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企画参加短編作品集

無駄な抵抗ですわ、殿下! 手のかかる王家の方々をお守りする王宮警護隊で隊長を務めるわたくしの目の前で、婚約解消騒動なんて絶対に起こさせません!

作者: 有理守

「ご苦労様です、ダレル大尉。夕べは、特に変わったことはなかったようですね?」

「はい、少佐! 久しぶりに、皆様、静かにお過ごしでした!」

「久しぶりに――ね?」

「久しぶりに――です!」


 皆様、静かにお過ごしだったということは、つまり――。


 国王陛下が、宝石商から届いた王妃様の宝飾品に文句を並べることも、王太子ご夫妻が、観劇帰りに町へ繰り出すことも、第三王子のテレンス様が、士官学校の近くの酒場で暴れることも、三人の王女様方が、「夜着パーティ」とやらで、枕やクッションを投げ合うこともなかったということだ。


 うん、それで良いのだ! それこそが、王族の正しい姿だ!

 無駄遣いも、夜遊びも、泥酔も、馬鹿騒ぎも、王族なんだから、我慢することも必要です! 気をつけないと、民に見捨てられますよ!


 わたしはにっこりと笑いながら、宿直明けのダレル・カルダー大尉に日報を返した。

 ダレルもほっとした顔で挨拶し、隊長執務室を出て行った。

 久しぶりに、晴れやかな気分で、一日が始まろうとしていた。


 * * *


 わたしの名は、アメリア・プリムローズ。

 このティタニア王国の軍人である。

 近衛兵団の王宮警護隊の隊長を務めている。

 まだ、二十代前半だが、階級は少佐である。


 若くしてここまで出世できた理由は、わたしが幼い頃から担ってきた、王家に関わる特別な役割にある。

 わたしの父は、現在、王国軍の司令部を束ねるプリムローズ侯爵だ。

 わたしは、その長女で、この国の王太子殿下と同じ年の同じ月に生まれた。


 そして、生まれ落ちた瞬間から、わたしには、王太子殿下の幼なじみという役割が与えられた。

 わたしは幼なじみとして、大人が入り込めない、子どもどうしのつきあいの中で見聞きした、王太子殿下に関わるできごとを、逐一父に報告した。


「でんかがねぇ、フリントさまのほっぺをつねって、おかしをとってしまったの!」

「メアリーさまが、ないておねがいしてるのに、でんかは、もくばからおりなかったの!」

「でんかが『アメリアのばーか!』って言ったから、けとばしちゃいました……」


 わたしは、父の手先となって、王太子殿下をこっそりと、いや、堂々と監視し、父が言う「王族にあるまじき振る舞い」に及んだときは、臣下としてとるべき態度を遠慮なく示してきた。


 それは、十四歳になって、二人が士官学校に進んでからも続いた。

 わたしは、座学はもちろん、銃や剣の扱いにおいても、男子学生に後れを取ることはなかった。わたしのことを「戦神アメリア様」と呼び、教えを請いに来る者もいた。


「世の中平和だしね、わたしや国王陛下が出陣することもないだろう? まあ、万が一の時はよろしく頼むよ、戦神アメリア様!」


とか言って、全然、何にも学ぶ気のない王太子殿下に、個人指導でなんとか及第点を取らせ、「士官学校の卒業生」を名乗れるようにしてさしあげた。

 卒業と同時に、わたしは、少尉として近衛兵団に配属された。


 その後、王太子殿下は、幼少時に婚約していたリスゴー公爵家の令嬢メアリー様と結婚したが、いろいろと弱味を握られているようで、今では完全に彼女の尻に敷かれている。

 メアリー様が殿下の手綱を握っていてくれるから、わたしは大いに助かっている。


 わたしは、ご成婚の際の馬車行列で、白馬に跨がり警護役を務めた。

 沿道から、王太子殿下に腐った卵を五つも投げつけたセバーグ侯爵家の子息・フリントを捕らえたことで、のちにわたしは中尉に昇進した。


 フリントは、一つだけとはいえ命中させたことで満足し、どんな罰も喜んで受け入れるつもりでいたようだが、彼の幼なじみであったわたしが、国王陛下にいろいろと口添えをしたので、国外追放ですんだ。伯爵家へのお咎めもなかった。

 今でもフリントは、隣国から、わたしに定期的に手紙を寄越してくれる。

 先日届いた手紙には、次のようなことが書かれていた。


「次の機会を狙って、養鶏業を営んでいます。殻が固く黄身が大きい卵は、評判を呼び、商売はとても上手くいっています。これは、当たるとかなり痛いはずです」


 次の機会? それは、王太子殿下が即位するときだろうか?

 まだ、時間はあると思うので、軽くて頑丈な盾の開発を進めさせておくべきだろう。


 * * *


 第二王子のコンラッド様は、穏やかで優しいご性格だったこともあり、十歳のときに、神官となるべく、神殿の神学校へ入ってしまわれた。

 すでに、王位の継承権も手放し、王家を離れている。


 王女様方は、十四歳、十二歳、十歳で、三人寄れば賑やかなことこの上ないが、社交界へのデビューを日々夢見る乙女たちなので、今のところはわたしの手が煩わされることは少ない。

