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080.恐怖!処女の生き血と吸血鬼の城-06

()の願いは()の願い。()は誓わん、女神ミノリの名のもとに!」


 妹分を背後に押しやり、指輪を掲げるセリシール。

 指輪が光り、ふたりの乙女と怒れる吸血鬼のあいだを結界が、


 ……隔てない。


「指輪が応えない!? ミノリ様!?」


 この世界が女神から遠い? いや、林道では使えていたはずだ。

 夢想の蝶だって、城に入ってから機能を見せていた。


「客人よ! この怒りと悲しみ、どうしてくれようか!?」


 ラムス王に攻撃を加えるわけにはいかない。

 彼とこの慈愛であまたの世界に名をとどろかせるセリシール・スリジェが武を交えたとなれば、常夕の月は再び悪の烙印を焼き付けることになる。


「スリジェ卿よ。そなたの責は免除しよう。だが、ローラを失ったという小娘は!」


 王が構えると筋肉が膨張し、衣装が破れボタンが弾ける。


「ロ、ローラさんは、は、半分食べられたけど、まだ生きていて」


 ぎょっとする。それは希望ではない。

 父なる存在の内側から、強烈な圧力が膨張するのを感じた。


 もう一度、宣誓を試すセリス。指輪は光らない。


 ――ミノリ様、なぜ応えてくれませんの?


 ひとつの仮説が頭をよぎる。

 わざとだ。女神は自分を試しているのではないか。

 ここのところ、活動は成功続きだった。

 だがの大半は、セリス自身の手腕というよりは、神の威を借りたもの。

 女神がやたらと褒めていたのも、おごった娘への警告だったのかもしれない。


 王がまた一歩踏み出した。

 彼の中でも葛藤があるのか、硬くこぶしを握った腕は震えている。


 ――説得しなくては。


 頭に浮かぶのは、人道連盟式の非難と、スリジェ家式の愛と平和のことば。


 ――そんなものでは、あのかたを止められない。


 娘をふたりも失った父の怒り。

 あれは子を持たぬ小娘ごときには到底超えられない、深き深き愛情。


 女神が応えず、家訓も財貨も虚しき今、自分には何ができるか。

 震える瞳で王を睨み、妹を背に精一杯両腕を広げ、思い浮かべるは誇りに生きる友の顔。


「王者ラムス・ブランストーカ! 誇りを見失わないでくださいまし!

 あなたはこの世界のすべての民を導く存在。

 あなたは民の未来と、死んでいった者たちの願いを背負っています!」


「人間ごときが、わが一族を語るでないわあああっ!」


 眼光烈火のごとく。

 殴りつけるような怒声とともに、巨大な腕が振りかぶられた。


 ――ダメだった……。わたくしは、ズルい女ですの。


 けっきょく、頼るほかにないのだろう。

 そしてまた、相方に滅びの罪を背負わせることになるのだろう。


「フロルさん! 助けてくださいまし!」


 助けてくださいまし。石の廊下をセリスの声が反響する。

 王は動きを止めていた。

 彼の顔から怒りは霧散し、眼は見開かれ、半開きの口が震えながら息を吐く。


「バ、バケモノが出おったわ……!」


 セリスもまた動けなかった。王の視線は、こちらの背後で結ばれている。

 娘の死に狂い、自世界の命運すらも忘れていた王を止めるほどの、バケモノ。



 ……ひたり、ひたり。薄皮を剥がしているかのような足音が聞こえてきた。



 足が震える。いや、すがるアコの震えが伝わってきている。

 セリスは呼吸も忘れたまま、反転した。ブーツが何か水溜まりを踏んだ。


 闇の中から、ゆっくりとナニカが現れる。

 名状しがたきそれは、あえていうのならば、人を四足歩行にしたものだろうか。


「くけけけけけけけけけけけけけけけけ」


 奇妙な声を上げた。

 それは、プラチナブロンドの乱れ髪をした、ぼろの衣装をまとった、女。


「けけけけけ……げほっ! げほっ!」


 四つん這いの女は四肢を使って、その場で不気味に跳ねた。


「きえええい! きえええい!」


 まったく見覚えのある姿かたち。


「フ、フロルさん?」


 その通り。フロル・フルールである!


