089.星をかける少女-03
「では、行ってまいります」「頑張ってね」
アーコレードは居候先のあるじセリシールに見送られて、馬車へと乗りこんだ。
今日のアコは旅人姿だ。動きやすいパンツコーデの服装の上に恩人の黒コートを羽織り、いつもの縦ロールはうしろでひとつに束ねて縛ってある。
竜革の肩掛けバッグの中には、魔導具や薬などを思いつく限りに詰めこんだ。
それから、アルカス王が持たせてくれた旅費の金貨もずっしりと重たい。
――シナン様の想いの詰まったお手紙は、必ずお届けします。
友人のために、生まれて初めての一人旅。
上手くやれるだろうか。トリノ・ディラックは無事だろうか。
手紙を読んだ彼は、シナン王女をどう思うだろうか。
まるで自分が告白しに行くかのように、胸が高鳴る。
『アコさんアコさん、聞こえますか?』
手のひらの中にある銀の円盤が光を放った。
光の中でシナン王女のバストアップが宙に浮いており、こちらを覗いている。
「聞こえますというか、見えています。これって、本当にゲートをくぐっても通信ができるんでしょうか?」
『お父様がおっしゃるには、可能だって』
アルカス王が異界より取り寄せた“越界通信機”なる超科学文明の道具。
これから向かう世界“星を繋ぐ軌跡”で作られた小型の連絡装置だ。
こんなものを用意できるとは、さすがはアルカス王家といったところだが……。
「これをディラックさんに渡したら、いつでもやり取りができるような?」
聞こえよがしに呟くと、光の中の王女が、顔をぶんぶんと横に振った。
『そんな、ディラック様を縛るようなことはできません。ご迷惑に決まっています。それに、わたしがこうなってしまうことは、うすうす感じてはいたので……』
「顔が見られて、声も聞こえるんですよ。お手紙よりもこっちを使いましょう」
アコが勧めるのを、王女は激しく咳きこんで掻き消した。
「なんだか嘘っぽい」
『えへへ、バレました? じゃあ、もし、お手紙を読んでもらったあとで、了解いただけたら、通信機を使ったお話しもするということで』
「約束ですよ?」
王女は『約束です』と小さく言うと、映像の中で小指をこちらへと近づけた。
アコも応じ、映像に小指を近づける。王女から教わった約束の合図だ。
『では、わたしは少し公務があるので失礼します。こまめに連絡をお願いしますね。旅のご無事をお祈りしています』
にこりと笑う王女の顔。通信機越しでも、いつもの温かな笑顔は変わらない。
アコは思わず、「ちょっと不安かもしれません」とこぼす。
『大丈夫ですよ。どうしても困ってしまったときは、お父様が人をやってくださりますし。……あっ、でも、ひとつだけ気をつけてください』
王女の顔が厳しくなった。アコは唾を飲み、忠告に耳を澄ませる。
『星を繋ぐ軌跡とのゲートがあるのは、破壊の神殿の敷地内なんです』
平和な世界である女神の枕にも、勢力争いのようなものが存在すると聞く。
同じ女神の申し子でも、血統や家柄を重視する貴族と、女神のからの天賦の才として宣誓を授かり信仰することを重視する神殿は反目しあっている。
「神殿の一派……。セリスお姉さまからも、お守りにって、これを渡されたんですが……」
渡されたのは“分厚いレンズの眼鏡”だ。シナンは睨むようして映像の中で顔を近づけると、『ばっちりだと思います!』と言った。
しかし彼女は映像から消えて、咳きこみ……えづく音を届けた。
――シナン様!
急がねばなるまい。王女の容態、ディラックの安否、通信機のバッテリー、王の勅令とはいえ留学生と兼任する橋渡し役の休止のこともある。
アーコレードは通信を終えると、全身をめぐる魔力に意識をやった。
自身の力を高め、研ぎ澄ませ、ひと粒も漏らさないように内へと閉じこめる。
すべての不安を頭の外へと追い出し、深い深い自己の宇宙へと潜っていく。
『――――』
声が聞こえた気がした。はっとして通信機を見やるも、起動していない。
「アーコレード様、そろそろ神殿が見えてきますよ」
馭者の男が言う。
聞こえた気がした声は、女の子のものだった気がするが……。
通信機も切れたままだし、聞き違いだろうか。
破壊神を祀る神殿は、全体として黒い石が使われており、日中でも異様な存在感を放っていた。本殿の周囲にいくつかの石室が並んでおり、その周囲には黒地に赤ラインの入ったテントがいくつも張られている。
テントや神殿と同じ色のローブやドレープをまとった信者たちの姿もぽつぽつ見られ、彼らは目の端でこちらを観察しているようだ。
アコは信者に案内され、神殿の内部へと導かれる。
中心に赤いラインの描かれた黒石の廊下を抜けて中庭へ出ると、青い光の渦が現れ、その前にいくつもの人影が見えた。
太鼓、笛、琴などの楽器を携えた、黒いドレープ姿の奏者たち。
彼らの中心には大男が一人、立っていた。
――このかたは……!?