 王都の菓子店への注文書にさえ気をつけていれば――。


 今、わたし及び王宮警護隊の兵士が、最も注意を向けるべき人物は、今年十八歳になる第三王子のテレンス様だ。


 今から四年前、テレンス様が士官学校に入学して間もない頃、わたしは講師として赴き、座学や実技の指導をしたことがあった。


「ひゃっほーっ! 戦神アメリア先輩の登場だ! ねえねえ、銃の早撃ちを見せてくれよう!」


 わたしが、始めて講師として教室に入ったとき、テレンス様はそう叫んだ。

 ほかの学生たちが、「戦神アメリア様」の登場に顔を強ばらせ震えているというのに――。


「承知いたしました。では、テレンス様、頭にこれをお載せになってください。一発で撃ち落としてみせますので」


 わたしは、そう言って、教卓にあった空のインク瓶を、テレンス様に差し出した。


「あ、頭に載せるって――。おまえ、王族に銃口をむける気か?!」

「あなた様に向けるわけではありません。インク瓶に銃口を向けるのでございます」

「もし、は、外れたらどうするんだよ?!」

「外しはしませんよ、戦神アメリアは――。ただし、テレンス様が、恐ろしさのあまり少しでも身動きなされば、外れることもあるかもしれませんが――」

「身動きなどするもんか!」


 インク瓶を頭に載せ、握った両手をぶるぶると震わせながら、テレンス様がわたしを睨んでいた。

 わたしは、テレンス様から距離を取ると、腰から銃を抜きゆっくりと構えた。


 ―― バアンッ!!

 ―― ガチャン!

「「キャアアアーッ!」」


 銃声やインク瓶が割れる音に反応するように、教室の隅に集まっていた女子学生たちから悲鳴が上がった。


 しゃがみ込んだテレンス様の足元には、砕けたインク瓶と金貨が一枚落ちていた。


「空砲でございますよ。当たり前ではないですか! 右手で銃の引き金を引くと同時に、左手でその金貨を飛ばし、インク瓶に当てて落としたのです。申し上げたとおり、外しはしませんでしたでしょう?」


 わたしが差し出した手を振り払い、テレンス様は悔しそうな顔で立ち上がると、よろめくようにして自席についた。

 ほかの学生たちも、それぞれ自席に戻ったのを見て、わたしは金貨を拾い、その日の講義を始めた。


 その後のわたしの講義でも、テレンス様はぼんやりと外を見ていたり、欠席したりして、わたしと顔を合わせまいとしていたようだった。


 少佐となって多忙になった今でも、年に何度か士官学校を訪ねている。

 王宮警護隊の隊長として、将来有望な人材を見つけだすためだ。

 その際には、テレンス様の行状について、学生たちから様々な話が語られる。

 必要があれば、国王陛下や王妃様に報告するし、急を要することは、わたしの立場で処理をすることもある。


 ・学生街の居酒屋で、派手に飲んで騒いだあげく、酒代を踏み倒した。

 ・同級生の婚約者にちょっかいを出し、危うく決闘となる騒ぎを起こした。

 ・学生寮に泊まり込み、賭博で同級生から金を巻き上げようとした。


 ここ最近で記録に残っているのはそれぐらいだが、まあ、ほかにもいろいろとやらかしているに違いない。

 噂だけのものもあったし、実際に頭を下げて回らねばならないものもあった。

 ようやく、テレンス様が卒業を迎えるので、士官学校側はほっとしているらしい


 第三王子ということもあって、本人は入隊を希望していたようだが、陸軍からも海軍からも断られ、卒業後は王宮で王族修業に励むことになったようだ。

 そりゃあそうでしょうね!


