春のセルトアにて
両親からはがきが届いたのは春の頃だった。
絵はがきは湖水の風景が描かれている。二羽の白鳥がすんなりとした首を優雅にもたげて、仲むつまじく寄り添っていた。身分違いで結ばれなかった恋人達が、身分のない自由な白鳥となり、この湖にやってきたという昔話をモチーフにしているらしい。
二人の恋にあやかって、湖で誓いを立てると二人の愛は永遠に続く。そんなロマンチックな場所ということだ。
リネットは絵はがきを読みながら、相変わらず元気にやっているようだと安心する。やっぱり遠く離れている両親から、こうして健在の便りが来るのは嬉しかった。
「んー……うん? そろそろ帰ってくる!?」
はがきの文末に一言、はっきりと近いうちにセルトアに帰ってきますとあった。そろそろっていつだ、と思いながらも、はがきを出した時期と届いた時期を考えると、二三日くらいだろうか。
両親が帰ってくるなら部屋の掃除をしなきゃいけない。お布団も干して置きたいし、ごちそうだって用意したい……が、いかんせんリネットは料理は得意ではない。そこはサヴィーナに頼んでもいいだろうか……いや、その前に。
「ヴィルにも言わなきゃ! 一年ぶりだもの」
朝っぱらからリネットを急かし立てる小煩い隣人だが、なんだかんだで顔を出して世話をさり気なく世話を焼いてくれている。母のアンナが「ヴィルに頼んだから」と旅立ち際に言った時は額を抑えそうになった。それでも初めの頃なら、まだ娘を心配しているのだと納得できた。けれど、帰ってきてまた旅に出る度に、ヴィルにリネットの世話を頼むはどうかと思う。
リネットがこぶのようにくっついているから、ヴィルにはいい人が出来ないのでは……と危惧することもあった。まあ、その心配は杞憂に終わったけれど。
そこでリネットはふと金色の存在を思い出した。
「……ソークに会わせるべき……?」
別に会って挨拶をするくらいならおかしくない。両親は店の常連客だと喜ぶだろう。けれど、ソークとリネットはお互いに想い合っているわけで、改めてその関係性を両親に紹介するのは恥ずかしかった。
こっそりしていたいわけじゃないけど、かしこまって紹介するのもなんだかおかしい。リネットは考えた末に、よくわからないから相談に乗って貰うことにした。
そうと決めたら早速、店に鍵を掛けて、足早に王宮魔術研究所に向かう。そこの第一研究室に勤めているクレアに話を聞こうと思ったからだ。グラマーで才能あるクレアならば、恋の二つや三つは知っているだろうし、年上なので経験もあるに違いない。
また最近になって、クレアの嫌みったらしい挨拶が、実は嫌みではないことも知った。おかげで話しやすい。本人いわく普通に話そうとした結果という。ちなみに眠そうな顔のショウが教えてくれた情報だ。
* * *
「クレアってボーイフレンドや恋人を家族に紹介したことある?」
唐突な質問にクレアはすぐに答えることが出来なかった。今日は休みのはずのリネットが、第一研究室を訪ねてきて、エルマーではなくクレアに話があるという。ランチタイム五分で構わないと遠慮がちの申し出に、快く頷いたのは言うまでもない。
そしてランチタイム。時計の秒針がきっかり十二時を差した同時に、クレアは研究室を出た。そしてカフェテリアでリネットと向かい合ったのが二分前だろうか。
「ああ、急だったわよね。うちの両親が近々帰ることになって。それで……ソークのことなんだけど」
「確かご両親は旅に出てらっしゃるのよね。まあ、あたくしくらいになると、両家の公認なのでわざわざ紹介なんてしないわ」
