4.僕妾
この屋敷に連れられて、いつの間にか季節が変わるくらいの時間が経っていた。
自由だった感覚が次第に薄れていくのを感じ、焦燥感のようなものがわたしの中でざわついている。窓の向こうの世界が遠ざかっているような気がしてならなかった。
もちろん、逃げ出したいわけではないのだけれど。
ヨダカに忠誠を誓い、檻から出されてから、この屋敷ではそれなりの地位を約束されているようではあったけれど、わたしが屋敷を自由に動き回ったり、様々な役目を担っている僕妾の多くとは、親しく話したりすることを認められてはいないようだった。
それでも、時間が経てば経つだけ、わたしは意識せずとも彼らの顔と名前はある程度覚えてしまっていた。
まずは、妾を取りまとめる中年の女性。
確かコマと呼ばれていた。それが本名なのかよく分からないけれど、コマがヨダカに何か意見を言う姿を見たことがない。ともかく、ヨダカの言いつけを機械か何かのように守り続けるものだから、コマの顔と声こそ覚えては来たけれど、未だにわたしは彼女と喋ったことがなかった。
次に、僕を取りまとめる初老の男性。
彼はムクと呼ばれていた。やせ形の身体付きと白髪が目に焼き付き、名前はともかく、姿は真っ先に覚える事の出来た人物だった。彼の方はたびたびヨダカに何か意見をしているような所があって、その度にわたしは耳を澄ましてしまう。勿論、聞き取れたところで何の話をしているかなんて分からない。彼もまた、わたしに深く関わろうとはしてこなかった。
それ以外の者たちの地位はだいたい仕えている年数で序列があるらしい。
といっても、具体的に誰がどんな地位に居るかなんて知らないし、興味があるわけでもない。わたしが覚えているのは、わたしが暮らす上で見かける僕妾ばかりだ。食事を運ぶ僕、部屋を掃除する妾、ヨダカの衣服を預かる妾、報せを運ぶ僕。
その誰もがヨダカに名前すら呼ばれていなかった。
ヨダカにとって僕妾の中で名を呼ぶべきはコマとムクぐらいのようで、その他の者は特に名前を呼んでやる必要もないらしい。
けれど、一人だけ、例外的な妾がいた。
ヨダカにカケスと呼ばれている比較的若い妾だ。
地位はそんなに高くないらしく、年輩の妾にたびたび注意を受けているところを目撃する事がある。そんなに要領がいいわけでもないらしく、何処となく気が抜けているような所のある人だけれど、何故だかヨダカはカケスに甘く、そして妙に目をかけていた。
たとえば、ヨダカが外出する時、鳥かごに閉じ込めたわたしの世話はカケスに任せる事がある。コマの手が回らない時は特に、必ずと言っていいほどカケスに言いつけるのだ。それだけでなく、ヨダカは他の妾がわたしに触れるのを嫌がるのに、カケスだと許してしまう。それで他の妾が納得しているのかといえば、そうでもなく、特にコマのすぐ下で忠誠的に仕事をこなす妾はカケスに冷たいらしい。
でも、わたしはこのカケスが好きになっていた。
ヨダカ以外で唯一、わたしに触れることが出来て、二人きりで話す事の出来る人はカケスしかいないのだ。ヨダカがわたしを置いて出掛けてしまった時、その寂しさと切なさを埋めてくれるのはカケスだけだった。
カケスは陽だまりのように柔らかな人だった。
コマが必要最低限のことをしてさっさと何処かへ行ってしまうのに比べて、カケスはのんびりと仕事をこなし、わたしに声もかけてくれる。
そんな姿もまた、他の妾の印象を悪くしていると聞いたことがある。
年輩の妾は、カケスがわたしに取りとめもない事を話しているのを目撃するやいなや、ぐちぐちと注意をしてくるのだ。
――歌鳥を懐かせて何をするつもりやら?
時折、そんな冷たい言葉がカケスを襲い、わたしもまた心が痛んだ。
少なくともカケスにはヨダカに逆らおうだなんて意図はないだろう。そんな人ではないとここに来て既に悟った事だった。むしろ、カケスを虐める人達の方が、野心を抱いていそうなくらい目をぎらぎらさせてわたしを見た。
ある夜、わたしはとうとうヨダカに言った。
「カケスが虐められているの」
この頃になると、ヨダカは寝付く前、鳥かごにて眠らされるわたしの鼓動を気の向くままに堪能しながら、わたしに何かしらの唄を要求した。それに答える代りに、わたしはヨダカの確かな温もりを求めた。
唄は聞かせるほどに効力を増す。
たとえ契っていなくとも、歌鳥の援護の無い者に比べれば十分過ぎるくらいの効果に守られるだろう。それを信じているわたし達は、お互いに身を寄せ合いながら、共に唄を味わった。
その束の間の幸せな時間が過ぎると、寂しい鳥かごに戻されてしまう。
その前に、わたしはヨダカに身を預けたまま告げたのだ。
「年輩の妾がカケスに酷い事をいうの」
「どんな事?」
「この間は、わたしと少し喋っていただけで嫌味を言われていたわ」
「――そう」
ヨダカは短く言うと、わたしの背中をすっと撫でていった。
労わる心も愛する心も感じるけれど、それらは同胞に対して抱くような対等のものでは決してなく、何処までいっても獣に対してのものだった。
仕方がない。
だって、ヨダカ達にとって、歌鳥は獣なのだから。
こんなにも人と変わらない姿をしているのに、不思議な唄を操れるだけの理由で獣とされてしまった哀れな一族なのだから。
「ヨダカ……」
許される限りわたしはヨダカの胸に縋り、抱擁を味わいながら会話を続けた。
「どうしてヨダカはカケスを目にかけているの?」
わたしの問いにヨダカはすぐには答えなかった。その指がうなじを這いまわっていくのを感じ、わたしはそっと耐えた。
やがて、小さな溜め息が聞こえ、ヨダカは答えた。
「妾の中でも特に、愛している子だから、かしらね」
その答えを聞いた瞬間、わたしの心臓がとくりと音を立てた。




