながら言った。アンジェリンの顔がドアップになった。


『あのね……サティさんに会った』

「……はっ?」

「なんだとぉ! そこにいるのか!?」


 パーシヴァルが息巻いて前に出た。アンジェリンは目を伏せて首を横に振った。


『……サティさん、お父さんたちに会いたくないって』

「な……何考えてやがんだ、あいつ」


 ベルグリフはちらとマイトレーヤの方を見てから、アンジェリンに視線を戻した。


「アンジェ、最初から順序立てて話してくれるかい?」


 アンジェリンは頷いた。そうしてゆっくりと話し出す。

 廊下で唐突にサティ、そしてシュバイツと遭遇した事、逃げるように転移して、結界の中らしい不思議な家に行った事。フィンデールのエルフはサティだったという事。シュバイツやベンジャミンの企みを阻止するために戦い続けていた事。そして協力と再会を拒まれてしまった事。


 パーシヴァルが腕組みして唸った。


「皇太子が偽物だと? 穏やかじゃねえな……サティはそんな相手と戦ってやがったのか」

『……サティさん、どうするつもりなのかな。シュバイツ達と刺し違えるつもりだったら、わたし……』


 アンジェリンは手の甲で目をこすった。カシムが悔しそうに床を踏み鳴らした。


『オイラ馬鹿だ。サティはずっと帝都近くにいたんだ。オイラもそうだったのに、全然気づきもしなかった……ましてオイラはシュバイツ達とは別の連中とつるんでた時もあった。ソロモンの鍵を探せって言われた時もあった。探してれば、サティに会えたのに』


 パーシヴァルがイライラした様子でしきりに部屋を行ったり来たりした。


「馬鹿言うなカシム。それじゃお前はアンジェと会えてねえ。アンジェとお前が会ってなけりゃ、俺だってベルと再会できなかった。そもそも何も始まりゃしなかったんだ。無駄な後悔するんじゃねえ」

『……そうだね。生きてる事が分かっただけでも儲けもんか、へへ』

「マイトレーヤ」


 黙って聞いていたベルグリフが口を開いた。呆然として成り行きを見守っていたマイトレーヤは驚いたように姿勢を正す。


「なに」

「もう一度あの空間と繋いでみてくれるかい」

「……そうか、サティが戻ってるなら。できるか?」

「やってみる」


 マイトレーヤは両手を前に出した。影が持ち上がり、魔力と共に渦を巻き始めたが、途中で唐突に弾けるようにして消えた。マイトレーヤが驚いたように目を剥く。


「……完璧に対策された。悔しい」

「ホントに役に立たねえなお前は!」


 パーシヴァルはマイトレーヤの頭をぺしっと叩いた。マイトレーヤはわたわたと両手で頭を守った。


「ひい、やめて」

『誰だよ、そのちまっこいのは』


 マルグリットが言った。


「こっちも色々あったんだ。ともかく、もうフィンデールで得られるものはなさそうだな。パーシー、俺たちも帝都に向かおうか」

「そうだな」


 アンジェリンが不安そうな顔をしている。


『お父さん……会っても、大丈夫かな? サティさん、嫌じゃないのかな?』

「さてね。だが、あの子も馬鹿じゃない。俺たちが首を突っ込んで自分の悶着に巻き込むのが嫌なんだろう。俺はそう信じるよ」

「はっ。一人でどうにかしようなんざ生意気だ、サティの奴め。どんだけ嫌がっても押しかけてやる」


 アンジェリンは安心したように笑った。


『……えへへ、よかった。サティさん、辛そうだったよ。絶対助けてあげようね』

「ああ、もちろんだ」

『でも……大丈夫ですか? アンジェの話だと、サティさんはシュバイツ達の実験体を保護してる。そして皇太子の偽物もその仲間。サティさんを助けようと思うなら、ローデシア帝国が全部敵になりませんか?』


