第十九話
「いやー、和斗くんは面白い子だねー!」
「そ、そうですかね?」
「うんうん。一緒に話をしていて楽しいよ」
彼女たちの母親の帰りを待つ間、俺は香澄さんと乃々愛ちゃんの相手をさせられていた。
リビングで寛ぎながら香澄さんの会話相手となり、じゃれてくる乃々愛ちゃんの遊び相手となる……。
気を遣わされるし色々と大変だ。
凛香はキッチンに立ち晩飯を作っていた。
髪の毛をポニーテールにしてエプロンを着けている。
ここから後ろ姿を確認できるが、眺めているだけでグッと胸にくるものがあった。
「えー、なになに、凛香に見惚れてる?」
「ま、まぁ……はい」
否定するのも失礼だよな、と思い曖昧に首肯する。
いや実際に可愛い。
クール系アイドルの家庭的な姿を見た一般人は俺が初めてだろう。
「今日はカレーなんだって! 和斗お兄ちゃんはカレー好き?」
「好きだよ。……いててっ」
乃々愛ちゃんに前髪を軽く引っ張られた。
若ハゲになったらどうしてくれるんだ。
「今日のカレーは甘口だよ」
「そうなんだ。甘口を食べるのは何年ぶりだろう。乃々愛ちゃんに合わせて甘口にしているのかな」
「ううん、違うよ。私は激辛が大好きだもん」
「すげぇ小学生だな、味覚がイカれるぞ。……え、じゃあ香澄さんのために甘口?」
「ははは、和斗ボーイ。この私が甘口なんぞで満足できると思うかい?」
「ボーイってなんだよ。……いえ、俺のイメージだと香澄さんは辛口ですね」
「でーしょ? つまり甘口な理由は……」
「凛香?」
「正解!」
い、意外だ。あの凛香が甘口派とは……。
激辛を食べてもケロッとしてそうなイメージだったのに。
「凛香お姉ちゃんは辛いのが苦手なんだよ! 昨日もね、うどんに付いてる唐辛子を舐めただけで泣いてたもん!」
「本当に苦手なんだな。うどんに付いてるアレって刺激が弱めのやつだろ」
なんだろ、凛香の意外な一面を知れて少し嬉しく思う自分がいる。
なぜか勝ち組になれた気分だ。
「私達としてはさ、辛いもんを食いたいわけよ。でも料理できるのは凛香だけだから逆らえないってわけ」
「へぇ。香澄さんは料理が苦手なんですか?」
「うん、むりむり! ついこの間も、ゆで卵を作ろうと思って電子レンジでチンしたら爆発したからねー。あははは」
「わーい! 爆発爆発~!」
「それ笑い事じゃないでしょ。深刻な問題ですよ、マジで」
ネトゲで言ったら、数週間かけて強化値を上げたメイン武器を間違えて売却するくらいの凡ミスかつ最悪の失態である。
今の時代、卵をチンしたらダメなのは常識だろうに。
「和斗ボーイ。この言葉を覚えておくといい」
「……なんですか?」
対面に座る香澄さんがニヤリと笑って顔を寄せてくる。
「人生は――――爆発だ」
「それを言うなら芸術は爆発でしょ? 人生が爆発したら何もかもお終いじゃねえか」
もしこの場に斎藤がいたら、こう言うだろう。
僕の計算によると、水樹一家がクレイジーな確率は1,000%だね!
ケラケラと笑う香澄さんを半目で眺めていると、ガチャッと玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
お母様のご帰宅だ。
「お母さんだぁ!」
トテトテと嬉しそうに乃々愛ちゃんが駆けていく。
可愛すぎかよ。
高校生だけど娘が欲しくなってくる。
そして乃々愛ちゃんに引き連れられ、ついに登場した凛香の母親は――――。
「ぶはぁああ。あー、ヤバいヤバい。床がメッチャ揺れてるんですけどー」
……物凄く酔っ払っていた。
顔を真っ赤に染めた凛香の母親は、フラフラと千鳥足になっている。
そう言えば香澄さんが言っていたなぁ。
友達と少し飲んでから帰宅すると。
……これ、少しなのか?
「ちょっとお母さん。恥ずかしいからしっかりして」
「あはー、ごめんね凛香ー」
キッチンから駆けつけてきた凛香にコップを渡され、水を一気飲みする母親。
……この気持ちはなんだろう。
上手く言えないが全然イメージと違う。
あの凛香を育てた母親だぞ?
もっと厳格なイメージを抱いていた。
いや乃々愛ちゃんや香澄さんの性格を考えてみると、むしろ厳格な方がおかしいか。
ということはクール系に育った凛香が異端?
