033.光差すガーデン、ふたりの怪盗!?-02
※先日(3/26)は2回更新しています。
白塗りの壁と赤い屋根の可愛らしい風貌のティー・ルームは、まだ小鳥のさえずる時分から、ちょっとした騒ぎとなった。
ティー・ルームは朝から繁盛しており、早朝のひと仕事を終えた者や、これから一日の労働が始まる者でいつも席が埋まっている。
下々のお店に領主様がお食事に来た、というだけでも大変なことだが、それが若き女当主にして、かつほうぼうで武勇伝を打ち立てる勇者で、それに伴って現れたのが慈善事業で当世界一を誇る名家の令嬢ときたものだから、耳目を集めるのも致し方ないだろう。
「ああ、つるぎのように研ぎ澄まされた横顔がすてきなご領主様と、打ちたての綿のように包みこむほほえみのセリシール様……」
お店のお給仕の娘もうっとり、朝っぱらから夢見心地である。
「へえ珍しい。あのおふたり、とうとう仲直りされたのかしら」
「やーっと仲直りしたのか? んじゃ、俺がひとっ走り噂をバラまいてくるわ」
客たちは、にやにやしながらこちらを見ている。
フロルは咳払いをした。
ふたりの不仲はこの地方では有名だ。
両家の領民たちは、二輪の花がおてて繋いで仲良くしている様子を、まだ蕾の時分から見守ってきたのだから、当然といえば当然だろうが。
そんなギャラリーたちをよそに、フロルは親友とのお食事に向き合う。
戦闘でもないのに、なんだか気を張ってしまい、相手の顔ばかり見るのもなんなので、ちょうど運ばれてきた食事に助けを求めた。
「あら、本物のお花が乗ってますのね」
セリスの注文した「フラワーケーキ」には、小ぶりなスポンジに重ねられたゼリーに二輪の花が閉じこめられている。
「こちらはホントに食べられるお花なんですの」
何やら食べたことがある口ぶり。
フロルを訪ねてこちらに来たついでに、寄ったことがあるのだという。
それも一度ではなく、誘うための英気を養うつもりで寄って、食事をしているうちに逆に気持ちを折ったり、門前で怖くなって御者に通りすぎるように命令した帰りに慰めとして食事をしたり、涙ぐましい努力の相方として利用したのだとか。
それだけしておきながら要件は仲直りだったというのだから、気安く聞いたほうも赤裸々に話したほうも、向かい合いながらテーブルの一点に視線を落とすこととなった。
「わたくし、お恥ずかしい限りですの」
「恥ずかしいのはわたくしのほうですわ」
恥じらいを押し流すために自分の料理に手をつける。
銀のナイフを通せば、切った端から肉汁があふれ出る。
自領の草原で放牧されて育った、フルール牛の骨付きステーキだ。
「……そうでした」
セリスは驚いたようにまばたきを繰り返している。
「フロルさんは、朝からたくさん召しあがられるかたでしたね」
肉のほかにもパンやサラダ、スープまでの一式がテーブルに並んでいる。
対してセリスは、ケーキと紅茶のみ。
「ごめん。急いで食べちゃうわ」
フォークで野菜たちをまとめて串刺しにする。
「ごゆっくり。わたくし、見てますから」
セリスはケーキをひとかけだけかじると、紅茶を減ったか減ってないかの量だけ口にし、ほほえんでこちらを眺めた。
――そんなに見つめなくても。
席に着いてから、照れてばかりな気がする。
またも隠すために「それだけで足りるの?」と、からかい調子に訊ねる。
「じつはわたくし、間食が多いんですの」
昔、セリスはキャンバスに向かいながらも、飴玉をころころとやっていることが多かった。
フロルはそんなことを思い出しながら、パンをちぎって口へと運んだ。
すると、絵を描くわけでもないのにじっくりとこちらを観察する娘は、だしぬけに口に袖を当て笑った。
「何? 何、笑ってるの?」
「い、いえ。昔、フロルさんが木炭画用のパンを食べちゃったのを思い出して」
肩を揺らして笑うセリス。
――ちゃんと笑ってるの、久しぶりに見たわ。
遠くから眺める彼女の笑みは、ほとんどが社交辞令のものだった。
フロルは気をよくして、今もまだ絵を描いているのかと訊ねる。
「ええ、まあ……」
いっしゅん眉があがり、表情が硬くなった。何かマズいことを聞いたらしい。
首をかしげつつも、話を戻すために侍女のひとりに犠牲を頼むことにする。
「じ、じつはね。ヨシノって、いくら食べても太らないのよ。わたくしと同じだけ食べるし、何かにつけてお茶やお菓子を食べるのに。たいして運動はしてない気がしますし、不思議ですわね~?」
「そうですの……」
返事は硬い。空気が重くなってきた気がする。
セリスが紅茶を飲む。二度カップを傾けたくせに、ちっとも減っていない。
無くなったのは湯気と会話だけ。
こちらも肉が固くなり、スープの表面が膜を張る。
客も「なんかヘンな感じになったな」などと、ささやきあっている。
「だああああっ!」
お嬢さまが奇声を発して立ち上がると、店内にいた全員がびくりと肩を弾ませ、こちらを見た。
「何か気に障ること言ったかしら!? わたくしに言いたいことや聞きたいことがあるなら、遠慮なくおっしゃってちょうだい!」
空気に耐えかねたやけくそである。いちおうは笑顔で。
友人は「聞きたいこと……」と繰り返すと、「ひとつ、ございますの」と言った。
「何? なんでもどうぞ」
うながすも、「この場ではちょっと」と、頬を赤らめ口ごもられてしまった。
こちらに対して怒っているというふうでもない。
――ひょっとして……!
