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092.星をかける少女-06

「うちの子たちのために苦労をかけたようだね」

「いえ、やりたくてやったので。アルベドさんも、あたくしのために飛び回ってくれたのでしょう?」

「はっはっは、確かに。いちばんの難敵は通貨管理局の局長だったよ。彼はちっとも便所から出てこないんだ」


 クエーサ一家とともに食卓を囲むアーコレード。

 テーブルの下で、靴先が何者かに突っつかれる。

 悪さをする小さな怪物は子どもたちの足もくすぐって回ったようで、食卓の上で笑い声が踊った。


「でも、火傷だけは心配だわ。若い女の子なんですもの」

 奥さんがアコの腕へと視線を向けた。


 アコはマンネンユキノシタを持ち帰ったのち、もうひとつ大きな仕事をしなくてはならなかった。花をチャッピーの火炎袋に入れる作業だ。

 竜の体内は発火温度に達しており、さしものアコもダメージを負っていた。怪我がすぐに治るという優れた包帯を巻いてもらっていたが、効きがいまいちよくないらしく、スープをすくう手がひりひりと痛んでいた。


 ――あたくしの身体、どうなってしまったんでしょうか。


 昔と比べて怪我をしたり、外傷で痛みを感じることが増えてきた気がする。

 以前なら、痛みといえば腹痛や頭痛くらいが関の山だったはずだ。


「怪我のほうはどうにでもなりますから。それより、ふたりをがっかりさせないで済んで、よかったです」


 豪華な夕食よりもテーブルの下に気を取られているランジュとリンクルを見る。

 笑顔だ。

 子どもたちはアコにもう一度お礼を言った。

 それから、リンクルが「ホントの魔法よりカッコいいよ」と付け加えた。


 バスルームを借りて汗を流し、客用の寝室で通信機を起動する。

 火炎袋への覚悟の投薬はシナン王女も通信で見ており、ふたりは改めてそのときの興奮を語りあった。


『わたしも一緒に冒険している気分です。明日はいよいよ宇宙ですね……』


 そのあとはもちろん、ラブレターと想いびとの話題となり、アコはあくびを噛み殺した。


 翌朝、アルベド局長に宇宙港まで送ってもらえることになった。

 標識に従った安全な空の旅。だが、徐々に近づいてくる塔に不安を覚える。

 エレベーターの天辺で、竜がロープを引っぱっていたりはしないだろうか。


 局長に素直に苦手を伝えると、「それなら平気だ」と請け負ってもらえた。

「これは塔というよりも、宇宙から紐を垂らしているようなものでね。ほらごらん、地上や宇宙からのエネルギーを受けて、ゆっくりと揺れているだろう?」


 彼の言う通り、近づくにつれて軌道エレベーターがふらふらと揺れているのが分かった。

 アコは沈黙と露骨な不安顔で抗議したが、局長はエレベーターの発電がどうとかと解説を熱心に続けるばかりだ。


「私は仕事があるからここまでだ。ステーションへの入港手続きは済ませておいたし、ハイヤーもちょうど同宙域まで出る予定の船があったから、乗り合わせ予約をしておいたよ。地上に戻ったら、この端末で連絡をしてくれ。王女のお手紙、無事に届けられるように祈っているよ」


 アコは、この世界にも何かに祈る風習があるのかとぼんやり考えながら、電子パッドを受け取った。これがステーション内での移動をナビゲートしてくれるらしいが、派手なボディスーツ姿と別れると、やはり塔から目を背けたくなった。


