018.忙しメイドの憂鬱-03
※先日(3/16)は2回更新しています。本日(3/17)も2回更新の予定です。
風邪から復帰したフロルとともに、怪盗活動の下見として第七遺世界へ。
重い家名や破壊神の思惑、少女然とした友情。
これらに悩み苦しむあるじを癒そうと考え、気合を入れて臨んだヨシノであったが、さっそくお嬢さまの突飛な行動に頭を悩ませ、憂鬱な気分になっていた。
「か、風が冷たいのですが……」
第七遺世界側のゲート近辺は、ごつごつしたブロック状の巨岩が林立する山岳地帯だ。一見すると赤い荒野か砂漠かといったところだが、乾いた風は女神の枕の冬に匹敵する冷たさを持っている。
そんでその風が、ヨシノの素肌の二の腕を撫ぜ、むき出しの二本の脚のあいだを駆け抜けていた。
「早く下りてしまいましょう。遺世界で緑を見ると、不思議と暖かに見えますわね」
「あの崩れた小屋を見失わないようにルートを取ってくだせえ。道を外れると断崖絶壁のまっさかさまですぜ」
言ったのはハンマーのハゲ親父だ。彼は白い構造物を発見したパーティーに所属しており、本日はフロルのために、こっそり道案内を買って出てくれていた。
「メイドの姉さんも気をつけて。このあたりはしつこいブチイヌが出るんで」
急な下り坂。おやじが見上げるように振り向いた。
「……!」
ヨシノはスカートを押さえた。
「はあ、こりゃまた。勇者様んとこの召使いは、えらい服を着てますね」
おやじは前を向くと、禿げ頭を掻いた。
「ほんとにね。破廉恥だわ」
フロルがなんか言った。
……さかのぼること二時間前。
トラベラー活動の仕度を終えたヨシノは、予定の時間までの暇つぶしにと、フロルと紅茶を飲んでいた。
「ねえ、ヨシノ。ちょっと着て欲しいものがあるのだけど」
フロルが取り出したのは、くだんの「丈の短いメイド服」だった。
油断していた。昨日の今日だったし、このお願いの直前には、またセリシールの話を持ち出して、紅茶の香りも悲しくなるセンチメンタルを演出していたからだ。
「羽目を外すって言ったわよね? これを着て第七遺世界を……」
もちろん、ヨシノは断った。
「えーっ、せっかく作らせたのに! わたくしのお部屋の中だけでも。ねっ?」
たっぷりとした生地で膨らんだ肩に、ひらひらしたフリル。
挑発的に腿を見せるスカートは花が揺れるよう。
じっさい、仕事服という点を除けば、可愛らしい衣装だと思う。
興味もあったし、ここだけでならと引き受けたヨシノであったが……。
「可愛い! ヨシノ可愛い! ……ああっ!? おやめなさいサンゲ! わたくしを、わたくしを操らないで! いやーっ!」
お嬢さまは、ヨシノを褒めている最中に、急に頭を抱えて苦しみだした。
それから彼女は、脱いであったメイド服を――わざわざポケットから私物や仕事道具などをよけてから――暖炉に放りこんだため、ヨシノはそのままの服装で出立する羽目となったのだ。
――確かに、可愛い服なんですけど……。
気心の知れた相手にだけ見せるのと、衆目に晒すのとはわけが違う。
ヨシノは屋敷から出るまでに従者仲間たちに驚かれ、ギルド前の通りでは汗臭い男たちから色めいた視線を集め、そこに偶然通りかかったフルール家と付き合いの長い仕立て屋のおかみには目をそらされた。
それにヨシノは、
――エッチなのは苦手なんですよね……。
若いメイドたちのおしゃべりに混ざりづらい理由のひとつでもあった。
「この緑の峡谷を抜けたら、どかんと白い建物があったんですよ」
おやじは歩調を変えることなく原っぱへと踏みこむ。
彼の脚具と同じ高さまで伸びた草がこすれ、さらさらと音を立てた。
「確か、その向こうって危険区域の大穴でしたわね? わたくしも、以前別ルートで入ったことがありますわ」
「穴の底まで行くパーティーが少ないんで、まだお宝があるんじゃないかって話になって、探索する予定だったんですよ。ほら、地図書きが地図を埋めても、遠くから見ただけってパターンも多いですし」
