056.お姉さまと呼ばないで!-02
色とりどりのドレスやジャケットが、まるで自分が一番だと咲きほこり、食事の脂や葡萄酒のにおいを漂わせている。
せっかくの演奏も耳を澄ませなければ聞こえず、入れ替わり立ち代わりの思惑を受け流すのにこころがくたびれる。
友人は自世界の社交界のこういうところを嫌っていたが、ここはあれ以上だ。
セリシールは目の前にいる、人道支援の必要性について唾を飛ばす老爺から焦点を外しながら思索に耽っていた。
これまではあれだけ必死だったのに、当主となってしまえば、意外と自分に俗っぽいところがあることや、令嬢としてぬくぬくやっていた時代にうしろ髪を引かれる思いがあることを気づく。
「重ねますが、ご両親のことは残念でした。今後とも、世界の愛と平和のためになにとぞご協力を」
セリスの手を両手で握って立ち去さった老爺は、環世界人道連盟の重役だ。
表向きこそは慎ましやかに彼の哀悼の意を受け取っていたが、あのしわの寄った口がコインに関わる単語や某世界に関することを口にするたびに、逃げおおせたゴキブリの気配を探るような気持ちになっていた。
「今のが例のじいさんよね。人道を謳うくせに、出っ張ったお腹をしちゃってまあ。カードでいたずらしてやろうかと思ったわ」
テーブルの下に隠れたフロルが、骨つき肉をもぐもぐして言う。
彼女は珍しく、自発的に立食パーティーに参加していた。
衣装もフォーマルで、華やかだがコルセットとスカートの不自由なドレスを選んでいる。
「フロルさん、騒ぎは起こさないようにお願いいたしますの」
「冗談よ。むしろ、申しわけなくなったわ。巨大ロボット壊してごめんあそばせ」
と言いながらも、フロルは咥えた骨へ歯を立てた。
今の役員は、汚濁の罪独自の人道支援・環境保全団体の代表も兼ねている男だった。
連盟の役員としては目立たない程度に口を挟むくらいだが、自世界の団体代表としては寄付金の二割をその贅肉のために使っていると噂されている。
女神の枕は汚濁の罪と断交状態となっていたが、お互いに魔導の世界と付き合いがある以上、こういった集まりの場で顔を合わせるのは避けられない。
「それにしても、人道ってのを通すために、こんな面倒なことをしなくちゃならないものなのかしら。悪い奴は斬る、邪魔な物は壊すでいいじゃない」
「文化レベルが進むと、色々とルールが増えるものですの」
「文化? 科学の間違いじゃないの? 蒸気より電気が偉くて、電気より電子のが偉いって態度が透けてるのよね。しかも、そっちのルールに合わせろだなんて」
フロルは皿から追加の肉をつまむと、骨から一気にかじり取った。
魔導の世界がマギカ王国。
ここはマギカ王の宮殿。セリスとフロルは、立食パーティーに招かれている。
表向きは魔導の世界の名門“プリザブ家”の当主交代の祝いで、セリスも団体の加盟者の一員として賑やかしで呼ばれていたが、裏では両世界を代表する国王同士の密約が結ばれており、彼女はその密使だった。
魔導の世界では昨今、魔王軍の攻勢が強まりっており、諸侯や討伐軍が続々と破れ、魔境と呼ばれる魔物の領域が広がりはじめている。
それに窮した代表国マギカの国王が援助を要請、アルカス王は汚濁の罪との外交的クッション役を条件に提示し、これを受けた。
勇者を擁立し続けているマギカにも誇りがあり、対魔王軍の戦力提供こそは断ったが、国庫とスリジェ基金から多額のゴールドや食糧、医療物資が捻出されることとなっている。
多くの世界では、カネが人を動かす。
女神の枕も例外ではないが、生活が満たされているために、その程度は圧倒的に違う。
家訓や創造の眷属としての慈愛で動くセリスは、人命よりもコインや意地を重んじる連中にいら立ちを募らせていた。
「“シャルアーティー・プリザブ”、顔は一級品ね」
もぐもぐフロルの視線の先には、パーティーの主役である新当主がいる。
婦人もうらやむまっすぐな銀の長髪を持った青年で、光が透けるような輝きを放っている。彼が群がる者へと白い歯を見せるたびに、銀髪はどこかなまめかしく紫色に揺らいだ。
