第八話
眠気を我慢できずに目を擦る。授業中、一瞬だけで寝てしまった。昨晩、遅くまでネトゲをしていたのもあるが、学校でのモチベーションが上がらないのも理由の一つにある。
なんせ今日は凛香が学校にいない。アイドル活動との兼ね合いで学校を休んでいた。
胡桃坂さんは登校しているので、スター☆まいんずのイベントではなく、凛香個人の仕事なんだろう。人気アイドルは大変だ……。
「おう綾小路! この後どうする?」
「僕は先月発売されたラノベについて語りたいね!」
「すまん、ちょっと用事があるんだ」
「「はぁ!?」」
昼飯を食べ終わった直後のこと。申し訳なく思いながら二人に手を合わせる。素っ頓狂な声を発した彼らだが、すぐに納得したように頷く。
「そっかそっか、水樹がいなくて寂しいんだな」
「なるほど、そういうことだね。僕たちが励ましてあげようじゃないか」
「いやほんと、そういうのじゃないから……それじゃ」
「てめぇ……まさか奈々ちゃんのとこに行くんじゃねえだろうなぁ?」
ぎろりと睨んでくる橘。なんて勘が鋭いやつ……。こういう時に限って頭が冴えるんだから本当に困る。
「違うって。ちょっと先生に呼ばれているんだ」
適当な言い訳だが、二人は納得して追求しなくなった。先生という言葉が出て興味を失ったのだろう。椅子から立ち上がった俺は教室から出ていき、例の場所に向かう。
廊下を歩いている途中、不意に視線を感じた。
「…………?」
振り返るが、誰もいない。廊下の奥、角の向こうから生徒たちの騒ぎ声が聞こえる程度。…………気のせいか? 誰かに見られているような気がしたんだが。
考えても仕方ない、そう割り切った俺は階段を上がる。屋上手前の踊り場に到着した。
「カズくん! 待ってたよ!」
そこにいたのは胡桃坂奈々。スター☆まいんずのリーダーだった。ふわっと温かい笑みを浮かべた彼女は、階段の低い位置からピョンッと飛び降りて俺のもとに寄ってくる。
橘が察していた通り、俺の用事は胡桃坂さんに会うことだった。
「ごめんねカズくん。昨日は遅くまで付き合わせちゃって……」
「全然構わないよ。言ってくれたら、いつでも付き合う」
「優しいねっ。そうやって、凛ちゃんにも甘い言葉をかけてるのかなー、うりうり」
いたずらめいた笑みを浮かべた胡桃坂さんが、肘でぐりぐりと俺の横腹を突いてくる。これでもかと、からかわれていた。
「カズくんのおかげでクエストをいっぱいクリアできたし、シュトゥルムアングリフのレベルも上がったよ! もうじき二人に追いつくからね!」
「それは少し甘いぞ。俺とリンは何年もやってきたからな、そう簡単には追いつけない」
「自慢げに言っちゃって! このこのー」
「…………」
さっきよりも強めに肘でぐりぐりしてきた。地味に痛い。
やけにノリがいい胡桃坂さんにちょっとした苦笑いを漏らしてしまう。
人気アイドルグループ、スター☆まいんずのリーダーと距離感が近いことにも戸惑いがあった。いやまあ慣れてはきたけど、最近の胡桃坂さんは以前よりも親しみのある接し方をしてくるのだ。嬉しいけど、まだ少し戸惑う。
「最近の凛ちゃん、忙しいよね……」
「うん。学校休む必要があるくらいだもんな」
「私もたまに休むけど、凛ちゃんの方が頻度増えてるかも。この先、もっと忙しくなりそうだから少し心配だなー」
凛ちゃん、無理しちゃうから……と、胡桃坂さんは不安そうに呟いた。
親友として純粋に心配していることが俺にも分かった。
「たぶん凛ちゃん、疲れてるよ。だって和斗人形をいつも持ち歩くようになったの」
「…………え? それ大丈夫なのか?」
「あはは……ちょっとだけ危なかったかも。メンバーのみんなが不思議そうにしていたから……」
「だろうな」
困ったように頬を掻く胡桃坂さんに、俺も同じような顔で相槌を打つ。
「そこでカズくん!」
「はい?」
「もうじき夏休みです!」
「そうですね……?」
「『凛ちゃんとひと夏の思い出をたくさん作ろう!作戦』を今から練ります!」
作戦名、もうちょっとどうにかならなかったのか?