 * * *


「ええっ?! それは、確かな情報なのですか、ジョナス?!」

「はい、アメリア様。わたし以外にも、その話を小耳に挟んだ者がおります。間違いないことだろうと思われますが――」

「そうですか。公爵夫人の誕生を祝う宴で、婚約解消する計画ですか――。それは、ちょっとやっかいなことになりましたね」


 晴れやかな気分は、あまり長くは続かなかった。

 わたしの直属の間諜で、侍従として王族に仕えるジョナス・バーデンが、重要な情報を携え、隊長執務室を訪ねてきた。

 表向きは、陛下のご公務の警備計画を相談しに来たということになっている。


「さすがに士官学校の卒業祝賀会を舞台にするのは、気が引けたのでしょうね?」

「アメリア様のお父上など軍のお歴々も同席されますので、いくらテレンス様でも、そこでやらかすのはちょっと面倒なことになるとおわかりになったのでしょう。」

「祝賀会には、サラ様のお父上のレインウォーター侯爵も、近衛兵団の団長として出席されるはずですからね。その目の前で、婚約解消騒ぎというのはねぇ――」


 テレンス様には、サラ・レインウォーターという婚約者がいる。

 長年、近衛兵団を支えてきた、由緒あるレインウォーター侯爵家の令嬢だ。


 第三王子であるテレンス様は、いずれ、王妃様の姉上の嫁ぎ先であるヘインズ公爵家の養子となり、家を継ぐことが決まっている。

 将来の公爵夫人に相応しい品格や寛容な性格を見込んで、国王陛下は、サラ様をテレンス様の婚約者に選んだのだった。

 テレンス様、サラ様ともに、わずか六歳のときのことだ。


 しかし、テレンス様は、美しいが真面目で堅実なサラ様と結婚しては、せっかく資産家の公爵家を継いでも、気ままな暮らしはできないと考えるようになったらしい。

 これまでに二度、婚約解消騒ぎを計画している。

 もちろん、二度とも事前に察知したわたしやその配下の者が潰している。


 * * *


 一度目は、二年前。テレンス様が十六歳の時。

 王妃様が開いた音楽会でのことだ。

 テレンス様は、その頃お気に入りと噂されていたリリアという子爵令嬢を、王妃様に断りもせず勝手に招待した。

 そのあげく、サラ様にピアノで伴奏をさせ、リリアに二曲も歌わせた。


「サラ! 君という人は、なんて意地悪なんだ! わざとテンポを変えたり、弾き間違えたりして、リリアの歌を台無しにしようと企むなんて!」


 警護のため、部屋の隅に佇んでいたわたしは、リリアの拙い歌に何とか合わせようと、必死でピアノを演奏するサラ様を、気の毒に思いながら見つめていた。

 それをテレンス様ときたら――。


「サラ、今日こそ、わたしは決心した。わたしは、君との婚約を――うわっ!」


 リリアの手を取りながら、サラ様を指さそうとするテレンス様を突き飛ばすようにして、わたしはピアノとサラ様に近づいた。


「これは、いけませんね! ここも、こっちも、音が狂っています。先ほど、ピアノの近くで、お茶やお菓子を召し上がっていた方がいらっしゃいましたよね。何かが、ピアノの中へこぼれてしまったのではないでしょうか?」


 わたしは、適当に鍵盤を叩いたあと、弦の具合を見るふりをしながら、袖に隠していた焼き菓子を砕いて、ピアノの中へばらまいた。


「ああ、やはり、菓子のクズが散らばっています。慌てて取ろうとして、弦に触れてしまったのかもしれませんね。サラ様もリリアさんも大変でしたね」


 そう言いながら、上座の王妃様に目をやると、少しすまなそうな顔で、わたしに向かって、何度も小さくうなずかれていた。


 わたしの言動で、その場にいた人々の間に、二人に同情するような雰囲気が生まれ、サラ様のピアノやリリアの歌が批判されることもなく、婚約解消騒ぎも立ち消えとなった。

 テレンス様も、いくら可愛い声をしていても、リリアの歌は聴くに堪えないものであることに気づいたのか、この騒動のあと、間もなくリリアとは別れてしまったらしい。


 それを聞いたわたしは、ジョナスに命じて、王妃様からお預かりした幾ばくかの「見舞金」を、リリアの実家である子爵家に届けさせた。

 ジョナスの報告によると、リリアの父親はたいそう感謝していたそうだ。

 その二ヶ月後、わたしは大尉に昇進した。


 二度目は、昨年の夏、改築がすんだ離宮のお披露目の席で起こった。


 その頃、テレンス様は、士官学校の同級生であるエイダをよく連れ歩いていた。

 エイダは、男爵家の娘だったが、卒業後は近衛兵団に所属して、わたしのように軍人として自立することを目指していたようだ。

 そのために、テレンス様の好意を利用しようと考えていたのかもしれない。


 士官学校に通う女学生にありがちなことだが、剣や銃、乗馬などの稽古に打ち込みすぎて、エイダは、ダンスがあまり得意ではなかった。

 お披露目の夜会では、完成したばかりの離宮の大ホールで、盛大な舞踏会が開かれた。

 エイダは、婚約者であるサラ様を差し置いて、テレンス様と三曲も踊ってしまった。


 というか、あまりに危ういダンスだったので、テレンス様以外の男性は誰も彼女を誘わなかったのだ。

 エイダに振り回されながら、必死で三曲を踊り抜いたテレンス様は、肩で息をしながら、サラ様を探し出すと、またもや叫んだ。


「サラ! 君という人は、なんて意地悪なんだ! わざとわたしたちにぶつかってきたり、進路を邪魔したりして、エイダのダンスを台無しにしようと企むなんて!」


 婚約者であるサラ様を、全くダンスに誘わないという、とんでもないマナー違反を犯したのみならず、テレンス様がエイダを引っ張りながら、ダンスの邪魔をするようにサラ様に近づくのを、わたしは、ホールの隅から腹立たしい思いで見ていた。

 それをまあ、この人は――。


「サラ、今日こそ、わたしは決心した。わたしは、君との婚約を――うわっ!」


 エイダを抱き寄せながら、サラ様を指さそうとするテレンス様を突き飛ばすようにして、わたしは、ダレルと踊っていたサラ様に近づいた。


「これは、いけませんね! ドレスの裾が踏まれて、ほつれています。さぞや踊りにくかったことでございましょう。思うように踊れず、よろめくのも当然です。本日に備えて、床が磨き上げられておりましたから、足を滑らせた方が踏んだのかもしれません」


 わたしはそう言いながら、隠し持っていた小さなナイフで、サラ様のドレスの裾をこっそり切り裂きほつれさせた。

 そして、近くに青い顔をして立っていたエイダを、「犯人はあなたですね?」という目つきで睨んでおいた。


 ホールにいた人々は、みな足元を気にし、女性はドレスの裾を確認した。

 王妃様に命じられ、侍従が数名、床の滑り具合を調べていた。

 ダンスはそこまでとなり、テレンス様の婚約解消騒ぎは今回も立ち消えになった。

 

 エイダは大いに反省し、卒業後のことをわたしに相談しに来た。

 わたしは、テレンス様ときっぱり別れるなら、卒業後は近衛兵団に入れるよう推薦することを約束した。もちろん、わたし直属の部下として――。

 もともとテレンス様のことは、なんとも思っていなかったと言って、エイダは、二度とテレンス様と二人きりでは会わないと誓った。


 エイダは、今、卒業とその後の入隊に向けて、士官学校で勉学に励んでいる。

 この騒ぎのあと、わたしは少佐に昇進した。


 * * *


 これまでの婚約解消騒ぎは、二度とも王家の建物内で起きている。

 わたしは王宮警護隊長として、堂々と現場にいることができたし、テレンス様の無謀な企てにもすぐに対応することができた。

 しかし、今回は、ヘインズ公爵夫人の屋敷が舞台となる。


「テレンス様に頼まれれば、公爵夫人は王宮警護隊の派遣をお断りになるでしょうね。招かれている人数もそう多くはないでしょうから、屋敷の人間だけで十分警護できると言われてしまえばそれまでです。ジョナスは、公爵邸に出向くのですか?」

