2.守護者
それは不本意な形だった。
長らくわたしは鳥かごというものが窮屈だと思っていた。わたしの自由を奪い、知りたい事からも遠ざけてしまうあの柵は嫌いだった。
けれど、そこからいざ出されてみた時、わたしの心に浮かぶのは寂しさだった。
ヨダカはもうわたしを閉じ込めたりしないと決めていた。わたしが自由に逃げ出せるように、鳥かごから出してくれたのだ。
つまり、もう彼女はわたしを必要としていない。
それはとても悲しい事だった。
「そのペンダントは贈り物よ。外したかったら外してもいい」
ヨダカに言われ、わたしは必死に頭を振る。
「外したりなんかしない。ヨダカがくれたものだもの」
カナリアという名前は長く偽りのものだった。
両親から貰った大切な名前はいまだって頭の片隅に刻まれ続けているし、それを蔑ろにしようというわけではない。
けれど、わたしはもうカナリアでよかった。これからずっとずっとカナリアと呼ばれてもよかった。むしろ、その方がよかった。
他ならぬヨダカにその名で呼んで貰えるのは嬉しい。
やっとその自分の気持ちを素直に受け入れる事が出来るようになったというのに。
「そう、それなら、持っていなさい」
か細い声に静かな優しさを込めてヨダカはわたしの頭を撫でた。
これから先、彼女がいつまでこの屋敷の主として振る舞えるのか分かったものではない。高飛びもせず、戦う気も無く、ただただ死んだ兄の為に喪に服し続ける彼女は、革命家の目にどう映るというのだろう。
「好きな所で過ごしなさい。ただし、危なくなったらこの屋敷を出る事。いいわね」
命じるような口調でそっとわたしに言い聞かせる。
わたしは何度もそれに頷き、その目に縋る。
「それまで一緒に寝てもいい? 傍に居てもいい?」
離れたくない。離れた瞬間に消えてしまいそうだから。
わたしの不安に気付いたのだろうか。ヨダカは少しだけ微笑むと右手でわたしの髪をさらりと撫でつけ、左手でわたしの腕をそっと引き寄せた。無言で抱きしめられたその瞬間、心地よい金木犀のような香りがわたしの胸一杯に広がった。
ヨダカの香りに酔いしれ、言葉のない温かな空気に包まれ、存分にその世界を楽しんでいたけれど、そんなわたしを嘲笑うかのように抱擁は終わりを迎える。
「カナリア、あなたは本当に優しい子ね」
弱々しいヨダカの声が耳に沁み込み、わたしは瞼を開けた。
いつの間に閉じていたのだろう。それに気付かないほど、ヨダカに抱かれていた時の視界は明るいものだった。
こうして実際に目に飛び込んでくる世界は灰色。
やや暗過ぎて不安になるくらい屋敷の外は混沌に包まれているのだと、歌鳥に過ぎないわたしであっても思い知らされるほどだ。
「ヨダカ……」
その名を呼ぶと、ヨダカはわたしの項をそっと撫でた。
「その気持ちだけで十分よ。もう私に誓う必要なんてない。あなたに後悔して欲しくないの。私には終わりが近づいて来ている。この屋敷が燃える日、私もまた兄様の後を追う事でしょうね」
いやだ。
そんなことは。
想いだけが空回りし、弱々しくも恒星のようにしっかりと輝く彼女を前にすると、私では上手く説得出来ない。
契ってしまえば唄の力で守れるかもしれないのに、当のヨダカが受け入れてくれないとなると、何の意味も成さない。
それなら――。
「じゃあ、せめて、いつもの唄を聴いてくれる?」
守護の唄。親が子を、友達が友達を、想い人が想い人を。大切な人を守りたいと言う純粋な気持ちの為に存在する歌鳥の唄を。
縋るような想いはわざわざ自覚するまでもない。
誓いの唄を受け付けてくれないというのならば、せめて、いつものように役に立たせて欲しい。そんな切なくなる願いがわたしを掻き立てた。
そんなわたしの目を、ヨダカは夜色の双眸で見下ろす。
寂しげなその顔の奥で、彼女が何を考え、何を感じているかなんてわたしには分からない。ただ、わたしの全身を包みこんでいる温もりと彼女の香りの心地よさだけは、確かにわたしの頭に響いた。
「ええ、ぜひとも」
ヨダカは優しげに微笑み、わたしの頬を撫でた。
「私の為に歌って、カナリア」
その囁きは、今まで聞いてきた中で一番美しく、そして色気のあるものだった。
歌鳥の血を引いたわたしの精一杯の守護はこれしかない。最大のものが拒絶されるのならば、せめてこれを捧げるしかない。
気休めに過ぎないことなのは分かっている。
優秀だったというヨダカの兄を殺したような革命の波からヨダカを守りきれる自信なんて、本当は何処にもない。
それでも、歌わないよりはマシなはずだ。
そう信じて、わたしはヨダカに唄を捧げた。今までほぼ毎日のようにやってきた事だ。
最初は不本意だったかもしれない。心惹かれた幻惑から逃れられない自分に苛立ちを感じていた事だってあったかもしれない。
けれど、今日の唄は違う。
誓いの唄を歌おうとしていたほどの想いを込めて、わたしは守護の唄を歌った。感情の灯りが自分でも分かる。歌い慣れ、自分でも聴きなれた旋律が、まるで新しいものにでも生まれ変わったようだ。
ここまでこの唄に想いを込めたのは、きっと初めてのことだ。
まるでわたしとヨダカだけが世界から切り離されているみたい。そんな中で、ヨダカはわたしを見つめていた。いつものように、けれど、いつもよりも何処か寂しげに、わたしの歌う唄を静かに受け取っていた。




