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091.星をかける少女-05

 ――しかも、よりにもよってこいつ!


 鱗化する前の赤い皮膚、おとなになっても空を飛べない退化した翼。

 その舌先は火炎放射を調整するためにみつ又に分かれている。

 まっかな幼竜は、身体を丸めてどこか苦しそうだ。


「これはレッド・ドラゴン……。レッド・ドラゴンはとりわけ狂暴な種類なの。どこで手に入れたの? あなたたちのパパが持ってきたの?」


 問い詰めるような口調になってしまった。ランジュは目を潤ませている。

 いっぽうでリンクルは「平気だよ!」と言う。


「そんなわけ……」

「これはね、うちの世界で造られた竜なんだ。科学の遺伝子操作で、人間に懐くようになってるし、おとなにもならないよ!」


 少年が手を差し伸べると、竜は手の甲へ鼻先をこすりつけた。


「あちっ! また鼻が熱くなってる」

「ほら、懐くからって危険!」

「違うんだ、いつもはこうじゃないんだ。ホントは火も吐かないし、“チャッピー”は病気なんだよ」


 リンクルが言うには、最近のチャッピーは苦しそうにして寝ていることが多く、身体や吐息が触れないほどに熱くなり、悪化すると口から小さな火を漏らすこともあるという。


「パパやママは病気に気づいてないけど、知られたら捨てられちゃうかも。アコお姉ちゃん治せる?」


 アコは首を振る。そんな力はない。

 どころか環世界人道連盟的にいえば、チャッピーの存在は禁忌だ。

 遺伝子操作への制限もおこなっているし、危険生物の輸出入も魔導の世界をはじめ、多くの世界が禁止している。

 なんなら、レッド・ドラゴンは退治が推奨されているし、成竜を倒せれば勇者だともてはやされる。


「ペットショップの店員さんは火は吐かないっていったのに、どうしてかな……」


 レッド・ドラゴンの幼体は火炎袋の調整ができず、常に口から火を漏らしているのが普通だ。成長するにつれて袋の周囲の筋肉が発達して、火炎放射を我慢できるようになるが、体内に高温を保ち続けるとさしもの竜も弱るらしく、皮膚を鱗状に成長させ、それを逆立てて放熱するのだ。

 火炎袋が取り除かれていないあたり、この器官がなければ身体が冷えて死んでしまうことくらいは分かっているようだが、成体にならないように弄ったのが病気を誘発したのかもしれない。


「どうしよう。火を吹いたら警備ロボが来て、パパとママに怒られちゃう」

「怒られるどころじゃないよ! ニュースでやってたでしょ、家を火事にしたペットのドラゴンが殺処分されたって!」

「なんだよそれ!」

「チャッピーは連れていかれて、殺されるってこと!」


 ランジュが怒鳴ると、リンクルは顔を見る見るうちに赤くして、声をあげて泣きはじめてしまった。ランジュもつられてしゃくりあげはじめる。

 アコはふたりを抱きよせて撫でてやるが、テーブルの下の竜が赤い光を口から漏らすのを見てしまい、ため息をついた。


 ――竜は危険な生物。でも……。


 お姉ちゃん、チャッピーを助けて。


 アコはうなずくと、高熱を宿した竜を持ち上げようとした。

 幼体とはいえ、引きずらないと持ち運べないほどに重い。

「うわ、熱くないの?」「火傷しちゃうよ」

 子どもたちには触れないだろうが、自分には魔力による防御が備わっている。

 まずは竜をバスルームに連れていき、水の確保をさせ火事を防ぐ。

 発火体温から遠ざけるために冷水をシャワーしてやると、じゅっと音がして、竜の表情もこころなしかほどけたようになった。


「水を出しっぱなしにすると怒られる……」

 魔法を語った勢いはどこへやら、リンクルはずっとぐずぐず言っている。

 ランジュは「怒られるのとチャッピーが死ぬのどっちがマシ!?」とシャワーヘッドを動かし続けている。


「でも、これじゃらちが明かない。治す方法を探さないと」

 アコが呟くと、ランジュはリンクルにシャワーを押しつけて子ども部屋へと走っていった。

 端末を手にして戻ってきた彼女がガラスの画面をタップすると、王子とドラゴンの映像が宙に浮かびあがった。


「おはなしで読んだことあるの。王子様が赤い竜をやっつける話」


 赤い竜がお姫様をさらい、異国の王子が竜を退治する子ども向けのおとぎ話。

 竜の炎を防ぐために氷の結晶のような花の束を食べさせるシーンがある。


「それはおはなしで、ホントのことじゃない!」

 言いながらも、リンクルは湯気と格闘している。浴室が暑くなったせいか、どこからか『換気を始めます』と音声が聞こえ、強い空気の流れが起こった。


「待って。このおはなしは、ホントのことかもしれない。あたくしの世界にも同じ昔話があるの。この花も“マンネンユキノシタ”といって実際に生えてるし、炎を押さえる力もある」

