第十話
「――――今日の昼休み、あの女と何をしていたの?」
声を聞いた瞬間、ゾクッと背筋に寒気が走った。
これを直感というのだろうか。
答えを間違えれば己の生命に直結する気がした。
「私、見ていたのよ……。今日の昼休み、見慣れない女子生徒と共に教室から出ていく和斗くんを…………!」
「あー、あー…………」
見慣れない女子生徒――――琴音さんのことだ。
スマホを握りしめたまま黙り込んでいると、水樹さんの冷めきった声が聞こえてくる。
「もちろん私は和斗くんを信頼しているわ。ええ、信頼している。和斗くんのような誠実な男の子に疑惑を抱く余地なんてない」
「は、はぁ……?」
「だから、これは私の心の弱さが生んだ疑惑。和斗くんには申し訳ないのだけれど、念の為に確認させてくれないかしら」
――――あの女と、何をしていたの?
水樹さんの重く冷徹な一言が、俺の鼓膜を突き破って脳みそを揺るがしてきた。
これはヤバい。
何に対しての『『疑惑』や『確認』なのかは不明。
しかし、これはヤバいことになったと思う。
男としての本能が警笛をピーッと激しく鳴らしていた。
「和斗くん? なぜ黙っているの?」
「えと、その……」
実は琴音さんの案内で胡桃坂さんと会っていたんだ。
え、何を話したかって?
水樹さんと俺の仲良し大作戦についてだよ!
……なんて言えるわけがない。
下手したら、胡桃坂さんと水樹さんの間に亀裂が走る。
俺のせいで彼女たちが不仲な関係になるのは避けたい。
「和斗くん。もしあなたが私を裏切っていたのだとしたら、法的措置をとらせてもらうわよ」
「ほ、法的措置って、なに? え、これ、どういう話だっけ?」
まるで浮気疑惑をかけられている旦那になった気分だ。
「説明してちょうだい。今ならまだ間に合うわ」
ま、まったくもって意味が分からん!
水樹さんは、俺と琴音さんが何をしていたのか知りたいだけなんだろ?
たったそれだけの話なのに、疑惑とか確認とか裏切りとか法的措置とか……一体どういうことなんだ。
「凛香ー。練習再開するよー」
遠い声がスマホから聞こえてくる。この声には聞き覚えがあった。
スター☆まいんずのメンバーの一人だ。
「わかったわ、すぐに行く。……和斗くん、話の続きは今晩にしましょう」
「いや、あの、ちょっと」
ピロロン♪ 容赦なく電話が切られた……。
「なんだこれなんだこれ。どういう状況なんだ……?」
何一つとして意味が分からない。誰か俺に状況を説明してくれ!
「どうしよう、混乱してきたぞ……!」
こういう時は友達に頼ろう。
俺はスマホのチャットアプリを起動。
橘、斎藤、俺の三人で作られたトークルームに入室する。
『ちょっと話を聞いてくれ。さっき水樹さんから電話がきた』
数分後、スマホから二回通知音が鳴った。
さっそく確認する。
『自慢かよ、ピーマン食わせるぞ』
『僕の計算によると、自慢の確率は1億%だね』
あまりにも適当で無情過ぎる返信。……これは酷い。
『そうじゃないってば! 内容は詳しく言えないんだけど、昼休みのことをメチャクチャ怖い雰囲気で聞かれたんだ!』
『そうかよ。つうか俺らも昼休みに何があったのか教えてもらってないんだけど?』
『すまん! それは言えない!』
学校で彼らに何度も聞かれたが、胡桃坂さんの立場を考えて何も言わなかった。
あと純粋に仲良し大作戦を言うのが恥ずかしかった。
『綾小路くん。伏せられた情報が多すぎて、僕たちには何も分からないよ』
斎藤に言われて気がつく。
確かにその通りだ。
俺は、他言無用の約束を取り付けて、水樹さんとの会話を簡単に教える。
すると橘からデフォルメされた可愛らしい死神スタンプとチャットが送られてきた。
『綾小路。ヤンデレにバッドエンドはつきものだぜ?』
『俺に刺されろというのか!? それに水樹さんはヤンデレじゃないだろ!』
『僕の計算によると、水樹さんがヤンデレの確率は120%だね』
と、斎藤がメガネのスタンプと共に送ってきた。
……なんだ、このスタンプ。まじで普通のメガネなんだけど。
何の面白みもない。
『もし水樹さんがヤンデレだとしたら、俺に惚れてることになるじゃん』
『そうだろ』
『そうでしょ』
すぐさま二人が同時に肯定してきた。
返信の早さに面食らう。
『……いやぁ、ないでしょ』
『普通に考えたらよー、水樹は嫉妬してんじゃねえの?』
あの人気アイドルの水樹凛香が嫉妬……? そんな馬鹿な。
『絶対とは言えないけどよ、水樹が綾小路を意識してるのは間違いないぜ』
『そうだね。綾小路くんを見る時の水樹さんの目は特別だよ』
『……』
ここまで二人に言われても俺は素直に信じることができなかった。
意地になっているわけじゃない。
俺にとって水樹凛香とは人々に夢と希望を与える素晴らしい存在。
凡人の俺からすれば星を見上げて手を振るようなもの。
ネトゲ廃人と人気アイドル……。
どう考えても不釣り合いだろう。
そんなことを考えていると、斎藤が珍しく真面目な長文を送ってきた。
『あとは綾小路くんが水樹さんとどうなりたいか、だよ。君がこのままの関係を望むなら何もアクションは起こさなくていいし、彼女の思いに応えたいのなら、そっと綾小路くんのペースで歩み寄ればいい。どちらを選択しても綾小路くんが真剣に考えた結果なら僕たちは尊重するよ』
「斎藤……っ」
お前、めちゃくちゃ良い奴じゃん……!
なんかウルっときたんだけど!
変な計算をするから忘れがちだけど、斎藤は友達思いで優しい男なんだ!
『ちなみに僕の計算によると、綾小路くんと水樹さんの関係が上手くいく確率は……0.12%だね!』
「おいぃいいい! 過去最低の確率じゃん!」
しかも意味分からんルビを振りやがって……!
全てをぶち壊された気分だ。さっきの感動と敬意を返せ。
『つうわけだ綾小路。水樹と上手くやれよ。そして他のアイドルを俺たちに紹介してくれ!』
『それ良いね! 僕からもよろしく頼むよ綾小路くん!』
「……」
俺は返事をすることなく、無言でアプリを落とした。
彼らに相談したのは人生最大の過ちかもしれない。
椅子に座りながらスマホをベッドに放り投げる。
息を吐きながら天井を仰いだ。
「はぁ……。すげぇドキドキする」
水樹さんは俺のことが好きかもしれない。
それが事実だったとして。
その時、俺は何をしてあげられるんだろう。
「つうか、今晩の解決策が見つかってねえしぃぃ……!」
今は目先の問題に取り組むべきか。
このままでは土曜日の仲良し大作戦どころではない。
今晩に備えて、俺は水樹さんとの会話を頭の中でイメージ(妄想とも言う)するのだった。




