6.獣の心
どうしてだなんて、聞きたくもなかった。
分かっていた。分かっていたのだ。
その答えを恐れていたからこそ、今までずっと言えなかったのだ。
ヨダカはわたしを突き放すような事はせず、抱きつくままに任せてくれた。けれど、その心は恐ろしいほどの力でわたしの存在を突き放していた。
どうしてだなんて、知りたくもなかった。
けれど、ヨダカはわたしに言い聞かせた。
「あなたを、あなたが望む形で愛する事なんて出来ない」
目が覚めたような声が、わたしの耳に沁み込んできた。
さっきまで涙を流していたのが嘘のように、震えの一つも現れやしない。しっかりとわたしの身体を支えつつ、わたしに生じた感情がまるで間違っているかのように正そうとしているのがよく分かった。
なんて傲慢な人なのだろう。
こんな時でも自分が一番正しいのだと思っているのだから。
「あなたは歌鳥であって、私は違う。あなたは歌鳥と結ばれるべきで、私のような没落者と一緒に泥の船に乗り込んではいけないの」
「そんなの、あなたが決めた事でしょう?」
「ええ、そうね。でも、あなたの想いを受け止めてそれに答えるのは他ならぬ私。その私が出来ないと言っているのよ」
ヨダカはそう言って、わたしの背中をなぞっていった。
「私はあなたの愛を受け止められない。あなたが愛を向けるべき相手は、他にいる」
「――なんで」
本当は死にたくないはずなのに。
かつて、あんなにもわたしの誓いを欲しがっていたのに。
殺されてしまったカケスへの愛がそんなにもヨダカを縛っているのだろうか。歌鳥は獣であるという価値観が、そんなにもヨダカの心を支配しているのだろうか。
「私は獣を愛せない」
ヨダカは言葉だけで更にわたしを突き放す。
「幾ら人間と同じ姿をしていても、あなたは獣。愛玩動物になれたとしても、伴侶にはなれないの。あなたが番うべき相手は、あの女の傍に居る」
「それは違う。同じ歌鳥だからって、それだけの理由で番うわけじゃない。だって、わたしは――」
言いかけるわたしの首筋をヨダカの手が触れる。
その感触に、わたしの言葉は阻まれた。
「私を愛しているというのなら、私の為に生き延びなさい」
ヨダカの囁きが聞こえ、未だ枯れ果てぬ涙が零れ落ちた。
どうして分かってくれないのだろう。こんなにも必死なのに、どうして伝わってくれないのだろう。絶望と嘆きが膨らみ、わたしの思考は混乱していく。
「カナリア。あなたは支配されてしまっただけなの」
力なく笑う声が聞こえ、わたしは言いかけた口を閉じることも出来ずに黙していた。
「あなたは負けただけ。あなたが今抱いているのは真実の愛なんかではなく、囚われた不自由さから生まれた自分への誤魔化し。心配しなくとも、すぐに消えるわ。いつか、私の事なんてどうでもよくなって、あの女の膝元で、あの歌鳥の青年と何事も無く結ばれることでしょう」
乾き切った喉元から呻きを漏らし、わたしは屈する事を拒んだ。
「そうなる前に、あなたと契ってしまいたいの」
恋愛なんて永遠のものではない。
誓いの唄を交わさなかった相手との縁は、気をつけないと薄れてしまう。その内と何度も想っていれば、いつしか想いは枯れ、ほんの些細な事で終わりを迎えてしまう事だろう。
そうなる前に誓いの唄を交わして契りを結ぶからこそ、歌鳥は一生を共に出来る。
その拘束の絶対性はこれまでの歌鳥の歴史が示してきた。わたしもそれを信じているし、ヨダカもきっと信じているだろう。
それでも、相手が受け取ってくれないと意味がない。
ヨダカはどうしても、受け取ってくれない姿勢を取った。
「御免なさい、カナリア」
ヨダカの溜め息が首筋を刺激する。
「あなたの事はどうしても、獣にしか思えない。あなたの想いに答えられない以上、その誓いを無責任に受け取ることが出来ない……」
「いつか誓わせるって、そう言ったのに」
「あの頃はそんな可能性にすら気付けなかったから」
そう、分かっていた。分かっていたのに。
「ねえ、ヨダカ」
縋りつきながら、わたしは訴えた。
「わたし、獣なんかじゃない。歌鳥の血を引いているだけで、あなたと同じ人間のはずなのよ。仮に獣だとしても、獣が心を持たないとでも思っているの?」
「カナリア、私は――」
この訴えの罪深さなんてわたしには分からない。
これまで歌鳥を支配してきた人間達は、歌鳥を獣であると信じることでその罪悪感を殺してきたらしい。
歌鳥の唄の力に縋りたいほどの絶望が世界には沢山ある。
だからと言って、自分たちと外見も変わらない種族の者たちの自由を奪い、欲望のままに虐げるということは、多くの人間にとって恐ろしいことだったのだろう。
でも、相手が獣だと思う事で、その恐ろしさを乗り越えてしまう。
ヨダカも同じだろう。
わたしに毒を盛って捕まえ、檻の中に閉じ込められたことも、全て、わたしが獣であるという価値観が後押ししての事だったはずだ。
だとしたら、わたしが人間であると訴える事は、どんなに罪深い事だろう。
それでも、だからといって、わたしはこの戦いをやめる気にはならなかった。
「わたしはあなたの事が好きなの。あなたの事を見捨てたくないの。ずっとずっと愛していたわ。だから、この先もずっと、あなたと共にありたいの」
声にならぬ声で、ヨダカはわたしの名前を呟いた。
ペンダントは今も、わたしの首元で揺れている。これをくれた時、ヨダカはきっとわたしからこんな事を言われる日が来るなんて思いもしなかった事だろう。
黙り続け、考え続け、やがて、細い枝の先に残る一枚の枯葉のように、ヨダカの身体から力が抜け落ちた。
「――分かった」
力の抜けた優しげな声が、わたしの目を見開かせた。
「あなたがそれで後悔しないというのなら」
その表情を見ようとしたけれど、ヨダカによってそれは制された。
代わりにわたしが受け取ったのは、優しげな手の温もり。わたしの頭を撫でながら、ヨダカは言った。
「私の為に誓って」
その声には一切、無理が含まれていない。
きっとわたしは負けてしまって、そして勝ってしまったのだろう。




