048.戦場を照らし出す乙女たち-11
頭に森を頂いた岩棚が、こじゃれたケーキのように点々と並ぶユニークな景色。
その岩々の足元に広がる整然とした四角い区画たちは、かつてここに都市があったことを教えている。
区画をなぞるかように、遺産を狙う者たちがテントを構えていた。
都市の西側を獣人と首輪の従者たちが、東側を銃火器で武装した人間たちが押さえており、中心部には大本命であろう神殿が鎮座している。
戦闘のせいか、その足元には砂埃が霧のようにもうもうと立ちこめており、ときおり何かの爆発が作る幽かな振動がここまで伝わってきていた。
「神殿のそばで、あれだけどんぱちやってても壊れないのね」
と言っているそばから空を切る音が遠く聞こえ、神殿の一部が爆発した。
転生者たちいわく「ロケット砲」とやららしいが、煙が引くと、神殿の壁は変わらぬ姿を平然と示した。
「神殿にも何かの力が働いてるみたいですね。見た感じ、ただの石造りで風化もしてきてるのに、びくともしない」
「私たちと同じように、女神様の加護で頑丈とか?」
「そういえば、ユリエさんはズルいですよね」
「ズルい?」
「頑丈なだけじゃなくって、腕力も脚力もすごいんだから」
「いいでしょー? 全ステータス振り切れて、我ながら人間じゃないって感じです」
「いいなあ。ぼくは防御極振りって感じで、ほかはさっぱり」
神殿に加護を与えたのと、白床を作ったのは別の存在なのだろうか。
ここがサンゲやミノリから遠い世界だという解釈が正しいのなら、やはり彼女たちの力によるものではないと考えられる。
これまでフロルが白い壁や構造物と遭遇してきたのは、願いの力を振るうのに難儀しない世界ばかりだった。
一度は、アルカス王国上空のゲートを囲うようにも現れたことがある。
そして壁はどれも、自分たちを邪魔するためにあったように思えた。
――違う。わたくしたちじゃなくって、サンゲやミノリ様の邪魔を?
腰のつるぎに手をやる。心もとない気配の返答。
今回はちゃんと斬れるだろうか。
普段は、畏怖と力の暴走への恐怖がないまぜになり煩わしいくらいだが、今日はあの奔放な破壊神のことが少し恋しくなる。
「ダメです。なぜかドライアドが出てきてくれません」
ひげづらの男は先ほどから周囲の地面や木々に声を掛けているが、樹木人形たちは一向に姿を現さない。
「仕方ありませんわね。わたくしのカードで乗り切りましょう」
なるべくは姿を隠し、頑丈な転生者たちを先頭に汚濁側の野営地を抜ける。
発見されればフロルが女神のカードを投げ、兵士たちの「戦意」を破壊した。
「慣れてきたかもしれませんわ」
神殿の入り口でも戦闘がおこなわれていた。
隠密で抜けられる状況でもなかったため、複数枚をドローして切り抜けるつもりが、たった一枚のカードで戦闘が停止してしまった。
「慣れたというより、フロルさんがレベルアップしたんじゃ?」
「ふたりとも、見てください。戦意が無くなれば、仲良くできるんですよ」
兵士と獣人たちは、武器を下ろして距離を取り、相手側に「出ていってくれないか」と口頭で頼みこんでいる。
そのうちにお互いに引く方向で話がまとまり、握手までもが交わされた。
「あっ、見逃しませんよ! 汚濁側の将官っぽいおじさまが、獣人の手を握ったときに、こっそり毛皮を撫でてました!」
ユリエは興奮気味である。
「これ、もっとやったらおじさまと獣人がくんずほぐれつになったりしませんか!?」
「残念だけど、わたくしは壊すの専門なのよ」
「理性とか、種族の壁とかを破壊したらいけません?」
「粘るな! カードの効果は数分で切れますし、さっさと行きますわよ」
一行は侵入経験のあるユリエに先導されて奥へと進む。
白い床が目標を封鎖したせいもあるだろうが、奥に行くほどに兵や獣人の姿は減っていった。
出遭っても怪我人や遺体を回収する者ばかりで、彼らはカードを行使するまでもなく、武器や爪で威嚇するに留めていた。
「こんなふうに敵が減ってくると、だいたい奥にボスキャラが居るんだよなあ」
「分かります。あるあるですよね」
「ゲームのダンジョンって、燭台に火が入ってるけど、誰が点けてるんだろう?」
「謎ですよね。最初に来たときは思わず宝箱とか探しちゃいましたよ」
「何か見つかった?」
「いえ、さすがに」
転生人たちは分からない話をしている。
そうこうしているうちに、神殿の中心部である大広間に到達した。
地下への階段があっただろう場所には、まっしろな床があり、崩れた天井から射しこむ光が反射して、そこだけ白く消えてしまったようになっている。
そして、まばゆい光の中に甲冑姿が立っていた。
聖騎士を示す青のマント。兜を小脇にかかえ、晒された長髪は金。
となりでユリエが「エグいくらいイケメン」と言った。