シャルアーティーは、マギカにある爵位制度の侯爵に位置しており、王族関係者の公爵についでの高階級だ。
そのため、プリザブ卿はずっと婦人たちの相手をしていた。
「今度は例の双子が言い寄ってるわよ。あの子たちって、十歳そこそこの癖に生意気ねえ」
いつぞやの名誉大使の双子だ。今日は魔女ルックではなく、それぞれ赤と青のドレスを着てめかしこんでいる。
ふたりはお互いを押しのけながらプリザブ卿にあれやこれやと質問をぶつけていたが、若き当主は両方の手の甲にキスをして黙らせていた。
「プリザブ卿は、おこないや立ち振る舞いも立派かと存じますわ」
「セリスはキザっぽいのがタイプなの?」
「そういう目では見てませんの。プリザブ家は魔導の世界で唯一、環世界人道連盟に加盟なさってますから」
「わたくし的には、顔と振る舞いだけじゃ不合格ね。趣味も合わないと」
フロルは煽っておきながらも、次の料理の品定めに入り、また骨つき肉をチョイスした。
「フロルさん、マギカは魔王との戦いで窮していらっしゃるのですから、お料理はあまり……」
友人の胃袋の向こうに、魔物の襲来に怯えながらクワを振るう農民が見える気がする。フロルはずっと食べてばかりだ。
「セリス。よろしいこと?」
注意を受けたフロルは、真剣なまなざしを向けてくる。
「マギカのかたたちにも、見栄を張らねばならない場面があるのですわ。何に誇りや配慮を置くかは人それぞれ。ここでは気兼ねせず料理に舌鼓を打つのが礼儀。わたくしたちは少し裕福すぎるようだから、気をつけなくてはいけなくってよ」
――嘘くさい。
好物の仔牛の肉ばかりいってるじゃないか。しかもこそこそと。
とはいえ、彼女の言うことにも一理ある。
同意するとフロルは「でしょ?」と言って肉を頬張った。
――もう、呑気なかた。
セリスは肉の脂で濡れたくちびるから視線を外し、ため息をよそおう。
フロルはその気になれば貴人や要人相手にちゃんとやれるのに、隙あらばすぐに砕けてしまう。
――まあ、それも美点なんですけど……。
常識よりも自然であることを選ぶ姿勢は魅力的だった。
この会場でその姿を見るのを許されているのは自分だけだと思うと、独占欲が満たされる。
セリシール・スリジェは自分の気持ちに問いかけた。
フロル・フルールに対して向けている情は、乙女同士の戯れの延長線にすぎないのか? はたまた、本物の愛や恋に属するものなのか?
じつを言うと、セリスは恋らしい恋をしたことがない。
しかし、この胸をじらし、彼女を余すことなく知り、ひとかけらも誰かにやりたくないという気持ちは、父母や仲のいい友人たちには感じないものなのだ。
それはさておき、そんな想いびとのために肝を冷やす場面に遭遇していた。
どうやらフロルが、今回の魔王の侵攻強化の原因のひとつでもあったらしいことが発覚していたのだ。
「四天王の一人が倒されたと魔王軍が主張しているようですが、ホントのところはどうなんです? あなた、アレン様とお知り合いなんでしょう?」
また同じ話題が聞こえてきた。その四天王カルビタウロスは、フロルが熱き霧の世界で斬り伏せている。当人はノーリアクション。憶えていないようだった。
「勇者殿も知らないと言っておりましたな。じつはフーリュー国に潜伏しているという説がありまして……」
「しっ! フーリューの出の者があそこにいらっしゃるわ」
これもまた、だ。
着物を着ているというだけで、好奇のまなざしを何度も浴びせられる。
自世界でもこういった貴人たちの退屈しのぎの悪癖はあるが、異界人としてそれを受けるのは初めてで、針のむしろだった。
「ご無礼をお許しになってください、スリジェ卿」
小太りの男がやってくる。マギカ王国の大臣のひとりだ。
「連中は頭がからっぽなのです。あなた様のことは先ほどご紹介したというのに。ご支援のほど、なにとぞお頼み申し上げます」
「お顔をお上げになってくださいまし」
「いえいえ、これでも足りませぬ」
大臣はカツラをずらしながらぺこぺことやる。
