083.ティー・タイムは事件のあとで-03
※本日(5/7)は2回目の更新です。
紫陽館の大広間では、霧から避難した客たちがほうぼうの待機部屋から戻り、雑談や料理を楽しみながら主役の登場を待っている。
「ごめんなさいねヨシノさん。わたくし、急な会場の変更のことで頭がいっぱいで、あの子がおそろいドレスを贈っていたことなんて、すっかり忘れていたの」
ラヒヨと同じ小麦の肌と黒髪を持つ女性。ハイドランジア夫人、アイドラ。
卿が王城への急な呼び出しを受けていたため、本日のパーティーは彼女が取り仕切っている。娘の晴れ舞台だというのに、彼女の表情は曇り空だ。
「ご来賓のかたに誤解されないように、わたくしのほうからちゃんとご説明させていただきますので」
「いえ、そこまでしていただかなくても」
「いえいえ! これもわたくしたちの落ち度で。本当、あの子ったら昔から周りに迷惑をかけて。わたくしはいっつも振り回されて。病気をして看病に気を揉んでいたら、急に元気になって騒ぎを起こすというのを何度繰り返してきたことか」
「ご苦労なさってきたんですね。でも、ラヒヨさんも最近はすっかりご健康になられたみたいで」
「それは……、ヨシノさんやフルール卿のおかげですわ。そちらにご厄介になってからは、風邪ひとつ引かないと言ってましたのよ。それでは、パーティーを楽しんでくださいね」
夫人はもう一度ドレスの件を詫びると、ほかの客の談笑に割りこんでいった。
話の内容は聞こえてこないが、招待客はアイドラを励ましたり、手振りで滅相もないというふうにやっている。
それから、夫人はヨシノのほうを指し示した。続いて客たちもこちらを見た。
必要ないと言ったのに、ドレスのことを説明してくれているようだ。
ヨシノは新郎新婦の登場の待ちがてら、料理のひとつをつまんでみた。
肉の揚げ料理らしいが、ひと噛みすれば脂がじゅわっと染みだし、追いかけるように芳醇な香りが口の中に広がった。
小麦粉を使った衣と肉のあいだに刻んだ茶葉が仕込んであるらしい。
なかなか悪くない。フルール邸のコックが、フロルの代になってからパーティーが減って立食向けのレパートリーが披露できないと嘆いていたのを思い出す。
ハイドランジアの茶葉コンテストのように、フルール領でもイベントをやるのを提案してみようか。
農作物ならフルール・ラディッシュが自慢だ。ときおり採れる、へんてこな形のものを品評しあう、「へんてこフルールダイコンコンテスト」なんてどうだろう? きっと盛り上がるに違いない。
料理をつまんでいると、視線を感じた。
またアイドラと客たちがこちらを見ている。
全員に説明して回る気だろうか。
ヨシノはため息をつき、誰かを探すふりをして夫人の視界から逃げることにした。
――おや? あのかたは……。
逃げた先で見知った顔を見つけた。
紫がかったラグジュアリーな銀髪を縦ロールに巻いた娘。
貴族以外の客も多いせいか、彼女の黒を基調としたドレスはよく目立つ。
彼女にも会話の相手がいないようだったが、誰もいない壁のほうを向いてしきりに何かぶつぶつ言っている。
「アーコレード様?」「ほあっ!?」
驚かせたらしい。
アコはこちらを向くと顔を引きつらせ、逃げ腰に首を縮めて、ヨシノを下から上へと観察した。
「え、えっと……」
「ヨシノですよ。フロル様の従者の」
「わあっ、ヨシノさん!」
アコの表情が緩む。
「いつもと服装が違うので気が付きませんでした。あたくしてっきり、どこかのご令嬢の気に触ることをしてしまったのかと思って」
彼女は姿勢を正すと胸に手を当て「よかったあ」と息をついた。
「ザヒルさん以外に知り合いがまったくいなくって心細かったんです。同年代の子もほとんど見当たりませんし……」
「そうでしたか」
ヨシノは、から笑いを隠しながら返事をする。
ラヒヨのあの性格を考えれば、若い女子の参加率が低いのもうなずける。
「ところで、アーコレード様はどうしてここへ? ザヒルさんからの招待ですか?」
「えっとその……。じつはこのパーティーの主賓の、代理でして」
苦笑いをし、巻いた髪を引っ張るアコ。