 施設に入り、人々の流れに従ってエレベーターへと向かう。

 ボディスーツ姿たちから、ちらちらと視線が向けられた。

 普段なら好奇の目には反発したくなるアコだったが、自分は独りではないと言い聞かせるのに利用できて、好都合だった。


 通信機を起動しても、呼び出し中のままだ。

 こちらの世界とあちらの世界では、少し時間のずれがある。昨晩は遅かったのもあいまって、王女はまだ寝ているのだろう。


 ――シナン様、起きてくれないかな。


 係員に舞台のない劇場のような大部屋へと案内され、指定されたシートに座って、これから起こるであろう宇宙への上昇について考える。


 もしも、エレベーターが急に止まって落ちたら、どうしよう。


 もう、それしか頭にない。

 宇宙というところは無重力で、ステーション付近まで到達すると重力制御の都合上、身体が軽くなったり、ものが浮いたりすると聞かされている。

 そこに届くまでに落ちてしまえば、昨日のビルや雪山なんて目じゃないほどの高さから落ちて地上に叩きつけられるわけだ。


「あっ!」アーコレードは笑顔になった。


 ――あたくし、負の魔導で反重力の魔術が使えるようになったのでした!


 今の内に予行練習をしておこう。

 手のひらの上で端末を浮かせてみる。

 いや、ちょっと待てよ。エレベーター全体が落ちるのだから、自分だけ浮くと天井にぶつかってしまうだろう。箱ごと持ち上げる必要がある。

 箱。箱といえば、施設の駐車場へ入るさいに、アルベド局長が何か言っていたはずだ。軌道エレベーターは人間だけでなく、物資も運んでいる。

 大きな車や船に積まれた巨大な鉄の箱――コンテナ――がいくつも積み下ろししているのを横目に見ていたのを思い出した。

 あんな大きくて重そうな物も入る箱を止めるなんて、さすがに不可能だ。

 自分だけなんとか墜落を防ぐように調整できないだろうか。

 乗り合わせた人たちを見捨てて? みんな、ぐちゃぐちゃになってしまうんじゃ?


 いつぞやの吸血鬼の城での血みどろのローラを思い出し、アコはお腹の中にあるあらゆる器官に違和感を覚えた。

 頭の中から、上半身だけのローラ王女を追い出すも、なんだか胃腸が浮いているような気持ちの悪い感覚は消えない。


「ううっ、シナン様」


 本物の王女のほうをもう一度呼び出そうとするも、やはりコール画面から一向に変わらない。


「えっ、ちょっと待って! どうしたの!?」


 キャンセルもしていないのに、呼び出しが止まった。

 再度、試みようとするも、今度はコール画面への移行すらしない。

 バッテリーはまだあるはず。壊すようなこともしていないつもりだったが……。


 アコは通信機をそっと鞄へとしまうと、コートの襟を立てて、周りから自分の顔が見えないようにした。


 ――ホントに独りぼっちになっちゃった。


 悟ると、他の席に座っている人が、自分とは無関係な存在だと感じられてきた。

 アコは瞑想に入ることにした。いっそもう、自分すらも消してしまえばいい。

 

