第二十八話
「こ、これは……」
「和斗くん人形よ」
「…………」
「和斗くん人形よ」
いやちゃんと聞こえてる。驚きで返事ができなかっただけだ。
「そのね、いつも寝る時に抱きしめているのよ……和斗くん人形を」
「え、え?」
「日が経つにつれて、もっと多くの和斗くん人形に囲まれたい欲求が強くなって……今では四人いるの」
「四人っていうか、四体……」
ツッコミどころはそこじゃないと自分でも気づいている。
「さすがの和斗くんも気持ち悪く感じるわよね……。和斗くん人形を作って毎日抱きしめて寝てるなんて……」
「そ、そんなことないぞ」
「本当に?」
「あぁ」
俺が頷いてみせると、凛香は泣きそうな表情から一転。
花を咲かせたように笑顔を取り戻した。
……まあ驚いてはいるけどな。
一体なら微笑ましく思えたが、さすがに四体はビビる。
フェルト人形一体を作るのに、どれほどの時間がかかるのだろう。
俺と凛香が出会って、まだ一ヶ月と数週間しか経過していない。
かなりのハイペースじゃないか?
「実はね、他にもまだあるの」
「え、和斗くん人形が?」
「いいえ。和斗くんグッズ第二弾よ」
ちょっと自慢げに言ってくる凛香。
何をするのかと見守っていると、凛香は壁に貼られたスター☆まいんずのポスターをペラリとめくった。
そこから現れたのは――――俺が教室で飯を食ってる時のシーンが切り抜かれたミニポスターだった……!
「どう? 凄く可愛いと思わない?」
「思いません。てかこれ盗撮……? カメラ目線じゃないし、そもそも撮られた覚えがない」
「盗撮じゃないわ。夫の写真を撮るのに盗撮も何もないでしょう?」
「……」
これはハイレベルだ。
まさか初めてのデートが、これほど波乱に満ちているとはな……!
「毎晩寝る前にね、和斗くん人形を抱きしめながらポスターの和斗くんを眺めて寝ているの……ふふ」
「凛香はポスターを眺める側じゃなくて、眺められる側だろ」
大人気アイドルが、俺の人形を作ったり、盗撮してポスターにしている件。
やべえよやべえよ。
「ごめんなさい和斗くん。私も自分のしていることが変じゃないかって、薄々気がついてはいるの」
「え、薄々程度なのかい?」
「けれど、どうしても気持ちを抑えることができなくて……。もし和斗くんと一つ屋根の下で暮すことができれば、多少なりとも欲望が満たされそうなのだけれど」
「そ、そうですか……」
俺は言葉を失っていた。
よもや凛香が、これほどとは思いもしなかったのだ。
……まて、そう言えば。
「さっき和斗くんグッズ第二弾って言っていたよな? もしかして第三弾もあるのか?」
「もちろんよ」
凛香が机に置かれた筆箱を開けて消しゴムを取り出した。
「消しゴムのカバーに和斗くんの顔写真を貼り付けてるの」
「――――っ」
「これなら勉強中でも和斗くんの存在を身近に感じることができる…………。画期的だと思わない?」
「……そう、ですね…………」
もう俺はどんな顔をすればいいか分からなくなっていた。
笑えばいいのか、驚けばいいのか、ドン引きすればいいのか……。
正しいリアクションはどれだ?
とりあえず喜ぶことにする。
あの超人気クールアイドルから、アイドルのような扱いをされるのは素晴らしいことだよなっ!