本来、このパーティーの主賓として参加する予定だったのは、アルカス九十二世の一人娘、シナン王女のはずだった。
そういえば、と思い出す。王城で結婚式が開かれたさいに、ハイドランジア夫人がかなり強引に頼みこんでいたと、フロルとセリスが口を尖らせていた。
シナン王女はアイドラの娘たちと同様、病弱なたちだ。
最近は特に体調が思わしくなく、王城を貸した結婚式にも無理をおして出席していた。こんな遠方まで来させるのは酷というものだ。
「シナン王女の代理を、どうしてあなたが?」
「じつは陛下からのご勅命でして……」
どうやら、アコもまたこのパーティーを押しつけられた者らしい。気が重そうだ。
異界からの留学生に過ぎない彼女が王族の代理を務めるようになったのは、エチル王子が魔導の世界へ旅立つさいに、病弱な姉との話し相手を頼んだことに端を発する。
「友達……なんて言ったらおこがましいにもほどがあるのですが、シナン様とは仲良くさせていただいてまして。シナン様はお優しいかたですから、陛下に内緒でこの話を引き受けたそうなんです。でも、陛下のお耳に入って、急遽あたくしが代理人として派遣されたんです」
それで壁に向かってスピーチの練習をしていたのだという。
シナン王女は気立てがよく、物腰の柔らかい女性だ。
フロルやセリシールも幼少のころは彼女のことを「お姉さま」と呼んでいた。
フロルに泣かされたセリスを優しく励ましたり、城の中で失踪した小さな王子やフロルを一緒に探してくれたりしたのが懐かしい。
「ご両人の挨拶のあとすぐに、メッセージを読み上げないと。あたくしなんかに務まるかしら……」
アコはぶつぶつとスピーチの内容を繰り返す。
ヨシノは給仕に声を掛けるとハーブティを二杯貰い、片方をアコに渡した。
緊張と戦う異界の令嬢を横に置きながら料理研究の続きをしていると、音楽の演奏が途絶えた。
すわ出番かとアーコレードが露骨にびくりとやり、壇上を凝視する。
ところが、出てきたのは新郎新婦ではなく、新郎の弟と新婦の母であった。
「このたびは、うちの娘のためにお集まりいただき、誠にありがとう存じます。濃霧の影響で急遽会場を変更する運びとなったことをお詫び申し上げます」
頭を下げる夫人。
となりのザヒルは誰かを探しているのか、会場を見回している。
「お集まりいただいた皆様には大変こころ苦しいのですが、予期せぬトラブルが生じましたので、しばらくのあいだパーティーの進行を中断させていただきとう申し上げます」
ざわつく会場。ザヒルはどうやらヨシノを探していたらしく、しばらくこちらを見つめたあと、中指を立てた。
あれはルヌスチャンが異界から仕入れた、侮辱のハンドサイン……。
――でも、通じるのはわたしたちのあいだだけ。
彼がヨシノを侮辱する理由はない。
トラブルとやらに関することで助力が必要ということではないだろうか。
「中断は長引く可能性がありますが、歓談と食事を引き続きお楽しみください」
ザヒルは呼びかけながらも、まだ会場を見回している。
身内の式の来賓に向けるには鋭すぎる視線。
「外は雨が降り始めており、気温も低く視界も非常に悪くなっています。なにとぞ、お屋敷の外には出られないように……」
ふたりが壇上から退いたのち、ヨシノはアーコレードとともにザヒルのもとへ向かった。ザヒルはアコもついてきたことに首をかしげていたが、とにかく来てくれと、新郎新婦の控え室へとふたりを案内した。
「ヨシノさん!」
部屋に入るなりラヒヨが抱き着いてきた。
「何があったのですか?」
「なくなったんです! “アルクビヨンの涙”が!」
「アルクビヨン……ラヒヨさんのお姉さんの?」
「お姉さまに贈られたブローチの名前ですわ。あれをつけてみなさんの前に出る予定だったんですが、何者かに盗まれてしまったの!」
「盗まれた?」
「今朝の準備の段階では、確かにあったはずなんだ」
贈りぬしのカラズも苦々しく言う。
「あれはとても高価なものだ。この会場にいる誰かが盗んだに違いない」
アルクビヨンの涙は、カラズがアルクビヨンと婚約するさいに贈った魔導石のブローチだ。