つまり家同士の婚約であるため、クレア達が顔会わせをする前に、お互いの両親は了承済みの関係である。クレアは不適な笑みを浮かべながら、そっと過去を振り返る。はて、恋人とはいかなてくも、家族に紹介したボーイフレンドなど居ただろうか。いやいない。
家族に紹介した男性などたった一人、第一研究室所長のエルマーだ。芸術の都アンラスからやってきた歌姫の公演でオペラハウスに行った際、エルマーが隣のボックスにいたのだ。不本意ながら、上司の存在に気づいてしまったので挨拶せねばならなかった。
彼はボックス席で一人、ゆったりと座りながら鑑賞していると思ったら、炎の火力を上げるための魔術陣に手を加えているところだった。いわく「眠たくなったので、暇つぶしにやってみたのだ」ということ。腹の立つ男だった。まぁいい。あれのことは珍獣だと思って、譲歩してやればいいのだ。
「クレア、眉間にしわが寄っているけど?」
「嫌なことを思い出しただけよ、ところで、ソークのことだけど」
気分を切り替えてクレアは姉たちの事例を思い出す。
「結婚を前提にお付き合いしているならともかく、ボーイフレンドなら改めて紹介する必要もないんじゃないかしら。セルトアの魔女の両親がどんな人かによるとも思うけど」
「そう、そうよね……ヴィルだって恋人達を逐一報告なんてしていなかったもの」
ヴィルとはリネットの幼馴染みで、女装しているらしい。それがまた似合うと噂に聞いている。
「ありがとうクレア。とても助かったわ」
「あら、このくらいのことでお礼を言われるなんてね。まぁ、全ては成り行きよ」
ふふんと鼻で笑ったのは、にやけてしまうのを誤魔化すためだ。口を開けば飛び出す皮肉にクレアは内心うなだれる。こういうとき「どういたしまて」と素直に言える人が羨ましい。また誤解されたかもとリネットを見下ろすと、彼女はまったく意に介していないようだった。
出会ったときから思っていることなのだが、リネットは図太いところがある。
なんだか自分ばかりが気にしているようでバカみたいだ。
「……ねぇ、リネット」
名前を呼ぶだけで気負いすぎるのもおかしい。ふっと緊張が緩んだからか、呼んでみたかった名前がすんなりと零れる。セルトアの魔女と呼ばれる彼女は、不思議そうに目をしばだたかせた。
「驚いたわ……名前、知っていたのね」
「当たり前じゃない。結構な頻度で顔を合わせているのよ、知らないはずがないじゃない」
「そうだけど。なんだか意外」
「呼ぶ機会がなかっただけ。で、今度のお休みにオペラハウスで歌劇があるの。良かったらおいでにならない?」
別に断ってもいいけど、と付け足すのを忘れない。ちょっととんがった言い方になってしまっただろうか。どきどきしながら様子を伺うと、リネットは青い目をきらきらさせていた。
「友人が舞台を見るのが好きらしくて……興味はあったのよ。でも一人じゃ入りづらくて。楽しみだわ!」
楽しみなのはクレアも一緒だ。こんなにあっさりと乗ってくれるなら、もっと前から誘えば良かったと思う。自宅に帰ってから、クレアは二番目の姉にさりげなくこの事を報告した。すると「初デートみたいな場所を選ぶのね」と笑われてしまった。解せない。
しかし、リネットとプライベートで遊ぶ約束を取り付けたのだ。加えてごく自然に名前を呼ぶこともできたので、上々だと自画自賛したい。
* * *
リネットはハーブティーを飲みながら、壁に掛かったカレンダーを眺める。絵はがきを貰ってから1週間が過ぎていた。いつもならはがきが届いた三日後には帰ってくるのに……と少し心配になる。
日ごとにそわそわと落ち着きをなくすリネットに、ヴィルは「大丈夫よ、寄り道しているだけじゃないの?」なんて顔にキュウリを貼り付けながら言った。なんでキュウリを貼り付けているのだろうか。この前はゆで卵の薄い膜を貼り付けていたが。