「ま、まあ……これだけ好かれるのは男として凄く嬉しいよ」
「本当に? いくら優しい和斗くんとはいえ、引かれるのではないかと心配していたのよ」
「いやいや、よく考えてみろよ。アイドルのグッズ販売とか昔から行われていただろ? それとそんなに変わらないって」
「そうね。ありがと和斗くん。こんな私を受け入れてくれて」
……まあ、本人の許可を得ているかどうかの違いはあるけどな。
「一応聞くけど、もう俺に関するグッズはないよな?」
「……グッズではないのだけれど……」
凛香が机の引き出しを開けて一枚の紙を取り出した。
「それは?」
「これは私たちの婚姻届よ。お互いの名前も記入済み」
「はい一線超えたァアア! これはヤバい! しかも綾小路の印まで押してあるし!」
普通に犯罪である。
「大丈夫よ。この婚姻届は私が自作したもので、本籍といった必要な欄は消してあるから提出しても受理してもらえないわ」
「そ、そうだったか」
「安心して。さすがの私もわきまえてるから」
「わ、わきま……わきまえてる……のか?」
俺は困惑した。
「この婚姻届を見る度に心が満たされるの。あぁ、私と和斗くんは夫婦なんだーって」
「お、おぉ……」
凛香が婚姻届を抱きしめて満足気に微笑む。
一方、俺は戸惑いの声を漏らしていた。
「リアルは不便よね。結婚できる年齢が設けられていたり……。でも心配しないで。リアルでは夫婦として認められていなくても、ネトゲで結ばれた私たちの心は本物よ」
「……は、はい」
なんということだ。
衝撃の事実が次々と明らかになっていく。
愛が重いどころじゃない。
もう変態の領域に踏み込んでいるじゃないか!
「…………やっぱり、気持ち悪いかしら?」
「え?」
俺が戦々恐々としていると、不安げに俯いた凛香が小さな声で尋ねてきた。
「客観的に見れば私の行動は限度が超えているわ。人形や消しゴム、ポスターはともかく…………婚姻届はおかしい」
「……」
客観的に見れば全部おかしい。
「いくら和斗くんだって、こんな変なことをする女の子は嫌よね…………」
「そんなことはないぞ」
即答してみせるも凛香は俯きながらポツポツと喋り続ける。
「いいのよ、無理しなくて。私を気持ち悪いと思うなら……縁を切ってくれてもいい」
「な、何を言ってるんだよ」
「私は和斗くんのことが心の底から好きよ。だからこそ、和斗くんの幸せを一番に願っている」
「凛香……」
「もし私が和斗くんの重荷になるのなら…………離婚してもいいから」
……離婚て。
まだ付き合ってすらないのに。
「きっと和斗くんは私よりも素晴らしい女性と巡り会うことができるわ。だから私が和斗くんの幸せを邪魔してしまうなら――――」
「凛香」
俺は言葉を遮るように名前を呼ぶ。
彼女は今にも泣き出しそうな顔を上げ、こちらを見つめ返してきた。
「さっきも言ったように、俺はどんな凛香だろうと受け入れる」
「でも、ここまでとは思わなかったでしょう?」
「うん」
「……ほら、やっぱり」
グスッと鼻を鳴らす凛香。
よく見ると瞳が潤んでいる。
俺が何かしらの罵倒を浴びせれば本当に泣いてしまいそうだ。
「そこまで言うなら、どうして和斗くんグッズを教えたりしたんだ?」
「……私は素の心での付き合いを大切にしてる。だから和斗くんに聞かれた時に言うべきだと判断したのよ。今まで隠してきた本当の私を知ってもらうためにも……」
俺が聞かなければ、このことをずっと隠していたのか?
……いや、そうじゃない。
純粋な心を至上とする凛香が、それだけバレることを恐れていた秘密だったのだ。
「正直に言ってちょうだい。これ以上、私に付き合いきれないなら……無理せずに言ってほしいの。私は和斗くんの重荷になりたくないから……」
俺の目から視線を逸らし、微かに震えた声でそんなことを言ってくる。
しかし人は誰しもバレたくない秘密を抱えているもの。
それは大人気アイドルだって変わらない。
でも凛香は嫌われる覚悟をして教えてくれた。
自分の信念、そして俺の幸せを考えて……。
そんな彼女に対し、この俺が出来ることは?