というツッコミは心にとどめておくとして……。
「凛香忙しいんだろ? 遊ぶ暇、あるのかな……」
「二人にはネトゲがあるから大丈夫! それ以外の時間も何とかします!」
「何とか……」
「計画を練るの! 凛ちゃんの予定なら私が分かるから、それを基に、何をして遊べるのか色々考えてみようよ」
「そうだな……うん、わかった。ありがとう胡桃坂さん」
「お礼はいいよ。その代わり、凛ちゃんとたくさん仲良ししてねー。うりうりー」
今度は悪巧みしてるような笑みを浮かべ、肘でぐりぐりしてくる。表情豊かな女の子だ……。エネルギッシュなところも魅力ポイントの一つだろうか。
「それじゃあねカズくん! また今晩ネトゲで――――――あっ」
そう言いながら走り去ろうとした胡桃坂さんは、足を絡ませて顔から倒れる。咄嗟に俺は胡桃坂さんの腕を掴んで強引に引き寄せ、自分の胸で受け止めた。反射に近い行動だったが、思わず胡桃坂さんを抱きしめる形になってしまった。
「…………あ、カズくん……」
「あー……ごめん」
「う、ううん……ありがと。ごめんね」
現状を認識した胡桃坂さんはポッと頬を赤らめる。そして気まずそうに俺から離れ、何かを誤魔化すように慌てて喋り始めた。
「い、今のは違います! 事故です! 不可抗力です!」
「は、はい! そうですね!」
「凛ちゃんの彼氏さんに助けてもらった! それだけのことです!」
「お、おう!」
「というわけで、ばいばい!」
「ばいばい!」
勢いに乗せられた俺も雰囲気を誤魔化すように力強く返事をする。うん、と頷いた胡桃坂さんは軽快な足音を響かせ、逃げるようにして去っていった。
「…………じ、事故だしな……うん」
一体誰に言い訳をしているのか……。
体内に宿った熱を吐き出すように、俺はため息をついた。
☆
な、なんてことでしょう!
奈々先輩までもが、魔の手に落ちていたとは!
お二人の会話は聞き取れなかった。
そこで私は息を潜め、こっそり屋上前の踊り場に近づいた。
ひょっこり顔を出し、様子をうかがうと――――和斗とかいう男が、奈々先輩をぎゅっと抱きしめていたではありませんか!!
あまりの衝撃に、私はフラフラと後退りをしてしまった。
これ以上は見れない、見たくない……。
そんな思いから、衝動に任せて廊下を走る。
息が切れたタイミングで足を止め、周囲に誰もいないことを確認してから深呼吸をした。
「あ、あぁ……スター☆まいんずが……私たちのスター☆まいんずが、一人の男によって支配されていく……!」
リーダーの奈々先輩、グループの支柱である凛香先輩、凛香先輩の妹乃々愛ちゃん……。この三人が、和斗とかいう男にたらしこまれている――――!!
「まずい、まずいですわ……! え、待ってください……次のターゲットは……まさか私? 私ですの?」
和斗とかいう男は身近な女性から手を出し、確実にわが物にしている。難攻不落と思われる凛香先輩をたらしこんだことから、その手腕は本物と考えていい。実際、天使のように可愛い乃々愛ちゃんからも懐かれているし、奈々先輩とも抱きしめ合うほどの関係を築いている。
この流れから考えると、次は私――――――!
「ふ、ふふ……恐ろしい……なんて恐ろしい男でしょうか。ひょっとしたら、スター☆まいんずはかつてないほどの危機に陥っているのかもしれませんね」
おそらく和斗とかいう男は、スター☆まいんず五人をたらしこみ、いわゆるハーレムを作ろうとしている。それは着々と進んでいるのだ。
「私が……私が何とかしなくてはいけませんね……!」
もはや情報収集をする時間は残されていない。
私自ら動かなくては!




