064.今宵、花嫁をいただきにまいります-02
「あ、あたくしが結婚……?」
アコの声は震えている。彼女が婚約者だというドメスト・サンポールを見ると、彼は気持ちのけぞって見下ろすようにして視線を返した。口ひげをしきりに撫でて、品定めをしているかのようだ。
「おまえも、もう十四だ。成人を迎えたのならば、貴族の女としての役目を果たさねばならない」
「そ、そんな急におっしゃられても。お父様がお決めになったの?」
「父上はご隠居なされただろう。決めたのは私だ」
「お兄さまが!?」
冷たく言い放つプリザブ卿。妹は兄を見、再び婚約者のほうを見ると口を開き、言葉は発さずに首を振った。
「アコさんになんの説明もなしに……」
セリスが口を挟もうとしたようだが、フロルは腕を割りこませ、留まらせる。
「ご婚約、おめでとうございますわ」
フロルだって面白くは思わない。しかしこらえて、アコではなくプリザブ卿へと祝辞を述べ、続きサンポール卿に歩み寄り、握手とともに自己紹介をおこなう。
「おお! あなたが、かの有名なフロル・フルール様ですか!
私はマギカ貴族界に末席をお借りしている、ドメスト・サンポールにございます。
フルール卿は、異界の品に興味はございませんかな?
舌を喜ばせる特産品はもちろん、我らの世界のユニークな魔法の品や、
配下や傭兵に与える玩具なども取り扱っております」
パーティーの記憶を手繰れば、この口ひげ男に関する情報が思い起こされる。
彼は貴人たちに挨拶をしていたが、半分くらいは握手すらも拒否されていた。
商人からの成り上がりの子爵。マギカの貴族は労働を見下す。
「女神の枕とは文明のレベルが近しいですが、そちらにはない魔導の力を使った武装や、異界の科学と複合した品も取り揃えております。あなた様の世界の法が許すのであれば、珍しいペットもご用意できます」
――いやにはっきりと言うわね。
武器商が本業。ペットというのは、どうせ魔物か奴隷だろう。
正直な点は評価できるが、節操のなさと卑屈な態度が気に入らない。
恐らくはこの結婚も……。
「これは失礼いたしました。取引相手になるかどうか見極めるのが癖でして」
こころを読まれたかと思う反応だ。成り上がりは運だけではないのだろう。
フロルは「機会があればお話を伺いたく存じますわ」と答える。
「残念です。気が変われば是非ともお声をおかけください」
「お、お兄さま! よく知らないかたといきなり結婚しろとおっしゃられても!」
アーコレードが声を荒げる。
「これから知ればいい。長い付き合いになるからな」
「で、でも、失礼ながらサンポールさんは爵位が」
彼女なりの抵抗だろう、声音と表情に社交界の陰険さが貼りつけられている。
「確かに、彼は子爵とはいえ、マギカの流儀では下賤と指をさされる身分だ。だが、今の貴族のやり方では魔導の世界を行き詰まらせるだけだ。彼のように、血筋よりも手腕で身を立てた者こそが、今後を切り拓く」
「お兄さまは、あたくしを商人とのパイプとして使おうと……」
「その通りだ」
射抜ぬくがごとく放たれた言葉。
怯む妹、しかし言い返さんと再び口を開こうとする……が。
「位高ければ徳高きを要す。民の上に座することができるのは、領地や属する国や世界が危機に瀕したとき、その身と生涯を捧げる約束があるからこそ。今日まで税によって生かされてきた身を、還すときがきたということだ」
兄の言葉にアーコレードは黙りこみ、こちらを見た。
無論、「お姉さま」に助けを求める意図もあっただろう。
しかし、たった今、彼女の兄が口にした貴族の信条は、数刻前にそのお姉さまのひとりによっても語られていたものでもあった。
十四の娘は兄のほうへと向き直ると、「承知いたしました」とかしずいた。
――アコ……。
フロルは彼女に悪いという気がした。
プリザブ家当主の決定なら、従うのが正しいし、もしも自分が同じ立場になれば、同じように従うべきだと考えただろう。
しかし、それはあくまでも「妹として育ったフロルであれば」という仮の話で、「わたくし」には到底受け入れられない話だ。最終的に従うことになるとしても、抵抗だけは必ず試みるし、そうすべきだと思う。
自身が貴き者としての心構えを話したことにより、アコのこころに鎖を巻きつけたのだとしたら、それはフロル・フルールがみずからの信条に対しても罪を犯したこととなるのではないか。
――かといって、抵抗しなさいと指示するわけにもいかないし。
そもそも、あの口ひげ男も気に入らないし、フロル的には恋愛結婚に憧れがあるからして……。
――ああ、邪魔をしたい! この結婚話を、ぶち壊してやりたい!