でもリンの方なら違和感がないよな。
「きーみーがぁ、綾小路……和斗くんねぇええ?」
「は、はいぃ」
呂律が回っていない。
凛香のお母さんが酒の匂いをプンプンさせながら近寄ってくる。
さらに俺の顔を両手でムギュッと掴んできた。
「あららぁ。可愛い顔をしてるぅ。ジャニーズの子?」
「ち、違います」
「本当に? 勿体ないわねぇ。今から応募してみたら?」
何を言っているんだこの人は。
酔っ払いすぎだろ。
「ほらお母さん。和斗くんに迷惑をかけないで」
「んぅ凛香ぁ」
凛香に引きずられてソファに座らされる母親。
とても人気アイドルの娘を持つ女性には見えなかった。
「くふふ、意外だったでしょ和斗ボーイ」
「そうっすね。……あとボーイってなんですか」
「うちのお母さん、普段は恐ろしいくらい真面目なんだけど、少しでもアルコールが入ると別人みたいになっちゃうのよ」
「そ、そうなんですね……」
普段はどんな感じなんだろう。
ソファで凛香に介抱されている姿を見ていると、とても普段が真面目な人には思えなかった。
なんとなく彼女たちの傍観を続ける。
凛香は母親と何かしらの会話を交わし、なぜか俺の方に歩み寄ってくる。
「あの和斗くん。お母さんからこれを渡して欲しいと言われたのだけれど」
「え?」
どこかためらいがちに凛香がスマホを差し出してくる。
俺は自然な流れで受け取った。
すぐに後悔する。
スマホはビデオ通話になっており、画面に映し出されていたのは、メガネをかけた堅物そうな男性だった。
この人が誰なのかは想像に難くない。
「こんばんは。君が綾小路和斗くんだね。私は凛香の父親、水樹幹雄です」
「……こんばんは」
怒涛のラッシュかよ。
妹→姉→母親→父親。
水樹一家のフルコースじゃん。
今日一日で制覇しちまった。
「このような形での挨拶となって申し訳ない。仕事で帰れなくてね」
「い、いえいえ」
できればスマホ越しでも会いたくなかったです。
「聞けば凛香とお付き合いをしているとか……」
「あ、あの、その……。それは少し誤解がありまして……」
「誤解?」
メガネをクイッと持ち上げ、重い声音を発する幹雄パパ。
プレッシャーが半端ない。
こんな展開になるなら無理やり帰宅していたぞ。
「実はその、凛香さんとはネトゲでのお付き合いでして……。リアルにおいては最近交流を始めた友達(?)みたいな関係です」
すべて正直に告白する。
なんやかんやと流されてここまで来てしまったが、さすがに父親にはハッキリと言ったほうがいい。
一番怖い存在だからこそ正直に話すべきだ。
たとえ軽蔑されようとも……。
「綾小路くん」
「……はい」
「つまりは、私の家族が勝手に盛り上がってるだけだと、そう言いたいのかね?」
「ご、ごめんなさい! そ、その……そんな感じです!」
あながち間違ってない表現だった。
ていうか事実だった。
「……」
「……」
重い沈黙が漂う。
幹雄パパは自分の顎に手を添えて考える素振りを見せた。
「……綾小路くん」
「は、はい」
「君の事情は理解した。恐らく私の予測は正しいだろう」
「……?」
どういう意味だろうか。
俺は幹雄パパの言葉に耳を傾ける。
「綾小路くん。私もかつては通った道だ」
「え、えと?」
「頑張りなさい」
「ど、どういう意味ですか!? なんか達観した目をしていらっしゃいますけど!」
「先駆者からのアドバイスを送ろう。あえて出張の多い仕事を選びなさい」
「は!?」
謎の重みがある声音で幹雄パパが言ってくる。
何から何まで意味が分からん。
「妻とは愛おしい存在だ。しかし毎日四六時中ベッタリされると疲れる。朝になっても疲れが抜けない」
「だから何の話だよ! 意味が分かりませんってば!」
「愛は時に人を修羅の道に追い込む…………今の言葉を胸に刻みなさい」
「ちょ、」
ツー、ツー。
ビデオ通話が終了した。
「……」
なんでどいつもこいつも俺の言葉を無視して中途半端に通話を切るんだよ。
「幹雄パパ……あなたに一体何があったんですか?」
水樹一家の闇を垣間見た瞬間だったかもしれない。
恐らく彼は凛香の母親と何かあったのだ。
その何かとは昔から続いているもので、今も変わらないもの。
幹雄パパは短い電話で、俺に何かを警告していた。
「もういいかしら和斗くん」
「あ、あぁ」
なぜか震えが止まらない右手でスマホを凛香に返却する。
俺は、ひょっとしたら既に抜けることのできない底なし沼にハマっているのかもしれない。
そう、ログアウトが消えたデスゲームに迷い込んだかのように……。
「どうしたの和斗くん?」
「いや……」
これが外堀を埋められた、というやつなんだろうな。
きっと幹雄パパも同じような目に…………!
俺は「あはは、何もないよー」と乾いた笑いを漏らすしかなかった。