「ホントに!?」

「この花は確かにチャッピーの病気には効くと思うけど、マンネンユキノシタは魔導の世界のロスラム皇国の雪山にしか生えてないから……」

「見て、お姉ちゃん」

 端末から投影された王子とドラゴンが消え、どこかの雪山の映像が現れた。

 岩の斜面に煌めく青白い花が群生しているのが見える。

「これは、マンネンユキノシタ……」

「ここ、知ってるの。パパがエレベーターの上から見て教えてくれた、この星でいちばん高い山。チャッピーのために、お願い!」


 バスルームの濡れた床に膝をつき、アコの手を取るランジュ。

 リンクルは顔をまっかにしながらも、黙って竜を冷やし続けている。


 子どもたちの頼み。

 アコは局長が戻ってきたら、すぐにでも宇宙へ発つつもりだった。

 こちらはこちらで、いのちのリミットも懸かっている。


 ――でも。


 お姉さまがたなら、どうするだろうか。

 アーコレードはためらいも短く鞄から通信機を取り出し、王女を呼び出した。


『あ、やっと繋がった。ずっと繋がらなかったんですよ。星を繋ぐ軌跡にはつきましたか? 儀式を見て、気分を悪くなられたりはしてませんか?』


 王女は『あのダンスはトラウマで。うっ、思い出しただけで……』と口元を押さえた。


「変態の話はいいので、少しだけあたくしに時間をくれませんか?」


 アコは王女に事情をかいつまんで話した。


『アマリリスさんのことを考えてたときは、もう死んじゃうかと思ったんですけど、その話を聞いて元気が出てきました。わたしも応援します。是非、チャッピーさんのお薬を採ってきてあげてください』


 シナン王女は、にこりと笑顔を作ると、『ランジュちゃん、リンクルくんこんにちは。お姫様ですよ~』と呼びかけた。

 端末のバッテリーはまだ充分ある。マズくなったら切ってもらうことにし、王女にふたりを任せて、アコは子ども部屋に入りこんだ。


「まさか異世界でこれに乗る日が来るなんて」

 壁に立てかけてあった“魔法のほうき”を手に取り、固く握りしめる。


 ……。


 魔法のほうきは、魔力を送ることで浮力と推力を発揮する魔導具だ。

 久しく乗っていない。ハナドメに魔術を習っていたころ以来で、知り合いの双子の魔法使いがこれを愛用していることを知ってからは、自宅の物置きでほこりを被っていたそれを処分させていた。


 庭に出てほうきにまたがり、魔力を流しこむ。

 柄に体重を預けるとアコは顔をしかめた。魔法のほうきで飛ぶさいは普通、内股の分厚いインナーかボトムを履くのが一般的なのだが、四の五の言ってはいられない。


 ――飛ぶときは、魔力を穂のほうへ向けて流しこむ。


 意識した瞬間、景色が走った。

 街の景色の標識や窓の明かりが光の尾を引き、風を受けたコートと髪が激しく暴れる。


 ――前に乗ったときより、ずっと速い!


 建物が迫り、慌てて方向転換。

 ビルのあいだを抜けつつも、両サイドに連なるガラスの増やす情報量が、やたらと体感速度を高め、身を固くさせる。

 まるで、生垣の迷路を全力疾走させられているかのような気分だ。


 ビルの影から車。


 こめる魔力を増やし、ほうきを上へと引いて上方へ逃げる。

 穂先にかする音がして、悪寒が股から胸を突き抜け背筋で弾けた。

 衝突は避けたが、ビルのあいだを飛ぶ車両は多く、行列が何層にも連なっていた。

 あいだを縫うように何度も車をかわしながら、灰色の森の上空を目指す。


 また車か。今度は長細い箱がいくつも連なったタイプだ。余裕をもって回避し、車がヘビのようにビルのあいだを抜けていくのを上昇しつつ見送る。


 息をついて再び上を向くと、アーコレードは死を悟った。


 ――看板!


