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DAY8:【すてきな夢を見られる魔法。(略)】

「どうしてくれんだよゴミクソがッ!」


 張り上げられた怒声は大きかった。〈ブラルブレル市民新聞〉が直轄運営する〈魔法陣〉印刷所は、広いか狭いかで言えば広いくらいの大きさを持っていた。それくらい大きな怒声でなければ、印刷所の全域に響くことも、それに気づいた店内の人々にはっと振り向かせることも、到底できはしないのだった。

 店員、野次馬、記者、客、客、客。そんな人々から発せられた幾多の視線たちが一斉に動き出す。それらは時折すれ違いながらも、おおむね最後には一点を向くことになる。声の主―――典型的な"柄の悪い客"そのもののような様子で激高する、正真正銘の柄の悪い客だ。

 僅かに流れた静寂の時間の先。床板に足音を反響させながら、一人の店員が客のもとへと向かう。彼女は客の正面に立つと、聞いた。


「いかがなさいましたか? お客様」

「えっ、いやあの……えっと」


 客は萎縮した。

 彼は正真正銘の柄の悪い客だったが、常に正真正銘の柄の悪い客であり続けるというわけではなかった。正直言って、先ほどの「どうしてくれんだよゴミクソがッ!」を叫んで店内を騒然とさせた瞬間に、彼の目的は完璧に達成されてしまっていたのだ。「どうしてくれんだよゴミクソがッ!」を叫んだあとは、言うほどゴミクソではないなとか、どうしてくれんだよってほど大した問題ではなかったなとか、そういう後悔が渦巻いているのみなのだった。

 しかし、客は既に後戻りできなくなっていた。

 何せ、すでに印刷所の中に怒声を満たしてしまったのだ。今や、この屋根の下の誰もが自分に目を向けている。次は何を言うのか、どんな文句があるのか。そういう期待が店内で、魔力照明の光を受けながら肥大化していくのだ。心中で渦巻く後悔、周囲で渦巻く期待。自己と他者の境界線上で発生するパラドックスが、客の精神を蝕みつつあった。

 彼は口を開く。口を開く以外の選択肢が無かったのだ。


「ま、〈魔法陣〉がッ! お前らン所で印刷した〈魔法陣〉が動かねえんだよッ! どうしてくれんだコラッ!」


 それは紛れもない事実である。

 客は昨日、何日もかけて考えていた【すてきな夢を見られる魔法】の指示文(プロンプト)をついに完成させたのだ。反・指(ネガティブプ)示文(ロンプト)、程度記法、文脈記法。この8日間で人々が培ってきたテクニックを集結させたような、長大にして高度極まる指示文(プロンプト)だった。客は意気揚々とそれを【〈魔法陣〉自動生成精霊】に伝え、流れ込んでくる〈魔法陣〉の情報量の多さに気絶し、目覚め、まだ頭の中に残っているそれを、そこそこ高い料金を払いつつ、この印刷所で紙に写した。あまりに内容が緻密すぎて、もう少し小さな紙ならきっと潰れてしまうほどだったが……とにかく写した。そうしてできた〈魔法陣〉が写された紙を、至極大事そうに抱きかかえ、慎重に自宅まで輸送した。帰宅して玄関の扉を綴じると、期待に胸を躍らせながら、意気揚々と準備を始めた。【浄化精霊】を使ってベッドを最高のコンディションに保った。お気に入りの毛布を用意した。時間帯も丁寧に考えた。カーテンの閉め方にすら気を使った。そうして潜り込んだ寝床で、〈魔法陣〉に魔力を注ぎ込みながら、ゆっくりと、まどろみの中へと落ちていった。そして、突如として現れた巨大な蜘蛛に八つ裂きにされる夢を見た。蜘蛛は思わず総毛立つような詳細な質感で描写されていて、しかも巨大だった。

 ……という話を詳細にすれば、果たして自分はどのような目を向けられるか。客はそういったことにある程度自覚的だったので、言葉を濁した。しかし店員の眼光はどこか鋭く、まるでそういった企みすら見透かしているかのように見えて、客は少々怖気づいた。


「その〈魔法陣〉とは」


 ゆらり、と。店員が姿勢を変じてみせる。それは言うなれば、少し足の組み方を変えるとか、その程度のものだった。しかし、客の恐怖をなお煽り立てるような何かがあった。


「どのような内容のものでしょうか?」


 来た。客は思った。気付けば握りしめた右手は汗でぐっしょりと濡れている。それは緊張の汗。こう言えば、相手は絶対に「内容」を聞いてくる―――そう見越し、予期された関門に対する緊張を覚えることで生み出された汗なのだ。彼は既に、この質問にどう答えてやろうか考えていた。とうぜん、【すてきな夢を見られる魔法】とそのまま答えるわけにはいかない。なら、多少ぼかした言い方をすればいい。


