028.羽ばたけ振袖、芽吹けよ大樹-05
※本日(3/23)2回目の更新です。
しこたま打ちつけた背中が痛い。
セリスは身を起こすと、腕の中でぐったりしている白い翼の少年を揺さぶった。
「大丈夫!?」
「へへ、柔らかくって助かった……」
少年はセリスから離れると礼を言い、それから目を双子の満月のようにした。
「ありゃ、ねーちゃん翼が無いぞ!」
セリスは倒れたついでにその場で正座をし、一礼をしてから自己紹介をした。
少年も「ご丁寧にどうも」とセリスの動作をまねる。
「おれは“クルイロ”。次の王様になる予定の男さ。ねーちゃんが下敷きになってくれたおかげで助かったよ」
「次期王様……じゃあ王子様でいらして?」
クルイロは「王子?」と首をかしげた。
「王様のご子息でなくって?」
訊ねると「あんなおっさんの子だなんて、やだよ!」と、しかめっ面をされた。
クルイロいわく、この大樹の王は世襲ではなく、挙手と多数決であっさりと決まる、やる気重視型なんだとか。
気分や体調で交代してしまうこともたびたびで、セリスの知るどの世界や国の代表よりもずいぶんと軽いもののように聞こえた。
「今の王様も、大樹が枯れだしてやる気がなくなったから、ほんとは交代なんだ。でも、大樹が無くなっちゃうならいっしょだって、寄り合いも開かないんだ」
だから王様になれないのだと、少年は悔しそうに言った。
「寄り合いがあっても、無茶ばっかりするあんたなんて却下されるわよ」
女の子がやってきた。
少年と同様に、身体と不釣り合いなくらいに翼の大きな少女だ。
「“リト”か。おまえみたいな不細工に言われたくないね」
「あんただって、不細工でしょうが」
リトと呼ばれた娘は、セリスに「お怪我はありませんか」と訊ね、無事を伝えれば、次は少年の無礼を謝った。
そして、翼が無いことに驚き、お約束となりつつある自己紹介が繰り返された。
リトは無茶ばかりするクルイロの「姉みたいなもの」だという。
「それにしても異界のかたって、すっごく美人なんですね……」
少女にうっとりとため息をつかれる。
「美人だなんて、そんな……」
初見の人間に容姿を褒められることは珍しくない。
珍しくはないし、セリス自身もひそやかに自信があったが、そのたびに面映ゆく頬を熱くしてしまっていた。
「そちらのお姉さまも、セクシーですね」
「え、あたし!?」
シリンダは焼けた鉄のようになり、頭から湯気を出した。
「やめとけよリト。樹の外の人間はみんな、そんななんだろ?」
「実際そうじゃない。わたしたちみたいに野暮ったくないし」
「でも、翼が無いと飛べないぜ?」
「あんたは墜落したでしょうが。わたしたちを助けてくれようとしてる人を怪我させたら承知しないからね!」
少年少女は喧々とやりあっている。
仲睦まじき、ですのね。セリスはほほえむ。
「ところでクルイロくんは何をしてたの? 上から降って来たみたいだけど」
シリンダが訊ねた。彼女は、まだ上機嫌に頬を緩ませている。
「おれ? 飛ぶ練習をしてたんだ」
あっちからあっちまで、と枝と枝を指先で結ぶ。
「樹が枯れるからじゃないぜ。大空の向こうで、誰も見たことのない景色を見るためなんだ」
「へえ、いい趣味してるじゃんか」
少年は重なる枝の向こうに見える青空を仰いだ。
輝く瞳は太陽のごとく。
王子だと言われても不思議ではない横顔、とセリスは見入った。
「空の果てには、なんにもないって言い伝えられてるでしょうに」
リトもそう言いながらも、クルイロと同じ空を見ている。
不細工などと言い合ってはいたが、ふたりとも顔立ちも表情も麗しい。
「なんにもないこたないだろ。セリシールたちが来たんだからさ」
彼はそう言うと、「親父、やったんだな」と鼻をこすった。
