第十一話
現在の時刻は21:24。もうじき水樹さんから電話がかかってくる時間だ。
「……」
落ち着きなく、この狭い自室内をグルグルと歩き回る。
胡桃坂さんとの一件を伏せた上で、水樹さんを納得させる方法なんてあるのだろうか。
そもそも水樹さんにウソをつきたくない。
こんなことになるなら胡桃坂さんの話を断っておけばよかった。
まあ誰もこんな展開は予想できなかっただろうけど……。
「俺、なんでこんなに焦っているんだ……?」
自分でもよく分からない。
しかし水樹さんには変な解釈をされたくないと思っている。
俺が頭を抱えてウロウロしていると、パソコンデスクに置かれたスマートフォンが鳴った。
電話だ。水樹さんだ。
僅かな逡巡の後にスマホを手に取る。
着信のボタンをタップして電話を繋いだ。
「こんばんは和斗くん」
「こ、こんばんは……」
いつもと変わらない水樹さんの声だった。
物音一つしない静かな自室で会話に集中する。
「今日のことだけども……キツイ言い方をしてごめんなさい」
「え、いや……」
いきなり謝られて驚く。予想外だ。
もっとすごい勢いで責められると予想していた。
「どうしても和斗くんの行動が気になってしまうの。誰とどこで何をしているのか……。もちろん和斗くんを信じているのだけれど、この不安はどうしても拭えない……。分かるかしら?」
「えーと、多分」
「和斗くんは素敵な男の子だから、様々な女性に言い寄られるのは理解している。だからこそ不安になってしまうの」
「不安?」
「ええ。私以外の女性に走っちゃうんじゃないか、てね」
私以外の女性に走る?
まるで俺と水樹さんが付き合ってるみたいな喋り方をするんだな。
「分かってるの。和斗くんはモテるでしょうから色んな女性に言い寄られるのよね」
「いやいや、全然モテませんから! なんなら女子生徒と話したこと今までなかったから!」
自分で言っていて悲しくなった。
人生を振り返ってみると、女子の連絡先を手に入れたのは水樹さんが初めてだった。
二番目は胡桃坂さんである。
……これはこれで結構凄くないか?
「本当に? にわかに信じられないわね。和斗くんがモテないなんて異常事態よ」
「普通のことなんだよなぁ。俺、ただのゲーマーだし……」
「そういうことね。なら仕方ないかもしれないわ」
「仕方ない?」
「ええ。今の時代は生きる上で余計な情報が多すぎるもの。インターネットが普及したり、世の中のルールが増えたせいもあるのかしら。アイドルをしている私が言うのはおかしいけど、自然体に振る舞う人間よりも、自分を着飾って魅力アピールする人間の方が認められるものなのよ。……人間社会というのはね」
「それは……何となく理解できるかも」
学校生活を送っていても実感することだ。
たとえばの話、自然体で過ごそうと大人しくした結果、ボッチだとか根暗な奴とか……そういうレッテルをクラスメイトから貼られてしまうことがある。
かくいう俺がそうだった。
昔からかもしれないが、今の時代だと大人しい人間は陽気な人間よりも劣るとされる風潮がある。
だからこそ無理して陽気な振る舞いをする若者が出てくるし、場合によっては精神的な病気を患ってしまうのだ。
そう考えると水樹さんの言う通り、ネトゲの世界はリアルよりも真剣に、そして自然体で生きられる世界なのかもしれない。
「とくに学生アイドルをしていると思うの。いかに人間が欲望にまみれた生き物なのかというのを……」
「……」
相槌すら打てなかった。
俺には想像もできない苦労をその綺麗な声から感じたからだ。
「もちろん悪い人間がいれば良い人間もいる……。そこへくると和斗くんは良い人間の中でも、とくに素敵な男の子よ」
「よく断言できるよな。俺たちはリアルで交流してから、まだ一週間も経ってないのに」
「ネットでは四年近くも一緒に居たわ。余計な情報に囚われない、お互いの心を丸裸にした純粋な付き合いをね」
「……」
ぐっと胸に押し寄せるものがあった。
水樹さんが、俺とのネトゲ生活を大切にしているのが伝わってきたからだ。
「それに私と和斗くんは結婚までしているの。私以外の女と気軽に会話するのは、やめてほしいわ」
「……ネトゲでの話だろ」
「ええ、そうよ。不純な情報の混じらない世界で結婚したのだから、私達はリアルで結婚した人達よりも素晴らしい夫婦ね」
「……」
……。
…………。
ん?