「まったく大臣様のおっしゃる通りですわ。あのかたたちは少々髪を高く結い過ぎかと存じますわ。あのかたたちも、スリジェ卿から援助を受けるご予定があるのではなくって?」
フロルが食事の手を止め、わざわざ大きな声で言った。視線が集まる。
大臣はさらにカツラをずりさげ、フロルに対しても水飲み人形をやってみせた。
すると、噂話をしていた貴人たちがひそひそやりだし、セリスと視線を合わせると、ぎこちない笑顔を披露し、そそくさと視界から消えていった。
悪は去ったと食事に戻るフロル。また肉だ。
「では、私は仕事がありますので。ごゆっくりとパーティーをお楽しみください」
大臣も去っていく。セリスは彼の背に労いの言葉を掛けようとしたが、思わず口を開いたまま固まった。
小太りおやじは立ち去りぎわに、宮殿の給仕の娘の尻を撫でていったのだ。
「み、見ましたか今の!?」
「そんな怒らなくてもいいじゃない。マギカでは文化なんでしょ。キルシュも言ってたわよ、お城の大臣はスケベか裏切者がお約束だって」
「で、ですが、本日は人道連盟のかたも多くいらしてますの。女性蔑視は多世界で問題になって……やんっ!」
いきり立つも、今度はセリスが臀部を触られた。
犯人は「マギカのメイドはスカートが短すぎるのよね」と言い捨て笑う。
「お金とスケベとお食事と。侯爵だ大臣だなんてお高く留まってても、みなさまがたも動物に過ぎないのですわ。ま、セリスちゃんも人のこと言えませんわよね?」
おほほと作り笑いをするフロル。
今度は肘で乳房を圧してきた。セリスは頬を熱くし黙りこむ。
反論ができない。いつぞや怪我の手当てを理由に痴漢行為をしていたので。
――でもあれは、わたくしでなくって、ミノリ様がいけませんの。
破壊の眷属が運動や武術に興味を向けるのと同じように、創造の眷属は芸術や創作に精力を捧げる。
その「創造の極致」とは何か? そう、「生命の創造」である。
つまり、創造神の寵愛が性衝動を呼んでいるわけで、ミノリ様が悪いのだ。
わたくしは確かにフロルさんのことを憧れのきみとしてお慕い申し上げていますが、それはあくまで純潔な愛情であり、決して肉的なものではございません。
……と、仮の結論をもてあそぶ。
だいたい、自分個人や眷属としてどうあろうとも、スリジェ家存続のためには、遅かれ早かれ、婿を取らなくてはならないし。
いやそれにしたって、なんとかならないかしら。
エルフという種族は、オークやゴブリンの子を身籠ることができるという話を聞いたことがあるし、種族の壁が越えられるのなら、性別の壁くらい越えられるんじゃないかしら?
どこか、魔法や科学技術で女子同士でも……。
などと錯乱していると、声を掛けられた。
裏返りも甚だしい返事をすると、これまた小太りの男性だ。
「宮廷魔術師のダハーカ・ドゥーと申します。娘たちから聞きましたが、貴界に名誉大使としてお邪魔させていただいたさいに、何やら粗相をしたとか……」
例の双子の魔法使いの父親だという。
彼は娘どもの無礼を謝ると、今回の出資の話に礼を述べた。
「うちも魔導の名門ではあるものの、今代で一気に没落してしまいました。
娘たちはまだ若く実力不足ですし、筆頭の兄も行方知れずになり、
わたくしめも領地を魔物どもに奪われてしまいまして、家内も失いました。
娘たちだけは名ばかり大使としていたおかげで、失わずに済みましたが……」
あの双子も相変わらずの跳ねっ返りっぷりだが、直近に肉親を失った中での空元気のようだ。プリザブ卿に迫っていたのも、その一環かもしれないと思うと、目頭が熱くなる。
「ご心中、お察しするに余るかと存じますわ」
意を表すために手を差し出すと、両手で握られた。
慈愛の娘は、おのれのもう片方の手も重ね、硬く握ってやる。
「ところで、女神様の恩寵は、魔導の世界でも通用するものなのですかな?」
「はい。女神様のお声は、こちらでも聞こえます」
セリスが手を放そうとするも、ダハーカはまだ手を握っている。
「なるほど。セリシールさんにはご親族などは?」
「遠戚ばかりで付き合いはあまり」
「遠戚でも順番が回れば当主となることも?」
「どうでしょう? なにぶん前例がございませんので」