「おっしゃる通りですわ。洞窟や建物の中まではお調べになってないのがほとんどですものね」
ふたりは会話をしながら、どんどん先へ行ってしまう。
ヨシノがおずおずと足を踏み入れると、草たちはこぞって彼女の腿をくすぐった。
思わず声をあげると、フロルが、ちらと振り返り、口に手を当て、無言で「まあ!」とやった。
ひとにはこんな露出の多い服を用意しておきながら、彼女はしっかりとバトルドレスを着こんでいる。
ガントレットやグリーブスはもちろん、スカートにすら金属のプレートが仕込まれ、生地にも可動性の要求度に応じて鎖や漆黒蝶のまゆ糸が使用されている頑丈なものだ。
兜はないが、髪で大きなお団子を作ってクッションにしている。
今日のフロルが露出している肌は顔だけだ。
――うう、恨みますよ、お嬢さま。
ヨシノは肌から感覚を消し去り、草をかき分け始めた。
痛覚や触覚を消すのは容易いが、そのぶん動きの精彩を欠いてしまう。
斜面や石ころに、いちいちつまずきそうになる。
フロルはきっと、巻きこむ気なのだ。
姉妹のような時間を過ごせば、髪の香りまで共有するものだが、まさか性癖までもそろえさせようとしてくるとは。
お嬢さまの性癖について、ヨシノは相談を受けていた。
「わたくし、変なのかしら。どうしてだか、恥ずかしい姿を見られたり、他人を虐めると、胸が疼いて、いい気分になってしまうの。平たく言うと、コーフンしてるのよ」
むせて鼻の奥に入りこんだ紅茶の渋みが思い出される。
これもまた、先日のおセンチな蜜月のあとに、ヨシノが仕事を放ってまで付き合ってやったティータイムに話されていた。
サンゲの破壊の衝動の副作用的なものではないかと訊ねると、首を振られた。
他者を虐めることに関しては、ぶち壊すよりも、「壊しそうで壊れない」ラインが望ましいらしく、露出に関してはそもそも女神とは関係がないという。
「家名に泥がつくか、つかないかのラインもイイかも。しかたなーく脱ぐとか、脱いでても誰も気づいてないとかも好きね。でも、知らずに覗かれるのはイヤ」
お嬢さまが変態になってしまわれた!
ここ最近の肌を晒す奇行は、趣味だったのだ!
カミングアウトを受けたその晩、ヨシノは悶々とした一夜を過ごした。
今は亡き先代の当主たちに、自分の至らなさを百篇は謝った。
しかし、ヨシノはフロルのいちばんの従僕であり、姉役なのだ。
自分が理解をしてやらないで、誰が彼女のことを分かってやれるのか。
たといあるじが変態であろうとも、変わらぬ態度で忠義を示そう。
とまあ、決意をした矢先のミニスカメイド服であった。
「物々しい気配がしますわね」
フロルが足を止めた。
おやじが戦鎚を構えるもそれを制止し、構造物の警備について訊ねた。
「あっ、そうか。これは失礼しました。神官たちがキャンプを張ってるんですよ。もちろん、関係者以外立ち入り禁止だとか宣ってやがってます。連中になんの権利があるわけでもないんですがね」
「案内はここまででよろしくってよ。おじさまも、フルール家と仲がいいと知られたら、アーティファクトの買取査定にも響きますわ」
フロルはおやじにチップを弾み、帰るように促した。
どのみち、ここから先の「下調べ」ではおやじは邪魔だ。
おやじは帰り際にヨシノを振り返り、「風邪ひくなよ」なんて言った。
ついでに「最近の流行りは分からねえな」なんて言葉を、つるぴか頭を撫でながら残していった。
「フロルお嬢さま」
文句のひとつも言ってやらねば。
「ヨシノったら、怖い顔が上手になってきたわね。笑顔のほうが好きですわよ?」
「ここまで来るのに、わたしがどんなに恥ずかしい思いをしたか」
「気持ちよかったでしょう?」
「よくないです!」
「原っぱを通ったときはどうだった? 怪盗の衣装でも通るか検討したくて」
「感覚を消させていただいたので分かりません! あまり変なことをさせないでください!」
ヨシノが喧々とやると、フロルは「おほほほ」と笑って誤魔化した。