 アネッサが不安そうに言った。パーシヴァルがからからと笑った。


「心配すんな。帝国兵が一万人来ようが、俺が全部切り伏せてやるよ」

『いやいやパーシー、そういう多数の殲滅はオイラの仕事だぜ』とカシムが笑った。

『帝国兵って強いのか? 面白そうだな』とマルグリットがにやにやした。

『いやいやいや……』


 物騒な事を言い出す面々に、アネッサが青ざめた。ベルグリフはくつくつと笑う。


「大丈夫だよアーネ。本気で言ってるわけじゃないさ」

『わ、分かってますけど……』

「……だが、実際どうなるかは分からない。正直、俺だって不安だよ。下手をすれば帝国に対する反逆者として捕まるかも知れない。そうなれば確かに帝国全部が敵に回る。そうならないようにしなくちゃ」

『……ベルさん、何か考えがあるんですね?』


 ベルグリフは肩をすくめた。


「まだ妄想としか言えないけどね。それにはみんなの協力が必要なんだ。だけど、俺たちおじさんの勝手に付き合って危険な橋を渡ってもらうのも申し訳ないし……もし不安なら無理に協力してくれとは言わない」

『お父さん!』


 アンジェリンが怒ったように大きな声を出した。


『なに言ってるの! みんなその為にここまで来たんでしょ! 今更そんな事言ってどうするの!』

「む……」

『そうだぞベル、今更仲間外れとかナシだからな。第一、おっさん三人だけで何ができるってんだよ、おれがいなきゃ始まらないだろ!』

『マリー一人増えても無駄じゃないかにゃー?』

『なんだと、ミリィコンニャロ!』

『ふふん、だからわたしだってもちろん協力しますよー。帝都に来てまで部屋で丸まってなんかいられないし、そもそもアンジェが行くなら一緒に行くのがパーティメンバー。ねー、アーネ』

『ああ』アネッサは頷いて、それから少し怒ったようにベルグリフを見た。『ベルさん、忘れてもらっちゃ困りますけど、わたしたちは現役の冒険者ですよ。そりゃ最大限に警戒はしますけど、危険に飛び込むのが仕事なんです。今更怖気づいたりしません』