岩のような厳めしい顔。筋骨隆々で、男性性の森に覆われた胸部ははちきれんばかりで、野太い腕もまた毛むくじゃらだ。
なぜか彼は、煽情的な女性ものの踊り子の衣装に身を包んでおり、異界の門よりも異様な空気を放っていた。
「本来ならば異界の者や貴族への助力は断るところだが、この破壊の巫女“アマリリス”はアルカス九十二世とは旧知の友。この友情は血筋によらず、運命によって結ばれたものであるゆえ、そなたに女神の守護を授ける開門の儀を執りおこなうことを引き受けた次第である」
長々と口上を述べた巫女を名乗る男は「もっと前へ出よ」と言った。
アコはおとなしく従う。
彼らの誇りを傷つけてはならない。お姉さまがたのいうところでは、神殿派のおこなう儀式はすべて女神に捧げるためだが、命じられたわけでもなく自主的にやっているだけのポーズだ。
女神の守護とやらを人間風情が他者に授けることなんてできないし、アルカスの国法的にも、たとえ私有地でも通行拒否をする権利はないらしい。
どん! 太鼓が叩かれる。
ぴょろり笛が鳴り、ぽろぽろと琴がかき鳴らされ始める。
――うっ!
それに合わせて眼前の筋肉のかたまりが、身をくねらせた。
かと思うと、地面を激しく踏み鳴らしたり、手のひらで胸を叩いたりしだす。
アマリリスが飛んだり跳ねたりするたびに、腰布がめくれ上がり、内側がちらちらと見える。丸太のような腿もやはり毛むくじゃらで、股間を隠す下着のようなものは、布を詰めこんだようにもっこりと膨らんでおり、どうにかすると、そのまま、「ぼろん!」と、まろびでてしまいそうだ。
――生温かい!
流れてくる風は、肉的な空気をたっぷりと孕んでいる。
アーコレードは思わず顔を背けた。
――しまった!
お姉さまからの警告を無視してしまった。
守護の儀のダンスからは、決して目を逸らしてはならない。
目を逸らすと、踊り手は被儀者への恩寵が遠ざかることを心配して、距離を詰めてくるのだ。
アコが正面に向き直ると、大男の腰がさらに近くなっていた。
めくれる衣装の隙間から覗く光景。股間の布のあいだから黒い毛がもじゃもじゃとはみ出しているのを見つけてしまった。
「おお、女神サンゲよ。あまたの世界の門を開きし我らが神よ。かの異界の地へ赴きし旅人に、あなたの愛をお授けください」
ずんちゃずんちゃ。アマリリスが腰を前後に振る。
「おおぅ!」と顎をしゃくり、両手のひらでおのれの乳房……というか胸筋を激しく撫でている。
アーコレードは「ひっく」としゃくりあげた。だって怖い。すごく怖いんですもの。
いたいけな少女は破壊的なダンスに圧倒され、手の中にあるセリスのお守りを握りしめた。
そういえば、この眼鏡は何に使うのだろうか。
アコはさも「よく見えるようにするために」といった感じを装い、眼鏡を掛けた。
――ぼやけてる! 何も見えない!