「来たか、フルール卿」
見開かれるまぶた。波間のような瞳から、確かな意志を感じる。
「お待たせいたしました、と申せばよろしいのかしら。わたくしたちがつけていたことをご存知でしたのね?」
「いや、サンゲ神にそなたが来るから待てと命じられた。しかし、驚いている」
シダレは末弟キルシュを感心した様子で眺めていた。
「おまえがフルール家に出入りしているという噂は小耳に挟んでいたが、たちの悪い冗談だと思っていた」
キルシュは何も答えず、ただ兄を睨みかえしていた。
「いい目をするようになった。ヤエに夜這われて逃げていた昔とは大違いだ」
「思い出させないでくださいよ兄さん。フロルさんのおかげですよ」
「ふむ、おまえたちはそういう関係だったか」
フロルは「違いますわ!」と即答した。
「ならば、騎士として仕えるべきあるじを見つけたというところか」
「それも違いますよ。ぼくはもう騎士じゃありません」
今度はキルシュが否定する。
「ここにいる二人のおかげで、ぼくはようやく、ぼくを見つけられたんです。
だけど、シダレ兄さんは変わってしまったようだ。
アルカス騎士団は、無力な者たちのつるぎと盾になるべき存在だって、
ぼくによく語ってくれていたじゃないですか。
それなのにどうして、異界の戦争を煽り、戦いを長引かせるようなまねを」
「おまえの言う通り、秘密裏に両軍への援助をしていたのは事実だ。
だがそれは、破壊や混沌を狙ってのことではない。
私が支援していたのは常に、その時世で勝っている陣営だった」
「無節操ですわね。無理に戦いを終わらせて、どうなさるつもりでしたの?」
「どうする? 終戦それ自体が目的だ。さらに言うなれば、確かめたかったのだ。
フロル・フルールよ。そなたも勇者として多くの世界を見てきただろう。
疑問には思わなかったか?
多くの世界の情勢が長年に渡り拮抗し、不自然な停滞が生まれていることを」
「同感ですわね。ですが、わたくしとおててを繋いで遺物を破壊する、というおつもりではないのでしょう?」
「その通りだ。私はこの下に眠る“巨人”を目覚めさせ、世界を焼き払う」
「やはり、サンゲの意思に取りこまれていらっしゃるのね。終戦を望むだけなら、巨人を滅ぼすだけでよろしくなくって?」
騎士は瞳に落胆の色を浮かべた。
「私は正気だ。当主とはいえまだ若いな。戦争というものを理解しておらぬ。
汚濁の罪は、遺物よりもこの豊かな地を欲している。本命は世界そのものだ。
獣人も戦いに生きる種族。一度出した爪を仕舞うには理由が要るだろう。
そして何より、両者ともに長きに渡り募った怨みによって戦いを続けるはずだ」
「この世界を焼き払っても同じことではなくって?」
「焼き払うのはここではない。どちらかが滅びれば戦争は終わる。
汗と鎖の世界と繋がるゲートは巨大だ。巨人を送りこみ、徹底的に破壊する」
「同じ女神の枕の出身者として恥ずかしい選択ですわね」
「女神の眷属ゆえだ。獣人の王は巨人と戦うことを目的にしていると聞く。
汚濁は土地を得、獣どもは汗の掟に殉じる。両者の願いをかなえてやるのだ」
「そんなのはエゴだ!」キルシュが声をあげる。
「一人の人間が、よその世界の命運を決するなんてこと、していいはずがない」
「神の意志だ。私は従うのみ。ただ世界が動くのが見られれば、それでいい」
「あなたには人の心がないのか! そんなことのために自分の隊も犠牲にして!」
「あまり非難してくれるな弟よ。この旅に付き合ってくれた部下や同胞たちも、
私の意見に賛同したうえで来てくれたのだ。
その腰のつるぎは風斬りのやいばか。ならば、おまえも知っているのだろう。
叔父のスカッタ殿もまた、破壊の眷属としての使命に殉じられたのだ」
「叔父さんが……。でも、それでもぼくは、そんなやり方は間違っていると思う」
キルシュは腰に差した曲刀を抜いた。
「俺も、あんたのやり方には賛成できねえな」
ユリエも背中の大剣を片手でひょいと取り上げ、切っ先を向ける。
「彼らには和解の目がある。世界が動くのが見たいってんなら、手を取り合う未来を待つんだな」
「それは神々が許さぬ。そうだろう? フルール家の当主よ。
二柱の女神は、みずからが生んだ世界たちの停滞を嘆いておられる。
眷属である我らは、神々の願いを叶える依り代となるのが務め。
そして、創造には創造の、破壊には破壊の領分とやり方というものがある」
「……シダレさんのおっしゃる通りですわ」
同意すると転生者たちが「フロルさん!」と声をあげた。
「それでも、わたくしは巨人を滅するほうを選びます」
「甘いな。サンゲ神の怒りを買うぞ」
「そうかもしれません。ですが、わたくしは恐ろしいのです」
「恐ろしい?」
「あなたは、いだかれたことはありませんの?
