第二十一話
ゆっくり瞼を開ければ見慣れた天井が視界に映り込む。
俺は自室のベッドで目を覚ましていた。
「お、凛香からだ」
スマホに凛香からのメールが届く。
内容は『おはよう』から始まる至って普通のモーニングメールだった。
しかし今回は嬉しいオマケがついている。
満面の笑みを浮かべる乃々愛ちゃんと凛香のツーショット画像が添付されていた。
「か、可愛い! まじ尊い……!」
よし、待ち受けにしよう。
まあ凛香の顔が、笑顔に失敗したような変な感じになっているけど、気にしないでおこう。
ネトゲの嫁が水樹凛香と判明して、既に一ヶ月が経過している。
著しく変化した日常にも慣れ始めた頃合いだ。
平和な日々を送れているということになる。
このまま何事もなく過ごせればいいんだけど……。
ま、ネトゲの嫁が人気アイドルというビッグイベント以上のことが、この先起きるとは思えないけどな。
□
朝のホームルームまでの待ち時間。
自席で大人しくしている俺は、前列の席に座る凛香の背中を見つめた。
いつものように本を読んでいる様子。
相変わらず綺麗な姿勢をしており、ぴしっと背筋が伸びている。
背中に垂れた髪の毛は実に艷やかで、見ているだけで惚れ惚れとさせられた。
……俺、あの美少女に好意を持たれているんだよなぁ。
改めて考えると凄い事実である。
凛香の背中を眺めながら考え事をしていると、
ズボンのポケットから微振動を感じた。
スマホだ。取り出して確認する。胡桃坂さんからチャットが来ていた。
『今日の昼休み、お話したいことがあります。一人で屋上の踊り場に来てください』
……何の話だろうか。俺は『了解』と返事を送り、スマホをポケットに放り込む。
胡桃坂さんの用件は大体予想がつく。
きっと、俺と凛香の仲良し大作戦とか、そんな話だろ。
あとは……どこまで関係が進んだとか聞かれそうだな。
これまでもチャットで何度か聞かれていたけど、すべて曖昧に濁した返事をしていた。
それにしびれを切らした胡桃坂さんはリアルで問い詰めることにしたのだろう。
先日も『カズくんと凛ちゃんが何も教えてくれない~』と嘆いていたしな。
「……」
一応、胡桃坂さんと昼休みに会うことを凛香にも報告しておくか。
以前みたいに浮気を疑われては胃に穴があいてしまう。
☆
何事もなく迎えた昼休み。
胡桃坂さんの呼び出しに応じて、屋上の踊り場にやって来る。
その直後、階段を上る足音が聞こえてきた。
「あ、カズくん。ごめんね。またせた?」
「いや、俺もついさっき来たところだ」
朗らかな笑みを浮かべた胡桃坂さんが現れた。ほんのり汗を掻いている。彼女もまた急いで来たらしい。
「俺たちが会うことを凛香に伝えたんだが、良かったか?」
「うん、いいよ。私も凛ちゃんに怒られるのは怖いし」
何度か経験していそうな言い方だな。
早速とばかりに胡桃坂さんが尋ねてくる。
「というわけでカズくん。凛ちゃんとはどこまで進んだの? 二人とも全然教えてくれないから凄く気になるんだけどっ!」
「スマホでも言ったけど、そこそこだよ」
「そこそこってなに!? テキトーすぎだよカズくん!」
余程俺たちの関係を知りたいらしい。興奮した様子で詰め寄ってくる。
「先週、凛ちゃんの家に行ったんでしょ?」
「なんで知ってるんだ?」
「香澄さんから報告がありましたっ!」
まじか。二人に接点があったとは……。いや、あってもおかしくないか。凛香と胡桃坂さんは昔からの付き合いらしいし、胡桃坂さんと香澄さんが仲良くしていても変じゃない。
「なら香澄さんに聞いたらいいと思うんだけど……」
「えー、どうせだったら本人から聞きたいと思わない?」
「その気持ちも分からなくはないけどな……。俺から言うのは恥ずかしい」
「私はカズくんと凛ちゃんの仲良し大作戦を指揮する者として、二人の関係を把握しておかなければならないのです! さあ喋っちゃいなさいっ!」
「めっちゃノリノリじゃん……」
女子は他人の恋愛事情が大好物と聞くが、それは大人気アイドルの胡桃坂奈々も例外ではないようだ。
俺は水樹家での一日を語ることにする。
妹の乃々愛ちゃんから始まり、姉の香澄さんに絡まれたことや、酔っ払ったお母さんが帰ってきたこと。
なによりも忘れてはならないのが、幹雄パパの存在である。
幹雄パパは良くも悪くも強烈な印象を残していった。
結局幹雄パパは俺に何を伝えたかったのだろう。
俺が話し終えると、それまでフムフムと楽しげに頷いていた胡桃坂さんが、真顔で言葉を発する。
