098.乙女たちの華麗なる変身-01
※先日(5/20)は二回更新しておりますわ~!
シナン王女の薨去よりひと月。
アルカス王国の春は花が散りゆき、若葉がぽつぽつと目立つ頃合いになっていた。
散るものあれば萌ゆるものあり、別ればかりでなく新たな出逢いもある。
サンゲ神が力を増し、異界へのゲートの出現が増加しつつある中、そのうちのひとつが「当たり」を引いたのだ。
「初めての世界、でございますか?」
フロル・フルールはアルカス王に訊ねた。
「くだんの文明世界は、異界との通門は今回が初めてらしくてのう。ゆえに接触は地道におこなう予定だったんじゃが、ちょいとばかりトラブルがあっての」
異世界外交担当大臣が接続世界のゲート保有国を視察したさい、敵対勢力に襲撃されてしまい、あちら側の英雄やら防衛軍やらに世話になったらしい。
「大臣のアホが、このお礼はきっとします、だなんて勝手に約束しおっての。それを向こう側が軍事的な同盟ととってしまったようなんじゃ」
「まあ……。どのような世界でございますの?」
アルカス王はフロルの目をじっと見据え、五秒くらい溜めてからこう言った。
「……侵略者どもの跋扈する世界じゃ!」
「つまり、わたくしたち女神の枕が、悪の片棒を担ぐということに?」
「いやいや、その逆じゃ。やたらと侵略される国らしくての」
「だったら、今の間はなんなのよ……」
「かの国は、文明レベルも倫理観もそれなりに育っており、民も基本的には善良じゃよ」
「でしたら、わたくしに助太刀に行けというお話でしょうか?」
再び黙りこむアルカス王。彼はフロルの衣装――戦闘服で来るようにと指示していた――を上から下へと見、もう一度視線を上げて腰の破滅のつるぎで止めた。
それから、フロルの目を見つめ静かにうなずくと「別にそうでもないんじゃ」と言った。
「なんなんですの!?」
「はっはっは! ちょっとボケてみただけじゃよ。常日頃から敵襲を受けながらも、文明や倫理の維持ができているということは、確かな防衛の手段も有しておるということじゃ。じゃが、人をやればまた大臣のようにピンチに陥る危険性もある。よって、通例通りに創造の眷属の派遣をするのじゃが、その護衛をフロルちゃんに任せたいという話じゃよ」
「なるほど。謹んで拝命いたします」
王にかしずくフロル。
「そんなかしこまらんでもよい。公式の仕事じゃが、内容は会合がひとつで、あとは観光案内を受けるだけじゃからな。適当にセリスちゃんと楽しんできなさい」
「派遣される創造の眷属はセリスなのね」
「それから、引きこもりの見習い外交官も引っぱり出すのじゃ」
「アコ……」
アーコレードはシナン王女が亡くなって以降、公務こそは淡々とこなしているものの、自由時間はずっとスリジェ邸の自室に引きこもっているらしい。
「ほかに、ヨシノさんやらお友達やらを呼んでもよいぞ。それから、これは向こうの国で使える信用通貨じゃ」
王様は玉座の横に置いてあったトランクを開け、中にぎっしりと詰まった紙幣を見せた。
「あの、陛下?」
「お小遣いじゃよ。向こうの世界は、常に隣り合わせる侵略の緊張に対抗するため、娯楽文化もずいぶんと発達しているようなのじゃ。文化交流の意味合いも兼ねるゆえ、向こうのエンターテイメントはばっちりチェックしなくてはならぬ。それと、異界慣れしてない国では、あまり目立つ行動や格好をすると、混乱を招く恐れもあるゆえ、衣装も調達するべきじゃろうな」
王様はひと息に話すと、フロルの肩を叩き、「勇者だ当主だといっても人間じゃ。たまには息抜きも必要じゃろう」と言った。
「娘のように可愛がっているおなごたちなら、なおさらじゃ」
王の目尻にしわが刻まれる。
「国王陛下のお気持ち、痛み入りますわ」
フロルは君主の手を取り、額に押し当てた。
「わしのことは気にせずともよい。こちらはこちらで向こうから客人を招いてぶんちゃかする予定じゃし。気をつけて欲しいことといえば、あっちで何かあったときは、フロルちゃんたちのカッコいいところ見せておいて欲しいことと、アコちゃんのことはしっかり元気づけてやって欲しいことじゃ。細かいことはアホ大臣に聞くとよい。……というわけで、任せたぞフロルちゃん!」
アルカス王は、懐からタンバリンやらマラカスやらを取り出すと、ぶんちゃかと振りながら謁見の間をあとにしていった。
「陛下……」
フロルは王の小さな背を見送る……。
――いちばんおつらいのは、陛下なのに。
胸に手を当て、健気で優しい君主にそっと敬愛を送る。
くるり。王様が振り返った。
