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069.わたくしの言うとおりにすればよろしいのですわ-01

 季節は秋。

 女神の枕元の世界がアルカス王国、フルール邸。

 フロル・フルールは廊下にしゃがみこみ、窓からこっそりと外を覗き見ていた。

 庭では、栗毛のメイド――名前はリアという――が、すっかり色づいた落ち葉を掃き集めている。


「わざわざ時間をかけて掃いちゃってまあ」


 リアは、ほうきを同じ場所で何度も振ったり、木のあいだを無意味に行ったり来たりと繰り返している。

 ヨシノが見ればお小言のひとつも垂れるのだろうが、屋敷のあるじであるフロルはそんなことはしない。

 なぜならば、この覗きは最近の楽しみのひとつだからだ。


 ――おっ、来たわね。


 覗き魔は身を乗り出す。リアが前髪を整え、スカートの裾を払った。

 それから、木の根元に隠すように置いてあったバスケットを手に取り、やってきた若い庭師の男オセロに手渡した。

 受け渡しのさいに手が触れあい、ふたりは頬を染める。

 毎日の逢い引きで見せている、お決まりのやりとりだ。


 使用人たちの逢い引きを覗きはじめて、はやひと月。

 読書で鍛えたお嬢さま恋愛回路の計算では、そろそろキッスのひとつくらいしていてもいいころだったが、進展は渡す弁当が包みからバスケットにグレードアップしたくらいだ。

 あの調子だと、逢い引き以外でも、手を握ってすらいないのではないだろうか。

 この恋愛と並行して繰り広げられていた就寝前の読書では、多くのカップルが結ばれ、別れ、祝ったり呪ったり、誰よその女!? としてきているのだが。


 ――まあ、それぞれのペースで幸せになってくれれば結構ですわ。


 と、思いつつも、一抹の寂しさを覚える。

 これまでのフロルが当主としてとってきた方針通りなら、ふたりの関係がもう少し発展すれば、リアを祝いとともに送り出すことになるだろう。

 リアは失敗の多い慌て者のメイドで、ヨシノから聞かされる愚痴の主役でもあった。屋敷をにぎやかす声が減り、メイド長からこぼれる粗忽者への保護者めいたため息やほほえみが見れなくなるのかと思うと寂しい。


