第五話
子供のエネルギーは本当に凄い。
乃々愛ちゃんに引っ張られて色んなプールに連れて行かれた俺は既にヘトヘトだった。
橘と斎藤に至っては離脱しており、香澄さんは距離をとって保護者的な立ち位置で見守っていた。
俺も体力づくりをしていなかったらギブアップしていたに違いない。
だがハイテンションで動き回り、さすがに疲れたのだろう。
流れるプールに連れて行かれると乃々愛ちゃんに抱っこを要求された。
過去の経験からして、これはお疲れの合図。
とはいえ未だに遊びたりないようなので、俺は乃々愛ちゃんを抱っこし、流れるプールに浸かってノンビリと流れに身を任せることにする。
「キモチイイね、和斗お兄ちゃん。……あ、もっとあっちに行こっ!」
「……かしこまりました」
人混みに溢れるプールの中、流れの勢いを利用して床を蹴る。
……しんどいです乃々愛様。
しかし、そんなことを言える雰囲気でもなく……。
頬を擦り寄せるほどに抱きついてくる乃々愛ちゃんに従うしかなかった。
「ういーす綾小路。大変だなぁ」
浮き輪にスッポリと収まったふとっちょくんが後ろから流されてきた。
「橘か。斎藤はどうしたんだ?」
「力尽きた」
「は?」
「完全にバテちまって休憩スペースで休んでるぞ。持ち込んだラノベを読んでやがる」
「どこに居ても変わらないな、あいつは……」
プールに来てもラノベを読む。
それが斎藤という男だった。
「なあ聞いてくれよ綾小路! 香澄さんが俺様のことをふとっちょくんとしか呼んでくれないんだよ」
「いいんじゃないか? 名字で呼ばれるよりも親近感があるだろ」
「けっ! どうせなら名前で呼んでほしいぜっ! 綾小路だって、和斗くん、って優しく呼ばれてんじゃん!」
「まあ、な」
凛香の彼氏だからなんだけどな。
「一応聞くけどよ、綾小路は俺の名前を知ってるよな?」
「当たり前だろ? お前の名前は――――」
「和斗お兄ちゃん。もっとギュッてしてー」
甘えるような声を発する乃々愛ちゃん。
俺の首に抱きつき、ギュッと細腕に力を込めてくる。
まるで『橘ではなく私を見て』と言っているようだった。
「……懐かれすぎだろ、お前」
「乃々愛ちゃんは人懐っこい子だからなぁ」
「そりゃ見てれば分かるけど…………。よう乃々愛ちゃん、良かったら俺様の方にも来ないかい? この腹の弾力はトランポリンにも負けないぜ?」
「やだ。和斗お兄ちゃんがいい」
「おい、どこが人懐っこい子なんだよ」
「誘い方が変態的なんだよお前は!」
そんな非難するような目を向けられても困る。
腹の弾力がトランポリンってなんだよ……。
「やあ綾小路くん。この僕を抜きにして随分と楽しんでいるようだね」
「お、斎藤。復活したのか」
プールサイドに立ち、キリッとした顔をしているのは斎藤。
脇には花柄の浮き輪を携えている。
斎藤の後ろには香澄さんも立っていた。
どうやら香澄さんは斎藤に付き添っていたらしい。
「メガネくん大丈夫? 体力がキツイなら無理しないほうがいいよ」
「ご安心を香澄さん。ラノベで体力が回復したのでっ。あとすみません、今の僕はメガネをかけていないです。というより貴方の前では一度もメガネをかけていないのですが……?」
なぜかメガネ呼びされた斎藤が首を傾げた。
多分、雰囲気からしてメガネっぽさを感じ取ったのだろう。
斎藤と香澄さんが、ゆっくりとプールに入る。
もちろん斎藤は浮き輪を装着していた。
「にしても凄いね綾小路くん。どうやったらそんなに子供から好かれるんだい?」
「知らないってば。俺の方が知りたいよ」
俺に抱きつく乃々愛ちゃんを見て、斎藤は羨ましそうにしていた。
これは俺の推測だけど、ネトゲ廃人としての資質が、子供の好かれやすさに影響していると思う。
当たり前だけど根拠は一切ない。
香澄さんが、おもむろに乃々愛ちゃんの頭を優しく撫で始めた。
「ほんと乃々愛は和斗くんが大好きだね~。家でも和斗くん人形を凛香から強奪しちゃうくらいだもん」
それはヤバい。
というか和斗くん人形(俺の分身)が心配だ。
すると無垢な笑顔を浮かべる乃々愛ちゃんが、衝撃的な発言をぶちかましてきた。
「うんっ。だって私、和斗お兄ちゃんの愛人だもん!」
「っ――――!」
目を見開き、口をあんぐりとさせる一同(乃々愛ちゃんを除く)。
たまたま近くを泳いでいたお姉さんが「ぶほっ」と息を吐き出し、まるで汚物に向けるような目つきで俺を見ながら離れて行った。
「……え、えーと乃々愛ちゃん? その発言はさすがにヤバいと言いますか、俺が社会的に死ぬと言いますか」
「和斗お兄ちゃん大好きっ!」
俺の首に両腕を回し、頬をスリスリしてくる。
子供特有のもち肌が、直接俺の頬に擦り付けられていた。
なんだかもう、人間の姿をした可愛らしい小動物みたいだ。
「これは嫉妬じゃないこれは嫉妬じゃないこれは嫉妬じゃないこれは嫉妬じゃないこれは嫉妬じゃないこれは嫉妬じゃない――――――恨みだ」
なにやら斎藤が頭を抱えてブツブツと恐ろしいことを口にしている。
そして橘に至ってはポケーっと空を眺め、「あ、UFOだぁ」と現実逃避していた。
「あー乃々愛ちゃん? 愛人の意味を本当に知ってるのかな?」
「うん知ってる。愛する人のことだよっ」
「くそ、知ってるようで知らない感じの純粋さが可愛い……!」
まず間違いなく、乃々愛ちゃんは文字の雰囲気で意味を捉えている。
おそらく、この間のサスペンスおままごとも、適当な昼ドラを見て真似をしていたのだろう。
子供は良くも悪くも様々なことをスポンジのように吸収していく。
「やるねぇ和斗くん。凛香だけではなく乃々愛まで攻略しちゃったんだ。ん、あれ? ということは……次は私がターゲットになるのかな? このまま水樹三姉妹を手中に収めちゃう感じ?」
「じょ、冗談でもやめてください! それに香澄さんほどの女性なら、俺なんて眼中にないでしょ!」
「そんなことないよ? 割と和斗くんは好みのタイプだし……。もし同じ教室に居たらアタックしてるかな~」
「はい終わった! 俺、凛香に刺される!」
香澄さんは冗談っぽく言うが、純朴ネトゲ廃人の俺からすればドキドキもの。
思わず乃々愛ちゃんを抱きしめる腕に力が入る。
「大丈夫でしょ。凛香は好きな男のことなら何でも許しちゃうタイプだし。いっそハーレム狙ってみたら?」
「お、俺は凛香一筋なんで……っ!」
ある程度の浮気は許すと凛香から言われているし、独り占めできるとは思ってないと言われてきた。
だからといって他の女の子に……ましてや凛香の姉と妹に手を出すのは常軌を逸した行動と言えるだろう。
絶対にありえない!