「とりあえず、わたしと侍女のコーリーは、テレンス様に付き添い公爵邸へ参れるように手配いたしますが、わたしたちでは、何かありましてもテレンス様をお諫めすることはできません」

「そうですね。わたしが公爵邸へ赴く方法を考えないと――」


 ヘインズ公爵夫人は、見目麗しいテレンス様がお気に入りで、公爵家の後継者として屋敷に迎え入れることを楽しみにしている。

 テレンス様が、わたしや王宮警護隊を宴から排除しようとして、「王宮警護隊の警護は必要ない」と言えば、当然それを聞き入れ警護を断ってくるだろう。

 別の方法で、宴に加わることを考えなくては――。


「あのう、アメリア様……。いっそのこと、プリムローズ侯爵家のご令嬢として、アメリア様が宴に行かれてはいかがでしょうか?」

「えっ?」

「宴の準備は、テレンス様が中心となって進めておられます。近日中に、招待状をお届けする予定ですが、プリムローズ侯爵のお名前も招待者名簿にあったと思います。アメリア様が、お父上の名代として贈り物とお祝いの言葉をお届けになることは、別に不自然なことではありません」

「なるほどね。でも、わたしが来たことに気づいた途端、テレンス様は、予定していた婚約解消騒ぎを諦めて、もっと実行しやすい場所でやり直そうとするのではないかしら?」


 十分に考えられることだった。

 二度もわたしに婚約解消を阻まれたテレンス様は、今度こそ計画通りに婚約解消を成し遂げようと、実行には慎重になっているに違いない。


「いえ、テレンス様に、そのような時間は残されておりません。コーリーによりますと、テレンス様の今のお相手であるブラックウェル男爵家のアビー様には、ご懐妊の噂がありまして、一刻も早くサラ様との婚約を解消する必要があるようなのです」

「そ、それは、確かなことですか?!」

「王宮で働く者の中には、王宮前のカフェや王立図書館、士官学校近くの居酒屋などで、お二人をお見かけした者が多数おりまして、アビー様が、テレンス様に詰め寄ったり泣きついたりする場面を見た者も一人や二人ではありません。医師の診断はまだのようですが、まず間違いないのではないかと――」

「……」


 なんということだ! そこまで恥知らずな方だったとは!!

 士官学校も何をしていたのだろう? エイダの件もそうだが、緩みきっている!

 父上や上司にも訴えて、梃入れをしてもらわなくては!


 しかし、こうなると、サラ様との婚約解消は必定だ。

 ただし、テレンス様の思惑通り、サラ様をおとしめ、悪人に仕立て上げることだけは、阻止しなくてはならない。

 できれば、「テレンス様がサラ様に陳謝し慰謝料を払った上で、婚約の解消を陛下にお願いし許していただく」という形に持って行くべきだろう。


「わかりました、ジョナス。今度ばかりは、婚約解消もやむをえない状況のようです。あなたが言うとおり、わたしが自ら宴に出席し、芝居めいた婚約解消騒動をやめさせ、後ほど陛下から穏便に婚約解消していただくようお願いしましょう。宴の雰囲気を壊さないように、軍服ではなく、ドレス姿で出かけることにします」

「ははっ!」


 ドレスや靴、装身具などは、全て妹のセシリアから借りよう。

 軍人となったわたしの礼装は、常に軍服だ。流行のドレスなんて持っていないし、装身具もどこかへしまいこんでしまった。化粧の仕方も、セシリアに教えてもらわなくては――。


「それと……ジョナス、宴までの間に、あなたに準備をお願いしたいことが一つあるのですが、いいでしょうか?」

「何なりと」

「では――、サラ様にぴったりな、良いお相手を探しておいてくれませんか? そして、できれば、その方にも宴においでいただいて、二人を引き合わせるようにしたいのですが――」

「承知いたしました。アメリア様のお眼鏡にかなうような方を探してみます。招待者のリストにも加えておきましょう」

「よろしく頼みましたよ」


 陛下とて、初孫が生まれるとあっては、テレンス様とサラ様との婚約解消、そして、アビーとの婚約・結婚に異論を唱えることはないだろう。

 アビーが、将来の公爵夫人の器でないと思えば、子どもだけ取り上げて、アビーを追い出すぐらいのことを考えるかもしれないけれどね――。


 テレンス様とアビーの今後より、今は、婚約解消後のサラ様の心をどのように癒やすかを考えるべきだ。誰か相応しい人物はいるだろうか――。

 わたしは、その確かな手腕に期待しながら、ジョナスを王宮へ帰らせた。


 * * *


 そして、いよいよ、ヘインズ公爵夫人の誕生を祝う宴の当日を迎えた。

 予想通り警護隊の出動は断られ、わたしは父の名代を務めることになった。


 わたしは、侍女たちやセシリアに手伝ってもらい、宴に出かける準備をすませた。

 王宮警備隊からは、久しぶりの休暇をもらっている。

 目を丸くしてわたしを見ている父から、お祝いのカードと贈り物を受け取り、わたしは馬車に乗り込んだ。父は、わたしが、軍服で出かけると思っていたようだ。


「何年ぶりでしょうか? お嬢様のドレス姿を拝見するのは――。最後にドレスをお召しになったのは、士官学校にお入りになる前ですから、もう十年も前のことですわね。本当にお可愛らしかった……。いえ、今だって、十分にお美しゅうございますよ」