「では、お世継ぎにお困りで?」
「ええ、まあ……」
「女神の枕では、世界をまたぐ結縁に何か制約は?」
「さあ、存じません……」
ねちっこく質問が続く。何が目的なのだろう。
「ご両親を一度に失われて、お寂しくありませんかな? 私も妻を亡くしてからというもの、寝床を少々広く感じておりまして」
ようやく気が付いた。
握られっぱなしの手が汗ばみはじめる。
「あの、わたくし……」「一度、お食事だけでも」
ずい、と小太りおやじの顔が近づく。
「いやあん! 足が滑りましたわーっ!」
フロルの悲鳴だ。
床に足を広げてスッ転んでいる彼女の手には、男物のベルトが握られている。
「何をするんだねきみは!」
ダハーカは慌ててセリスの手を解放すると、落ちかかったズボンをつかんだ。
「あらまあ、なんてこと! わたくし、とんだ粗相を。ここでは耳目を集めますわ。ちょっと廊下へ出て、お召し物をお直しになったほうがよろしいかと存じますわ~」
フロルはそう言うと、ベルトを手にしたまま小太りおやじをぐいぐいと押して退場していった。
「助かった……」
ふたりが人混みの中へと消えると、胸をなでおろす。
今のは少し乱暴だったが、フロルはああいう手合いをあしらうのに慣れている。
この会場でも何度も色目を弾き返していたし、貴人要人たちのラブ・ゲームにも不参加を表明していた。
フロルがすぐには戻ってこず、少し不安になる。ところが、そこにまたも来客だ。
今度は痩身の男性だ。顎の鋭い特徴のある顔で、口ひげを撫でながら近づいてきた。
「私の名前は“ドメスト・サンポール”。商人の成り上がりですが、いちおうは子爵の地位を拝しております」
セリスも自己紹介をし、挨拶として取扱商品について訊ねてみる。
「武器や魔物の捕獲器具などを取り扱っております」
――武器商人。
反射的に眉をひそめてしまい、慌てて顔の筋肉を緩める。
「不快でしたら申しわけございません。貴族の仲間入りをしてからは、領民や他領で魔物の恐怖にさらされた者へ武器の無償提供をおこなっております。一応は私もそちら側、ということで」
彼は握手をすると早々に立ち去った。
若い当主は恥じ入った。武器がなければ戦えない。戦争の道具の提供というと、シダレ・ブリューテの暗躍をどうしても思い出してしまうのがいけない。
フロルはまだかと廊下のほうを見るも、参加者たちの頭に隠れて分からない。
代わりにまっかな文明社会スーツを着た女性が近づいてきた。今度はなんだ。
「当方、愛と憎しみのエネルギー研究学会と申します」「は、はあ」
彼女は「愛」の部分で笑顔を、「憎しみ」で怒りの表情を作りながら言った。
「ワタクシどもは、生物の感情を資源として活用する技術を研究しております。
感情エネルギーは生物が生きる限り無尽蔵で、環境に悪影響もなく、
人類社会を長期持続可能なものとする期待のエネルギーなのです。
資源としてだけではなく、不快な感情をエネルギーとして抽出することで、
過剰な感情を除去してストレスの軽減ができ、心的健康を保てます。
戦争の停止をも実現が可能で、無感情化による不快作業の効率化や……」
女性の説明を遮るようにして、会場を乾いた音が駆け抜けた。
具体的には、フロルがダハーカをベルトでぶってるような気がする音だ。
セリスは音のしたほうから顔を背ける。
「ええと、お話はなんでしたっけ?」
「研究のためには莫大な資金が必要でして……」
「平和のための研究でしたら、是非出資させていただきます」
「本当ですか!? でしたら、こちらの書類へのサインと、所属世界と住所を……」
若き女当主がペンを手にした瞬間、爆発と悲鳴が起こった。
「フロルさん!?」
かと思って、全身総毛立たせてそちらを見たが、引っくり返ったテーブルや逃げ惑う参加者の向こうにいたのは、例の双子と、黒いドレスを着た少女だった。
三者は燃えるカーペットの上で、ほの赤く光りながら睨み合っていた。
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