第二十二話
胡桃坂さんから伝えられた日を迎え、俺は約束の時間になったことを確認して【黒い平原】にログインする。俺と凛香のネトゲデートだ。胡桃坂さんがフォローしてくれるらしい。
色々不安な気持ちはあるが、状況が前進することを信じて勇気を出す。
俺としても凛香とデートできるのは嬉しい。緊張の方が勝るけども。
今回のネトゲデートを組んでくれたのは胡桃坂さんだ。進行役も務めると張り切っていた。俺と凛香は胡桃坂さんに従って動く流れになると思われる。
「あら和斗くん。今日は来るのが早いのね」
ボイスチャットルームで待機していると、ログインした凛香に話しかけられた。
「毎回遅刻するわけじゃないしなぁ。一番早いときもある」
「それだけ私とデートをすることが楽しみだったということね。もう、私の夫は……!」
頬を手を当て、照れる凛香の姿が思い浮かぶ。そういう意味じゃなかったんだけどね。
「妻とのデートが待ちきれない……そんな夫が愛おしく感じるわ」
「あはは…………」
どこまで夫婦のつもりでいる凛香だった。何を言えばいいのかわからない。
と、その直後。入室音が鳴る。シュトゥルムアングリフと表示された。胡桃坂さんだ!
「お待たせ! 少し遅れちゃった! ごめんね!」
「全然待ってないよ。じゃあ集まろうか」
俺たちは話をしながら【黒い平原】内でも合流する。王都の中央にある噴水広場に三人が集結した。
『カズくん! 凛ちゃんの見た目を褒めてあげて!』
突如、胡桃坂さんが個人チャットで指示を飛ばしてくる。凛香に見えないように、こうして俺にアドバイスを送るつもりらしい。
画面内に映るリンをジッと見つめ、服装を確認する。普段はエルフの民族衣装を着ているが、今回は森林をイメージした緑色の可愛らしいワンピースで身を包んでいた。ちゃんとデートを意識しているのが分かる。
とかいう俺もカジュアルな服装に着替えている。リアルの俺もかしこまって丁寧にアイロンがけしたシャツを羽織って気合いを入れていた。
ついでにシュトゥルムアングリフの格好は課金でしか入手できない高級感あふれるタキシード。この三人の中で一番気合いが入っているというか、明らかに浮いていた。
『早く! 凛ちゃんも褒めてもらえるの待ってるよ!』
女子を褒めるとか恥ずかしすぎるだろ……。しかし胡桃坂さんは俺たちのためにこのような機会を作ってこれたのだ。それに少しでも報いたい。
俺はスーッと息を吸い込み、口を開く。
「……きょ、きょきょ今日のリン、いつにも増してかわ、可愛いですっ」
―――――――終わった。
盛大に噛みまくった。もう自分で何を言ったのかも分からない。
絶望感と羞恥で顔を覆っていると、凛香の優しい声が聞こえてくる。
「ありがとうカズ。そう言ってもらえてとても嬉しいわ。見た目を褒めてくれたのは初めてのことじゃないかしら」
それは慰めとかではなく、心の底から紡がれた本音に聞こえた。
思えば俺は凛香を容姿で褒めたことがない。
それは、妻という立場からすればとても悲しいことではないだろうか。
実際はどうであれ、凛香は夫婦のつもりでいるのだから……。
デートは始まったばかりだが、胡桃坂さんは大切なことを気づかせてくれた。
感謝を忘れず、次からも指示に従おう…………!
