DAY10: 【恋愛魔法。傑作。反・駄作。精神操作一点魔法。強・対象人物:2名。強・対象人物:1名超。強・対象人物:3名未満。(略)煽情的。淫靡。】
ほんとにすみません
激怒。
乙女の感情は紛れもなくそれだった。
「ふざけるなよ」
閉じ切ったカーテンは陽光と、窓の外で繰り広げられている混乱を阻んでいる。彼女が座り込む自室は極めて暗く、上級の【建築精霊】が奮闘して作り上げた……天井も、床も、壁も。全ては同じ、暗闇という名の籠に放り込まれたままだ。
まあ、その【建築精霊】も既に居ないのだが。
「ふざけるなよ」
乙女は繰り返す。先ほどと文面は同じでも、放たれた裏側に存在する感情は同じではない。激怒が―――増しているのだ。増し続けていると言っても良い。何なら、「ふざけるなよ」の「ふ」から「よ」にかけてで、既に激怒の総量が違う。彼女は黒塗りの視界の中で、〈魔王〉への憎悪を成長させ続けているのだ。
主な理由は何かと言えば、その右手が握りつぶしている一枚の紙きれにあるだろう。より厳密には紙きれそのものではなく、そこに描かれた一つの〈魔法陣〉だ。緻密に束ねられた黒色の細線たちは、今では無数の皺に覆われ、闇に溶け込んで見る影もない。しかしかつては―――確かに一種の魔法的な回路として、乙女が入力した指示文どおりの性能を発揮できたはずなのだ。
これまでの研究の集大成として作り上げた、【恋愛魔法。傑作。反・駄作。精神操作一点魔法。強・対象人物:2名。強・対象人物:1名超。強・対象人物:3名未満。対象人物Aが対象人物Bを好きになる魔法。効果期間:100年。強・強・高燃費。反・物理魔法。反・現象魔法。反・演算魔法。反・記憶改竄魔法。反・変形魔法。反・定義魔法。強・強・強・強・強・精神操作魔法。反・自己参照。反・同一人物。反・言語。】の〈魔法陣〉。
ちょっとばかし研究機関から盗み取ってきた〈魔力結晶〉。
そして、取り付けておいた想い人との逢瀬の約束。
全ては完璧なはずだった。本来であれば昨日、乙女はいつもの喫茶店で、青空の下で輝く青年の太陽のような笑顔を眺めながら、何食わぬ顔で手中の〈魔法陣〉を発動していた。そして毎夜のごとく夢見る彼を、自分だけのものにできていた。そのはずだった。
しかし。
「ふざけるなよ」
〈魔王〉がぶちこわした。ぶちこわしやがったのだ。
乙女にしてみれば、〈魔王〉の演説は極めてどうでもよかった。なんだか人類の前進には魔法時は邪魔だとかなんとか言っていたようだが、しかし彼があんなタイミングであんなことをしなければ、少なくとも乙女の恋については確実に前進していた。乙女にとって人類はどうでもよく、しかし恋はどうでもよくなかった。
その恋が危機に曝されている。
〈魔王〉の言葉は―――【自分以外が作った〈魔法陣〉をすべて無効化する魔法】を発動したという言葉は、どうやら真実だったらしい。今でも乙女がカーテンを開け、窓の向こう側に少し耳を傾けてみれば、それに関連する話題が聞こえてくるはずだ。〈魔法使い〉による手描きにせよ【〈魔法陣〉自動生成精霊】による生成にせよ、とにかく〈魔法陣〉が完成した瞬間、それが使用済みの状態に変化して使えなくなるらしい。〈常時陣〉はなぜかそれまで通り使えるというが、〈常時陣〉でできることなどたかが知れている。せいぜい新聞を清書するくらいだ。
「ふざけるなよ」
乙女の怒りはさらに強まる。
〈魔法陣〉の無効化は、既に生成済みだったものをも対象とした。握りしめられて手汗に濡れている【恋愛魔法】の陣が握りしめられて手汗に濡れているのは、そのせいだ。〈魔王〉が気取った演説を終えたその瞬間、乙女の夢を満載した極上の〈魔法陣〉は、紙切れに貼りついたちょっとした模様に成り下がったのである。
「ふざけるなよ」
乙女は〈魔王〉を殺そうと思った。彼女は恋のためなら何でもすると決意していたので、特に躊躇は無かった。恋のために何でもした結果として培われた技能が、彼女にはある。それを発揮する時だと思った。
まず、どうして〈魔王〉はわずか十日で、ここまで高度な〈魔法陣〉運用ができるようになったのか?