「そうそう、言い忘れておったが、向こうは夏真っ盛りらしいぞい!」
王はそう言い残すと楽器を振り振り、今度こそ去っていった。
勅命を受けたフロルは、さっそくスリジェ領へと向かった。
ところが、当主セリシールは芸術関係のイベントで出払っているらしく、戻ってくるまで待つこととなった。
若執事に応接間に通されると、ソファには意外な先客がいた。
「あら、エチル王子じゃないの」
「おう、フロルではないか。セリスに用か?」
「国王陛下から頂いたお仕事の伝言に。殿下はなんのご用事で?」
フロルは訊ねながらも、にやついていた。
「そろそろマギカに戻らねばならんからな。挨拶に来たのだ」
「ふうん。で、アコとは話をしたの?」
「ぼちぼちだな。あやつが姉上と親交を深めたのは、われが頼んだせいゆえ、申しわけなくてな。ちょっとばかり気にかけておったのだ」
「ちょっとばかり、ねえ……」
姉の逝去を聞きつけたエチル王子は、一時的に女神の枕に帰界していた。
帰界中の彼が、足しげくスリジェ邸に通っていることは噂で聞いている。
もうひとつ言うと、アコが異界で異なる時間の流れにいたときに一番心配して、不在に腹を立てていたのも彼だ。
「フロルよ、念のために言っておくが……。われは脈ナシのようだぞ」
「あら、振られちゃったの」
「別に声は掛けとらんが、そんなところだ。アコは確かに姉上のことでも凹んでおるようだが……」
王子も、にやにやし始めた。
「どうやらあのため息は、別の意味合いのため息らしい。姉上はアコに色々と植えつけていったようだな」
「それってつまり、アコがシナン様に惚れてたってこと?」
「バカを申すな。そなたやセリスと同じにするでない。しかし、あれはまさしく、恋する乙女の横顔であった。この王子の励ましも上の空になるような相手とは、いったいどのような男だろうな」
――ふうん。アコが恋、ねえ。
フロルは天井を見上げた。
ちょうど客間の上が、アコに貸し出されている部屋だ。
「では、われは帰るとするか。いざ、剣と魔法の国へ、っとな」
エチル王子が立ち上がる。
「お勤めごくろうさま。やっぱり向こうは退屈?」
「それが、意外と楽しくてな。魔物相手に剣の腕前を披露したら、割かし自由にさせてもらえるようになった。それに、やはり異界の王子というものは人気らしくてな。毎日違う娘とデートだ」
「そりゃ、結構なことね」
「というわけで、セリスにはフロルからよろしく言っておいてくれ。われはデートの予約を消化せねばならぬ」
王子は振り返りもせず、頭の上で手を振って去っていった。
フロルは「寂しそうな背中ですわね」と決めつけた。
「……さて!」
客間にひとりとなったフロルは、口の前で手を合わせ、にっこりとほほえんだ。
「急いでアコに根掘り葉掘り聞かなくっちゃ。セリスが帰ってきたら、絶対に止められちゃうものね」
お嬢さまはさっそく客間を抜け出し、勝手知ったる親友の家をスキップで悠々と進み、アーコレードの部屋へとやってきた。
「入るわよ、アコ」
遠慮もなしに扉を開けると、むわっと、花らしき香りが漂ってきた。
花らしきというか、床は色とりどり、たくさんの花びらが散らかっている。
魔法使いの少女は、ベッドの上でぶつくさ言いながら、花をむしっているようだ。呪いでも掛けているのだろうか。
「フ、フロルお姉さま!?」
アコは手に持っていた花を床に放り投げると、シーツにくるまって背を向けた。
「花なんかちぎって、何やってたの? こんなに散らかしてると怒られるわよ?」
ベッドに近寄ると、サイドテーブルに置かれた一冊の本が目に留まった。
タイトルは『いろいろな世界の恋占い全集』。
シーツの中からアコの手が現れ本へと伸びたが、いじわるお姉さまは本を取り上げ、わざわざタイトルを読み上げてやった。
アコの手はサイドテーブルの上で力無くうなだれると、シーツの中へと引っこんだ。
「卑しいと思いますか?」
「どうして? 誰かを好きになるのは自然なことよ」
「そうでなくって、親友が亡くなったばかりだというのに、あたくしは……」
ぐずりと鼻をすする音。
「そう思うのも無理はないけど、シナン王女ならアコのことを応援してくれるんじゃないかしら」
「でしょうか……」
「絶対にそうよ。死を悲しむのと同時に恋バナをするように要求してくるわね。自分のことであなたの気持ちを押さえつけてるなんて知ったら、彼女も悲しむわよ。というわけで、何もかも、このお姉さまに吐き出しておしまいになりなさい」
返事は無い。
フロルはベッドに腰かけ、丸まったシーツをつんつんとつつく。