それは一つしかない。
こちらも本音を包み隠さず言ってやればいい。
だって俺たちは――――数年前からネトゲの世界で、心と心を交わし合っていたのだから。
「凛香」
「……和斗くん……?」
涙目になりながらも返事を待つ凛香に、俺は自信を持って答える。
「俺は、どんな凛香だろうと受け入れる」
「……本当に?」
「あぁ。だって俺は……水樹凛香という存在そのものに、心底惚れているのだから」
「――――っ」
目を見開いた凛香が息を呑む。
気にせず俺は、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「仮に凛香がアイドルじゃなかったとしても、俺は凛香に惚れていた。言葉が汚くなるけど、凛香がビックリするくらいブスだったとしても俺の気持ちは変わらなかった」
「……和斗くん……っ」
「まあ、男だったら一発ぶん殴っていたけどな。はは」
ちょっとウケを狙って笑いながら言ってみる。
けれど、頬の上辺りを真っ赤に染めた凛香は、口元を両手で押さえているだけだった。
その涙が零れそうなほど潤んだ双眸で、こちらを見つめてくる。
俺は彼女の不安を取り除き、喜びに変えてあげたい。
なら、今こそ言うべきなのだ。
「俺は――――凛香が好きだ」
ハッキリと言った。
今まで言えなかったことを口にした。
勇気とかは必要なかった。
当然のことを当然のように言った。
たったそれだけのことだった。
「和斗くん……こんな私でも、いいの?」
「俺は凛香じゃないとダメなんだ。なに、盗撮や人形くらい笑って受け入れるさ。まあ気がついたらツッコミは入れるけど、それで嫌いになることはない」
「……和斗くん……っ」
「多分、好きになるってのは、その人のすべてを受け入れることなんだ。決して期待を抱くことでも理想を押し付けることでもない」
もし俺が凛香の秘密を知って嫌いになったのなら、それは凛香を好きになったのではなく、クール系アイドルのレッテルが貼られた凛香を好きになったのだ。
素の凛香を好きになったのではない。
そしてそれは、何度も凛香が言ってきたことだった。
ネトゲならば世間から押し付けられるレッテルや期待を捨てることができる。
ゆえにネトゲこそ純粋な心で向き合える。
「言うのが遅くなってごめん。俺は何年も前から、"リン"のことが大好きです」
「…………っ」
「正体を知ってからも気持ちは変わらなかった。アイドルという身分や綺麗な容姿は関係なく、俺は水樹凛香が好きです。リアルでも……結婚を前提に、俺と付き合ってください」
言った。全部言い切った。
ついに凛香は涙をポロポロと零し、口元を押さえたまましゃがんでしまった。
「……い、いいのね? きっと、私はこれからも……和斗くんに……迷惑をかけるわ……」
「あぁ、どんどんかけてくれ。こっちも負けないからさ」
俺は凛香の傍に腰を下ろし、頭を優しく撫でてやる。
「和斗くん……」
「凛香……」
お互いの顔を至近距離から見つめ合う。
視線が絡み合い、目の前の愛おしい存在だけに意識が集中していく。
「……」
「……」
それは、何の合図もいらなかった。
俺が凛香の頬に手を添えると、凛香は静かに目を閉じて顎をクイッと上げた。
今から俺たちが何をするかは明白。
目の前の瑞々しい唇に、ゆっくりと己の唇を近づけていく。
そして、ついに俺たちの唇が重なる――――――直前。
「ただいまぁ! ……あれぇ、和斗お兄ちゃんの靴があるよ? あ、和斗お兄ちゃんが遊びに来てるの!? わーい!」
……。
…………。
「今日、家族は夕方まで帰ってこないんじゃなかったの?」
俺は半目で凛香を問い詰める。
どういうことだ。
「……そのはずだったのだけれど……。やっぱり子供は気まぐれね」
「仕方ないな、こればっかりは。……ま、都合がいいか」
「都合がいい? どういうこと?」
凛香が小首を傾げた。
俺は軽く笑いながら言う。
「凛香の家族に報告できるだろ? 俺たちは正式に付き合うことになりましたーって」
「和斗くん……っ!」
感極まったような声で俺の名前を口にした。
可愛らしいなぁ……。
俺が凛香の魅力を堪能していると、凛香は何かを思いついたように口を開いた。
「じゃあ正式に婚姻届を――――」
「それは早いってば。俺、まだ17歳。結婚は18歳になるまで無理です」
「ということは来年ならオッケーということね」
「そうそう来年ならオッケー、なわけないよね? スキャンダルになって人生が崩壊するぞ」
「大丈夫よ。絶対なる夫婦の愛に不可能はないから」
「……はぁ。まだ正式な夫婦じゃないんだけどなぁ…………」
ぶれないなー凛香は。
きっと彼女は、これからも嫁のつもりで振る舞うのだろう。
恋人になったとはいえ、まだまだ俺の日常は落ち着きを取り戻せそうにない。
あぁ、本当に……なぁ?
これから、どうなるんだろう。
嬉しそうに微笑む凛香に対し、俺は苦笑を零すしかなかった――――。