(両親は気になるけど、ヴィルの顔も気になるわ……美容なのよね、きっと)
よくわからない世界である。そんなリネットを見てヴィルは「アンタも数年後には必死になって、キュウリを顔に貼り付けているわよ!」となぜか切れ気味に言われた。
「……まぁ、寄り道しているってのは納得だわ」
ただそろそろソークがやってくるのも事実。粒のいちごをぎゅっと並べたタルトを持ってくると約束していた。毎度のことながら、手作りのお菓子を準備するのは大変じゃないだろうか。
そう思って遠慮すれば、彼はさっと青ざめてから「セルトアにも王室御用達のお菓子がありますし、やっぱり素人が作ったものと比べられないですよね……! す、すみません、これしか取り柄がなくて……!」と差し出したアーモンドクッキーを後ろ手に持って行くので、慌てて取り押さえた。
王室御用達のお菓子なんて、ショウが研究室の棚に隠しているものか、エルマーが手土産に持ってくるのを食べるくらいだ。頻繁にあることではない。それにリネットは高級なお菓子が好きなわけではなかった。ソークが作ったお菓子が好きなのだ。
そのことを伝えると金髪の青年は頬をうっすらと染めてから、はにかんで笑った。それから「やっぱりリネットには適わないですね」と頬に親愛のキスを貰う。
あのときは顔を真っ赤にしてしまって、意識していなかったソークまでもが、見る間に赤くなるのが恥ずかしかった。最近はなれつつあるけど、不意打ちにはまだ弱い。
そんなことをぼんやり思い出しながら、すっかり冷めてしまったハーブティーを飲み干す。そして在庫チェックをしようと腰を上げたその時、りんりんとドアベルの音が響く。
「リネットちゃん! ただいま、帰ったわよ!」
そこには母のアンナが大量の荷物を背負って立っていた。
「おかえりなさい! 元気そうね?」
「もちろん。途中で寄り道して帰るのが遅れちゃった。おかげで荷物が増えてね……」
アンナは両手にも細長い筒状の何かや、かごを持っていて重そうだ。慌てて荷物を受け取るが、想像より軽い。とりあえずカウンターの上に置くと、背中の大きなカバンを降ろしたアンナに、さめたハーブティーをいれる。
「ありがとう。すぐ飲めてちょうどいいわ……いえね、あまりにも荷物が多いものだから馬車で来たんだけど、ここは路地じゃない? 馬車が入らなくて」
「ということは、お父さんは荷運び中?」
「ええ! でも親切な子が手伝ってくれて。しかも珍しい金髪なの!」
「……へぇ、なるほど。親切な金髪」
思い当たる人物に笑みが零れる。そこへ細い路地の向こうから荷物を担いでやってくる二人組が見えた。先頭を歩くのは父のレイモンだ。旅に出たというのに記憶よりふっくらしている。おいしいものでも食べてきたんだろうか。
「すまないね。君が力持ちで助かるよ!」
「もともと身体は丈夫なので……ええと、大事な荷物を私なんかが触ってもいいんでしょうか……! それとも焼却処分を……?」
「いや、これは商品と娘のプレゼントがちょっとばかし。捨てるわけにはいかんよ」
わはははと明るい声が壁に反射してよく響く。そして立派な体格をしているのに、腰の低い青年が恐縮していた。自分に自信がないところは相変わらずのソークに、リネットは柔らかな笑みを浮かべる。
それにしても紹介すべきかどうか悩んでいたのがバカみたいだ。こうしてソークは両親とあっさり対面してしまった。
(本人は知らないみたいだけど)
不思議な縁で繋がっているのかもしれない、なんて非合理的な考えが浮かぶ。魔術師らしからぬが、ロマンチックで素敵だ。
(これも恋のおかげなのかしら?)