 しかしそれは、光の粒でできた代物で、ほうきの少女はするりとすり抜けた。


「た、助かった……」


 邪魔をするもののない高度までたどり着くと、冷たい風が服のあいだへと忍びこんだ。全身汗だくだ。

 汗をぬぐう段になってようやく、自分の手が、ほうきとくっついたかのように固く握られていたことにも気づく。必死にしがみついていたせいか、衣服のほうきの当たっていた部分がずれて、皮膚を巻きこんでしまっていた。


 姿勢を正し、バランスを取りつつ服装を直し、コートの前を合わせて遠くを見据えると、ようやく落ち着けた。


 雲のない高い空だ。例外もあるが、多くの世界と同じ青空。

 日は傾いて正面にあった。

 自分の世界や女神の枕とは違って、少し小さくて弱々しい太陽。

 太陽よりも、あの天を衝く塔のほうが偉いように思える。

 塔や太陽から見て右手。この世界でも「北」だろうか。

 そのうちに、山々の中に白い化粧をしたものを見つける。

 兄弟のようなふたつの鋭い峰、あれがランジュの見せてくれたマンネンユキノシタの咲く雪山だ。


 ――間に合うかな……。


 風を切る勢いや魔力の流れで、ほうきが相当の速度を出しているのは分かる。

 しかし、空を分かつ塔や眼下に広がる景色、目指す峻峰は止まっているようにすら思えた。


 どこまで行っても、たどり着かないような気がする、ふたつの大きな山。


 アコはまぶたを閉じ、ほうきの操作をしつつも、おのれの魔力を練り上げるために瞑想に入った。


 ――あたくしも、もっと頑張らないと。


 成長したい。強くなりたい。身もこころも。

 情と現実のはざまで戦い続ける兄と父、誇り高きふたつの憧れの星と、素直さと優しさを教えてくれた王女。

 みんな立派だ。自分には何ができるだろうか。

 せめて、ランジュとリンクルに笑顔を取り戻させてやりたい。


『――――』


「誰?」

 アコは周囲を見回し、首をかしげた。聞こえるのは風の音ばかり。

 気のせいだろう。

 正面へ向き直り、思いのほか近づいていた雪山と、たっぷりの魔力で活性化された身体にほくそ笑んで、一気に加速した。


 雪山は所々が雲に覆われ、吹雪いているのか雲の近辺がかすんでいる。

 頑丈な身体と魔力の守りも突き抜けて、手の甲が刺すように痛んだ。

 少し息苦しく、耳や頭にも違和感がある。


 ――早く見つけないと。


 ランジュに見せてもらった映像では、花は離れた位置からでも分かるほど青く密集して咲いていたはずだ。

 しかし、この雲と雪が全て覆い隠してしまうかもしれない。

 凍りついた岩肌。生き物一匹、草木一本はおろか、高度な文明でもここで暮らすだけのメリットを見いだせないのだろう、建物や車両も見当たらなかった。


 少女を急かすように、太陽が帰り支度を始めた。

 寒空の世界に、長い叫びのような色が差しこみ、あたりを染める。

 反対の方角を振り返れば、夜景と夜空のふたつが星の海を灯していた。


 ――やっぱり、あたくしには……。


 きらり、何かが光った。目を細め睨むアコ。

 移動に伴って岩山の影から現れた鋭い斜面は、落日に抗うように、ほかよりもいっそう激しく青色に輝いている。


 ほうきに乗った少女は願いを掛け、光る斜面へと目がけてほうきを走らせた。


「あった!」


 雪の結晶の形をした花びらを持つ花、マンネンユキノシタ。

 ここは風が弱い。花は凍った土の上で身を寄せ合っている。

 斜面へ近づきほうきを静止させ、花をさらって鞄に押しこんだ。


 雪山から離れると、空はすっかり星々が支配していた。

 アコは宇宙(そら)を見上げ、瞳へ存分にそれを映しこんだ。

 満足して白い息を吐くと、さらに頬を緩ませ、思わず「綺麗」と呟く。

 遠くの空に、光のカーテンを見た。

 この旅はきっと何もかもうまくいく、そんな気がした。


 さあ、急いで戻ろう。

 アルベド局長の家は、郊外の住宅街のひとつだ。

 だが、人工の光が夜とのコントラストを強くし、街の輪郭をすっかり消してしまっていた。