 今日は、我が家で最も古参の侍女であるナディアがついてきた。

 彼女は、わたしの向かい側に座り、目にちょっと涙を滲ませながら、わたしのドレス姿を感慨深げに見ていた。


「お世辞はいいですよ、ナディア。あのときは、お父様がどうしても社交界にデビューさせておきたいとおっしゃって、少し早いけれど、正式なドレスで夜会に出してもらったのでしたっけ。あの夜会で、良い方と巡り会っていたら、今頃、全く違う人生を歩んでいたかもしれないわね」

「まあ、お嬢様ったら、そんな年寄りじみたことをおっしゃって――。まだまだ、お若いのですから、これからいくらでも素敵な方と知り合う機会がございますよ!」

「ありがとう、ナディア。でも、わたしは、今の人生も悪くないと思っているわ。近衛兵団の団長までは望まないけれど、もう少し昇進して、いずれは士官学校の校長として、学校を改革したいと思っているのよ」


 通常の侯爵家の令嬢とは、ずいぶん違う生き方を選んだけれど、エイダのように後に続こうとする者が出てきたのだ。

 軍だけではない、王宮の役職に就く女性も増えてきている。

 わたしの生き方が、多少は世の中を変える役に立ったのなら、それで満足だ。


 公爵邸近くには、すでに馬車の行列ができていた。

 玄関に降り立つと、ジョナスやコーリーが、公爵邸の使用人たちと一緒に、忙しそうに立ち働く姿が見られた。テレンス様も、すでに到着しているということだろう。


「少ないと言っても、七、八十人は集まっているようね。さすがヘインズ公爵夫人だわ。華やかな宴になりそうね」

「さようでございますね」


 ジョナスが用意してくれた名簿で、今日の出席者はほぼ把握している。

 王宮警護の仕事をしている関係で、出席者に顔を知らない者はいなかった。

 ナディアと話をしながら控え室へ向かうと、顔見知りの面々が声をかけてきた。


「まあ、アメリア様! 先日は、母へのお見舞いをありがとうございました!」

「ドレス姿のアメリア様にお目にかかれただけでも、来たかいがありましたわ」

「弟が警護隊でお世話になっております。厳しく仕込んでやってくださいませ」


 警護隊の立場を離れて来ているせいか、次々と気楽に話しかけてくる人が多い。

 今日の宴は、規模のわりにはかしこまったところがない、打ち解けた雰囲気のものとなりそうだ。

 そうこうするうちに、公爵家の執事が開場を知らせ、特に順番も気にせずに人々は主会場へと移動を始めた。


 誰かが、音もなくわたしの隣に近づいてきた。

 いつもの習慣でつい身構えると、耳慣れた声が話しかけてきた。


「隊長……、ではなくて、アメリア様。本日は、ご苦労様です……、ではなくて、本日は、そのう……、ドレス姿も大変麗しゅうございますね!」

「ダ、ダレル……、どうして、ここに? 今日は、わたしの代わりに、隊長執務室で勤務しているはずでは?」


 ダレル・カルダー大尉は、驚くわたしに悪戯っぽい目をして言った。


「実は、公爵夫人は、わたしの母のリュートを気に入ってくださいまして、たびたびサロンにもお招きいただいていたのです。先日、この宴への招待状が届いたのですが、なぜか是非わたしも一緒にと書かれておりまして、せっかくのお申し出なので、今日は母と連れだって参りました」


 ジョナスだ!

 サラ様の「お相手」として、ジョナスはダレル・カルダーを選んだのだ!

 招待状でダレルの同行を求めた部分は、勝手にジョナスが書き足したのだろう。


 確かに、軍人とはいえ、カルダー侯爵家の長男で、謹厳実直にして品行方正なダレルは、サラ様のお相手として申し分ない。

 なかなかやるじゃないの、ジョナス!


「前もって言っておいてくれたら、今日の仕事の調整などをしたのに、どうして黙っていたのですか?」

「すみません。わたしが休暇を取ると言ったら、隊長が久しぶりにお取りになった休暇を返上するのではないかと思い、ウォーレンと相談して隊長には知らせないようにしました。今頃、隊長執務室にはウォーレンが怖い顔で座ってくれているはずです」


 ウォーレンというのは、ダレルと同じく副隊長を務めている強面の男だ。

 彼らがそんなふうに、わたしに気をつかってくれていたとは――。

 これは、何としてもサラ様に引き合わせて、二人を結びつけてやらなくては!

 ダレルは、わたしに軽く会釈をすると、公爵夫人に挨拶をするため、わたしから離れていった。


 まずは、サラ様の姿を確認して、テレンス様に絡まれないように保護しよう。

 わたしは、公爵夫人にお祝いの言葉を述べたあと、会場全体の様子がよく見える場所を探した。

 飲み物を手にして、知り合いに挨拶をしながら、会場内を回っていると、華やかな笑い声が聞こえてきた。アビー・ブラックウェルだった。

 彼女と同じ十代後半と思われる令嬢数名と、賑やかに談笑していた。


 アビーは、華やかな朱色のドレスを身にまとい、肩の辺りを花で飾っていた。

 ドレスの裾からちらりと覗いた靴は、かなりかかとが高いもので、妊婦が履くのはどうなのだろうと思われた。

 手元のグラスの中身は酒のようで、こちらも妊婦に相応しいとはいえない。

 アビーの懐妊の噂は、本当なのだろうか?