「話がズレてしまったわね。本題に戻りましょうか。あの女と何をしていたのかしら」
「いやちょっと待ってくれ。俺からすれば本題よりも重大な話だったんだが」
「何を言っているの? 夫婦間において浮気よりも問題視することが他にあるかしら?」
「はい、おかしい! え、夫婦間ってなんですか? 俺と水樹さんは、ただのネトゲフレンドですよね?」
「そうよ。私達はネトゲでのフレンドであり、そして結婚したのだから夫婦でもあるわね」
「あ、うん。正しい、正しいね。でもリアルでは違うよね?」
これまでの違和感が急速に膨れ上がっていく。
唾を飲み込み、俺は水樹さんの言葉を待った。
「和斗くん」
「……はい」
「私、言ったわよね? ネトゲとは言え誰とでも結婚するわけじゃないと」
「言いましたね」
「私は、リアルの情報が関わってこないネトゲだからこそ、本当の心の付き合いができると思っているの」
「うん。俺も否定しない」
「そんな世界で結婚したのよ?」
――――リアルでも私は和斗くんのお嫁さんでしょう?
衝撃的すぎて何も発せなかった。
自室の中央で呆然と立ち尽くし、スマホを握りしめた態勢で俺は凍りついた。
斎藤たちは、水樹さんは俺のことが好きだと言っていた。
しかし、現実は違った。
否。
現実を余裕で超えてきた!!
彼女は……。
水樹凛香というアイドルは――――嫁のつもりでいたのだ!
「どうしたの和斗くん? 私は何かおかしなことを言ったかしら?」
「……あ、あの……結婚は、ちょっと……」
俺には荷が重すぎる。
考えてみてほしい。
超絶人気アイドルと平凡ネトゲ廃人だぞ。
月とスッポン程度の表現では足りないレベルだ。
「結婚が、なに? もしかして今さら間違いとか言わないわよね?」
「……言ったら、どうしますか?」
「死ぬしかないわね」
「えっ!」
「和斗くんと一緒に」
「ふぁっ!?」
まさかの心中もとい道連れですか、人気アイドル様!
「和斗くんを失った人生なんて考えられないわね。リアルで知り合ってからというもの、より一層和斗くんに対する愛が強まっていくのが自分でも分かるの」
「あ、愛……ですか……」
嬉しいや恥ずかしいという感情を通り越して驚愕している。
愛なんて言葉、ネトゲ廃人高校生の俺には現実離れしているように感じられた。
「正直に教えて和斗くん。浮気してしまったのなら仕方ないことよ。私は最初から和斗くんみたいな魅力的な男の子を独り占めできるなんて思っていないもの。本当は凄く悲しいし嫌だけど……多少の浮気は見逃してあげてもいい」
「ちょちょ、話を一人で進めないでもらえますか!? 俺、何一つとして会話についていけてないから!」
会話の一時中断を求めて、強めにツッコミを入れた。
しかし水樹さんは、綺麗な声音を儚げな印象に変えて喋り続ける。
「そう、そういうことね」
「……何が?」
「私、聞いたことがあるの。浮気した男はとぼけるのが上手って」
「違うってば! マジで理解が追いついていないんだよ!」
「いいのよ和斗くん。あなたが私を捨てないで傍に置いてくれるのなら……。他に多くは望まないことにする」
「水樹さん!? なんかブレーキが外れてませんか!?」
どんどん話がヤバい方向に突き進んでいる気がする。
ブレーキが壊れたとか、そういう次元じゃない。
電車が線路を飛び出し、街中で爆走しているようなもの。
「和斗くん、これだけは覚えておいて。あなたの本妻は……私よ」
「ちょ、水樹さ――――」
ピロロン♪……電話が切れた。
激甚怒涛のごとく次々と放たれた水樹さんの言葉が、俺の頭の中をグルグルと回り続ける。
「は、はは……。なんじゃ、こりゃ」
分かったことは、ただ一つ。
クール系の彼女は、現実でも嫁のつもりでいるということ――――。