そんなことを思いながら、リネットが「おかえりなさい」と玄関から手を振ると、レイモンが「リネット!」と名前を呼んだ。
「おかえりなさい! そしてソークも」
「え、リネット……の、お父様とお母様ですか!?」
「あら、知り合いだったの? かっこいいお客さんを捕まえたものね」
ソークが父と母を交互に見る。穏やかな曲線を描く眉が下がっている様子から、戸惑っているらしい。確かに道すがら助けた人物が、親しくしている人の両親なんて驚きだろう。
「そうなの。ロミアからお店にやって来てくれてね。ソークよ。こっちはあたしの両親」
「ロミアから! いやぁ、この店も有名になったもんだなぁ。僕はレイモン。それに妻のアンナ」
「よ、よよろしくお願いします! リネット、さんとは親しくさせて頂いています……ロ、ロミアの、ソークといいます……!」
ガチガチに緊張しながらの自己紹介に、レイモンはおや?と眉をあげて、意味ありげにリネットに目配せした。その視線を受け流して、まだ荷物を抱えているソークを店内へ促す。そして、少し逡巡する。
ソークは荷物を丁寧に降ろしているところで、両親を見れば玄関先の荷をまとめているところだ。かがんでいるソークにさっと近づいて、リネットは耳元に唇を寄せる。
「ねぇ、ソークのこと、あたしの好きな人ですって紹介してもいい?」
「へっ!?」
耳をぱっと押さえたソークは言葉の意味を解すると、はくはくと口を動かして、それから顔を押さえてうなだれる。クレアが最後に「全ては成り行きよ」と言っていたので、ここで本人に確認してみた。しかし、失敗だったのだろうか。
不安になって見上げるリネットは、遠慮がちにソークの袖を引っ張って、返事をねだってみる。
「ダメならそれで構わないけど」
ちょっと寂しいけれど、ソークの意思は尊重したい。
「……いや、そういうのじゃなくて……! 嫌ではなくて……嬉しくて、すごく」
顔を押さえていた手を外せば、金の瞳を潤ませていた。もう一押しで泣いちゃうんじゃないかってくらいだ。どきりと心臓が跳ね上がる。ソークの笑顔は好きだが、やっぱり泣き顔にぞわっと何かが背中をかける。どこか背徳感があって、罰の悪さを覚える。
「……んんっ、嫌じゃなくてよかったわ」
「もちろんです。でも、ぜひ、私から言わせてください。リネットが私の大切でかけがえのない人なのだと」
「あ、ありがとう」
今度はリネットが顔を赤くさせる番だった。もう灰色のローブで顔を隠してはいないが、こういうときはあったら便利だなと思う。前はローブ越しに見る世界に安堵していた。それが今では物足りない。布一枚を取り払った世界は怖いところもあるけれど。
(さて、お父さんとお母さんはどんな反応をするのかしら)
荷物を運び始めた二人を手伝うべく、両親の元へ駆け寄る。
魔術で栄える街、セルトア。
街の中心を貫くメインストリートにはプラタナスが植えられており、葉は新緑に萌えている。そのメインストリートの行きつく先は王宮魔術研究所で、他国に引けをとらぬ魔術師達が魔術の研究や開発を行っている。
メインストリートを少し戻って、脇道にそれて北上すると旧市街だ。旧市街は赤煉瓦作りの建物が並び、細い路地が水路のように巡っている。旧市街には朝に焼きたてのパンを売り出す店、占いがよく当たるというカフェ、また建物の下のアーチをくぐると、唐突に視界が開けて噴水の広場が目の前に現れる。
旧市街の隅。壁と壁に挟まれた細い路地の一本。その先にレモンイエローの扉が特徴的な家がある。その家は二階建てで、一階は魔術雑貨店だ。こんな辺鄙な場所にお客さんがいるのだろうかと訝しむ者もいるが、この店はセルトアの人間ならば誰も知っている有名な店だ。
そこには魔女と呼ばれる少女がいる。
春の昼下がり、その店先でとても小さな歓声があがった。
これにて完結します。
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