乙女は理由を知っている。恋愛魔法のヒントを得ようと思って指示文の盗聴を図ったときに目にした―――【老化魔法】だ。【〈魔法陣〉自動生成精霊】の縛りは「一日に使用できるのは一人一回まで」。つまり肉体を老化させて「一日が経過した」ことにすれば、何度でも生成が可能になる。乙女としても、もう少し【恋愛魔法】の開発が長引いたら、この手法を拝借しようと考えていたところだった。
次に、〈魔王〉はどうやって他者の〈魔法陣〉を無効化しているのか?
これは乙女にはわからない。ただ、「他者の」という言葉は判断材料になりうる。「他者の」〈魔法陣〉を使わせないということは、裏返せば「自分の」〈魔法陣〉は使用可能であるということだ。自分が未来にどんな〈魔法陣〉を使うかわからない以上、すべての〈魔法陣〉を一様に無効化しているということはあり得ない。しかし事実として、〈魔王〉の演説から現在に至るまでに試みられた〈魔法陣〉の作成はすべて失敗に終わっている。となると、こう考えるのが自然だろう。
〈魔王〉は、世界のどこかで〈魔法陣〉が生成されたことを検知し、それを逐一無効化するようなシステムを構築している。
それでは、と乙女は思うのだ。
「【ヴィル・テル・プル】」
暗闇と静寂が同時に破られ、光と音が空間を駆ける。
『お望みの魔法をお教えください』
世界最後の〈精霊〉が現れて、乙女にそう訊く。
それでは、と乙女は思うのだ。世界のどこかで生成されたことを検知するというなら、そもそも生成されない〈魔法陣〉はどうなるのか?
「【恋愛魔法。傑作。反・駄作。精神操作一点魔法。強・対象人物:2名。強・対象人物:1名超。強・対象人物:3名未満。対象人物Aが対象人物Bを好きになる魔法。効果期間:100年。強・強・高燃費。反・物理魔法。反・現象魔法。反・演算魔法。反・記憶改竄魔法。反・変形魔法。反・定義魔法。強・強・強・強・強・精神操作魔法。反・自己参照。反・同一人物。反・言語。自動発動魔法。反・手動発動魔法。煽情的。淫靡。】」
『【恋愛魔法。傑作。反・駄作。精神操作一点魔法。強・対象人物:2名。強・対象人物:1名超。強・対象人物:3名未満。対象人物Aが対象人物Bを好きになる魔法。効果期間:100年。強・強・高燃費。反・物理魔法。反・現象魔法。反・演算魔法。反・記憶改竄魔法。反・変形魔法。反・定義魔法。強・強・強・強・強・精神操作魔法。反・自己参照。反・同一人物。反・言語。自動発動魔法。反・手動発動魔法。煽情的。淫靡。】ですね。承りました』
『生成された〈魔法陣〉に不健全な要素を検知しました。また次回お試しください』
そして、乙女は結果に行き当たる。
彼女は決して特別ではない。ただ、少し恋に溺れているだけの乙女だ。こういう抜け道自体が、別に特別ではない。簡潔に言うなら―――〈魔王〉氏の想定は甘かった、ということだ。
「ふざけるなよ」
乙女は呟いた。そこには肥大化した憤怒のみならず、少しの高揚も混ざっていた。