「な、なんだよ。……精神操作系だッ!」

「それでは」


 店員が、また姿勢を変じた。その長髪が揺れるさまはなんだか不気味で、客はいっそう怖くなった。


「それではわかりません、お客様。より具体的にお願いできますでしょうか」


 来た。客は思った。汗はいっそう量を増して、掌の中で小さな湖を作っている。最初の言葉の情報量を極端に減らせば、店員は「より具体的に」と聞いてくる。そう予想していて、当たったのだ。こうすれば、最初に出せるギリギリの情報を渡すよりも、【すてきな夢を見られる魔法】を狙われる可能性が小さくなる。読みが当たった。彼は虚勢を張り、口を開く。


「……自分を対象(・・・・・)にした精神操作魔法だッ! これ以上は話さねえぜ!」

「なるほど」


 店員は相槌を打った。

 客はその姿を見て更に汗をかいた。

 彼は正直、逃げたかった。冷静に考えて全く話を続けるメリットが無かった。【すてきな夢を見られる魔法】が失敗に終わったのは事実だが、流石に印刷所のせいにするのは無理筋だった。魔力を流すことができる以上、印刷された〈魔法陣〉は明確に陣として成立していたのだ。印刷所の仕事がでたらめだったとすれば、そもそもまともな陣が出てくることすらない。つまり文句を言うべきは、印刷所よりも【〈魔法陣〉自動生成精霊】だった。というか、【〈魔法陣〉自動生成精霊】にすら文句を言えるか怪しかった。先ほどまでは頭に血が上っていて、そんなことにすら気付けなかったのだ。

 しかし後には退けない。店員は彼のことを柄の悪い客だと思い込んでおり、思い込まれている以上彼の側もそう振る舞わなければならなかった。


「お客様。申し訳ございませんが、それは我々の仕事とは特に無関係に発生した事象でしょう」


 店員が口を開いた。客は出口を見つけたような感覚を覚えた。


「自分を対象にした魔法ではありがちなのです。〈魔法陣〉の力……自己暗示などのせいで、〈魔法陣〉に魔力を流すのを途中で止めてしまう」


 良いぞ、と思った。この調子で店員が正論を言ってくれれば、自分は悪者(・・)になることができる。


「〈魔法陣〉は一度しか発動できないでしょう? ……発動中に魔力供給が止まれば、あとから再開するなんてこともできません。魔法の効果によって魔法が中断される、言うなれば魔法の自殺(・・・・・)ですね」


 ここだ。客は確信した。


「うるせえんだよォォォォッ!」


 彼は店員に殴りかかる振りをした。どよめきは走らなかった。柄の悪い客というのは、絶対にこういう場面で殴りに行くと決まっているからだ。店内の誰もが「殴るだろうなあ」と思っており、その通りになった。それだけのことだ。


「……はぁ。【レ・ジ・カ】」


 店員が【微風精霊】の〈詠唱〉を始めたことにも、やはりどよめきは走らなかった。柄の悪い客というのは、絶対にこういう場面で返り討ちに遭うと相場が決まっているからだ。店内の誰もが「返り討ちにするだろうなあ」と思っており、その通りになった。それだけのことだ。

 しかし。


「は?」

「え?」


 その結果(・・)は、明らかなどよめきを生んだ。

 客は拳を空中で止めた。見えない壁に阻まれたからではない。自分が返り討ちに遭うだろうと予想していたのに、遭わなかったから止めたのだ。

 店員は目を見開いた。


「【レ・ジ・カ】」


 もう一度呟いても、やはり【微風精霊】は現れなかった。

 【微風精霊】はもっとも召喚難易度が低いとされる〈精霊〉だ。魔法を教わる子供の大半は、【レ・ジ・カ】の〈詠唱〉を最初に記憶する。そういうことになっている。その最も低い召喚難易度が、なぜか、超えられなかった。


「【レ・ジ・カ】!」


 広がる騒めきの中で誰かが呟いた。【微風精霊】は現れなかった。


「【ポル・リ・ヤ】!」


 別の〈精霊〉も試された。【石礫精霊】は現れなかった。

 恐怖は、もはや柄の悪い客だけのものではなかった。〈精霊〉がなぜか呼び出せない。喧騒が畏怖の表情を持って、あちらこちらで波を打つ。誰かが印刷所の外から駆け込んできて、出てもだめだと大声で告げた。柄の悪い客はこっそり拳を下ろすと、すごすごと帰っていった。みんな、自分が知っている数種の〈精霊〉を試した。全部だめだった。彼らは恐怖した。何が一番怖かったかといえば、


「【ヴィル・テル・プル】」

『お望みの魔法をお教えください』


 そのもっとも凶悪な〈精霊〉だけが、どこから見ても無事だったことだ。

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