047.戦場を照らし出す乙女たち-10
フロルたちは遺跡を目指し、森多き世界を進んだ。
目的地が近くなるほどに、凄惨な戦いの痕にぶつかり、三人は戦死者たちに祈りを捧げた。
本来なら迂回が奨められる険しい森林も、ドライアドたちの協力により、容易に直進できた。
しかし、森はときおり兵や戦士の隠れ場にもなることがあり、鉢合わせた両者はいくども争いの危機に立たされてしまった。
そのたびに、シダレの行動に対しての疑念が深くなった。
汚濁の罪には、無線通信という離れた場所と連絡を取る技術があるらしい。
フロルたちは味方として話が通っているはずだ。
にもかかわらず、問答無用で襲撃を掛けられる事態も珍しくなかった。
シダレは両陣営に対して無差別に攻撃を仕掛けているのではないか。
サンゲ神に魅入られ、破壊の衝動に呑まれたのではないか。
不吉な疑いを固める情報は、ユリエからも寄せられた。
「精霊たちが、フロルさんに対しても敵意を持っているみたいなんです」
「無理もありませんわね」
戦地の森は、所によっては酷く傷つけられていた。
幹の弾痕、爆弾で吹き飛ばされた枝葉、魔法で燃やされたり、氷漬けの巻き添えを喰らった鳥や獣たち。
そして……。
――この斬り口。
広範囲に渡ってなぎ倒されていた木々は、滑らかな断面を持っていた。
地面や岩も同じようにすっぱりと切れており、まるで、デッサン画に消しゴムを走らせたかのようになっている。
数日前に弔ってやった聖騎士スカッタの所有していた風斬りのやいば。
あれをシダレが手に入れて振るったのだろうか。
あるいは、滅びの炎を生むほどの高位のアーティファクト……。
なんにせよ、破壊の気配を憶えたドライアドたちが、フロルに対しても同じ怒りを向けているということだろう。
さて、遺跡も間近となった頃合い、その夜。
フロル・フルールは蒸れて仕方がない鎧の下をすっきりとさせるため、もとい、決戦を控えて逆立った精神をなだめるために、森の泉の世話になっていた。
――脱ぐべきか。脱がざるべきか。
特に気になるブーツだけ脱ぎ、足を清めて、あとは局所局所を布でぬぐうだけにしようか。
ここは前線だ。頑丈な盗撮犯と、ハートが女性の超人に見張りを頼んでいるが、ふたりは警戒のベテランというわけではない。
――油断すると、見知らぬ誰かに覗かれてしまうかもしれませんわね。
そういうわけで、フロルはすべてを脱ぎ去り、水の中へと脚を差し入れた。
水が汗と土ぼこりのぬめりを溶かし、肌に程よい冷たさを与えてくれる。
泉はほどほどの深さで、立ったままだと水と空気の境界がちょうど膝のあたりに来ていた。フロルはゆっくりと膝を曲げ、境界が腿の裏、臀部と撫でゆき、冷たい水が脚のあいだへ忍びこむのをじっくりと楽しんだ。
みなもに仰向けとなり、枝葉の天井の隙間から射しこむ月明かりを眺める。
――ふたりはちゃんとやってるかしら。
防衛線に残してきたセリスとヨシノを想う。
彼女たちを危険から遠ざけたく、おのれの力を遠慮なく発揮したかったのもあったが、ふたりには、この人々が憎しみ合う世界で、敵を斃すことよりも何かを救うことにこころを砕いて欲しいというのがフロルの本心だった。
破壊のさだめに苦しむのは、自分だけで充分だ。
シダレはどうなのだろうか。部下たちは死んでしまった。末弟は怒っている。
彼にはまだ、理解者や協力者はいるのだろうか。
茂みの向こうで乙女の時間を作ってくれているキルシュには、感謝をしている。
悪癖になっている節はあるものの、彼へ気軽に暴力を振るうたびに、胸の内に潜む破壊の衝動がわずかながら遠ざかる気がしていたのだった。
本来なら、自身の破壊の力を抑するのは創造の力を持つセリスが適任だが、今度だけはあの青年の胸を借りようと思う。
「はあ……。またこんなところで肌を晒されて」
急にため息が飛びこんできた。
慌てて身を起こすと、泉のそばに燕尾服姿の男が立っているのを見つけた。
別行動をしていたルヌスチャン・イエドエンシスである。
「チャン! ひとが水浴びしてるときに沸いて出てこないで!」
「人を虫のようにおっしゃる。よもや戦地で全裸になる人間がいるとは思わず」
「最前線に突入する前の身清めですわ! というか、よくここが分かったわね?」
「知って接近したのではありません。森の中に火が見えたので、戦闘があるのかと思いましてな。騎士か転生者が見つかるのではないかと」
火? 言われてみれば、何やら茂みの向こうが明るい。
背伸びをして覗きこむと、キルシュとユリエが焚き火を囲んで談笑をしているのが分かった。
「あの子たち、バカなの? 見つかるわよ」
「バカでしょうな。キルシュ殿といっしょにいる、女喋りの男は何者で?」
「あれが転生者よ。前世では女性だったの」
「それはまた難儀な……」
「キルシュも、彼女と出逢ったことで記憶がかなり戻ったわ」
「ほう。問題をひとつ解決なさりましたか。して、シダレ様とは?」
「まだよ。あなたのほうの首尾は?」
ルヌスチャンはフロルとは別のルートを取って、シダレ隊の足取りを探りながら遺跡方面へと進み、戦闘を見つけては観察をして、転生者の登場を待っていた。
