5.自問自答
結局その日は、ライチョウの言葉通り無理に誓わされるような事にはならなかった。
再び鳥かごの中に閉じ込められ、わたしは静かに考えていた。
そっと瞼を閉じるだけで、脳裏には常に地下牢に閉じ込められていたヨダカの気高い姿が甦って来る。
彼女の姿を見ると、わたしはますます困惑した。
様々な気持ちが混ざり合い、どろどろになって思考を狂わせる。何が正しくて、何が間違っているかも分からないほどだった。
ライチョウは嘘なんてついていないだろう。
会話の断片からしか察せなかったけれど、どうやら彼女は自分の弟とヨダカを接触させているらしい。本気でヨダカを手に入れ、この屋敷とその周辺を姉弟で支配するつもりなのかもしれない。
ライチョウの弟が誰かなんてわたしは知らないし、知ろうとも思わない。その人物が姉であるライチョウがいうようにヨダカにとっても不足のない男なのかなんて、本当にどうだってよかった。
問題は、ライチョウがヨダカを支配しようとしている事。
歌鳥の力を使って高みを目指すあの野心家は、利用価値のある存在としてのみヨダカを見ているのだろう。
それはわたしに対しても同じ。
歌鳥を二人も連れているとなれば、同じ革命家であっても彼女との衝突は避けたがることだろう。幸いな事に、ライチョウは暴力をもってわたしを虐げる事はなさそうだけれど、だからといって強要されていないとは言えない状況だ。
――ヨダカの事を考えるならば……。
わたしが下れば、ヨダカもきっと彼女の弟との縁を結ぶ事になるだろう。
どうやらライチョウはそう考えているらしい。そして、悲しい事に、わたしもまたそうであるような気がしていた。
地下牢でのヨダカの声を想い起こし、わたしは一人蹲った。
わたしの事を心配する声。あの声だけで、わたしは充分なくらいに恵まれている。ライチョウから見ても、わたしがヨダカにとっての大切な財産であるのは確かなのだろう。
だからこそ、ライチョウはわたしとヨダカのお互いを揺さ振る。
絶妙なほどにわたし達を引き離し、わたしにはヨダカの幸せを考えさせ、ヨダカにはわたしの幸せを考えさせているのだろう。
何もかも考えずにライチョウに下るという道はあるだろうか。
やっぱり嫌だ。あの女の事を許す事が出来ない。
この場所が攻め込まれたあの日の事が忘れられないせいだ。カケスを容赦なく斬り捨て、愚かな妾とまで言い捨てたあの蔑むような目が忘れられない。
「カケス……」
死んだ彼女の事を思えば、ライチョウに味方するなんて事は絶対に出来ない。
そして、ヨダカを思えば、愛した人を殺した女が義姉になる等という残酷な道へと歩ませることは出来ない。
それに、それだけじゃない。
わたしは嫌だった。
ライチョウが本当に歌鳥に優しくて確かな力のある女だとしても、ウグイスとの未来が新しい時代に即していてわたしにとって心地よいものであったとしても、わたしはどうしてもあの荒々しい女に屈する事が出来なかった。
ライチョウがカケスを殺していなくとも、同じ事だ。
ヨダカ以外は嫌だ。
彼女だけがわたしの主人であり、心に決めた人なのだ。拒まれてしまったとはいえ、本気で契ってしまおうと思った、歌鳥以外の者としては初めての相手。
ライチョウと契る等、ヨダカを苦しめるだけだ。
だが、どうしたらいいだろう。
わたしがいつまでもライチョウを拒んだところで、事態は変わらないままだ。むしろ、悪くなっていく一方かもしれない。
わたしが契らなかったとしても、いつしかヨダカの心が折れてしまい、ライチョウに屈してしまう時が来るかもしれない。
そうなる前に、わたしはヨダカを助けたいのだ。
では、どうすればいいのか。
眠ることも出来ぬまま、わたしは鳥かごの中で考え続けた。
――ヨダカは死にたがっていた。
兄もカケスも逝ってしまった以上、彼女もまた孤独に震えているのかもしれない。またライチョウがいつまでも待ち続けるとは思えない。
ヨダカが拒み続け、生き残る道を全て断ってしまった上で、ライチョウの愛用する刃で首を刎ねられるという恐ろしい未来があるかもしれないのだ。
勿論、そんな目に遭わせてはいけない。
どうにかヨダカの気持ちを尊重し、ライチョウに支配されぬ道を歩めるように支えられる手段はないものだろうか。
考えても、考えても、いい案は出なかった。
「――カナリア……ねえ、カナリア?」
声をかけられて、わたしはハッと我に返った。
いつの間にか部屋は明るく、鳥かごの前にはウグイスが来ていた。心配そうな色をその顔いっぱいに浮かばせ、彼はわたしを覗きこむ。
「カナリア、大丈夫?」
本当に心配そうに彼はわたしを窺ってきた。
その憐れむような眼差しから目を背け、わたしは鳥かごの柵に寄りかかった。
やっぱり、彼の事は嫌いだ。彼の無邪気さが嫌いだ。わたしの事をどうせ間違っているのだとでも思っているのだろう。
だからこそ、カケスの死に嘆き、主人の行く末に怯えるわたしに向かって、その元凶であるライチョウとの契りを勧めてくるのだ。
どんなに優しそうに見えても、わたしには不必要なものだ。
わたしに答える気が無いのを察すると、ウグイスはそっと朝食を床に置いて、その眼差しのみをわたしに向けた。
「ライチョウ様が君と今日の昼も話したいって」
――わたしは話したくないのだが。
そんな事を幾ら思っても、口に出す事はしなかった。
「カケスという妾の子を殺してしまったのは彼女も悪いと思っているんだ。武器を持っていないと分かっていたら、あの人は斬ったりなんてしなかった」
「もう遅いわ。カケスは戻って来ないのだもの」
ようやく返答すると、ウグイスがやや安堵するように溜め息を吐いた。
「カナリア。賢く生きなきゃ駄目だよ。ライチョウ様も僕もこれからの時代を生き延びていくけれど、君とヨダカはこのままじゃ破滅の一途だ。それでいいの? 君は、あのお姫様を助けたくはないの?」
耳を貸すことなく、わたしは俯いた。
意地を張っていては駄目だと言う事は分かりきっていた。どうにかして、この状況を変えなくてはならない。
考えを少しずつまとめ、わたしはウグイスに言った。
「あなたの御主人様とは話してあげる。だから、もう行って」
その言葉を受けた彼がどんな表情をしているかは分からないままだった。




