第十二話
朝。自宅のベッドで目を覚ます。
カーテンの隙間から差し込む朝日を認めた俺は、おもむろに枕元に置いていたスマホを手にとった。メールが二件来ている。どちらとも差出人は水樹さん。
朝からメールが送られてきたのは初めてだ。昨晩のことを思い出し、なんとなく嫌な予感がした。恐怖と緊張で震える指を動かし、画面をタップして内容を確認。
『おはよう和斗くん。今日も良い天気ね。遅刻したらダメよ?』
……普通だな。いや人気アイドルからモーニングメールを貰えるとか普通じゃないけどさ。
ともかく内容は至ってまとも。続いて二件目を確認。
『好きよ、和斗くん』
「っ! な、なな……なっ……!」
ストレート過ぎるだろ! 眠気が一気に吹き飛んだ。
なるほど、これがモーニングメールの力か……!
「こういうこと、今までしなかったのにな……。昨日の出来事が原因なのか?」
水樹さんの中で何かしらのスイッチがオンになったのかもしれない。
ともかく朝から心臓に悪かった。
「返信……どうしよ」
俺も『好きだよ』と返信する?
「いや無理無理! 恥ずかしいって!」
ていうか俺は水樹さんのことが好きなのか分からない。
憧れや尊敬といった感情を抱いていただけだ。
でも、それが恋愛感情かと言われると、また首を傾げてしまうところで……。
「……とりあえず、おはよう今日も良い天気だな、と返しておくか」
リンの正体を知った日から、とんでもないイベントが連続で襲いかかってくる。
目まぐるしく変化する日常のせいで、頭と心の整理がついていなかった。
□
「うーす綾小路」
「おはよう綾小路くん」
登校して席につくと、早速二人が話しかけてきた。
二人とも何かを聞きたそうな期待に満ちた表情をしている。
「おはよう……。で、なに?」
「おいおいテンション低いじゃねえか。……水樹とどうなった?」
やはり本題はそれか。
斎藤もメガネの奥にある瞳を輝かせて俺を見ている。
「どうって……。どうなんだろうな」
何から説明していいものやら。思わず曖昧に答えてしまう。
簡単に説明するなら、水樹さんは俺に好意を抱くどころか嫁のつもりでした、が正解だ。
すごく簡単な説明。
しかし、その簡単な説明をするには精神的な覚悟が必要となってくる。
俺が口を閉ざしていると、橘が目を細めて断言してきた。
「さては綾小路……振られたな!?」
「え?」
「名前呼びチャレンジ失敗したんだろ!?」
「いや、まだ名前呼びチャレンジしてないけど……」
「待ってくれ綾小路くん! まさか名前呼びチャレンジする前に振られたというのかい!?」
そんなバカな! と言いたげに荒ぶる斎藤。
……あと俺も使っておいて何だけど、名前呼びチャレンジってなんだよ。
「まあ、その……悪かったな綾小路。俺ら、本気で水樹は綾小路のことが好きだと思っていたんだけどよ……」
「そうだね。僕からも謝るよ……本当にごめん」
先程までの元気な威勢を霧散させ、申し訳無さそうに二人が謝罪してくる。
逆の意味で誤解されてしまった。
「あれだけ期待させられた後に水樹に振られたんだ、そりゃテンションも下がるよな」
「いや、そうじゃないんだ。多分、説明しても信じてくれないと言うか……俺も上手く言えないんだけどさ……」
「無理しなくていいよ綾小路くん。せめてのお詫びとして、僕が中学の頃から集めてきたラノベを何冊かプレゼントしよう」
「お、それなら俺はピーマンを三個やろう」
「なんだって!? それなら僕はナスを五個あげよう!」
「じゃあ七個!」「十個!」「十二個!」「二十個!」「百個!」
「八百屋さんか!? 野菜を集め過ぎなんだよお前ら!」
ほんと、こいつらは……!