「でも、大丈夫です!」

 アーコレードは誰に言うわけでもなく、得意げに声に出した。

 庭に魔導具をひとつ置いてきていたのだ。

 魔力を貯めておける魔導石で、徐々に魔力を放出してしまう粗悪品だが、近づけば自分の魔力を感じてすぐに家を見つけだすことができる。


 街の中は車で危ない。上空を突っ切って郊外で降りよう。


 そう思った矢先だった。


 街から、四つの光が浮かび上がってきた。

 人の頭ほどのサイズの金属の球体が、ほうきの少女を取り囲む。


「未確認飛行物体ニ告グ、夜間ノ無灯火ノ飛行ハ法律違反デス」

「機体ノ登録コード不明、生体反応カラ身分証ノ、リプレイナシ」

「図鑑データ照合……該当スル飛行生物ナシ」

「車検違反、速度違反、身分証不所持、罰金罰金罰金!」


 球体の中央には青い光がついており、目玉のようにきょろきょろしている。

 やかましいロボットたちだ。どう振り切ろうか。


「コレヨリ、車両ノ強制停止ト、搭乗者ノ逮捕ヲ実行シマス」


 思案に耽る隙もなく、アコの網膜に稲妻が焼きつく。

 痛みに身をよじり、身を縮こませてほうきにすがりつく。


 二発目。閉じたまぶたを貫いて世界が白に染まった。

 身体中を熱と痛みがくすぐり走る。

 ほうきを握る手は電撃で硬くなり、反して股は緩み腰がぬるりと落ちて、ほうきにぶら下がる格好となってしまった。


「ショックガンノ無効ヲ確認。原始的手法デ、逮捕シマス」

「お断りです!」

 自身の下方にドーナツ状の魔力の帯をイメージし、魔導をおこなう。銀の球体たちが、がくんと引っぱられ、アコの眼前で射出されたロープが落ちていった。


「重力兵器ノ仕様ヲ確認。類似ケースカラ宇宙海賊ト断定。射殺シマス」


 マズい。直感だけでもう一度、重力魔術を行使。

 青い眼玉を一斉に発光させたロボたちは視線をブレさせ、眼球から放たれた光のラインがアコのぶら下がるほうきに結ばれた。


「しまった!」

 あっという間に燃え尽きる魔法のほうき。身体が宙に投げ出される。


 ひきつける天然の重力。上へと流れ消える腹立たしい球体たち。

 標識を突き抜け、車両が鼻先をかすめる。

 アコは思う。こんな狭いビルのあいだを列をなして走っているのに、この車たちは今の自分よりも自由だ。

 ビルは居住用らしく、窓からは、夕食をとる家族や、ソファに座って映像を見る男女の背中が見えた。なんだか不思議だ。すべてがゆっくりと動いて見える。


 急にみんながズルく思えた。自由に飛ぶ車も、幸せそうな家族も、仕事に誇りも丁寧さもない係員や、融通の利かないロボットたちも。

 不自由な自由落下の中、魔力だけが少女をたぎらせ続ける。

 きっと、死んでしまうだろう。それでも、ぶつかるであろう車や地面を少しでも傷つけてやろうと意地になって魔力を高め続けた。


 ふいに、顔を窓にべったりとくっつけた子どもと目が合った。

 バカみたいな顔だ。アコは吹き出してしまう。


 ――ランジュとリンクル、悲しませちゃうかな。


 竜を心配して、必死に助けを求めたランジュ。

 魔法を語り、科学を誇った、ちょっと生意気なリンクル。


「……そうだ、反重力!」


 アコは近づく地面に向かって両手を突きだした。

 宙に魔力の絨毯を作りだし、力の導きを正から負へと書き換える。

 逆さまの加速度的に落下速度が失われ、魔法使いの少女は宙に静止した。


「再度ノ重力兵器ノ使用ヲ確認……」

 邪魔者たちが追ってくる。


 アコは球体たちを次々と指差し、彼らの正面を魔力の膜で覆った。


「おどきなさい!」


 ロボットが一斉に弾かれる。

 彼らはビルの壁や窓、走る車などに当たり負け、蹴飛ばされた缶のような音を立てて、火花を散らして消えていった。


 魔法使いの少女は哀れなロボットたちに、「お姉さま直伝の中指立て」を披露すると、ゆっくりと宙を泳いで、規則正しい車の列へと加わった。


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