 アビーは、空になったグラスを別のグラスに変えようと、盆を持った給仕を探してきょろきょろしていた。

 そのうちに、酔っているのか、覚束ない足取りでふらふらと歩き出した。

 新しいグラスを並べた盆を持った給仕が、彼女の方へ近づいてきていた。


 ん? 給仕が横切ろうとするテーブルのそばに、サラ様が立っている。

 そうか! アビーは、サラ様の近くで給仕とゴタゴタを起こし、サラ様が自分に嫌がらせをしたと、テレンス様に訴えるつもりかもしれない。

 これは、放っておくわけにはいかない!


 わたしは、素早く動きサラ様のそばに行くと、サラ様を給仕から遠ざけて、ゴタゴタに巻き込まれないように庇った――、つもりだった――。


「うわっ!!」

「おおーっ!」

「ちょっとおー!」


―― ガッシャーンッ!


「キャアァーッ! 何すんのよお!!」

「も、申し訳ありません!!」


 気がつくと、わたしは給仕を突き飛ばしてよろけさせ、給仕につまずいて転んだアビーの上には、落ちたグラスの飲み物と破片が飛び散っていた。

 わざとやったわけではない。

 少し小さめの靴や慣れないドレスのせいで、思うように動けなかったのだ!


 会場内は、大騒ぎになった。

 公爵家の使用人たちが、片付けやアビーの救護に走り回っていた。

 騒然とする中、数名の貴婦人が気を失って、別室へ運ばれていった。

 体型から見て、コルセットの閉めすぎこそが、原因かと思われた――。


 ようやく会場内が少し落ち着いてきたところへ、突然テレンス様が姿を現した。

 部屋の隅のソファで休んでいたアビーが、パッと立ち上がりテレンス様に駆け寄った。テレンス様は、全てわかっているという顔でアビーを抱き寄せると、いつものように叫んだ。


「サラ! 君という人は、なんて意地悪なんだ! わざと給仕を押し倒して、身重のアビーを転ばせたり、その上にグラスをぶちまけさせたりするなんて! わたしの婚約者として、見苦しすぎる!」


 会場内は、しんと静まりかえった――。だが、すぐに再びざわつき始めた。

 アビーが、わたしの方を指さし、テレンス様に向かって何かわめいていた。

 テレンス様は、驚いた顔でわたしを見たあと、真っ赤になってアビーと言い争いを始めた。


「給仕にぶつかって、わたしを転ばせたのは、サラじゃなくてあっちの女なの! あっちの女を何とかしなさいよ!」

「約束が違うだろ?! サラを巻き込んで、それを理由に婚約解消を持ち出すはずだったよな?! なんで、アメリアが悪役になるんだよ?!」

「知らないわよ! とにかく、アメリアって女のせいで、わたしはこんな目にあったんだから、アメリアの方をきっちり断罪してよ!」

「アメリアは関係ない! というか、アメリアを悪役にしても、サラと婚約解消はできない! 君のせいで、計画がめちゃくちゃだ!」

「わたしのせいにしないで! もうやってられないわ! 恋人ごっこはこれでおしまいよ! あなたの婚約解消のために、子どもができたふりまでしたんだから、たっぷり慰労金をいただかないとね! あとで屋敷まで届けてちょうだい! じゃあね、王子様!」

 

 最後は、そう言い捨てて、アビーは会場を大股歩きで出て行った。

 テレンス様は、何も言わずその後ろ姿を見送ると、近くにあった椅子にずしんと腰を下ろした。


 恋人ごっこ……。子どもができたふり……。慰労金……。

 アビーの捨て台詞が、頭の中で何度も繰り返されていた。

 どうなっているのだ?

 わたしだって、椅子に座り込みたい気分だ……。


 サラ様が、いつの間にか、テレンス様の前に立っていた。


「テレンス様……。別室で、父からお聞きになったと思いますが、近々レインウォーター家は、国王陛下に、わたくしたちの婚約を白紙に戻したい旨を、言上するつもりでございます。不遜な振る舞いとして、何らかの処分を受けることになるかもしれませんが、それも覚悟の上で決めました。ですから、もう、テレンス様が、おかしな婚約解消騒動を起こす必要はないのでございます」


 驚いた顔で、テレンス様がサラ様を見上げた。

 お二人のご婚約は、国王陛下が決めたもので、テレンス様であっても勝手に解消することはできない。

 そして、国王陛下には今のところ、この婚約を解消するご意思はない。


 テレンス様は、なんとしても自力で婚約を解消するために、人前で騒ぎを起こし、サラ様を悪役に仕立て上げるという愚かな企みを繰り返してきた。

 それほどまでに疎まれているのなら、テレンス様の望み通り婚約を解消してやろうと、ついに侯爵家の方が動くことにしたのだろう。


「サラ様、ご心配には及びません! お聞きのように、アビーの懐妊の噂は、どうやらテレンス様が、あなたとの婚約解消を決定づけるために広めた嘘のようです。いくら何でも、やりすぎです! このことは、わたくしが責任を持って陛下にご報告いたします。

さすがに陛下でも、そのような嘘までついたテレンス様を放ってはおかれませんでしょう。お待ちになれば、陛下から正式に婚約解消のお話が出るはずです。レインウォーター侯爵家が、陛下のご不興を買うことはございませんよ」


 わたしは、悲痛な面持ちで立ち尽くすサラ様の手を取り、優しく勇気づけた。


「わたしも証人として、隊長……、アメリア様とご一緒に陛下にご報告に伺います。レインウォーター侯爵家の名誉が傷つくことはけっしてありません!」


 わたしの隣に立ったダレルが、顔を真っ赤にしてサラ様に訴えた。

 えっ? 早くもそういう展開なのですか?

