1.失恋
カケスの話を聞いて以来、わたしは常に溜め息しかつけなかった。
ヨダカが不在である以上、歌わなくてはいけない事も無いのでそれは有難かったけれど、そのヨダカが戻って来るまでにはどうにか気持ちを元に戻さなくてはならないだろう。
けれど、辛いものは辛かった。
そうだ。この想いは以前にもしたことがあった。以前よりもずっと重たくて酷いように感じるけれど、以前は以前で同じように苦しんだはずだ。
――まるで失恋のよう。
その言葉が重たく圧し掛かる。
ここまで本気に落ち込んだのはいつ以来だろう。わたしの知らない間にヨダカとカケスがあのような約束をしているなんて、信じられなかった。
でも、カケスが嘘を吐くなんて事あり得るだろうか。
わたし相手に嘘を吐いたって何の得にもならないし、意味がない。そもそも、わたし以外の誰が、わたしがヨダカに恋をしている等と気付くだろうか。そして、わたし自身も悟られたくなかった。
わたしの唄を清らかだと言ってくれたカケスに、気付かれたくなかった。
カケスはわたしの気持ちを知ってしまったらどうなるのだろう。ヨダカはわたしの気持ちを知ってしまったらどうなるのだろう。
恐らく、どうもならないだろう。
だって、わたしはあの二人にとって獣なのだから。こうして鳥かごに閉じ込められている事を疑問にも思わないのだろう。自分の身の危険も理解せずに、女主人と契りを結ばないわたしが悪いのだと本気で思っているに違いない。
そんなのはあんまりだ。
たとえ何もかも考え直して契ったとしても、ヨダカの心はカケスのものであり続けるというのならば、残酷な事この上ない。歌鳥の血を一滴も引かぬ者には所詮、分かりもしないのだろう。誓いの唄を捧げ、永久の服従を誓った歌鳥の心の嘆きを理解することも出来ず、理解しようとも思わないのだろう。
考えれば考えるほど負の感情が増していき、鳥かごの中の空気は張り詰めていった。
――外に出たい。
ぼんやりとわたしは思った。
こういう時、庭の光景は色んな刺激をくれて本当に助かる。無駄な考え事の一切を引っ込ませてくれるので、わたしは無駄に苦しまずに済む。
つまり、このままでは堂々巡りだ。
刺激も少ない鳥かごの中では、考え事くらいしかすることがない。たまに顔を出してくれるカケスともあまり話す気になれなかった。
「カナリア様、具合が悪いの……?」
本当に心配そうにカケスは覗きこんでくれたけれど、わたしは目も合わせずにただ首を横に振ることしか出来なかった。
――自由になりたい。
もうこの屋敷にいたくなかった。
相変わらずヨダカが戻って来る日は遠いし、帰って来たとしても落ち着いて彼女に向き合える自信が何処にもなかった。
と、その時、鳥かごの中にカケスの手が入ってきた。触れるのはわたしの額。そっとその熱を確かめると、不思議そうに首を傾げる。
「御熱はないようですね。ヨダカ様を恋しがってらっしゃるの?」
泣きそうだった。
落ち込んでいる原因がこの人にあるのだなんて誰に言えるだろうか。いかに仕事といっても、真心を込めて私に接してくれるのはカケスだけなのだというのに。
カケスの手にそっと触れて、わたしは懇願した。
「カケス、ここから出して」
無駄だと分かっていても、耐えられなかった。
「お庭の空気を吸いたいの」
けれど、カケスは困惑しかしなかった。当然だろう。勝手にわたしを外に出すことが許されているわけがない。ヨダカは怒るだろうし、その前にコマやムク、その他の僕妾が許してくれないのだから。
「申し訳ありません……」
本当に、辛そうな顔で、カケスは言った。
「それは出来ないんです。カナリア様」
分かっている。分かっているのだ。
けれど、もう限界だった。唯一、ヨダカへの恋慕がわたしの心を保たせていただけだったのだと今になってやっと気付いた。
その恋慕が崩れた今、わたしの支えはもう何もない。
「――どうして」
涙を流すのに躊躇いはなかった。
「どうして、わたしは鳥かごにいなきゃなんないの」
どうして、わたしは歌鳥で、ヨダカとカケスは人間なのだろう。
わたしが歌鳥である限り、ヨダカにとっても、カケスにとっても、わたしは獣でしかない。そんなわたしがヨダカに恋を募らせているなんて考えもしないし、考えたところで分かってくれるわけもない。
この二人の間に入れないのならば、わたしはわたしで次の相手を見つけに行かなくてはならないのに、それを許さないのがこの鳥かごなのだ。
叶わぬ恋の檻の中で朽ち果てるまで居なくてはならないなんて酷過ぎる。
「カナリア様……」
涙を流すわたしの頬を、慰めるようにカケスは撫でた。
「外の世界は恐ろしいのですよ。世の中にはカナリア様が歌鳥であるというだけで、暴力をもって虐げたり、邪な劣情で支配しようとしたりする野蛮な者がたくさんおります。そんな者たちからあなたを守りたくて、ヨダカ様は――」
「そんなのいらない! 余計なお世話よ。守って貰わなくたっていい。ここから出して!」
「カナリア様――」
困り果てたようにカケスはわたしを見つめている。
当然だろう。地下牢から出されて以来、ここまで感情を暴走させた事はなかった。ヨダカに常に見張られていたせいでもあるけれど、そもそも暴れたいと思うほどここが窮屈でもなかったためだ。
それでも今は、今だけは、この場所が息苦しくて仕方がない。
多分それは、失恋のせいなのだろう。
「お許しください、カナリア様……」
泣きだしそうなカケスの目に見つめられ、頭を撫でられても、わたしの苦しみが和らぎそうな気配は全くなかった。