フロルの脳にある乙女回路に電気が走った。
セリスはもうじき十八だ。一人娘とはいえ、そろそろ身を固めてもいい年齢。
最近帰還した両親の不調も、メイドや社交界で噂になっている。
単独での活動も増えてきたとみえるし、創造の第三宣誓を賜ったとなれば、いよいよスリジェ家の家督としての資格も得る。
見合いだ婿取りだとなって、相談でもしたいのではないだろうか。
――さすがに、そんな話はここじゃできないしね。
周りを見てみるがいい。みんなこちらを見てひそひそやっている。
セリスは不安なのだ。昔から人付き合いに奥手で、男性が寄ってくると自分の背中に隠れるような子だった。
でも、それではいけない。いつまでも子どもではないのだ。
フロルは「心配することはありませんわ」と力強く言うと、さっさと食事を胃袋の中へと放りこんだ。
ティー・ハウスをあとにし、友人の手を引いて馬車へ乗りこみ、屋敷へ引き返す。
食後の運動がてら、ひとつ女同士の密談といこう。
「流行に疎くなったって言ってたでしょ? これはね、遠い異界から伝わってきたスポーツなの」
中庭の一角、長方形に刈りこまれた芝生の領域。
まんなかに白いネットが張られ、はんぶんづつで仕切られている。
「これを使って球を打ち合うの。球が線からはみ出すか、打ちこぼしたら相手に得点が……」
道具を手にルールを解説を始めると、「庭球ですのね」と先回りをされた。
「知ってたのね。じゃあ、着替えましょうか」
「へ、着替え……!?」
ラケットを手に硬直するキモノの娘。
「そんな格好で庭球はできないでしょ。衣装も本式のを仕立て屋に作らせたの」
「あ、あんな格好できません! 脚を腿まで晒すなんて!」
勢いよく反対されてしまった。
ヨシノやほかのメイドたちにも、同じリアクションをされたことがある。
男どもは二つ返事で付き合ってくれるというのに。
「やれやれですわ。……よろしいこと、セリス? お殿方と契りを結べば、腿のひとつやふたつじゃ済みませんことよ」
セリスのことだ。夫婦というものがナニをするのかも知らないかもしれない。
「べ、別にまだそんな。決まった相手がいるわけでもないのに」
「でも、もうすぐなんでしょう?」
「何がですの?」
ラケットを抱いたまま髪を傾ける友人。
「何がって、結婚するんじゃ?」「どなたが?」
「セリスが」「わ、わたくしが!?」
どうやら勘違いだったらしい。だったら、聞きたいこととはなんだろうか。
「結婚なさるのは、フロルさんのほうでしょう!?」
「へ!?」
――し、知りませんでしたわ。わたくしが結婚……!