「あなたのお父さん、帰ってきてるみたいだけど、会いに行かなくていいの? あんなに心配してたじゃない」
「してねーし!」
どうやらクルイロは、女神の枕を訪れた使者の息子らしい。
「ね、セリスさん」
リトがこちらを見た。
「大樹の種を育てる方法を探してるって本当?」
「ええ。うまくいくかどうかは、まだ分かりませんけど。いちおう当てはございます」
セリスは風呂敷包みをひとつ持っていた。
包みの中には“女神の水差し”が入っている。
水が無限に出てくる水差しで、ミノリに属する神工物だ。
創造の宣誓を受けた水を植物に掛ければ、実が豊かになる……と「いわれている」程度の効果がある。
「何か手があるんだったら、すぐに試してみようぜ」
「このままじゃ、みんな空にまっさかさまだものね」
ふたりに促され、セリスたちは次代の苗床のある大樹の胎へと向かった。
「若木を育てるための空間はね、次世代の種が落ちると同時にできるの」
螺旋のこぶでできた階段をくだりながら、リトが解説する。
「木に暮らす植物や動物たちも、土を作るための材料を持ち寄ってくれるのよ」
木の実たちが点々と輝く、ほの暗い空間に出た。
上でも見かけた赤の実はもちろん、白や青っぽく光る実もあり、星空のようだ。
星たちがこの空洞には種を悠々と育てるだけのスペースがあることを教えていて、どこか温かな気配に満ちていた。
中央には土の盛られた場所があり、ひときわ大きな実に照らされている。
「それでは、さっそく水やりをさせていただきます」
セリスは風呂敷をとくと、透明なガラスの水差しを取り出した。
「汝の願いは……」
『セリスちゃん、ストーーップ!』
ミノリの声が響いた。
『その水差しを使ったら、ダーメッ!』
「ミノリ様……。なぜでしょうか?」
『なぜって、あなた私の子でしょうに。芽吹かせるのは私の願いの範疇ではありませんよ』
ミノリはため息まじりだ。
創造の領分は種や実を結ぶ部分であり、発芽や成長はサンゲの領分。
種にこの水を掛けると、むしろ発芽から遠ざかってしまうらしい。
「芽が出ることや卵から孵ること、お腹から出てくることは誕生ではございませんの?」
『誕生といっても、無からできあがるわけではないからです。生命の過程でいうなら、えふん! とか、おほん! が創造の範疇ですよ』
ミノリは何やら咳払いでぼかした。
ややこしいが、基礎的な見誤りだったらしい。
もとより気休め程度のアーティファクトだったものの、セリスは恥じ入った。
「ねーちゃん、独り言を言って、どうしたんだ?」
「セリシールさんは女神様とお話ができるらしいよ」
「すごい、素敵だなあ」
褒められてはいるが、当てがひとつ外れてしまった。
失敗を伝えると落胆ではなく、前向きな励ましの言葉を掛けられた。
「ま、今日は移住の意思確認がメインなんでしょ? 女神様の芸術品にできぬことはなし! 今ごろアルカス王が何かいい手を考えてるよ」
「そうですわね。おつらい案ですが、大臣様もお動きになられてますし……」
セリスが大臣の名を出すと、クルイロとリトが同時に声をあげた。
「大臣なんて当てになるかよ。あんな変態野郎」
「そうよ、サイテーよ! 翼の小さい子ばっかりに声を掛けてるのよ!」
セリスが「自力で飛べる見込みの薄いかただからでは?」と、首をかしげれば、ふたりは顔を見合わせ「あー……」と言った。
「ねーちゃんの世界じゃ、翼は無いのが普通だから分かんないだろーけど」
「わたしたちのところでは、翼は小さければ小さいだけ美人だってされてるのよ」
「大臣は、自分好みのやつにだけ声を掛けて回ってるのさ」
「なるほど。セリシールさん、大臣に背中を撫でられてたもんね」
シリンダが苦笑する。