助かった。セリスお姉さま大好きと心の中で叫び、姿勢を正して儀式に向き合う。
これなら、どれだけアマリリスがどたばたやっても分からない……たぶんシルエット的に今は腰を前後に振っている、それもこちらに向けてやっているようだが、これだけぼけていれば耐えられるだろう。
なんかこう、しょっぱいしぶきが顔に跳ねかかってきたけどまあ、耐えられる。
音楽が終わり、ぼやけた世界に動きがなくなると、アコは眼鏡を外した。
「これにて、守護の儀を終了する。旅人に、苦難を滅する神の加護があらんことを」
一礼するアマリリスは汗だくだ。いつの間にか腰のドレープが取り払われており、もっこり小山もなんだか峻峰のごとくといった感じになっている……。
アコはまた泣きそうになった。鼻をすするとむせてしまう。
開けた空間だというのに、中庭はアマリリスの臭気で充満していた。
よく見ると、ゲートの周囲の植木が枯れているが、この儀式のせいではないだろうか。
ともかく、第一関門は突破した。いよいよ“星を繋ぐ軌跡”へ。
ゲートに飛びこむと、広めの部屋へと出た。
堅く滑らかな灰色の床と壁。ノブのない扉の前には、全身をタイツのようなもので覆って、フルフェイスのヘルメットを被った人物が立っていた。
ボディラインからして女性。彼女は銃火器らしきものを両手で携えている。
アコは女神のアトリエで戦ったロボットを想起して、いっしゅん産毛を逆立てたが、彼女が武器を下ろし、「連絡のあったアーコレード・プリザブ様ですね」と口にすれば、すぐに落ち着いた。
――ホントにロボットでは、ありませんよね?
肌に密着するスーツは、その下の肉の動きをよく示している。
顔は覆われて分からなかったが、声も柔らか。
女性がヘルメットの額に手をやると、ぴぴっと音が鳴り、彼女は急に平坦な口調になり、途中で詰まったりしながら、来訪者がこれからすべきことや向かうべき場所を教えてくれた。
「部屋を出て通路を右に、出入界管理窓口で入界目的を告げて係員の指示に従ってください。熱量に異常を感知すると警備システムが作動しますので、火気厳禁、高速移動や凍結、帯電、魔力のチャージなどもお控えください」
アコは門番の女性のセリフをリピートしながら、通路を進む。
進もうとしたのだが、前に進んでいる気配がない、というか床がひとりでに動いて押し戻されていた。
「ごごごごめんなさい!」
うしろのゲートのあった部屋から、門番の女性が飛び出してきた。
「さ、最初の通路は左でした。ベルトウォークの上では原因の転倒となりますので走って、歩かないでください!」
アコはちょっと口元を緩めると「お気になさらないでください」と言って、反対方向へと進路を取る。
動く床に運ばれ、管理窓口へ。ガラス張りの窓口の向こうには若い男性が座っており、彼もまたボディスーツ姿で、ヘルメットこそはしていないものの、背後には銃火器やら長い棒やらが置いてあった。待ちあいの椅子が並んでいるが、係員とアーコレード以外には、ベルトウォークの乗り口に警備が立っているだけだ。
係員に挨拶をすると、彼は手元の装置を操作したあと、入界の目的を訊ねた。
「人探しです。トリノ・ディラックという、宇宙船の技術者を探しています」
「トリノ・ディラック。あの若き天才科学者で、重力エンジン開発のホープの? でももう、そうは呼べなくなっているかもしれませんね」
「どういうことですか? ディラックさんはお亡くなりになっていたり!?」
アコは通信機の入った鞄を押さえながら、ガラスに詰め寄った。
「そういうデータはあがってませんね。第七世代型超限界圧縮質量エンジンを乗せた船の試験航行に行ってしまったんですよ。予定どおりなら、もう外宇宙に出ているはずなんですけど、出航が宇宙海賊に邪魔さたようで現在のデータは……ブランクです。星外へ出られたのはつい先週なんで、まだ間に合うかもしれませんが……」
「どうすれば会えますか?」
男は唸った。口をゆがめ、左右の眉を平行から程遠くし、ペンらしきものでこめかみを掻きながら。
「手続きは死ぬほど面倒ですよ? それに、情報化文明未満の世界のかたが宇宙へ出られた前例は……宇宙海賊に誘拐されたのを除けばゼロですし」
係員は装置に顔を向けたまま、ため息をついた。
「ここのところ、宇宙海賊に怯えて船の数が減っていますし、資源惑星が行方不明になってからは燃料費も高騰。色々と制限がかかって手続きも増えてますし。それでも会いたいとおっしゃる?」
海賊程度に怯えていられない。
アコはカウンターに両手をついて「ディラックさんに手紙を届けないといけないんです」と力強く言った。
「手紙? 紙のおたより? 書類のような?」
