043.戦場を照らし出す乙女たち-06
※先日(4/2)は2回更新しておりますわ~。
忠実なる従者ヨシノは速やかに仕事を始めた。
セリシールが急に女神に話し掛けられたことも、その内容が酷く感情を揺さぶられるものであろうことも、あるじのケースで学習済みだし、セリス嬢が幼少より興奮しすぎると気を失うたちだったのもよく心得ていた。
医師が敵襲に気を取られて手を離した瞬間、メイドは腕を伸ばして、キモノの娘を確保する。
「元マギカ王国王宮魔術師ネイキ・ドゥーの力、とくと見よ!」
全裸の中年男性が叫ぶと、両手の枷のあいだを光の糸が結ぶのが見えた。
ヨシノは脚部の筋肉を強くしなやかに調整すると、テントを引っこ抜いてしまうのにも構わず全力で跳躍した。
下方で全裸奴隷を中心に稲妻の花が咲き、周囲のひとびとが倒れたり弾き飛ばされるのが見えた。
――真昼間にこんな数の敵に入られるなんて。
奴隷の後方には獣人が十人ほど、まさに獣のように駆ける彼らの背や肩にも奴隷が乗せられており、その多くは武装している。
「ヘアリーの従者に続け! 身内を取り返すまでは汗の掟は忘れろ!」
着地したヨシノは、すぐさまその場から飛び退いた。
クマの亜人が四足でテントを走り抜け、バリア機材と兵士を吹き飛ばす。
彼の肩から飛び降りたのは革の鎧に身を包んだ男で、彼は手枷が光る腕で剣を振るい、銃器を構えた手首を撥ね上げた。
「助けが来た! 寝てる場合じゃないわ!」
重傷の捕虜を集めていたテントが光り、天蓋が吹き飛ぶ。
包帯を血に染めていようとも、腕を欠いていようとも、数人の奴隷と獣人が立ち上がるのが見えた。
ドレスと首輪で飾った美女が何かをつぶやけば、怪我人たちを優しい光が包みこみ、さらに立ち上がる者が現れ、引き換えに美女が崩れ落ちた。
「撃てっ!」
餓えたオオカミのような風貌の獣人が一斉射撃を受けて、血煙を吹き上げる。
崩れ落ちた彼の腕の中には、額の穴から血を流す奴隷がいた。
咆哮が聞こえる。
獣人が迷彩柄のちぎれた腕を投げ捨て、血染めの牙を開いてヨシノに向かって飛びかかってきていた。
ヨシノは抱えたセリシールをかばうように敵から背を向けると、その背から二対目の腕を生やし、敵を受け止める。
獣人は動揺に染まった呻きをあげたが、それはすぐさま絶叫へと変わり、まっぷたつに引き裂かれた身体から血の雨を降らせた。
温かないのちを背に感じながら、メイドの長は感服する。
野蛮な獣人と哀れな奴隷だと聞いていたが、彼らを繋いでいるものは冷たい鎖ではなかったようだ。
――ですが、こちらのほうも……!
汚濁の罪の守備隊は練度が低いのか、それとも非戦闘員の多さのせいか、すぐに劣勢となり烏合の衆と化してしまっている。
獣人と奴隷たちは、戦士かそうでないかを区別していない。
そのうえ、誤射か流れ弾か、看護師の男が頭から花を咲かせるのが見え、ヨシノも脇腹に何かが潜りこむのを感じた。
すぐそばで鎖の音。
奴隷男が自身の枷から伸びた鎖を使って、救ってくれたはずの看護師アラの首をへし折ろうとしていた。
ヨシノは奴隷男の頭を握りつぶすと、胸に抱いたセリシールが大人しく気絶したままなのを確認し、安堵のため息をつく。
――こんな惨状、セリシールお嬢さまには見せられませんね。
医者のリョージも、大きな銃を拾い上げ両手で構えている。
ちゅちゅちゅと、鳥のように銃がさえずれば、獣たちの脚がまとめて折れた。
「僕は医者だ。殺したくはないんだ」
彼はそう言うと、次は枷をはめられた脚を狙った。
美しいふくらはぎが弾け、髪の長い女が崩れ落ちる。
――撃ち慣れてますね。
「ちぇっ、へたくそめ!」
しかしリョージは悪態をつき、眼鏡の奥で諦めたようにまぶたを閉じた。
彼の頭上に向かって、「何か」が飛んできていた。
こぶし大の「何か」。
ヨシノはとっさにそれへと腕を伸ばし、つかんだ。
爆発。
頭上高くで長い腕が爆ぜて消え、肉片が医師へと降り注ぐ。
リョージは眼鏡と同じくらいに目を見開き、こちらを見た。
構わずメイドは蜘蛛を背負うイメージで、新たに四対の腕を背中に生やした。