 ――またわたくしは取り残されてしまうのですわ。


 などと、感傷的にため息をつくお嬢さま。

 ここのところ、彼女を取り巻く世界は変化が激しかった。


 まずは、スリジェ家の環世界人道連盟からの脱退。

 これは女神の枕はもちろん、各文明世界を大きく驚かせた。

 とはいえ、事情説明はなされたため、表立った継続の強要などはなかった。

 今後のセリスは異世界での活動を縮小し、女神の枕でその袖を振るうことに専念するという。

 近場での仕事が多いだろうに多忙らしく、会う頻度がめっきり減っていて友人としては不満のひと言に尽きる。


 次に、熱き霧の世界の蒸気技師ピーストンと、彼の師の姪レリオの結婚。

 結婚はミクロな出来事だが、式が挙げられたさいに、興味深い話を聞いた。

 蒸気技術にこだわっていたあの世界が、電気や電子技術の利用を解禁したのだという。

 世界のマクロ的な変化。

 進歩の兆しは歓迎すべきだろうが、あの雪に覆われた街が優しく温かく蒸気を吐く姿が失われる日が来るのかもと思うと、少し寂しい気もする。


 理由をつけてたまに遊びに来ていたシリンダも、最近はご無沙汰だ。

 義姉のレリオいわく、なんとまあ男の影がちらついているのだとか。

 しかも、界交断交となってしまった汚濁の罪の技術者がお相手らしい。

 これもまた、お嬢さまの孤独と感傷をつついた。


 ――わたくしは静かに身を引きましょう。離れたところから、みなさまがたを見守るのですわ。


 とかなんとか考えているうちに、庭のふたりがいい感じになっている。

 フロルはとっさに頭を下げた。リアが周囲をうかがったのだ。

 そろそろと頭を出すと、いいぞナイスだ。見つめ合う若いふたりの姿がある。

 寒い中を中腰で待ち続けた甲斐があったというものだ。

 フロルは「それキッス! それキッス!」と、口パクと無音の手拍子で囃し立てながら、落ち葉舞う中で引きあう花びらたちを凝視する。


 あっ、ふたりが離れてしまった。


 お嬢さまは目を見開き、懺悔した。

 きっと、わたくしのせい。

 わたくしほどの破壊の眷属となれば、観測するだけで物事の破綻を招くのだ。

 なんて罪造りな女なのかしら、と。


 ……不自然に距離を取ったふたりのあいだを通り抜けていく男がいる。

 なんのことはない、客人である。

 暇つぶしに案内を引き受けたであろう屋敷の私兵と歩く、黒い燕尾服姿。

 その男はきびきびした動作で歩くが、当家の使用人にはあらず。

 彼のあるじからは、間の悪いことにかけては一級品だと聞かされていたが、その通りのようだ。

 セリスのパシリ……ではなく、スリジェ家の執事ことザヒル・クランシリニがやってきた。


 いったい何の用だろう。

 お嬢さまの脳は、いまだ結婚話だの恋愛話だのの延長線上におすわりだ。

 え? まさか? 彼がスリジェ家の先代によって執事に置かれたのは、やはりそういう事情だったか?


「セリシールお嬢さまをください!」

 ザヒルが言った。

「娘はやらん!」

 フロルは断る。

「お義父さん、私は彼女のためならいのちだって懸けます。便所掃除もします!」

「きみにお義父さんなんて呼ばれる筋合いはない!」

 第一、娘をくださいだなんて、物じゃないんだぞ。

 娘には娘の望みがある。

 いや、しかし、わしもふたりが愛しあっているのを知ってはいるのだ。

 認めたくとも、「パパ」と抱きつく娘の幼き日々が思い出されてしまい……。


「お嬢さま、おひとりで何をなさっているのですか」

 振り返るとメイド長が立っていた。無表情である。

「セリシール様から昼食のお誘いが来ましたよ」


「え、セリスから?」

 再び窓の外へと視線をやると、またもいい雰囲気を邪魔して帰っていく若執事の姿がある。飯の誘いの伝言だけで、隣とはいえ領地を越えてウマを走らせたらしい。哀れなり、ザヒル・クランシリニ。


「場所はいつものところ、だそうです」

「たまにはあなたも来る?」

「是非、と言いたいところですが、わたしには仕事があるので」


 ヨシノは庭に向かって冷たい視線を送っている。


 リアもこちらに気づいたらしく、庭師にバスケットを押しつけると、ほうきを使って木の葉をまき散らしはじめた。


 しかし残念。ヨシノは窓枠に足をかけている。

 リアにちょいと味方をするつもりで「はしたないわよ」と言って止めてやる。


 若いカップルの前途は多難らしい。

 フロルは久々のお誘いに浮足立ち、「ま、頑張ってね」とメイド長と、これから怒られるだろう窓の外のふたりに労いを投げて立ち去った。



 さて、ふたりの貴婦人がお食事をする「いつものところ」こと、赤い屋根のティー・ルーム。

 まだ早いかと思いつつも、日が天を叩く前にやってくると、掃き出し窓のそばの席に、キモノ姿の女性……と、もう一名が座っているのを見つけた。


「あれっ!?」


 フロルは思わず顔をほころばせ、ドアベルを少しばかり乱暴に鳴らして入店。

 従業員や客へはおろか、相方すらも放置して、予想外の客人に声を掛けた。


「アコじゃない、久しぶり!」

「フロルお姉さま!」


 席を立ち、遠慮なしに飛びこんでくるアーコレード。

「どうして、うちの世界に?」

 フロルはふかふかの縦ロールを撫でながら、相方と妹分を交互に見やった。


「交換留学生で来たんです。しばらくはこちらにご厄介になります」

 アーコレードがぺこりと会釈する。

「交換留学生?」

 フロルはわけを知ってそうな相方を見た。


「うちとマギカさんは姉妹国となりましたでしょう? お互いの世界から一名を選んで派遣して、理解と親交を深めるために、若者をひとりづつ交換で学ばせようというお話になりましたの。外務官としてのお仕事も一部任されるそうですの」

 セリシールが紅茶のカップを傾け解説を続ける。

「そういうわけで、四天王退治したのおひとりのアコさんが選ばれて、証人のわたくしが、お世話をさせていただくことになりましたの」


 四天王ラムマートンを最終的に葬ったのは、フロルのつるぎのひと撫でだったが、もろもろの都合上、プリザブ家の兄妹と元使用人のひとりであるハナドメの手によるもの、ということにしてある。