当主となれば、跡取りの心配は宿命である。
フロルも噂好きの貴婦人たちから探られたり、国王陛下から「誰かいい人はおらんのかの?」だなんて、つつかれたりしている。
だが、フルール家のこの手の話についていちばんやかましい執事が「フロル様は、まずは人間として一人前に近づいてからですな」と鼻で笑っていたし、当人としても誰かと結ばれるには、小説や舞台演劇に負けず劣らずのロオマンスが欠かせないと決めこんでいる。
「フロルさんったら、おとぼけになられて! わたくし、存じてますの。名のあるお家のかたがお屋敷に出入りなさってるのを」
セリスはなんだか悪事を咎めるように言う。
しかし、フロルは首をかしげる。
貴人や紳士で覚えがあるといえば、つい先月まで嫁入り修行でメイドの仲間入りをしていたハイドランジア家の三女か、ルヌスチャンの知人くらいのものだ。
「どなたのことをおっしゃってますの?」
「キルシュ・ブリューテ様ですわ」
「ああー! すっかり忘れてたわ。キルシュはもう、ブリューテ家じゃないのよ」
からん、とラケットが落ちる。
セリシールは「すでに結婚してフルールの名を……」とつぶやき、崩れ落ちた。
「あっはっは! 違うわよセリス! わたくし、結婚なんてまだまだ!」
「で、ではなぜ……」
キモノが芝生に這いつくばりながら訊ねた。面白い。
フロルは笑いをこらえ、キルシュ・ブリューテがフルール邸に出入りする理由と経緯を説明してやった。
「はあ、ではキルシュ様は勘当されてしまいましたの……」
「そーそー、実家もギルドも騎士団も追い出されてね」
「そういうことでしたの。でもなんだか、親しそうに思えますの」
睨まれた。
「親しいというよりは気安いというか。あいつは相応に失礼なのよ」
彼がスケベなことや、ヨシノに対してセクハラをしたことをバラしてやる。
「まあ、酷いおかた。許せませんわね」
いつぞやの侮蔑の表情を見せるセリス。
フロルはそれを見てほくそ笑んだ。これは、ある種のうっぷん晴らしだった。
フロルが自分の破壊の力に耐えるほどの頑丈さを買って彼を引き入れたのには、ひとつ「不純な動機」があったのだが、その当てを外していた。
――いくら痛めつけても平気な子分。と思ったのですけど。
頑丈すぎて、痛がらないのだ。
身を引いたり驚いたりはしてくれるが、手応えがない。虐めがいがない。
それでも、イタズラや罠に掛けられると、しっかりと文句だけは言う。
しかも、セリスとは違って仕掛けたぶん、彼の態度は尊大となり、あっちが少し年上とはいえ、こちらを子ども扱いする始末。落ちこぼれの癖に生意気だ。
なお、単に虐めているわけでなく、餌代や稽古代という名目である。
「でも、ひとつだけ面白いことがあってね」
剣術の稽古を任せたルヌスチャンが舌を巻いているのだ。
といっても、落ちこぼれが真の力に目覚めたという景気のいい話ではない。
「あいつね、なーんにも成長しないの」
壊滅的にセンスがない。毎度、ただがむしゃらに突っこむだけ。
注意されればなんとか修正するも、数分後にはすぐに忘れている。
「そのくせ、バカみたいに頑丈で、バカみたいに諦めが悪い」
先日にはとうとう、時間切れを待たずしてルヌスチャンのほうが音をあげてしまい(バカらしすぎて)、降参してしまった。
「あのルヌスチャン様が匙をお投げに? ブリューテ家って確か、聖騎士を何人もご輩出なさってる名家でしたような……」
セリスも呆れ声をあげたが、急に真顔に戻って付け加えた。
「それに、破壊の眷属のかたも多いご家系と、お聞きしますけど」
フロルは肩をすくめた。
「そっちもセンスゼロ。素敵なハッパをやっても、異界の魔導士を呼んで幻術を掛けさせても、なんの声も聞こえないのよ」
「ハッパをやると声が聞こえるんですの?」
首を傾げるセリス。
「冗談よ。ともかく、あいつがわたくしのお婿さんだなんて、天地が引っくり返っても、ありえませんわ……ねっ!」
ちゃんちゃらおかしい。
笑い飛ばすついでに、テニスボールを宙に投げ上げ、軽くスマッシュを打つ。
ボールは庭園の森を越え、がっちゃーんと景気のいい音を返した。
「はあ……。よかった」
セリスは息をつくも、いまだに地べたに座りこんだままだ。
よほど気にしていたのだろう。
ひょっとしたら、何度も屋敷を訪ねようとしたのも、この誤解が後押しを続けていたのかもしれない。
フロルは、ちょっとだけキルシュの評価に加点してやった。
「それにしたって、セリスったら大げさなんだから」
「フロルさんに、置いていかれるかと思ってしまいまして」
こちらを見上げて笑顔を作ってはいるものの、口の端に震えが見える。
――本当に可愛い子。
フロルは幼馴染に手を差し出し、こう言った。
「わたくしは、あなたを置いて結婚なんていたしませんわ」
いつかそういう日も来るだろう。
お互い、重い家名を背負った一人娘なのだから。
だが、今だけはただの少女として、青き日々の穴埋めを望みたい。
握られる右手。
友は乱れた黒髪を指で整え、「約束ですよ」と、はにかむ。
フルール邸のガーデン。
いまだかそけき朝の陽射しが差しこみ、紅葉の気配香る風と共に、少女たちの笑顔に溶ける。
「あの、フロルさん。やっぱり庭球、やりませんか?」
「よろしくってよ」
フロルは人払いを約束し、ふたりはそろいのユニフォームに身を包む。
ああ、おとめたちがたどたどしくも球打ちに興じる……。
けれどもやっぱり、
フロルが自爆で十五点を取られたところになって、屋敷からメイド長が現れ、「仕事を増やさないでください!」と割れものをまとめたかごを片手に怒り顔を披露して、ふたり仲良く屋敷から追い出されることとなったのであった。
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