「獣人は感覚が鋭いようでしてな。隠れていても感づかれてしまうのです」
ひと目でルヌスチャンを強者と見抜いた戦闘狂たちは、フロルたちにもやったように戦いを挑んできたという。
「その割には、服にほつれのひとつもないみたいですけど」
「土ぼこりは何度も払いましたが?」
「でしょうね。ところで、チャン。あなた何かアーティファクトを拾った?」
フロルはサンゲの気配をなんとなく感じていた。
ルヌスチャンはアーティファクトにあまり頼らないものの、いちおうはミノリのほうより第一宣誓のみを賜っている。
「お嬢さまもなかなかに聡いですな。打ち負かした獣人たちに譲られた剣がひとふりございます」
褒めながらもため息まじりなのが気になったが、執事は鞘に納められた曲刀を差し出してきた。
「これ、風斬りのやいばじゃないの!?」
「驚かれるほどの品でもございませんでしょう。アーティファクトとしては二級品。フロル様のつるぎには遠く及ばぬ品ですぞ」
神工物にまったく同一の品が見つかるのは珍しいことではない。
だが、このつるぎの持ち主は恐らく、聖騎士スカッタだろう。
「ふむ……。スカッタ殿が落命なされた」
ルヌスチャンは髭を撫でて何かを考えこんでいる。
「スカッタさんはどちらだったと思う? シダレの仲間? 彼を調べてた?」
「後者でしょうな。スカッタ殿はブリューテ家の長女と恋仲でしたからな。それをシダレ殿の口づてに当主に伝わったのが災いして、縁談が急がれ仲を裂かれた経緯がございます」
加えて、ルヌスチャンのほうでも騎士が汚濁の兵士に攻撃を加えた噂をキャッチしていたという。
「シダレ様が遺物を狙っている可能性を申し上げておきますぞ。遺物は強力な兵器だと噂されてますゆえ、サンゲ神にそそのかされているかと」
「わたくしも同意見よ。スカッタさんはキルシュとは仲がよかったみたいだし、剣は彼に渡しましょう」
「かしこまりました。ところで、今の話でひとつ、わたくしめのいだく疑問に答えが出ました。フロル様はこちらの世界に来てから、アーティファクトの利用に難儀したことはございませんかな?」
「ってことは、チャンも?」
「ええ。ランプが不調でしてな。サーベルも宣誓に頼るほどの敵に遭ってないものの、違和感がございます。スカッタ殿ほどの達人が獣人に敗れてつるぎを奪われたとなれば、恐らくは……」
ルヌスチャンは言う、この世界は二柱の女神から遠き世界だと。
「遠い世界? 世界同士に距離なんてあるの? そんな話、初耳よ」
「有名な話ですぞ。トラベラーにとっては死活問題なのですが……。まあ、フロル様はサンゲの寵愛を誰よりも深く受けておりますからな。たいていの世界では誤差にしか思われないのでしょう。しかし、この世界は、ほかよりもいっそう遠い世界のようですな」
フロルは泉のほとりに置いたつるぎを手にすると、第一の誓いを立てた。
つるぎはうっすらと赤黒いもやをまとうが、普段と比べて頼りない。
「やっぱり、靴の履きかたが悪かったわけじゃなかったのね」
フロルはレイピアを鞘に返す。
「質問がひとつ。フロル様は森の中で破滅のつるぎの行使を……」
ルヌスチャンが問いかけたが……ふいに、フロルの胸へ重い不安が転がりこみ、思わず叫んだ。
「マズいわ! 今すぐに絶対防衛線まで戻って!」
「なにゆえに? これより遺跡へと突入するとおっしゃるのなら、力の不調は命取りになりますゆえ、わたくしめも同行すべきかと」
「セリスが心配なのよ!」
シダレの裏切りを無線で伝えられたら、セリスたちにも疑いが向くだろう。
セリスはアーティファクトが無ければ、ただのお嬢さまだ。
ヨシノは確かに強者だが、弁の立つほうではない。
外交問題クラスの話でこじれるのなら、ルヌスチャンが適任だ。
お嬢さまはひと息に説明すると、「一睡もしないで全速力でダッシュよ!」と大声でわめいた。
「フロルさん、誰か来たんですか!?」
がさがさっ! 茂みから二人の男が飛びだしてきた。
「ふたりとも、申しわけないのだけど、仮眠だけしてすぐに遺跡に向かうわよ。キルシュ、おじさまのつるぎが見つかったから、ことが済んだらこれを手向けて差し上げて」
手早く説明して、風斬りのやいばを青年の手に渡す。
彼は視線を下に逃がし、ぎこちなく返事をした。
「ユリエさん、ドライアドの香りには魔法的な力あるっておっしゃってましたけど、集団を眠らせたりできまして? わたくしの女神のカードでも似たことが可能なのですけど、カードには限りもございますし、少し不安要素もできましたの」
ひげづら女は返事もなく、露骨に顔を背けている。
「……どうかなさいまして?」
「ふ、服を着てください」
「あら、すっかり忘れてましたわ」
風が吹き、フロルは濡れた身体が冷やされるのを感じた。
普段は注意くらいはしてくれる執事も、すでに姿を消している。
お嬢さまは遺跡のある方角の空を見据え、同じ破壊のさだめのもとにある騎士との邂逅を想ったのだった。
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