「ダメだよ香澄お姉ちゃんっ。和斗お兄ちゃんは私と結婚するんだから!」
「だってさ和斗くん」
「い、いやいやいや!」
「……和斗お兄ちゃんは私のことが嫌いなの?」
不安げに瞳をうるませた乃々愛ちゃんが尋ねてくる。
抱っこしている距離感なので、へにゃりと曲がった悲しげな眉がよく見えた。
「いや嫌いじゃないけど……。結婚とか、愛人はダメです」
「やだっ! ずっと和斗お兄ちゃんと一緒に居たい!」
「じゃ、じゃあこうしよう。乃々愛ちゃんが大きくなった時、まだ俺のことが好きだったら……その時にまた考えよう」
必殺、問題先送り作戦。
まあこれが一番手堅い対処だろう。
乃々愛ちゃんの言う好きとは恋愛感情からのものではない。
よく小さい男の子がお母さんと結婚する! って言うだろ?
それと似たやつだ。
きっと大きくなった時に乃々愛ちゃんも気付くだろう。
「そんなこと言っていいのかな~。乃々愛は水樹家で一番独占欲が強いよ~」
「冗談でも不安を煽るのはやめてください。俺はノミの心臓を持つ男ですよ? マジで死にます」
「あはは、ごめんごめん。もう言わないから許してね?」
香澄さんがチロっと可愛らしく舌を出して謝った。
これは反省してないな……。
まったく、俺は水樹姉妹に振り回されてばかりだ。
◇
やがて日も暮れ始めた頃。
乃々愛ちゃんの瞼が閉じたり開いたり繰り返すのを見て、香澄さんが「じゃあそろそろ帰ろっかな~」と宣言した。
それに合わせて俺たち三人も帰宅することにする。
「あ、和斗くん。ちょっといいかな?」
「はい? なんでしょう」
皆で更衣室に向かっている途中、乃々愛ちゃんを抱っこしている香澄さんに呼び止められた。
斎藤と橘には先に行ってもらい、俺は足を止める。
「単刀直入に言うけど、今晩泊まりにおいでよ」
「えーと、凛香の家に?」
「そうそう。私たちの両親はイチャイチャ旅行に行ったし、私も乃々愛を連れて二日間ほど友達の家に泊まる予定なんだよねー。なのに凛香は明日の昼頃まで予定が空いているみたいなのよ」
「そうなんですね」
「そうなんですね、じゃないでしょ和斗くん! これはチャンスなのよ!」
「……え?」
香澄さんが迫真の表情で距離を詰めてくる。
「アンタ達、付き合ったのはいいけど、いまいち進展してないんでしょ?」
「うっ……!」
その通りで声を漏らしてしまう。
「和斗くん、これを機に一線を超えちゃいな! ……あ、避妊はしてねっ! さすがに子供がデキると問題だし」
「…………」
何も言えねぇ。
一瞬で頬が熱くなるのを感じた。
「これでも姉として心配してるわけよ。凛香はアイドルとして成功してるけど、その代償に好きな人と表立って歩けないわけじゃない? ならさ、こういう小さなチャンスを見逃さず、がんがんイチャイチャするべきだと思うのよ!」
「は、はぁ……?」
「というわけで和斗くん! 家に帰ったら泊まる準備をしてね! すぐ迎えに行くから!」
「いや、えと……」
「なに? 用事でもある?」
「ないですけど……いきなり過ぎて心の準備が……」
「大丈夫! 二人きりになったら後は本能がどうにかしてくれるから!」
「えぇ…………」
素晴らしい笑顔でサムズアップをされてしまった。
香澄さんと初めて会った日もそうだったけど、物凄い勢いで俺と凛香をくっ付けようとしてくる。
「んじゃあ、そういうことでよろしくね~」
一方的に話をまとめると、香澄さんは俺に背を向けて女子更衣室に歩いて行った。
「……はぁ、相変わらずメチャクチャな人だ」
強引というか何というか。
だが俺たちのことを考えての強引であることは理解できる。
「一晩のお泊まり、か」
想像するだけで緊張してきた。
これは……もしかすると、もしかするかもしれない。