『カズくん! 次のミッションだよ! 凛ちゃんに壁ドンして、キスして!』
『無理ですけど!? てかそんな機能ありません!』
『そこは気合いだよ! 早くキス!』
『無茶苦茶な!』
褒めた矢先にこれである。やはり胡桃坂さんは胡桃坂さんだった。
「奈々がデートプランを考えてくれたのよね?」
「うん! 二人のために徹夜して考えたよ!」
「そこまでしてくれたのは嬉しいわ。けど、奈々はデートをしたことがないでしょう? 大丈夫なのかしら」
「大丈夫だよ! 私、恋愛のエキスパートだから!」
画面内のシュトゥルムアングリフが胸を張り、ふんっ!と鼻息を荒く吐き出す。いやだめだろこれ、絶対に任せたらだめな人じゃん。
「ちょっと不安だわ…………」
「ふふん、私に任せなさい! スター☆まいんずのリーダーの誇りにかけて、二人には最高にドキドキするデートを経験させてあげるから!」
その自信の源はどこにあるのだろうか。俺は期待半分不安半分の中、意気揚々と歩き出すシュトゥルムアングリフの背中を追いかけるのだった。
☆
まず胡桃坂さんに案内された場所は黒い平原内で最も高いとされる山の頂上だった。ここはストーリーに一切絡んでこない場所な上にサブクエストが発生する場所でもない。いわゆる観光目的の場所だ。
グラフィックが優れた黒い平原だからこそ実現できる澄み渡った綺麗な青空、遠くまで広がる緑の平原。スクショするには最適な光景だ。ネット上でもかなり評価されている観光名所だ。
「すごいでしょここ! 黒い平原のおすすめデートスポットなんだって!」
「ええ、素晴らしい景色ね。何度眺めても感動するわ」
「あれ? 凛ちゃん、ここに来たことがあるの?」
「もちろん、何度もカズと来たわ」
「なーんだ! すでに二人はデートしてたんだ!」
「デート……でないわね」
「んえ?」
意味深な凛香のセリフに胡桃坂さんが反応したその時、巨大な影が俺たちを覆った。太陽が遮られ周囲が暗くなる。さらには緊張感を煽るような戦闘BGMが流れ始めた。
「来たわ!」
「なになに!? 来たの!?」
「上よ!」
凛香の鋭い声に合わせて、マウスを操作して視点を上に向ける。上空には山のように大きな赤い大鷲がヒューっと弧を描くように旋回していた。そう、あれは――――。
「ワールドボスよ!」
「わーるどぼす? なんなのそれ? あの子可愛いね」
「来るわよ! 回避して!」
「え――――?」
ワールドボスの翼が神々しく輝いた次の瞬間、両翼から大剣の形をした無数の羽が放たれる。雨のように降ってくるその攻撃を、リンとカズはすかさず安全地帯となる大木の後ろに移動した。これは初見殺し、回避方法を知っておかなければ絶対に死ぬ攻撃である。当然ながら胡桃坂さんは知らないので――――。
「わわっ! シュトゥルムアングリフー!」
ガガガガガガッ!とすさまじい勢いで何枚もの羽を浴び、シュトゥルムアングリフは顔面からあっさりと倒れて沈んだ。チャット欄には『パーティーメンバー:シュトゥルムアングリフさんが倒れました』と表示される。中々酷い話だ……。
「こんなのデートじゃないよ!」
「奈々はネットで調べたのかしら。用心しなさい……平然とウソをつく人がたくさんいるから」
「もう! なんでこうなるのー!」
胡桃坂さんの悲鳴に合わせ、ワールドボスが「ぎゃぴーーー!」と甲高い鳴き声を上げた。
☆
それからも胡桃坂さんの案内で絶景巡りをする。黒い平原には意図的に作られた絶景スポットがあるのだ。おまけにアバターのモーションから演出が可能なスクリーンショット機能まで充実している。世界観にとことんハマらせてくれる素晴らしい遊び方だろう。
世界に跋扈するモンスターたちと戦いながら次々と絶景を見て回り、有意義な時間を過ごす。リアルでは絶対に不可能な行動だからこそ、より一層楽しめるのだろう。
「凛香お姉ちゃんー! おかあさんが呼んでるよー!」
乃々愛ちゃんの可愛らしい呼び声が、凛香のマイクを通じて聞こえてくる。すぐに反応した凛香は「ごめんなさい。少し離れるわ」と言うと、マイクをミュート設定にして沈黙した。リンもピタッと静止する。離席だ。
胡桃坂さんと二人きりになり、さてどうしたものかと頭を悩ませる。
「カズくーん。どうかな? 凛ちゃんへの好意、自覚できた?」
「いや普通に楽しんでて……自覚するまでの段階になってない」
「そんなぁ……。ちょっと自信なくなってくるかも。憧れの気持ちだけだったのかなぁ」
悲しそうにする胡桃坂さんにリンクして、シュトゥルムアングリフも両肩をガックリと落とす。申し訳なく思うが、ここでウソをついて仕方ない。俺は今まで同じく、リンと過ごす時間を楽しんでいただけだった。
「カズくん。一つだけ聞いてもいいかな?」
「いいよ」
「ネトゲの凛ちゃんのこと、どう思ってる?」
「ネトゲの凛香か……」
「うん。カズくんはアイドルの凛ちゃんをすごく尊敬して、憧れているんだよね? ならネトゲの凛ちゃんにはどんな思いがあるのか気になったの。二人にとってネトゲの世界は純粋に心を通わせることができる世界なんでしょ?」
「まあ、そうだな……」
俺はそこまで深く考えていないが、否定する気も起きない。誰がそう言うなら相槌を打つ程度。
「フレンド、みたいな関係の話じゃなくてね、ネトゲの凛ちゃんをどう思っているのか聞きたいなぁ」
「うーん……ずっと一緒にいたい存在……かな」
「え?」
「え?」
「「…………」」
何か変なことを言ってしまったのだろうか……?