魔力を宿した青い石を涙の形に磨き上げ、雨季に咲く花をあしらった銀細工にはめ込んだもので、細工の裏に刻みこんである魔術式によって、石の中で常に雨が降っているように見えるという、奇跡のような一品。
「雨の降る石……それって、“ルリカンザシ”の作品でしょうか?」
アーコレードが呟いた。
「名匠ルリカンザシをご存知か。魔力をほかの者より強く感じると思ったが、まさか同界の者と会えるとは思わなかったぞ」
先に部屋にいた見知らぬ大男が口を開いた。
キモノを着た体格のいい男で、額にふたつ奇妙なコブがある。
どことなく吸血鬼の王を思い出すが、こちらは血色が良好だ。
「そのコブ、もしかして“オニ”とのハーフのかたですか」
アコの表情が厳しくなった。
「おっと! 見覚えがあると思えば、噂のプリザブの娘だったか。マギカより離れた地でも、四天王を倒したとか法螺を吹いて回っているのかね?」
大男は嘲笑うように言った。
ヨシノは、フロルから聞かされていた令嬢の悪癖が出るかと身構えるも、アコは「そんなところですわ」と流した。
「こちらのご令嬢はどなたですの?」
ラヒヨが訊ねる。
ヨシノは答えず、アコがみずから、自身の身分と、代理で参加した経緯を話す。
「まあ! だから王女様のお姿が見えなかったのね。わたくし、てっきり王女が娘のことを嫌っているのだと思って、余計なことを言いふらしてしまいましたわ」
口に手を当て驚くアイドラ。
「娘のドレスをまねられたうえに宝石泥棒。夫人の苦労は絶えませんな」
オニとやらのハーフ男が言った。彼はこちらにもバカにした表情を向けている。
「“ニカク”様、ドレスの件は行き違いですわ。ヨシノさんのドレスはあたしが贈ったもので、パーティーにぜひ着てくださいと言ったからなんです!」
ニカクといえば、ルヌスチャンの記帳の仕事を手伝った際に見た覚えのある名前だ。魔導の世界がフーリュー国の商人だ。
宝石細工やマジックアイテムをおもに扱うが、フロルはお茶くみ人形とやらを買っていた。すぐ壊れて薪にされてしまったが。
「王女様のお身体が悪いのは承知しておりましたけど、それにしたってあんまりよ。やっぱりお母様の言う通り、嫌われいるのかも。こんな子を代理に寄こすなんて」
「何か悪い噂でもあるの?」
「アーコレードは素行不良で有名な子なのよ」
当人の前でひそひそとやる親子。ぐっと、堪える音がアコの喉から漏れた。
「じゃあ、もしかしたらあの子が……」
夫人が慌てて口を塞ぐ。わざとらしい。
ヨシノは何か、アコのほうから圧力のようなものを感じ、視界の端でニカクが楽しそうに口元をゆがめたのを見つける。
トラブルはごめんだが、魔術を止めるのは難しそうだ。
「アコは素行不良などではない」
ぴしゃりと言ったのはザヒルだ。
「かの慈愛の徒セリシール・スリジェと寝食を共にし、直接の指導を受けている。四天王退治の件についても、セリシール様とフルール卿が保証済みだ。名家に仕えたくせに品性も常識も身につけられなかった誰かとは違ってな」
ひと言余計だ。ラヒヨのこんがりした肌でも分かるほどに頬が色づいた。
「あたしはまだ学んでる途中だったのよ! お母様に呼び戻されたから仕方なく帰っただけで!」
「まあ! じゃあ、あなたのその性分が治らなかったのも、わたくしのせいだって言うの?」
「そうよ。あたしを産んだのだってお母様だし、お母様がそういうふうに育てたからあたしはこうなのよ!」
「みなさまお聞きになった!? なんて酷い子なんでしょう。わたくしは娘のことを思って、こんなに苦労しているというのに!」
「苦労してるのはあたしも同じでしょう!? 誰が結婚したいなんて言った!?」
「酷い、酷いわ。いいえ、悪いのはあなたでもわたくしでもない! どれもこれも、ブローチを盗んだ人のせい!」
夫人は嘆きながら、カラズとニカクのあいだを右往左往した。
義理の息子が向ける視線は冷たい。
いっぽうで商人は、夫人の両肩を叩いて落ち着かせ、諭すように言う。
「夫人、嘆きなさるな。わしも自分の扱った品が、どこぞの馬の骨とも知れぬ輩の手に渡ったのはよしとしない。共に亡き娘さんの形見を探して進ぜよう」