 フロルとセリスは「戦いの見届け人」と称し、現場にいておおよその事情に感づいていたマギカ国王と政治上の取引をおこなった。


「お姉さまがたには、本当にお世話になりました」

 アーコレードがふたりの手を取り、額につける。

「ハナドメも、重ねて礼を言っておくようにと」


 フーリュー国出身のハナドメが討伐隊に名を連ねることで、四天王退治の栄誉と魔族からのヘイトを二国で分けあい、これにより、お互いに魔族と手を組んでいるのではないかという疑惑の霧を晴らすに至ったという。


「フーリューと抗魔協定が結ばれたことで、北のロスラム皇国とも会談の席を設けることが決まりまして。被害の少ない国から支援の申し出まであって。お姉さまがたのおかげで、魔導の世界ではいろんなことが上手くいってるんです」


 と、言いつつもアコは寂しげな表情を見せる。


「でもあなた個人は、まだ上手くいってないのね?」

 フロルが訊ねると、「お見通しですね」と苦笑いが返される。


 政略結婚のいざこざ以降、兄妹の関係はぎくしゃくしっぱなしらしい。

 シャルアーティーはラムマートン退治の功は得たものの、彼女に利用されていたという事実までは消せなかったために、プリザブ家の代表から差し戻され、再修行を兼ねて父の補佐となることで責を果たすという。

 しかし、公的な体裁としてはそれでかたがついたものの、現場でラムマートンの術に掛けられ倒れた貴人や、商人たちには納得しない者も多く(ほとんど八つ当たりらしいが)、社交の場では一族そろって風当たりが強くなっていた。


「特に、ドゥーさんのご息女さんたちとは、顔を合わすだけで、もう戦争で」

「まあ、あの双子が納得するとは思えないわね」

「そういうわけで、留学の話が出たときにお兄さまが強く推薦してくださったんです」


 ――ていのいい厄介払いね。


 アコも合意しているようだが、自世界を追われるに近い待遇はあんまりだ。

 ところが当の追放令嬢は笑顔になり、瞳にも星がちらつきだしていた。


「将来的には、異世界外交官を目指そうと思うんです。お姉さまがたみたいに、世界と世界を繋ぐお仕事がしたくって。今回の留学は、あたくしがよい方向に変わるための、第一歩なんです!」


 夢見る少女の百点満点の笑顔がまぶしい。

 反して女神の眷属は、こころの中であるじへと悪態をついた。


 ――どうせこれも、あなたたちの計画のうちなんでしょう?


 破壊の女神サンゲいわく、創世の女神は二柱ではなく、三柱である。

 第三の女神は“調和の女神”と呼ばれ、恒久、不変、バランスなどをつかさどる立場にあり、彼女の手によってほかの二柱が封印されて以降、どの世界も大きな変化を起こさなくなった。

 永きに渡る安定はかえって腐敗を生み、自壊を招く。これに抗するために、破壊と創造の二柱は眷属を使って世界に働きかけている。


 調和の女神に目を掛けられたアーコレードに、変化を望むこころが芽生えた。

 これはくだんの女神から距離を取る行為だろう。

 よく知る転生者の青年も出逢ったころは、ただ頑丈でてんでダメな落ちこぼれだったが、あるときに女神を拒絶し、以降は日々成長を重ね、今日もまた異界で大剣を振るっている。

 彼がそうなったように、アコも調和の女神の加護から遠ざけられ、成長する日が訪れるのだろう。


 ――その先には何があるのかしら。アコだけじゃない。わたくしたちも……。


 神々の真の思惑は計り知れない。

 しかし、「親友」や「盟友」が相方を想うのと同様に、「お姉さま」は、可愛い妹のためならひと肌もふた肌も脱ぐ所存である。


「ところで、交換ってことなら、うちからも誰かマギカに行くのよね?」

「それが……」


 訊ねられたセリスは困り顔だ。


 そこに、がちゃん! カウンターのほうからお皿の割れる音がした。


 一斉にそちらを見るも、当の失敗を犯した給仕の女の子と、彼女を叱るはずのマスターは、引きつった顔である一点を見つめていた。


 フロルが彼らの視線を追えば、掃き出し窓の外に、ここに居るはずのない男子――金の刺繍の入った滑らかに光る生地の衣装を着た――を発見した。


「わ、なんですかこのかた。なんだか、あたくしを睨んでいるような……」

 アーコレードが席を立ち、フロルの陰へと逃げる。


 さしものフロルも思わず、「うわっ」と声をあげた。

 それもそのはず。

 窓の外側に、べーったりと額をくっつけてこちらを覗きこむ少年は、何を隠そうアルカス王国の第二王子“エチル”様にあらせられるのだから。


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