 そういえば、一年前の離宮での騒動のとき、ダレルったらサラ様と踊っていたわね――。謹厳実直にして品行方正な男は、そういう思いをこっそり胸に抱いていたってことか――。


 まさか! ジョナスったら、それにも気づいていたの?

 わたしが、慌てて扉近くに控えるジョナスに目をやると、ジョナスはニヤリと笑った。

 まったく――。我が間諜ながら、たいした情報通であること!


「ありがとうございます、アメリア様、ダレル様。お言葉に従い、この件はお二人にお任せすることにいたします。これから、別室におります父にも報告して参りますわ。

ところで、この機会に、わたくしからもアメリア様に申し上げたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「え? は、はい、な、何なりと……」


 サラ様は、わたしから離れ、ぼんやりと座っているテレンス様を椅子から立たせた。

 わたしがじろりと見ると、テレンス様は、ぷいっとそっぽを向いた。

 まったく、十四歳の頃から全然成長していないのだから――。

 その様子を寂しげな笑いを浮かべて見つめながら、サラ様は話し出した。


「もう十年も前のことになりますかしら――。アメリア様が、十四歳で王宮の夜会に出られて、社交界にデビューした日のことです。広間の隠し扉の陰から、二人の少年がこっそり夜会の様子を見ていました。

一人は王太子様、そして、もう一人はテレンス様です。


王太子様は、もともと幼なじみのアメリア様がお好きだったようですが、陛下のご命令でメアリー様と婚約されていました。テレンス様にもわたしという婚約者がおりましたが、夜会に出たアメリア様を見て、一目で恋におちてしまったようです。まだ、八歳だったのですけれどね――。


王太子様は、士官学校へ進まれましたが、それはアメリア様とご一緒したかったからです。ときどき、王太子様の勉学をお助けするために、アメリア様が王宮を訪ねてくるのを、テレンス様も楽しみにしておられたようでした。


王太子様は、結局アメリア様には振り向いてもらえず、四年前にメアリー様と結婚されました。

幼なじみだったメアリー様は、いろいろご存じの上でそうなさったようです。

今は、お幸せにお過ごしですから、これで良かったのだと思います。


でも、テレンス様は、王太子様を見て、自分は兄のように諦めず思いを通そうと決意されたようでした。

不向きと思われた士官学校に入学し、アメリア様の注意を引こうと、いろいろと騒ぎを起こしていましたが、ダメ学生扱いされるばかりで、アメリア様に関心を持っていただくことはできませんでした。


そのうち、戦神アメリア様も二十歳を過ぎたし、さすがにどなたかに嫁がれるのだろうという噂が聞こえるようになりました。焦ったテレンス様が始めたのが、わたしとの婚約解消騒動の計画です。


わたしとの婚約を解消して、なんとかアメリア様と結婚する資格を得たい一心で、愚かな騒動を繰り返しておられたのです。

そのたびにアメリア様に阻止され、その功績が、アメリア様の昇進につながったのは皮肉なことでした。リリアにしてもエイダにしても、そしてアビーにしても、みんなテレンス様から頼まれ、何かの見返りを約束されて恋人役を演じていたにすぎませんの。


わたしは、十年以上の間テレンス様のお近くにいて、テレンス様の歓喜や焦燥や落胆をつぶさに見てまいりました。今までの話は、一部推測もありますけれど、当たらずといえども遠からずというところだと思います。そうでございましょう、テレンス様?」


サラ様に呼びかけられたテレンス様は、相変わらずそっぽを向いていたが、ほんの微かにうなずいた。えっ?! そうなんですか、テレンス様?!


「幼い頃は、アメリア様をうらやんだり、テレンス様を憎んだりしたこともありましたけれど、いつの間にか、わたしは、テレンス様の姉のような気持ちになっていました。

今は、婚約を解消したからといって、心が痛むこともありません。


ですから、アメリア様。テレンス様とわたくしの婚約の解消が成立しましたら、テレンス様のことを真剣に考えて差し上げてくださいませんか?

そうでないと、あなたと結婚するために、テレンス様は何をしでかすかわかりません。あなたの周りにいる殿方に、片っ端から腐った卵を投げつけ始めるかもしれませんわ」


 信じられない! 悪い冗談ではないのか?!

 わたしの前で、ちょっと頬を赤らめながら、明後日の方向へ目を向けたまま、ときおりちらっとわたしに目線を送ってくる、この王族一、世話の焼ける王子が、わたしのことを十年間も思い続けていたなんて! そんなことが……。

 

 数々のご乱行の噂も、度重なる婚約解消騒ぎも、わたしと関わり、自分を印象づけ、わたしの気を引くためだったというのか?!

 わかりにくすぎる! あまりにひねくれている! とことん屈折している!!

 任務とはいえ、どれだけ、わたしは苦労させられたことか――。

 いろいろと考えていると、ふいに全身から力が抜けた……。


「アッ、アメリア様?!」

「隊長―っ?!」

「お、おい?! アメリアーッ!!」


 人々の叫びが、ずいぶん遠くの方で聞こえた……。

 わたしは、意識が薄れていくのを感じながら、今日は、コルセットを締めすぎたのかもしれないわね――と、ドレスの着方なんかを反省していた……。

 

 * * *


 結局、わたしの休暇は一日延長された。


 あの騒動のあと、公爵邸の一室に運び込まれ、気付け薬を嗅がされ、ナディアとダレルに付き添われて屋敷に帰ってきたらしいが、全く記憶にない……。


 今は翌日の昼時――。

 先ほど、薬草茶を持って部屋を訪れたナディアから、公爵夫人をはじめとする、あの場に居合わせたいろいろな方々から、お見舞いが届いていると言われた。


 サラ様を婚約解消騒動から守るため宴に出かけたはずが、自分自身が騒動の中心人物のようになってしまった。

 アビー以上に注目を浴び、醜聞の主人公におさまってしまった気がする。

 明日から、どんな顔で王宮警護隊の官舎へ赴けばいいのだろう?