俺が冷めた目つきで彼らを凝視していると、何だか優しい表情を浮かべた橘と斎藤が俺の肩に手を置いてきた。
「やっと、本来の綾小路になってきたな」
「は?」
「僕の計算によると、綾小路くんが元気になった確率は97%。さっきのキレのいいツッコミが何よりの証拠だよ」
……どうしたと言うんだ、彼らは。
まさか俺を励ますために小学生みたいな悪ノリをしたとでも言うのか?
「冷静に考えてみればよ、水樹みたいな人気アイドルがネトゲ廃人の綾小路を好きになるわけがねえ」
「だね。僕の計算によると、水樹さんは綾小路くんを珍しい動物として見ていた可能性が79%もある。決して恋愛感情からのものではなかったんだ」
「お前ら好き放題言いすぎだろ。……あー、分かった。言う、言ってやるよ」
ここまでバカにされては真実を言うしかない。
橘と斎藤が耳を傾けてきたので、本当のことを言ってやる。
「水樹さんはな……。リアルでも俺のお嫁さんのつもりでいたんだ」
「「は?」」
目が点になるとは、まさにこのことか。
間抜けな声を漏らした二人が、互いの顔に視線を走らせてパチパチと瞬きする。
そして……。
「ぶ、ぶあはははは! そりゃないぜ綾小路! いくらなんでも妄想が酷すぎ! ぶあははは!」
「ぶふっ! あ、綾小路くん! いくら何でも……ぶふっ!」
「……」
ぎゃはは、と腹を抱えて笑う二人の男友達。
信じてもらえないとは思っていたけど、ここまで笑われるとはな。
ま、普通はそうか。
人気アイドルの水樹凛香が、ネトゲ廃人に好意を抱くどころか、嫁のつもりでいるなんてさ……。
「ふー。こんなに笑わせてもらったのは月曜日以来だぜ」
「そうだね。……何だか笑ったらトイレに行きたくなったよ」
「おー俺もだわ。綾小路も一緒に行くか?」
「行くわけねえだろ」
これだけ笑われて連れションに行けるかわけがない。
愉快げな二人が教室から出ていくのを椅子に座りながら見送る。
「……たくっ」
こっちは真剣なのにな。あの二人には今後二度と相談しないと決める。
暇つぶしにとスマホを取り出したところで、水樹さんからメッセージが届いていることに気づく。
『和斗くん。今日のお昼ご飯、どんな感じかしら』
『ゆで卵だけど……』
『やっぱりそうなのね。実は和斗くんのお弁当を作ってきたの』
なんだと……!? あの人気アイドルの手作り弁当!?
『妻として夫の健康管理をするのは当然だもの』
…………やはりそうでしたか。
『今日の昼休み。誰にも見つからないように旧校舎に来てもらえる?』
『あのー拒否権は?』
『酷い旦那ね。妻が昼を一緒に過ごしたいと願っているのに、それを断わるつもりなのかしら?』
『ごめんなさい妻って誰のことですか?』
『私のことに決まっているでしょ? これは何を意図にした質問かしら』
意図もくそもない。心からの疑問だ。ただ、そう言えないプレッシャーを文字から感じた。
『世間的な問題で私たちは堂々と一緒に過ごせない……。ならせめて、僅かな時間を利用してコッソリと会いたいの。ダメ、かしら?』
寂しげなものを感じ、ふと顔をあげて水樹さんの背中を見つめる。いつもはピシッと伸びている背筋が、どこか落ち込んだように丸まっていた。
『……行きます』
『良かったわ。これほど昼休みが待ち遠しくなるのは初めてね』
こうして俺たちのやり取りは平和的に終えた。
しかし水樹さんが、なぁ…………。こんなにも変わった女の子だとは思わなかった。
どのように俺は振る舞えばいいのか、全く分からない。
「リアルとネトゲは別…………そう一方的に突き放すのも違うよなぁ」
『カズ』を心の支えにしていたと水樹さんは言っていた。俺がリアルとネトゲは別だと言うことは、水樹さんからすれば拒絶になりかねない。下手に常識を語るのは良くないだろう。
「じゃあこのまま夫婦として…………? まじかー」
嬉しさよりも、やはり困惑の方が圧倒的に勝っていた。