しかし、その直前に首をすくめて「しまった」という顔も垣間見せている。
ヨシノは見逃せないのだ、フロルのそういった細かな所作を。
彼女の気持ちは手に取るように分かる。
嫌われちゃったかな、などと考えてるのだろう。
「ごめんなさい。嫌いになっちゃった?」
ほらきた。くちびるを仕舞い、しおらしく頬を掻いている。
ヨシノは、どんなことをされてもお嬢さまを嫌いになったりはしないだろう。
だが、今度ばかりは我慢がならないので、仕返しに黙ってやることにした。
「ねえねえヨシノ~」
ヨシノは乾いたほこりを立てながら峡谷を進む。
ずっと無視していると、軽い調子だったフロルの呼び掛けのトーンが下がり、回数も減ってきた。
本当に嫌われたのではないかと心配し始めたのだろう。
今、お嬢さまのこころの中では、ヨシノとの友情が壊れたか壊れてないかの議論が……。
ヨシノは、ちらと振り返る。
フロルは眉と瞳では不安を表明していたが、口元は不釣り合いに緩んでいた。
「あの、お楽しみになるなとは言いませんけど、できればわたしも楽しめる形でお願いしますね……」
さて、ランドマークの大岩を越えると、荒れた赤砂の遠景に、ぽつんと白い構造物が現れた。
そこだけ景色がくり抜かれたようにまっしろで、距離やサイズの認識が狂いそうだ。
「偵察開始よ」
ふたりは身を隠せる岩のそばから、観察を開始した。
建物の手前には黒地に赤いラインの入ったテントが複数設営されている。
そのそばでは、存在を主張するかのように焚き火が盛大に燃やされ、テントと同じカラーリングのローブやドレープを身にまとった人物たちが暖を取っていた。
「サンゲ神を祀る神殿のかたたちですね」
「近寄るなって感じよね。あれだけ大掛かりだと、巫女も来てるかもしれないわ」
「破壊の巫女様は見たことがないですね。どんなかたなんですか?」
巫女は、神殿の中で最も女神の恩寵が濃い者が就く役職だ。
アーティファクトの行使や、祭りや儀式の主役を担う花形で、一般人はもちろん憧れ、仲の悪い貴族にも隠れファンがいるという。
「望遠鏡を出してちょうだい」
ヨシノは小ぶりなリュックサックから要求の品を取り出して手渡す。
「しっかりと祭壇まで組んじゃってまあ……。あの祭壇の上にいるのが巫女ね」
ヨシノはフロルの指さす先を見つめ、目に意識を集中した。
景色がズームアップされ、木製の舞台の上で暴れ回っている人物を発見する。
「巫女ではなく、変質者がいますが」
腕毛や胸毛が豊かな筋骨たくましい男性が、女性の下着のような小さなパンツと……ブラを身に着けていた。腰回りは小さなドレープを巻いており、口元では透明なヴェールが揺れている。
「あれは巫女が第三宣誓をする前におこなう儀式なのよ。衣装はそのためのもので、代々の巫女が引き継ぐの」
「……あれが、巫女?」
「巫女の選出は恩寵の深さ優先で、老若男女問わないんですって。露出が多いのは、心身を女神に任せるサインで、ああやってダンスを捧げるのよ」
「踊ってるんですか。暴れてるかと思いました」
「破壊的な振りつけなんですって。創造の巫女のほうの踊りは、うっとりしちゃうくらいなんだけど」
変質者は祭壇を踏んづけたり、飛んだり跳ねたり、頭の上で拍手をしたりしている。未開文明の部族でも、もっとちゃんとした踊りをやる。
いや、よく見るとダンスらしい面影が無くもない。
ときおり、毛むくじゃらのごつい手が乳房……というか胸板を切なげに持ち上げたり、腰を激しく突き出して局部を撫で回すようなしぐさが見られる。
ヨシノは目を背けた。
「あ、あれをすることで、宣誓の効果が高まるのですか?」
「ないない。ポーズだけよ。神殿の連中は、形式にこだわるから。何かにつけて踊ったり祈ったりするのよ」
もっと別のところにこだわったほうがいいと思う。
ヨシノは自分の目玉をえぐり出すと放り投げ、新しくて綺麗な瞳を再生させた。
「びっくりした……。急に何やってるの?」「目が腐ったので」
「わたくしも踊りましょうか?」「それは超絶お可愛いでしょうね」