「えっと、アルカス王国の王女からの大切な親書で……きちんと届けないと外交問題になるかもしれません!」
「外交問題ねえ。資源惑星や宇宙海賊の問題発生以降、下位文明とのやり取りなんてろくにできちゃいないんですが。アーコレードさん、身分証やビットは?」
身分証は勲章やら家紋の入った品やらがあるが、ビットとはなんだろう。
「ビットは電子的信用通貨。お金ですよ。あの……石とか貝殻とかコインとか、そういうのの代わりね」
「金貨ならあります!」
アコは鞄に手をつっこみ、ずっしりと重い袋をカウンターに、どすんと置いて、一枚取り出して見せた。
男は眉を引くつかせ「あー」と唸り、こめかみを掻いていたペンを止めた。
「いいことを思いつきました。ここでひとつ宣誓をしていただければ、あとはご自由にしていただいて結構ですよ」
「せ、宣誓……。あの、あたくし女神様の加護は……」
「映像は記録されています。行動の一切の責任をみずからが負うとだけ言ってくれればいいので」
アコは急かされ、彼の言う通りにした。
自世界から女神の枕に入ったときとは、ずいぶんと勝手が違う。
高度文明は面倒くさいとフロルがぼやいていたが、こういうことか。
「証明はこれで充分なので、もう行ってもらって結構ですよ」
男は手で追っ払うような仕草をした。
「あの、宇宙へ行くにはどうしたら?」
「上へ上へ向かって飛んでゆくといいでしょう。……冗談です。軌道エレベーターから宇宙港に上がってもらって、そこから船に乗ってください。最後の記録ではディラック氏は宙域座標一七〇九二の五五で試験中でしたから、定期便ではなく亜光速ハイヤーをチャーターしなければなりませんね」
「えっと、ごめんなさい。もう一度お願いします」
メモとペンを取り出し、係員に繰り返してもらった情報を書き記す。
係員に「意味無いと思いますけど」などと悪態をつかれたが、無視だ。
下級文明がバカにされるのはお約束だが、彼らは彼らで、環世界人道連盟への加盟者も出していない世界でもある。
セリシールの弟子たる者、「寛大にしてさしあげますの」としておこう。
アコは礼を言い、警備員にも挨拶をして、次のベルトウォークの床に乗った。
「ひゃっ!?」
係員が「さよなら」と言ったタイミングで、床のスピードが急速に上がった。
壁の継ぎ目が高速で流れ、世界が狭まってくるような錯覚に襲われ、しゃがみこむ。
――で、でも早いほうが好都合。
訳の分からない手続きをふたつもこなして、たっぷりと時間を浪費してしまっている。
アコは床の速度に慣れると立ち上がり、呼吸を整えて待った。
通路の先に光が差した。出口だ。
「よし、第二関門突破!」
アーコレードはベルトの勢いでそのまま外へと放り投げられ、舗装された地面に顔面をこすりつけた。あいだに小石がいくつも挟まっていて、ちょっと痛い。
気を取り直して立ち上がる。
ゲートの位置の都合だろうか、施設の外は舗装された地面が続くばかりの景色だ。出迎えなどは特にないようだ。
「でも、異世界!」
遥か遠く。
青空を二分するかのように、高い塔がまっすぐとそびえたっているのが見える。
雲に阻まれるわけでもなく、その尖端はかすんで青に溶けている。
塔のふもとには都市らしきもののシルエット。
よく見ると、何かの乗り物らしき物体が高速で宙を行き来しているのも見えた。
アーコレードは、いざゆかんと一歩踏み出す。
小さな胸に姉役たちの誇りと、王女の願いを抱いて。
「人型生命体ヲ察知。身分証ノ応答ガ、アリマセン」
おもむろにドラム缶のような物体が、地面を滑るようにしてやってきた。
「身分証ノ不携帯ハ、五〇〇ビットノ罰金トナリマス。身分証ヲカザシテ、支払ッテクダサイ。身分証ノ応答ガ、アリマセン。罰金支払イ拒否ト見ナシ……」
ロボットらしく、何やら音声を発している。
アコの腰丈ほどの高さで、ちょっと可愛らしい。
「罰金? 何か間違ったのかな……」
アコが首をかしげ、金貨を差し出してみると、銀樽から棒が突き出して、脇腹を突いてきた。
弾けるような音と同時に閃光、かすかな熱と痛み。電撃だ。
「何をなさるの!?」
思わずロボットの頭(?)をひっぱたく。
「物理攻撃ヲ検知。公務執行妨害デ逮捕シマス。スタンバトンノ無効ヲ確認。原始的手法デ、逮捕シマス」
ロボットがそう言うと、頭のふたが開き、銀色のロープが飛び出してきた。
縄はヘビのようにアコの身体に巻きついて、あっという間に動きを封じこめた。
手足の自由を奪われた少女は引っくり返り、顎を地面にぶつけてぼやいた。
「なんなんですか、もう……!」
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