「もう家族公認だね。それで二人はまだ付き合ってないの?」
「うぐっ」
「カズくんは凛ちゃんを女の子として見れないとか?」
「そ、そんなことはない」
凄く魅力的な女の子として見ている。
たとえ現実でも嫁として振る舞おうとする、ちょっとアレな女の子だったとしても。
「二人はデートしたの?」
「……してないな。まだ正式に付き合ってるわけじゃないし」
「だとしても一度くらい遊びに行ってもいいんじゃない?」
「ネトゲではしょっちゅう二人で遊んでるぞ」
「そういうことじゃないよ。……私の言ってること、わかるよね?」
「……はい」
ちょっぴり眉を寄せて凄んでくる胡桃坂さん。
しかし元の顔が可愛すぎるせいで、怖さを感じるどころか萌えを感じてしまう。
なんていうか、ちっちゃなリスが一生懸命威嚇してるようなイメージ。
「よし決めたよ。まずはネトゲでデートしてみよっか!」
「ネトゲで、か。それなら…………うーん」
「何か気になることでも?」
世間にバレるリスクはない。ただし、デートを意識して俺が挙動不審になりそうだ。
「緊張してまともに話せなくなりそう。俺、ネトゲ廃人だからな」
「あはは…………逆にね、ネトゲだから話せるってことはないの?」
「あるけど、デートとなると異次元の話にも感じる」
「…………じゃあ、任せて! 二人のデートが上手くいくように私がフォローするから!」
胸を張って自信げに応える胡桃坂さん。ちょっと不安に感じる。
「……胡桃坂さんって、男子と遊びに行ったことあるの?」
「ないよ?」
「えぇ……」
未経験の人にフォローができるとは思えない。
半信半疑になっていると、こちらの内心を悟ったらしい胡桃坂さんが慌てて弁明してくる。
「だ、大丈夫だよ! 私、恋愛ドラマや恋愛映画を沢山観てるから! ラブコメのアニメだって好きだよ!」
「……それで?」
「そのー、経験はないけど知識は豊富だと…………思ってます」
「その知識、現実に応用できるの?」
「で、できるよ、多分。……この間も男の子同士が仲良くするゲームを一晩でクリアできたし」
「それBLゲームじゃね? 一切参考にならないだろ。しかも一晩でクリアとか、徹夜してやり込んでるよね?」
まさかの胡桃坂さん、そっち系説。
いや別にいいけども。趣味は人それぞれだし。
けどそんな情報、公式プロフィールには書かれていない。隠しているのか?
「わ、私のことはいいんだよ。カズくんは凛ちゃんの気持ちに応えるために頑張るんでしょ? リアルでも凛ちゃんと向き合いたいって言ってたよね?」
「……い、言いましたねぇ」
「じゃあデートくらいしてもいいんじゃない?」
反撃とばかりに逃げ道を潰してくる胡桃坂さん。
なんと恐ろしいアイドルだ。自分の趣味を誤魔化すためなのか、はたまた親友である凛香のためなのか、グイグイ攻めてきやがる。
……いや、俺がウジウジしているのがダメなんだよな。
これだけ周囲からお膳立てをされても未だに決断を下せないでいるのだから……。
「あまり難しく考えなくてもいいと思うよ。凛ちゃんと楽しく遊ぶ、そういう軽い気持ちでも嫌かな?」
「嫌……じゃないです」
「良かったぁ。……でも、まだ何か悩んでる感じだよね?」
半ば確信したように胡桃坂さんは尋ねてくる。その通りだ。
「まだはっきり分からないんだ。凛香への気持ちが好意なのか憧れなのか……」
「ふむふむ……やっぱりそれならネトゲデートしようよ! それではっきりするかもしれないよ?」
「…………そう、だな。うん分かった」
頷き、今度こそ承諾する。胡桃坂さんは安心したように笑みを浮かべた後、ふっと思い出しようにスマホを手に取った。
「あ、もう時間がギリギリだね。教室に戻らないと」
「そうだな」
「じゃあ休日を見つけたら連絡するねっ!」
胡桃坂さんは安堵の笑みを浮かべると、俺に手を振ってから階段を降りていった。
壁に反響する軽快な足音が遠ざかっていく。
本当にエネルギッシュな女の子だな。
世話焼きというか、目標に真っ直ぐというか……。
「どうして胡桃坂さんは凛香のために頑張るんだろう」
ただのお節介ではない。
以前も凛香の幸せを望んでいると言っていた。
だが友達としてではなく、もっと深い感情から発せられた言葉な気がする。
まあ考えても分かることじゃない。
今考えるべきことは、『デート』という俺には無縁そうなリア充イベントについてだろう。
「ネトゲでデート……。何をすればいいんだろうな?」