「じゃ、脱いでもいい?」「おやめください」
冗談をやっていると、白壁の方角で、赤と黒の光の点滅が起こった。
それから、ほんの二、三秒だが大地が激しく揺れる。
巫女を見ると、こぶしを白い壁へと突きこんでいた。
壁には変わった様子はなく、彼を乗せた木製の祭壇がばたんと支柱を倒し、巫女ごと崩れて砂埃に消えていった。
「巫女でもダメなのね。あ、神官たちが祭壇を直してる。早い。また踊り始めた」
「執着してますね。どんな神工物を使って破壊しようとしているのでしょうか?」
「パンチしてたわよね。指に何かつけてる。あれは“別れの指輪”じゃないかしら」
別れの指輪は、するどい棘や刃物を模した宝石が埋まったリングだ。
これを身に着けていると縁談が遠ざかり、既婚者は離婚する運命をたどる。
ジュエリーとしての価値も高く、呪術的な力も相まって欲しがる者は多い。
だが、国と神殿が「呪物」として指定しており、買い取り価格は大幅に値切られ、不特定多数の前で取り出すと逮捕の対象ともなる残念な品となっている。
「あれで殴られたら痛いでしょうけど、武器としての効果はオマケですよね?」
「そうね。あっ、今度は“女神のげんこつ”を持ち出したわ!」
女神のげんこつは、しなやかで美しい腕の造形を模したハンマーで、こぶし部分が宣誓に応じて巨大化をし、見た目や質量を遥かに上回る破壊力を生み出すアーティファクトだ。
これは国宝級に指定されており、神殿の所属者、貴族、聖騎士、勇者など国王より証を授かった者でなければ所持を禁止されている。
いちおう、等級としてはフロルの所持する破滅のつるぎと同ランクである。
「破壊力は折り紙つきですよね? 最初からあれでやればよかったのでは?」
「や、ダメそうね。もう試したんじゃない?」
目を凝らして祭壇を見ると、変態が踊っている。
変態が握る腕型ハンマーは、間接でもない位置でねじ曲がっていた。
「あーあ、国宝級が……。そこまで意地にならなくてもいいような」
「腐っても巫女だし、サンゲに壊せと命じられてるのかもしれないわね。とにかく、ほっとけば疲れるかなんかして引き上げるでしょ。迂回して暇つぶしに危険区域の探索をして、夜になってから忍びこみましょ」
長丁場になりそうだが、ヨシノはほっと息をついた。
彼女のリュックには怪盗の衣装は入っていない。
今日のフロルは、がちがちの防具で身を固めている。
忍びこみはしても、露出趣味への心配はしなくていいようだ。
――その代わり、わたしはずっとこの格好ってことなんでしょうけど。
なんだろう? お尻が涼しい。スカートの中に風を感じる。
ぎょっとしてうしろを見ると、フロルがヨシノのスカートをつまんでめくったり戻したりして遊んでいた。
「おやめくださいお嬢さま!」
立ち上がり苦情を言うと、フロルは右手で上品に口元を隠した。おほほ。
……それから、フロルの可愛らしい目がまんまると見開かれ、彼女はなぜか、自分で弄んでいたはずのメイドのミニスカートを押さえて、隠すようにした。
「なんですか? 次はおさわりをなさるので?」
「違う、違うのよ」
フロルは何やら焦って、あっちのほうを指差した。
「ぼ、ぼくは見てません。見てませんよ!」
誰かいる。全身チェインメイル姿の人物が、両手で顔を覆っていた。
しかし、指の隙間からは、しっかりとふたつの目が覗いている。
「いやあ、ラッキースケベ。お約束だなあ」
彼は何やらぼそぼそ言った。
顔を覆っていても、にやついているのがよく分かる。
「ナイス太ももだけど、もう少し健康的な色のほうが好みかな」
指の隙間の視線は貼りつくように下のほうへ向けられていた。
「ごめんヨシノ、今のはわたくしもわざとじゃなくって……」
あるじの言い訳は右から左へ。
ハラスメントへの怒りは、ビンタという形で、闖入者へと向けられたのであった。
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