『あたしが見てるよ』


 誰かの声がした。顔を上げると、女性係員の姿があった。


「お客様。そろそろお降りになっていただかないと困ります」

「ご、ごめんなさい。もう出発ですか? エレベーターの入り口はあっち?」

 慌てて席を立つアーコレード。

「出口は入ってきたところと同じですよ」

「あの、あたくし宇宙の港に行かないといけなくって……」


 アコは頭上を指差す。係員の女性は口を結んで、目だけで上を見た。

 怒らせてしまっただろうか。

 ところが、女性は急に笑いだして「ごめんなさいね」と謝った。


「珍しい格好をしてると思ったけど、軌道エレベーターが初めてだったのね。宇宙にはもう、とっくについていますよ」

「えっ? でもまだ、エレベーターに乗ってもいない……」

「地上にあるようなエレベーターとは違うのよ。この部屋どころか、隣の部屋も向こうの貨物室も、ぜーんぶがエレベーターの箱になってるの」


 あたりを見回すと、座席はすっかりからっぽになっていた。


「さあ、早く出ましょうね、おのぼりさん」


 アコはなんだか、十年くらい年老いてしまった気がした。

 からかう女性係員に促されて部屋を出て、ナビゲートに従って宇宙港のブロックへ向かう。係員は親切か面白がっているのか分からないが、港まで一緒についてきてくれた。


「ほら、あそこの窓から、私たちの居住惑星のアースアーズが見えるわよ」


 壁一面の窓の外には、星空と、湾曲した大地がいっぱいに広がっていた。

 緑や茶色が大地で、青が海。

 白色は雲だろうか。いや、布地をつまみ上げたようなしわがふたつある。きっと、昨日に訪れた雪山だ。


「これが、星を上から見た姿……」

「綺麗でしょう? あなたの住む世界も、こういう星にあるんじゃないかしら」


 アーコレードの眼前に広がる光景は、確かに美しかった。

 しかし、人はおろか、町すらも小さくなって見えない広大さと、宇宙のあの無数の煌めきの一粒一粒も星なのだと思うと、アコは自分がちっぽけで、何かとんでもないことをしてしまっている気がした。

 自分の居候する世界は、あの大地の一点の、建物の奥に隠されたゲートの向こうで、生まれた世界はさらにもうひとつゲートを越えた先だ。

 手紙を届ければすぐに帰れるというのに、搭乗手続きへと向かう足取りは、大地の強い引力に引き寄せられるようだった。


 ――でも、行かなくっちゃ。


 通信機はまだ呼び出し不可のままだ。

 ほかの人が同型の装置を使っていたり、端末で映し出した誰かと会話をしているのを見ると、焦りが酷くなる。とにかく、トリノ・ディラックに会わなければ。


 重い気持ちで受付けとやりとりをしていると、慌ただしい足音が近づいてきた。


「やばいやばい! 乗り遅れたらディラックさんに会えなくなっちゃう! ほら、もっと早く走ってよダーリン! 鍛え方が足りてないよ!」

「きみが、コーヒーマシンを分解させてくれなんて無茶を頼むから遅れたんだよう。ほら、あの登録コード一〇七の星屑号。まだ人が受付けにいるから、そんなに走らなくても間に合うよ」


 カップルだろうか。若い男女がこちらに向かって駆けてくる。

 片方は自分の世界の街でも見るようなつなぎ姿の女性で、長い茶髪がダッシュに合わせて跳ねている。

 もう片方は、鮮やかなオレンジのジャンプスーツを着た、背が低めの太った男性だ。彼はふたつの大きなバッグを両腕にぶら下げながら遅れてやってくる。


「駆けこみセーフ! おや、エロスーツじゃない服装の子がいる!」

 女性がこちらに笑顔を向けた。歯が欠けている上に、黄ばんでいる。

「あたしたちの同乗者ってことかな。その服装、もしかしてほかの世界から?」


 アコは女性のテンションに圧されながらも、自分の出身や目的を答えた。


「ややこしいね? 魔導のマギカ王国生まれなのに、女神のアルカス王国の王女様のお使いなんだ? じゃあさ、フロル・フルールって子、知ってる? あたしの友達なんだけど」


 ――フロル・フルール!


 女性が口にした名を聞いた瞬間、アコを覆っていた宇宙の闇がまっぷたつに切り裂かれた。

 思わず相手の両手を握って、力いっぱい振ってしまう。「え? あ、はい、よろしく?」と首をかしげる女性。


「あ、あの! あたくしフロルお姉さまには、本当によくしてもらっていて!」

「あたしもあの子には恩が山のようにあるよ。きっと、あなたよりもね」


 胸を突き出す女性。「えっへん」

 鞄を抱えた連れ合いが「そこ張り合う?」と突っこんだ。


「自己紹介がまだだったね。あたしはシリンダ。熱き霧の世界の蒸気技師。こっちの男は、レクトロ・ニクス。汚濁の罪の技術者で、あたしのダーリンさ」


 シリンダはそう言うと、また黄ばんだ歯を見せて、にかりと笑った。


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