「せ、背中を撫でられた!?」少年は顔がまっかだ。
「恋人同士ですることよ!」少女も悲鳴をあげた。
それからふたりは、大臣に成り代わって、セリスに平謝りを始めた。
文化の違いというやつだろうが、故意に翼に触れるのは失礼に当たり、付け根に触れるのは夫婦の営みに匹敵するものらしい。
大臣がいかにスケベで独善的か。
彼は王が無気力なのをいいことに、「小翼ハーレム」を作る気なのだという。
彼は「付け根マニア」で有名で、男女問わずに背中の吟味に余念がない。
大臣としての職務中であろうとも、彼の相手は必ず人目のある場所でするようにと言われるほどに警戒されているそうだ。
乙女セリスはあんまりな侮辱をあとから知って、くちびるを噛んだ。
いっぽうで、さっきは味方をしてくれていたはずのシリンダは爆笑をしている。
「あたし、自分の世界じゃモテないから、こっちで暮らそうかな。ね、王子様、背中くらいなら、いくらでも触らせたげるよ」
シリンダはそう言って、肩で少年を突っついた。
リトが甲高い声で「ダメェ!」とふたりを引き離す。
「おれは別に、翼のあるなしはどうでもいいかな。翼が無くったって、飛んでやる! って気持ちがあるやつが好きだ」
「あたしも同感かな。どの方向を見ても空だなんて、こんな贅沢なことはないよ」
空を夢見るふたりは気が合いそうだ。
リトはそれが面白くないらしく、クルイロの腕を取って引き寄せた。
「翼が無いと落っこちちゃうけどね。大樹から放り出されても知らないんだから」
「なんだよ。おれが支えてやらないと、はしごぶんも飛べねーくせに」
少年少女のいちゃいちゃをよそに、セリスは憤怒を募らせていた。
世界の大事だというのに、それに乗じて色ごと、それも他者のこころを無視した品性のない計画をくわだてていたとは。
「だから言ったでしょ? あいつはろくなやつじゃないって。セリシールはすぐに騙されるんだからさあ」
シリンダは笑い。またもジュウベエのことを口にした。
「フロルだって呆れてたよ」
セリスはとうとう我慢のコップを満杯にし、溢れたぶんをシリンダにぶつけた。
「えいっ!」セリスはシリンダの胸を、ぐいと押した!
「それっ!」ついでにお尻も、がぶりとつかんだ!
「な、何するのさ。大臣の変態がうつったの!?」
「確かに、シリンダさんはこちらの世界でなければ、お殿方にはおもてにならないかと存じますわ」
はっ! 鼻で笑うお嬢さま。
「こいつ!? ちょっとばかり美人だからって!」
シリンダが飛び掛かってきた。セリスはすかさず守護の指輪を撫でると結界を展開し、尻なし胸なしを弾き飛ばした。
「淑女たるもの、気安く触れさせるべきではございませんわ」
「なにおう! ホントは自信がないんだろ?」
「わたくし、着物で隠れてはおりますものの、発育は豊かでございましてよ」
セリスは袂をわずかに引っぱると胸を張り、語った。
今より若きころに湯殿で親友に羨ましがられ、戯れに比べあった思い出を。
「へっ、何が淑女だよ。いい歳こいてフロルフロルってさ。言っとくけどあたし、あの子と温泉入ったから」
「はあっ!?」セリスは愕然とし、両方の袖で口を覆った。
「しかもさ、入浴中に背後から迫ってきた鎧熊を一発で斬り伏せてさあ。いや、あれは見ものだったね。同じ女の身だけど、惚れそうになったね」
「ほ、ほほほ惚れ!?」
「しかも、身体のほうも見ものときたもんだ。あたしたちのために恥じらいもなく裸で飛びだしちゃってねえ。いや、いいもん拝ませてもらったね」
「!?」
セリスは気絶し、三人の手によって二十番目の枝にある病院まで運ばれた。
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