『大冒険……! お父さん、わたしはSランク冒険者だぞ!』


 アンジェリンがそう言って胸を張った。

 ベルグリフは額に手をやって、完敗だと大きく息をついた。


「……若者には敵わんなあ」

「はははは、頼もしい娘どもじゃねえか! おいカシム! 娘っ子どもが暴走しないようにきちんと見とけよ!」

『うわ、オイラが一番苦手な事頼みやがったな。ベル、早く来てくれよお』

「はは、分かった。なるべく早くそっちに着くようにする」

『お父さん、何かやっておく事ある?』


 ベルグリフは顎鬚を撫でた。声を潜めてパーシヴァルと何か相談し、それから顔を上げた。


「……リーゼロッテ殿に会えるよう、取り計らってもらえるかい?」

『リゼと?』

「ああ。少し帝国内部の情報を得たいんでね」

『それなら俺たちも協力できますよ。これでも帝都にしばらく住んでますから、ギルドにも顔が利きますし』


 トーヤが言った。ベルグリフは面食らった。


「トーヤ君……しかし、君たちまで巻き込んでしまっては」

『いや、協力させてください。個人的に因縁のある相手が敵方にいるんです』

「……そうか、分かった。ともかく詳しい話はそっちに行ってからにしよう」

『ありがとうございます』


 思い詰めたようなトーヤの表情に、ベルグリフは何となく不安なものを感じたが、ひとまず顔を突き合わせて話してみなくては分からない。帝都に行くのが先だ。


 不意に、映像がざらざらと歪んだ。誰かがぶうぶうと文句を言う声が聞こえた。


『話が長いぞ諸君! もうおしまいだおしまいだ! 私はくたびれた!』

『あ、サラザールちょっと!』

『お父さん、パーシーさん、気を付けてね!』


 向こう側が慌てたように騒がしくなった。

 会話に加わらず、蚊帳の外に追いやられていたモーリンがひょこっと顔を出して手を振った。


『待ってますよー。おいしいお店、紹介しますからねー』


 そこでぶつんと映像が消えてしまった。


「ぶれねえな、あいつは」


 パーシヴァルがそう言って笑い、荷物を手に取った。そうしてベッドに腰かけたまま呆然としていたマイトレーヤの首根っこを掴んでひょいと持ち上げた。

 マイトレーヤは目を白黒させて、焦ったように手足をぱたぱた動かした。


「なになに」

「チビ、お前はどうする」

「……帝都に行くの?」

「ああ。こちらとしては君がまたシュバイツ達の所に戻られると困るんだけど……そうしないと約束してくれるなら、もうここで解放しても構わないよ」

「口約束で信用してくれるの?」

「結界を破れないと分かっただけでいいさ。それなら君もシュバイツ達に手土産を持って行く事にはならないだろうし、“処刑人”や用心棒の事も教えてくれた。手の内を明かされたんじゃ、流石に向こうも君を信用しないだろう」


 ベルグリフはそう言って微笑んだ。

 ぽんとベッドに放られたマイトレーヤはちょっと不機嫌そうに眉をひそめた。


「……今までの怖がりも全部演技だったとは思わないの? 明かした情報も全部本当だと思ってるの? わたしを見くびりすぎじゃない?」

「はは、そうだとしたら大した役者だ。騙されても仕方がないかな」

「子ども扱いして……」


 マイトレーヤは渋面で考えるように視線を泳がしていたが、やがて口を開いた。


「馬鹿にされっぱなしは腹が立つ。わたしは“つづれ織りの黒”マイトレーヤ、もっと怖がられて、尊敬されてしかるべき魔法使い」

「お前今までいいトコなしなのは事実だろうが、偉そうな口利くな」

「滑稽。あなたたちは甘い。エルフの正体は分かった、あなたたちの狙いも分かった、帝都で動くという方針も分かった。その上、あなたたちの面子も、大公家とつながりが有る事も分かった。帝都はベンジャミンたちの手の平の上みたいなもの。あなたたちがエルフに味方するという事を伝えるだけで、向こうにとっては値千金の情報。いくらでも対策が打てる」

「成る程……具体的にどういった対策を打つだろうね?」


 マイトレーヤはふんと偉そうに胸を張った。


「あなたたちの身動きを取れなくする。ベンジャミンの一声あれば、犯罪者として拘束するのなんか簡単。もしくは、あえて泳がせてエルフと接触させてから一網打尽。初めからそのつもりで網を張っていれば、あなたたちを不意打ちするのも簡単。さっきも教えた通り、“処刑人”ヘクターは剣も一流、しかも高位の暗黒魔法の使い手。しかもベンジャミンの傍には用心棒も付いてる。しばらく姿を見せなかったシュバイツまで戻って来た。頭脳も戦力も隙がないの。言ったでしょ、わたしが知ってる事はごく一部、あなたたちの不利は変わらない」

「そこまで心配してくれるとは随分優しいじゃねえか」


 パーシヴァルがにやにやしながら言った。マイトレーヤはハッとしたように目を剥いて、それから頬を染めて口を尖らした。


「……謀られた?」

「意地が悪くて済まないね。俺たちがアンジェたちとの会話を君にすっかり聞かせた事、不自然に思わなかったかい?」

「……どうして?」

「もしまだシュバイツ達に組するつもりがあるなら、今のは確かに情報としては有用だ。それを得た時、君がどう動くか、それを確認したかったんだよ。まあ、君はそんな事はしないと思ったけどね」

「つまり、お前がそれを手土産に連中の所に戻るそぶりを見せれば」


 パーシヴァルが親指を立てて、首の所を掻き切るしぐさをした。マイトレーヤは青ざめた。


「試されてたの? わたし」

「いや、殺そうとまで思ってなかったよ。でも拘束したままにさせてもらおうとは思っていた」


 ベルグリフは笑って肩をすくめた。


「でも違った。それどころかこちらの甘さを指摘までしてくれた。何食わぬ顔で戻る事もできたし、乗せるような事を言って帝都での動きを誘導する事もできただろう。もっと大胆なら二重スパイを装ってこちらを嵌めることもできたかも知れないね」