「うけけけけけ!」

 かさかさとゴキブリのような動きで接近してくるのは、フロル・フルールである!


「うわっ、なんか床が濡れてるし!」

 彼女は飛び退き、両脚で立った。

 それから濡れた手を嗅ぐと、「あっ」と声をあげる。


「どういうことですの?」

 セリスにはこの感覚に覚えがあった。既視感というやつだ。

 いや、幼いころに何度も何度も繰り返しており、デジャヴュなんて曖昧なものではない。


「おーい、ファニュ。出番だぞ」


 野太い声がなんか言った。振り返ると王の向こうから、フリルの可愛い白黒ドレスで着飾った小さな吸血鬼の女の子が駆けてくるではないか。


「じゃじゃーん、どっきりでしたーっ!」


 ファニュ嬢が、なんぞ看板を掲げて宣言。

 満面の笑みに、ちらりと覗いた小さな牙。

 それから彼女はフロルのそばへ駆け、タッチをして、いえーい大成功!


 セリシース・スリジェは言った。「は?」

 アコもまた恥じらいの泉から立ち上がり、「お姉さま?」とごく低いトーンで言った。


「どういうことか、ご説明いただけますか?」

 一歩踏み出すセリス。

 ファニュ嬢は慌てふためき、逃げるように横を通り過ぎていった。


 はたと気づき、セリスは上を見上げて「ミノリ様も!」と声を荒げる。


「えっ? ミノリ様は関係ないわよ。所用でこの世界に寄ったら、ラムス王に協力を頼まれたのよ」


 振り返れば王は末娘を抱き上げ苦笑いだ。


「あいすまぬ。常夕の月をよく思ってもらうための妙案があってな、フルール卿には、その手伝いをしてもらっていたのだ」


 ラムス王は、常夕の月にはこれから世界と優位に付き合っていくための強味がないことを悩んでいた。

 さして高くもない文明レベルと、他世界にかけた迷惑の数々。

 それらを覆すために家族会議にて出された案は、王城を“テーマパーク”とやらにすることだった。


「娯楽として疑似的に吸血鬼の恐怖を体験してもらい、資料館や体験コーナーにてわれらの犯した罪を明らかにし懺悔する。罪をそそぐため、王族である吾輩たちがみずから脅かし役を務め、客人をもてなそうと……」


 廊下の向こうから、若い女性たちの談笑が近づいてくる。


「そうそう。この案を出したのは、わが娘フォンテだ。シナリオを練ったのは、わが妻ペロドン! できあがったものを体験してもらう異界の客人が必要だったため、フルール卿にそなたたちを呼んでもらったわけだ!」


 がはは。王は笑う。ちなみに「喀血城」とは、テーマパークの施設として相応しい名をということで、それっぽい名前にしただけで、もとは単に「王の城」と呼ばれていたらしい。客人として乙女を指名したのも、文明レベル高い世界では若い女性たちがトレンドを牽引しているからである。


 ところで、やってきたフォンテ、レミミ、フララの三名は、こちらの顔を見ると、そろって貼り付けたような笑みを浮かべ、後ずさりをした。


 そう、セリシール・スリジェは、怒っているのだ。


「だったら、ローラさんは?」

 涙声のアコ。

「ローラさんは死んでないの!?」


「ローラ? ローラか。バケモノまわりの案が固まってなかったゆえに、何名か部外の者に手伝ってもらったのだ。吾輩の子は、フォンテとファニュだけだ」


「お姉さま!」

 アーコレードがフロルを見て声を荒げる。

「そういう事情があるのなら、あらかじめ説明していただければよかったのに!」


「何も知らないほうがリアルな反応が貰えそうだし。ご、ごめんね?」

「ごめんでは済みません! あたくしたちがどんなに心配して、それに……もう!」


 アコは自分の作った水溜まりを見下ろし、かぶりを振った。


「こ、ここのお城のかたはお掃除が得意ですって」

 フロルは火に油を注いだようだ。アコの全身から、うっすらと魔力の光。


『うふふ。私もごめんね。この世界も、私たちの作った可愛い世界だから、せっかくの変革のためのアイディアを試させてあげたくって、黙ってたの』


 ミノリ神がなんぞ言う。セリスが天井を睨むと『ごめんちゃ~い』と、陽気で不真面目な謝罪とともに気配が遠ざかった。


「フロルさん、今度という今度は赦しませんの! わたくしとアコさんが、どんな思いでここへきたか……!」

「だ、だからごめんて!」

 腰を低くした姿勢であとずさるフロル・フルール。


「アコさん!」「はいっ!」「ぐえっ!」


 アコの魔法がいたずら娘をぺちゃんこにした!