 扉を叩く音がして、ナディアが声をかけてきた。


「お嬢様、王宮からの御使者として、侍女のコーリー様がお見えになりました」

「まあ! すぐにこちらにお通しして!」


 昨日の騒動について、わたしに代わって、ダレルが陛下の元へご報告に出向いたはずだ。

 おそらく、サラ様から話を聞いたレインウォーター侯爵も同席していたに違いない。

 その結果、サラ様とテレンス様の婚約解消が陛下に認められ、コーリーはそのことを知らせに来てくれたのだろう。


 わたしの部屋に入ってきたコーリーは、大きな花束と手紙を手にしていた。


 * * *


 士官学校の卒業式が終わり、幹部候補の新兵たちが各軍に入隊してきた。

 近衛兵団にも二十名が入隊し、合同の訓練が始まった。

 エイダも無事に入隊した。午前中は王宮警護隊に勤務し、午後は兵団の合同訓練に参加するという忙しい日々を送っている。


 そして――。


「アッメリアー! ……じゃなくて、……アメリア・プリムローズ少佐! えー……、司令部経理局のテレンス・ヘインズ少尉、王宮警護隊所属の新兵への供与品の数量の確認に参りました! このリストの数字で間違いないでしょうか?

それで、あの……、えーと……、今日こそわたしと婚約してくださいませんか?」


 今日も、わたしの執務机の前には、ノックもせずに入室してきたテレンス様が、小さな花束と書類を手に、笑みを浮かべて立っている。

 わたしの返事を待ちながら――。



 あの日、テレンス様からのお見舞いの花束と一緒に届いた手紙は、国王陛下からのわたし宛の私信だった。

 陛下が、ダレルやレインウォーター侯爵から話を聞き、テレンス様とサラ様の婚約解消を認めたところ、すぐさまテレンス様が、わたしとの婚約を許して欲しいと願い出たことが書かれていた。

 コーリーによれば、それを聞いた途端、陛下は呆れて倒れかけたようだが、テレンス様は至って真剣だったらしい。


 どうしたら良いか――と、陛下は私信の最後で、この件について、わたしにご相談くださった。

 わたしは、王宮に赴き、直接陛下やテレンス様と話し合いたいとお返事した。

 その結論が――、これである。


 わたしは、話し合いの中で、テレンス様にいくつか条件を出した。


 まず、士官学校卒業と同時に公爵家の養子となり、王家の庇護を離れること。そして、公爵様から、領地の経営や公爵家のしきたりをしっかり学ぶこと。

 次に、せっかく士官学校を卒業するのだから、きちんと軍に勤務すること。ただし、兵士としてではなく、司令部の内勤として。できれば、多少得意らしい算術が役に立つような部署で。

 最後に、毎日必ず一回、わたしに花を届けて「婚約」を申し込むこと。それをテレンス様が二十歳になるまでの二年間、休むことなく続けること。


「もし、それができたなら、テレンス様の婚約の申し込みを受け入れましょう」

「わかった! 必ずやり遂げてみせる!」

 

 テレンス様は、卒業式の翌日、テレンス・ヘインズとなり軍の司令部に入隊した。



 今日の返事も、もちろん、「まだ、そういう気持ちにはなれません」だ――。

 テレンス様は、「では、また明日!」と明るく言って、退出していった。


 わたしは、小さな花入れに届いた花を挿しながら、窓の外を見ていた。

 跳ねるようにして、司令部の官舎へ戻っていくテレンス様が、わたしの目線に気づいて立ち止まり、わたしに向かって書類を持った手を振った。

 突然、風が吹きつけてきて、テレンス様の手から書類を奪う。

 慌ててそれを追いかけていくテレンス様――。


 まだまだ、当分、「婚約」の申し込みを受け入れるわけにはいかない――。

 でも、十年も思い続けたという話が本当なら、二年ぐらいはどうということはないだろう。あっという間だ――。


 わたしは、もう二度と、あなたの婚約解消騒動に巻き込まれたくはありません。

 だから、そんなことはけっして起きないとわたしが確信できるまで、わたしとの婚約はお預けです! 

 最近は、日々成長していくあなたを見るのが、なんだか楽しくなってきました。

 どうか、最後まで頑張ってくださいね、テレンス様――。



 ようやく書類の回収を終えたテレンス様が、また、わたしに手を振っている――。



 * * *  おしまい  * * *


 最後までお読みいただき、ありがとうございました!


 少し頑張りすぎたかもしれない女子が、年下で一途らしいけど、ちょっと面倒なところがある王子に押し切られて――。

 いちおう、ハッピーエンドになるだろうということにさせてください!

 


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 悪い事して興味をひくより頑張った方が勝率は圧倒的に高いんだけど、そうなると婚約→結婚がストレートに行っちゃうからできなかったのかな~と思うとなんか微笑ましくもありますが。 サラ様の肝っ玉の…
[良い点] 軍服ヒロイン企画でこの作品を知りました。面白かったです。 これまでの被害を防いできたアメリア少佐やその部下たちもとても優秀ですね。 ラストはダレル大尉とくっつくのかな?と予想しましたが、ま…
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