「スリジェ卿、どうかお美しい顔をそのようになさらないで欲しい」
プリザブ卿が苦笑する。振り返ると、セリスが彼をめっちゃ睨んでた。
「私としても、妹の自由意志を軽視するのは心苦しいのです。しかし、私情を世界と天秤に掛けることはできません。それにさいわい、義弟となる男は、ただ政略のみでプリザブ家に繋がる者ではございません」
「どういうことですの?」「どういうことですか?」
セリスと花嫁がそろって疑問を呈する。
「先代当主が最後に魔物との戦いで傷を負ったさい、落命に至らずに済んだのは、彼のおかげなのです」
要は父親のいのちの恩人ということだ。
アコの驚きの表情からして、初出の情報らしい。
「それに、情というものは立場が先立ったからといって育まれないものでもないですし、雨露でなくじょうろで育てた花が醜いということもありません」
ほほ笑む長髪の貴人。セリスは「おっしゃる通りですわ」と言い、不躾な視線を送ったことを謝罪した。
――好きになれれば、ね。
フロルは商人上がりの男を横目で見る。
プリザブ卿は義弟といったが、彼よりも明らかに年上で、アコから見れば兄よりも父に近い年齢だろう。
個人的には顔が気に入らない。スケベったらしい顔だ。
きっと、アコに対しても、婚姻後のいやらしいことを楽しみにして髭を撫でているに違いない。
ロリコンかしら、と思う。
書物に綴られた物語にも、年上の男が少女を愛でる話は多い。
愛があれば細かいことはどうでもいい、というのには同意する。
しかし、この手の「おはなし」は、どうもすっきりとしないものが多いのだ。
フロルが読んだものは、少女は最初こそは素直に愛を注がれるが、そのうちに反旗を翻し、男が制御に苦しむ展開になるのがお約束だ。
ふたりが決裂に終わるにしても、男が醜態を演じたあとだと悲劇たりえないし、結ばれるにしても、少女の意志が著者の意図にゆがめられているように見えてしまって手放しで大団円とは思えない。
男が硬派を気取っているパターンなら悲劇として成り立ちやすいと思うが、この口ひげ男がアコにベタぼれされて、魔物と戦って死んでしまうという展開は難しそうに思えるし……。
――ああ、やっぱり邪魔をしたい。わたくしの手でおはなしを書き換えたい。
お嬢さまはむずむずしているのである。
「あ、あのフルール卿? 私の顔に何かついておりますかな?」
「あら、ごめんあそばせ。ひとつだけ気になることがござまして」
この縁談はどちらが持ちかけたものかと訊ねる。
プリザブ卿からだと聞き、こころの中で唾を吐く。
「わたくしからもお訊ねしたいことがありますの」
今度はセリスだ。
「おふたりの気持ちは見守るといたしましても、環世界人道連盟に所属するプリザブ家は、武器商人として身をお立てになった子爵とは縁を交わられないかと存じます。プリザブ卿は、連盟からの脱退をお考えになられてますの?」
セリスは食い下がる気のようだ。
「それに、昨日パーティーでお話をしたぶんでは、ドメストさんは闘技場とのお取引にもご熱心だとか。わたくし、あのような倫理にもとる催しものには関心いたしませんの」
「セリスお姉さまのおっしゃる通りです!」
水を得たか、アコもセリスに追従し闘技場を案内させたことの釈明を求めた。
プリザブ卿は「痛いところをつかれましたね」と言うと、サンポール卿と顔を見合わせてうなずく。
「縁談の政略上の理由も、あなたたちがいだかれているであろう疑問についても、まとめてお答えします。じつを申し上げますと、スリジェ卿をお招きして、子爵と引き合わせるのは、もとより予定していたことなのです」
「わたくしと彼を?」
「そうです。そして、私が計画しているのはプリザブ家の連盟からの脱退ではなく、サンポール家にも連盟に加わっていただき、その口添えをスリジェ卿にお願いすることなのです」
「武器商人を人道連盟に!?」
相方の声が裏返る。
「前代未聞の話だというのは承知しています。しかし、考えてみてください。
窮する者を救うためには、加害する者を撃退する力が必要なのは事実です。
じっさい、加盟者が危険な存在に対して武力を行使することもあります。
魔力も治癒にも使えれば、破壊にだって使えますし、
女神の加護の力も、創造と破壊は表裏一体。商いや武器もまた同じこと。
ならば、彼を排斥する行為は差別と相違ありません。
魔物関連の取引も、彼を引きこむことでよい方向へと持って行けるはずです。
スリジェ卿もご存知でしょう?