破壊に身をゆだねた先で、大切なともがらをみずから斬る未来への不安を」
妻子のある男ははっきりと言った。「ない」
「神の眼で見よ。人の目で見るならば長き歴史を想像せよ。
獣人たちは、次には女神の枕に享楽のいくさをしかけるやもしれぬ。
汚濁は罪を繰り返し、また土地を欲し、多くを汚してしまうやもしれぬ。
そうなれば、失われるいのちの総数は、計り知れないだろう」
「否定はできませんわね。きっと、あなたは正しいのでしょう」
「ならば、どうする? 私と共に来るか?」
しかし、シダレはすでに鉄仮面をかぶり、剣の柄へと手を伸ばしていた。
「お断りいたしますわ。わたくしは神の眷属である前に、フルール家の当主。当主である前に、ひとりのかよわき娘に過ぎませんの」
告白を聞き、聖騎士は仮面の下で嘲笑ったようだった。
多くの人を、死のさだめにいざなうのが怖い。
破壊の衝動に呑まれ、大切な誰かを傷つけるのが怖い。
――何よりも。この誘いに乗れば、あの子にはきっと、嫌われてしまう。
「シダレ・ブリューテ、お覚悟なさって。わたくしは、あなたを止めます」
細剣を抜き、その切っ先に騎士を見据える。
「残念だ。どちらにせよ、破壊神にはそなたを斬れと仰せつかっていたのだが」
――サンゲが!?
動揺。一瞬の出遅れ。先陣を切ったのは兄を咎めるキルシュ。
振りかざすは叔父の形見、風斬りのやいば。
「汝の願いは吾の願い」
シダレのつるぎがほの赤く光った。
彼が鞘から引き抜く得物の刀身は、武骨な甲冑に似合わぬ細剣だ。
「ブリューテの男だというのに、まだ宣誓を賜っていないのか。叔父も泣くぞ」
破壊の神工物同士の衝突。あっさりと曲刀が弾かれ地面に転がる。
しかし次の瞬間、騎士の鎧が激しく火花を散らし、シダレは吹き飛ばされた。
「チートの俺たちに勝てると思ってるのかい? あんた、死んだぜ?」
ユリエは一瞬で距離を詰め、人の背丈ほどもある大剣を片手で振り抜いていた。
倒れたままの騎士の兜の下から、第一の宣誓。
「その手は食わねえ。こっちには女神様の専門家もいるんだ」
ユリエは眼前に巨大なつるぎを突き立て、飛来してきたカードを遮蔽する。
「サンゲが何を言ったのか知りませんが、あなたには勝ち目はないかと存じますわ。三対一であろうが、わたくしも加減はいたしませんわよ」
フロルは手早く第二宣誓を口ずさみ、細剣を燃えるつるぎへと変じる。
同時に、起き上がったシダレからも第二の宣誓が聞こえた。
――つるぎが!
騎士でレイピアは珍しいとは思ったが、まさかこんなことが。
彼が手にしたつるぎが黒き炎をまとい、フロルと鏡映しのフランベルクとなった。
フロルはさらに驚くこととなる。
「……御神の美斗を毀つ聖心に殉じることを!」
聖騎士シダレが繋ぎ唱えるは第三の宣誓。
隠していたのか、新たに賜ったのか、公言されていたのは第二までだ。
眷属の男が破滅の炎たぎらせるフランベルジュを突きこむ。
「あれ……? なんで?」
疑問を口にするユリエ。
大男のぼろマントの背から、赤黒き炎がちろちろと舌を出していた。
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