謎の沈黙が流れ、気まずい空気が漂い始める。
「カズくん……その、ね? ネトゲの凛ちゃんと一緒にいて……ドキドキしたりする?」
「する。でも嫌な感じではないんだよなー。心地よいドキドキ感というか、一緒に居て満たされる感じかな」
「……」
「ま、俺とリンは結婚するほど仲がいいしな。やっぱり他のフレンドと比べてもリンは特別な存在だよ」
「カズくん……」
「ん、なに?」
「それを……」
「それを?」
「それを、好きって言うんだよーーーーー!」
「え、え?」
突如叫ばれ、耳がキーンとする。俺は一体に何を叫ばれたのか。その言葉の意味を理解し、今度は混乱する。
「あーもう! 最初にネトゲの凛ちゃんをどう思っているのか聞いておけばよかった! 無駄な遠回りをした気分だよ!」
「えーと、胡桃坂さん?」
「無自覚! 無自覚で好きなんだよ! カズくんの鈍感!」
「いやいや! 好きとかじゃないだろ……。仲のいいフレンドだって」
「それなら凛ちゃん以外のフレンド結婚したいって思える?」
「ない」
「でしょ!? そういうことだよ!」
「違うって。リンぐらい仲のいいフレンドが他にいないだけだ」
「だからそれを特別な人って呼ぶの! この無自覚カズくん!」
凄まじいでツッコミを入れてくる胡桃坂さん。こちらに有無を言わせない迫力があった。
「俺……凛香のことが好きだったのか……!」
「すごいねカズくん! ネトゲでもリアルでも同じ人を好きになってる! くはーっ、尊い!」
興奮して身悶えしてそうな声を発する胡桃坂さん。なんなら鼻血まで出していそうだ。
「ただいま。戻ったわ」
――――――ッ!
その声を聞いた瞬間、バクンと心臓が跳ねた。
「おかえり凛ちゃん」
「遅くなってごめんなさい。さ、次はどこに行こうかしら」
「いえ、どこにも行きません! 行く必要がありません!」
「……どういうこと?」
戸惑う凛香に対し、胡桃坂さんは元気よく宣言する。
「凛ちゃん! 目的は達成されました! 百点満点です!」
「ごめんなさい。言っている意味がわからないわ。ちゃんと説明して」
「やだなぁ凛ちゃん。私から言うなんて野暮だよ~」
「これは面倒くさい奈々ね。カズ、どういう意味か説明してもらえる?」
「………………んえ?」
「カズ、どうしたの? 様子が変よ?」
凛香が心配してくれるが、俺は何も言えないでいた。やけに緊張して口を開けないでいる。マウスを握りしめて固まっていた。
「よし! 今日は解散しよっか!」
「まだもう少し時間があるわよ?」
「いいの! 目的は達成されたので!」
「だからその意味がわからないのよ。私はもっと遊びたいわ」
「カズくんに時間をあげてください!」
「……カズに時間? ねえカズ、なにかあったの?」
「………………真実にたどりついた」
「え?」
「はい! というわけで解散! また明日、学校でね!」
そうゴリ押しで締めくくった胡桃坂さんは勢いに任せてログアウトする。困惑する凛香と固まる俺の二人が残された。
「カズ……? これ、何の冗談かしら」
「リン、また明日……」
「え、ええ………………?」
説明を求めてくる凛香を残し、俺もログアウトする。色々整理したいのだ、自分の感情について。
「……俺、凛香のことが好きだったのか」
冷静に考えれば分かることだった。そもそも俺はアイドルに興味がなかった。凛香を見てからアイドルに興味を持ったのだ。……いや違うな。アイドル活動に励む凛香を応援していたにすぎない。
不思議なことに。
これまでかみ合わなかった歯車が、かちりと噛み合うような手ごたえを感じた。