「バ、バケモノ!」誰かが叫んだ。
どうでもいいことだ。
肉を鋼のごとく引き締め、胸から伸びた肋骨でキモノの娘を覆い隠す。
――ケモノ、マモノ、バケモノ。なんとでもお呼びください。
友人が守れるのなら、あるじのこころが守れるのなら、たとえどの世界からも嫌われようとも、すべてを敵に回そうとも構わない。
八本の余剰な腕が、暴れる獣人と奴隷たちをつかみ拘束すれば、こちらに向けられていた銃撃がやんだ。
ヨシノはすべての手に力を籠める。
殺したくはなかったが、従うべきふたりの尊き者のために。
刹那、ヨシノの身体が命じもしないのに折れ、跳ねた。
筋肉の収縮と熱。電撃か。
ヨシノに魔術は使えない。だが、通じ合う何かが分からせた。
眼前にいる裸体の魔導士は、いのちを削って稲妻を生んでいることを。
「感服いたします」
ヨシノは別れの言葉を手向けると、獣よりも鋭くした爪で刺し貫いた。
しかし腕に伝わったのは、脂ののった腹とは、違う感触だった。
「重ねて感服いたしました」
初めてのことだった。
我があるじフロル・フルールにいだくものに匹敵する感銘。あるいは尊敬。
ヨシノの腕が貫いたのは、すらりとした印象の美しき獣人だった。
長き黄金の毛で覆われた身体が両手をいっぱいに開き、その腹にバケモノの腕を受け入れていた。
身体の大きなイヌにありがちな長い鼻づらが、喘ぐように天を仰いでいる。
彼の吐息と血液が、意図せずとも世界を温めている気がした。
腕が引き抜かれると、黄金の獣人は、背後ですでに血の海に沈んでいた奴隷の上へと折り重なるようにして倒れた。
「ネイキ・ドゥーよ、あれほど服を着ろと言ったではないか」
獣は声まで美しかった。
従者もまた、優しげな声をしていた。
小さな声で、「趣味です。ご主人様」とささやくのが聞こえる。
美声が「私もそなたが趣味だ」と歌い、ふたりは静かにこと切れた。
あたりは静まり返っていた。
バケモノが人へと還ると、向けられていた銃口やバトンが下ろされた。
「きみには助けられたね」
肩に柔らかいものが掛けられ、乳房の先に何かが触れる。タオルだ。
服はすっかり破れてしまっていた。
親切な男は眼鏡の奥で目を細め、背を向けて群衆に向かって手を打った。
「ほら、スケベども! 仕事に戻った! 警備! 救護! 捕虜はおとなしく!」
どよめきはあったが、彼らはおのおの持ち場に戻っていった。
「あの、わたしのこと……」
「気にしないでいいよ。怖がってるのもいるとは思うけど、きみが味方だったことは、あれが記録してるだろうから」
医者は頭上をふらふらと飛ぶ何かの機械を指差した。
「あなたは平気なんですか?」
「怪我は無視できる程度だよ。精神も薬でカバーできるさ」
「そうはでなく……」
リョージは肩をすくめ、笑った。
「気に入らない点があるとすれば、きみには僕が治してやる必要がないってことぐらいさ。それより、きみのお姫様は平気かい? 昏倒してたような気がしたんだが」
リョージは地面に転がった瓶をひとつ拾い上げると、布地にそれを染みこませてセリシールに近づけようとした。
ヨシノはとっさに身を引く。
「ただのアンモニア、気つけ薬だよ。信用されてないのかな?」
「いえ。セリシールお嬢さまには、まだ目覚めて欲しくなくて」
「過保護……と言いたいところだけど、たぶん僕のほうが異常なんだろうな」
周囲は血の海だ。
「何年もこんなところにいると、気が狂ってくるのさ。兵士たちも、別に僕の部下じゃないんだよ。こういうときには、動くための口実を与えてやるのがいちばんだ」
リョージはそう言うと、どこかへと向かって歩き出してしまった。
ヨシノが呼び止めると、「きみは全てをさらけ出してくれたんだ。僕らの世界も、もう少し腹を割る必要があるんだろう」と返される。
「でもその前に、作業着か白衣を持ってきてあげるよ。戦地で疲れた男どものほうが、きみよりもずっとバケモノだからね」
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