()の願いは()の願い。()は誓わん、女神ミノリの名のもとに。御神(みかみ)美斗(みと)(かま)聖心(みこころ)に殉じることを!」


 セリシール・スリジェは虹色に輝き、具現の絵筆、女神のカード、それから造形の種のみっちり詰まった瓶を取り出した。


「ま、まあ! 欲張りセットですわね! な、何をなさるのかしら?」

「罰ゲーム! フロルさんには、地下牢体験コース!」


 罪人の周囲に撒かれた鉄の玉が伸びて檻となり、絵筆によって次々と拷問器具が生成される。


「ちょっ、ちょっとお待ちになって! セリス、そのヘンな形の棒は何!?」



 フロル・フルールはお仕置きを受けた。

 その断末魔は、ゲートの向こうの防人にまで聞こえたとか聞こえなかったとか。



* * * *

 * * * *



 ど、どうも、お初にお目にかかります。

 アーコレード・プリザブです。

 お姉さまがたはお取込み中のため、あたくしが締めさせていただきます。


 さて、今回のフロル・フルール投獄の件は、あたくしたちを喀血城へと招くためのでまかせでした。


 だったらなぜ、フロルお姉さまはこの吸血鬼の巣窟へやってきたのかと説明いたしますと、くだんの愛と憎しみのエネルギー研究会が、不老不死の彼らと接触していないか確かめるためだったそうです。


 セリスお姉さまはなぜか、盗みに入ったのではないかと疑っていらっしゃりましたけど……。


 城の吸血鬼たちの言を信じるのであれば、研究会とは会っていないとのこと。

 ですが、吸血鬼は狩りに出かけたり、移住をしたりで、異界にも足を運んでおり、そのまま消息不明というケースもありますし、研究対象ならば城外の吸血鬼でも構わないわけで、フロルお姉さまの調査の意義は薄いと言えるかもしれません。


 しかし、今回の一件がまったくの無意味だったとは思いません。


 セリスお姉さまはやっぱり尊敬できるおかただと分かりましたし、フロルお姉さまはフロルお姉さまで、ああいう仕方のない一面があるのだと、あたくしと同じ人間なのだと確認ができましたから。


 とはいえ、あたくしのこころが深く傷ついたのも事実です。


 あの第二王女のふりをなさっていた、ローラさんのこと……。


 ローラさん役のかたは先に帰ってしまわれたらしく、再び会うことはありませんでした。

 ラムス王は部外のかたとおっしゃっていましたが、彼女もやはり吸血鬼だったのでしょうか?

 彼女とはこころが通じ合った気がしていたのに、これは酷い仕打ちです。せめて、無事な姿を見せて、弁解くらいはして欲しかった。

 兄のカルンスさんも王子ではなく従者で、ローラさんとは血縁にないとのこと。


 あたくしの胸には、ぽっかりと大きな穴が開いたままです。

 それも、無理矢理にこじあけられて、そのまま放っておかれたようなかたちで。

 あたくしはローラさんとの関わりで、友愛の歓びを感じていたのです。

 たとえ魔族に似た吸血鬼でも、血の渇きに苦しむ危うき身でも、友の契りを結べるという、期待をしていたのに。


 お恥ずかしいことに、あたくしは自世界では屋敷に引き籠り、貴族界では火花を散らし、友と呼べる者はこれまでただの一人もなかったのですから、なおのこと惜しく思います。


 はあ……。


 もしも、もしもあなた様が、あたくしのそばにいらしたら、お友達になっていただけますか?

 母代わりや、姉や諸兄などではなく、ただの友人としてお付き合いいただけるでしょうか?


 無理なお願いとは分かっています。

 おとなの癖に友達が欲しいなんて、自国を代表して学びに来ている身で、そんな浮ついたことを考えるなんて、なんとも情けないことです。


 ですが、夢見るくらいはかまわないでしょう?

 あなた様だけにはこの気持ち、打ち明けさせてくださいね。


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