 思いつかなかった、という表情でマイトレーヤは視線を逸らした。パーシヴァルが愉快そうに笑ってマイトレーヤを小突いた。


「やっぱりお前、腹芸は苦手だろ」

「うぐぐ」

「そこでマイトレーヤ、改めて君にも協力を頼みたい」


 ベルグリフは頭を下げた。マイトレーヤは面食らったように目をしばたかせた。


「本気で言ってる?」

「ああ。正直、君の魔法はかなり有用だ。敵に渡るのは避けたいし、味方になってもらえると助かる。君はシュバイツ達に心服しているわけではなさそうだからね」

「というか他に選択肢はないと思え。こっちもここまで腹割ったんだ、今更逃がすわけにはいかんぞ」

「……あいつらはわたしだって信頼はしていない。あくまで雇用主ってだけ。忠誠なんてもっての外」

「それじゃあ?」


 マイトレーヤは観念したように息をつき、こくりと頷いた。


「そっちに付く。ただし言っておくけど、わたしは脅されてあなたたちに付くわけじゃない。わたしは自分の意思であなたたちの味方をする。そこは間違えないで」

「なにカッコつけてんだ」

「わたしは小悪魔(インプ)。面白い事が好きなの。ベンジャミンやシュバイツの企みも面白そうで気になってたけど……もうそれはいい。強大な相手をあなたたちがどうひっくり返すつもりなのか、そっちに興味がある」

「はっ、まあそういう事にしといてやるよ。精々特等席で見物してな」

「……でも命が一番大事。勝ち目がなくてやばいと思ったらわたしは逃げる。それでもいい?」


 やや不安げな顔をするマイトレーヤに、ベルグリフは笑いかけた。


「ああ、それでいい。そうなったら責めやしないよ」

「甘すぎ……あなたみたいな人、初めて。ホントに冒険者?」

「いや、俺は冒険者じゃないんだが」

「え……だって……“覇王剣”と肩を並べて戦ってるのに? あ、じゃあ引退したSランク? それとも傭兵?」

「いや、引退はしたが、その時はEランクだった。傭兵でもないし……しいて言うなら農民かな?」

「……なんなの? 本当になんなの?」


 マイトレーヤは困惑したように目を白黒させた。パーシヴァルがからからと笑った。


「世の中にはSランク冒険者並みの百姓もいるって事だよ!」

「もう勝手にして。それで、どういう計画なの」

「それは皆と合流してから言うよ。あまり切れ切れに話すと却って混乱するからね」


 マイトレーヤはふんと鼻を鳴らした。


「わたしは安くない。成功したら依頼料をいただくからね」

「ああ、期待しているよ」


 ベルグリフは笑って大剣を背負い、荷物を持った。


 予想外に話が転がって行く。旧友と再会する為の旅路が、ローデシア帝国という強大な勢力の闇を暴く事になってしまった。

 一体運命というものがあるならば、果たして自分たちをどこに運んで行くつもりなのだろう、とベルグリフは目を伏せた。


 三人は戦っていた。カシムも、パーシヴァルも、そしてサティも。自分自身の為に、あるいは自分の信じる何かを守る為に。

 今度は自分の番だ。


 田舎で安穏と暮らしていただけの自分にどこまでできるか、それは分からない。

 しかしそうして出会った娘が、自分に再会を運んで来てくれた。親として、無様な姿など見せられない。


 宿を出ると、暮れかけた空が青く光っていた。雨を降らしていた分厚い雲は流れてどこかへ行ってしまったらしい。西の空が赤く焼けていて、細々とした雲が紫や黒に染まっている。それを水溜まりが鏡のように映した。

 湿った冷たい風が頬を撫でて行く。

 ベルグリフは小さく唸る大剣を背負い直し、大きく深呼吸した。胸の内を冷たい空気が駆け巡った。


 冒険が、始まろうとしている。



 というところで第……ン章終わりです。今章次章は前後編という構想でやっておりますので、どうかご了承くださいませ。

 少し自分の頭の中を整理したいのと、ありがたい事に書籍の第四巻も出せそうな話になっておりますので、そちらの原稿にも着手したい関係もありまして、勝手ながらしばらく更新はお休みします。

 早ければ十二月終わりごろ、遅くとも一月中には更新再開できればと思っております。

 他にもいっぱい小説はあるので、違うものを探してみるのもいいのではないでしょうか。

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