今の連盟内部では、マギカの富裕層同様、腐敗がはびこっています。
彼の参加はよい刺激になるはずです。そして……」
プリザブ卿がこちらを見た。
「私はフルール卿にも加盟していただきたく存じます。
フルール卿の加盟は、子爵の参加よりも大きな力となるでしょう。
破壊の御子こそ、実力と実行の権化。あなた様が力を見せることで、
停滞の果てに汚職と癒着が沈殿しきった組織に再生を促すのです」
興奮気味に語る卿。
――やっぱり、そう来たか。
武器や武力も使いよう。破壊と創造は表裏一体。それはそう。
しかし、フロルは言った。「いやよ、面倒くさい」
加えて、カネにならないのも問題だ。
いかにフルール家の資産とて無尽蔵ではない。
スリジェ家のように質素な暮らしをしているわけでもないし、収入源も比較して多くない。
活動費も民に負担を掛けないために、フロルが異界で手に入れた神工物や、他文明の遺物をギルドに買い上げて得たコインから捻出している。
今日の闘技場の賭け金だって、ちゃんとお小遣いから出した。
トラベラーギルドでの活動には報酬が伴うが、人道連盟は無償だ。
連盟の活動に力と時間を割くことになれば、領民にしわ寄せがいくだろう。
それに、自分が加わると、連盟にとってもろくなことにならない気がする。
「め、面倒くさい……」
プリザブ卿が目を丸くしている。
フロルは咳払いをした。
「もとい、破壊のさだめを背負ったわたくしには、自領を守ることで手一杯ですわ。他世界より聞こえてくる噂も、その延長かフルール家の使命によるもの。わたくしの義は、あくまでもおのれのためであり、奉仕のこころには遠きものですわ」
「そこをなんとか。スリジェ卿は幼いころからのご友人なのでしょう? あなたからも仰っていただけませんか?」
しつこい。さすがファンというだけはある。
しかし、フロルはプリザブ卿の態度が暗雲を呼びこんでいることに気づいた。
ドメスト・サンポールが「面白くない」という顔をしている。
「フロルさんがイヤとおっしゃるのなら、わたくしからは何も。力は使うもののこころ次第というお考えは、わたくしたち女神の子も同意することろですけど、子爵への口添えをするかどうかは、彼個人を見極めなければ決められませんの」
こちらも顔を見れば分かる。承諾する気は一切ないだろう。
それに、プリザブ卿と同じことを危惧しつつも、セリシール自身は連盟を脱退する方向で検討していると聞いている。
彼女は、両親のやってきた活動のすべてをそのまま引き継ぐことは諦めている。
腐敗に嫌気を差しただけのうしろ向きな決断ではなく、まずはおのれの経験を増やし、足元を固めてから、再び慈愛の腕を伸ばすべきだと考えたからだ。
「話が違いますな」
ドメスト・サンポールが言った。
今度は人差し指で髭をこねくりかえすことはせず、眉間にしわを寄せていた。
小娘にプライドを傷つけられたとでも思っているのだろう。
「破壊の御子の筆頭が連盟に加わってしまえば、魔王軍との和解は永久にありえませんぞ。それにスリジェ卿も、シャルアーティー殿から聞いていたのとは、少々違うお考えをなさっているようですな」
「……お兄さまは、魔王軍との和解をお考えになっているの?」
アコが問う。
彼女の瞳は、覚悟と嫌悪のあいだでさまよっている。
「そうだ。そのためには魔族を連盟の保護対象として加える必要がある。子爵は第二、第三の王位継承者とも取引を持っている。第二王子は和平のお考えがあり、グロスファット卿は闘技場運営にも関わっておられるのは知っているだろう」
「王家のかたたちと……」
彼らの存在が出された途端に、アコの瞳が一気に嫌悪に傾いたのが見えた。
「では、闘技場に行かせたのは、あたくしたちに魔物や魔族への非道な扱いを見せるためですか」
「その通りだ。外貨を得る手段を確立した暁には、闘技場の廃止を目指す。あれは民のはけ口であり、現状でマギカを支えている収入源であるゆえ、道のりは遠いだろうが……」
子爵が口を挟む。「ともかく、話はすでにまとまっているのです。おふたりはお母上の死をいしずえに、お父上の悲願を叶えるべきです」
それから彼は、アーコレードの前へ出てひざまずき、手を差し出した。
「めおととなる以上、お互いに理解を深めるべきでしょう? さあ、気晴らしも兼ねて散歩にでも繰り出しましょう。乗馬はお好きですか?」
口ひげ子爵は笑顔になっていた。
だが、いっしゅんこちらを見たときの眼には、警戒か敵意か、少なくとも先の挨拶とは相いれない色が浮かんでいた。
そしてアーコレードは、戸惑いをみせながらも、彼の手を取った。
「お姉さま……。いいえ、フルール卿、スリジェ卿。あたくしは、外出しなければなりませんから、お兄さまのご相手をよろしくお願い致しますね」
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