中身が身をよじって逃げたので、追いかけて捕まえ、柔らかい腰を探り出して、くすぐってやった。
「あはは、降参です! もう、フロルお姉さまったら!」
「向こうで何があったのかとかも、ぜんぜん聞けてないしね。さ、お話になって」
促し、フロルはアコの星を繋ぐ軌跡での冒険譚を聞いた。
まったく酷い手続きの連続。レッド・ドラゴンと子どもたち。天を衝くエレベーター……。
「うっそ、シリンダに会ったの?」
「はい。フロルさんのこと、褒めていらっしゃりましたよ。それと、カレシさんにも。ダーリンなんて呼んでましたよ」
「うへえ、あいつが……」
「レクトロさんもディラックさんも優しくて魅力的な男性でした。でも……」
アコは顔をまっかにすると、またもシーツの中へと逃げこんだ。
「でも? アコはもっといい男と出逢ったわけね? ほら、早く聞かせなさいよ」
シーツのお団子に手をかけ、耳を近づける。
「ふむふむ……宇宙海賊に星屑号が捕まって……魔導の世界と女神の枕の出身者がリーダーで……なるほど、ピンチになって……」
フロルは続きを聞くと、満足げに笑い、「ロマンティックですわ~!」と言った。
「それでそれで……黒コートの彼の助けとともに、調和の女神イミューの加護を得てパワーアップしたアコが海賊をやっつけた、と」
なるほど大冒険だ。
フロルはうなずき、「って、調和の女神!?」と、ぶったまげてベッドから転がり落ちた。
『とうとう取られてしまったか』
破壊の女神の声がする。
「ちょ、ちょっとサンゲ。敵対してるからって、殺せはナシよ」
小声で神に釘を刺す。
『そこまでは言わぬ。そもそも、たましいを掌握されたのなら、殺しても無駄だ。肉体を失っても、ヤツがほかの身体にたましいを植えつければ転生が可能だからな。これまでは掌握が半分だったゆえ、引き離すことを考えていたが……』
アコがシーツから出てきて、フロルの手を取った。
目にはいつものきらきら星だ。
「フロルお姉さまはご存知でしたか? じつは、女神様は三人いらっしゃったんですよ。これからは、あたくしもお姉さまのお役に立ちますからね!」
一転、表情を落としてため息。
「でも、イミューは、ほかの女神様のことを嫌っているようでして」
「知ってるなら話は早いわ。アコ、イミューとは手を切りなさい」
「どうして!? イミューが言うには、悪いのはサンゲ様とミノリ様だって」
「こっちは反対のことをおっしゃってるのよ」
「で、でも、宇宙海賊のバックには例の、お姉さまが追いかけていらっしゃる研究会の女がいて、イミューとコートのお兄さまも、連中を追っているんです!」
「ラヴリンが? あいつ、死んだんじゃなかったの?」
「その点はよく分かりませんけど……。あの、イミューもコートのお兄さまも、絶対に、悪いかたではないと思うんです……」
妹分はしおれてしまった。
フロルは「うーん」と唸ると、首元を掻き、腕を組み、鼻からため息をついた。
そもそも、神に善悪などない。
善神悪神のレッテルは、信じる者にとっての都合に過ぎない。
フロルとしても、女神のアトリエの件で助太刀をしてくれたコートの青年が悪人だとは思っていないし、イミュー神がどうのというよりは、三柱の内輪の問題ではないかと推測していた。
――でも……。
「絶対に、コートのお兄さまはいいかたなんです。お強いし、お優しいし……」
またもシーツにくるまりお団子になったアーコレード。こちらが問題だ。
フロルは頭上の神へ目配せをした。
『女神の枕にいるうちは問題なかろう。加護は受けられても、干渉するにはこの世界に接続しなければならぬが、あの阿呆が顔を出すとは思えん』
――すぐに何かを命じられて敵対する可能性は薄い、か。
『せんに繋げた世界も、ここ以外とは接続されておらぬゆえ、干渉には枕を経由する必要がある。目下、わらわはミノリと今後の対応を検討する。フロルよ、その娘から目を離すなよ。われらもイミューの眷属については把握しておらん。決してアーコレードを盗まれるでないぞ』
気配が遠ざかっていく。
また、わたくしに押しつけて! と神への不平を口にできずに、頭上を睨むフロル。
ともあれ、しばらくは神の抗争に巻きこまれる心配もないようだし、王の意向に沿って、面倒なことは一度忘れて息抜きに徹するべきだろう。
「うう……」
お団子が唸る。
「お慕いしてます、コートのお兄さま」
フロルは肩をすくめると「やれやれ、ですわ」と言った。
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