オニ男と夫人は退室していった。
「ねえ、ヨシノお姉さまぁん」
ラヒヨがすりすり。
「あのブローチも一応はあたしの物だし、一緒に探してくださいますよね? こんな不良娘なんかとじゃなくって」
ヨシノが「まあ、構いませんけど」とラヒヨを押しのけながら言うと、「どうだろうな」と男の声が割りこんだ。
「本当は探す気がないんじゃないか? どころか、無くなったほうがいいとすら思っていそうだ」
カラズだ。
「あなたこそブローチを渡したくなくって嘘をついてるんじゃないの? あのブローチには、あなたとお姉さまの思い出がたっぷりと詰まってるでしょうからね!」
「そうだ、詰まっている。だから、絶対に見つけだす。きみが望むのなら、俺は父上たちと話して、ハイドランジア卿との取り決めを破棄してもらってもいい」
「婚約破棄ってこと? 願ってもないことよ! お姉さまの後釜なんてうんざり! 初夜で名前を言い間違えられたらどうしようかと、心配してたところだったの!」
言い合う夫婦。やり返すのをやめて先に出ていったのは、カラズのほうだ。
ラヒヨは婿の背中に向かって舌を出すと、ヨシノの腕にぶら下がり、「婚約破棄の話、ザヒルさんとヨシノさんが証人ね」と言った。
「さーて、気合入れて探しましょう! あ、あなたはもう帰っていいわよ。王女様からのスピーチも要らないから」
ラヒヨは手で追っ払うが、アコは微動だにせず見つめ返している。
「何よ、その目。帰っていいって言ってるじゃない」
ラヒヨが睨む。
「望まない結婚、なんですね」
「だから何? 別に珍しくもなんともないし。可哀想って顔はよしてちょうだい!」
今にも飛びかからんばかりのラヒヨ。ヨシノは彼女を抱きすくめ制すると、アコも望まぬ結婚をさせられそうになったことがあるのだと教えてやった。
「この子が? あたしよりも年下でしょ?」
「マギカでは十四で成人なんです。あたくしはお兄さまの計略によって、魔族と結婚させられそうになりました。それも四天王ラムマートンと」
「魔族と……?」
勢いを失うラヒヨ。だが負けてやる気はないらしく、「同情するつもり? それとも、自分のほうが可哀想だって言いたいわけ?」と嗤った。
「ラヒヨさん。アーコレード様はそのようには……」
「いいんですヨシノさん。じっさい、ラヒヨさんには同情してますし、あたくしは自分が可哀想だって思います」
「ずいぶんと素直な子ね! どこでそんな素敵な考え方を学んだわけ? マギカ式ってやつ?」
しかし、アーコレードは微笑とともに「シナン王女からです」と言った。
「王女が?」
「はい。シナン様も、ご自身の境遇を嘆いた時期があったとおっしゃっていました。でも、今は自分のさだめを受け入れていると。受け入れるにしろ、乗り越えるにしろ、人は必ず苦難を通るものだって」
「さすが王族ね。ずいぶんとありがたいご高説じゃないの」
「でも、こうもおっしゃっていました。いずれ決めなければいけない日が来るからといって、今の自分の苦しみや悲しみを否定する必要はないんですよって」
アーコレードは続ける。
「あたくしは、ラヒヨさんは偉いと思います。あんなにはっきりとイヤだって言うことができて、羨ましい」
「偉くなんかないわ。……ただ、あたしがイヤなヤツってだけでしょ」
ラヒヨはアコから顔を背けた。
しかし、表情から険は消え去り、彼女らしからぬ悲しげな色をまとっていた。
「あたくしも、イヤなヤツだってよく言われるんです。イヤなヤツ同士、仲良くしませんか?」
手を差し出すアーコレード。
「なんなの? 友達にでもなりたいってわけ?」
「是非。あたくし、故郷でも友達がいなくって」
にこりと笑うアーコレード嬢。
対して、ラヒヨ嬢は、
「かわいそ。自慢じゃないけど、あたしもゼロよ」
と、皮肉たっぷりに笑い、その手を握った。
ヨシノは硬く握られたふたりの手をぼんやりと見つめる。
――友達。
ずきりと胸が痛む。「わたしの中のローラ」が、何かを叫んでいた。
* * * *
* * * *




