⑥
それから昼食までの時間、私たちはたくさんの話をした。
ヘンリックから前世についての質問に私が答えることが多かったが、ヘンリックは彼自身のことも教えてくれた。
ヘンリックは、実はフューゲル侯爵家の親戚から引き取られた養子なのだそうだ。
侯爵家には一人娘がいて、将来は婿を迎えて家を継ぐ予定だったのだが、娘は他国から視察に来ていた青年と恋に落ち、駆け落ち同然に嫁いで行ってしまった。
それで後継となる養子に選ばれたのが、当時八歳のヘンリックだった。
「私は長男で、下に弟と妹が合計五人もいたんです。
あまり裕福な家ではなかったので、このままではろくに教育を受けさせることももできないと、資金援助と引き換えに両親は私を手放すことを選びました」
「そうだったのですか……」
眉目秀麗で騎士としても優秀なヘンリックだが、その生い立ちはなかなか複雑なようだ。
「そして、ここらが重要なところです」
ヘンリックは僅かに私の方に身を乗り出した。
「後継となるため侯爵家の養子になった私ですが、侯爵家を私が継ぐことはありません」
「え? どういうことですの?」
私は目を丸くして首を傾げた。
「駆け落ちした侯爵家の一人娘は、嫁ぎ先で幸せに暮らしていたそうなのですが、数年前に夫婦そろって事故死してしまったんです。
娘にはまだ幼い男の子がいたので、養父母は喜んで引き取りました。
こうなると、私ではなく血がつながった孫に家を継がせたいと思うのは当然の流れです」
「そ、それは……」
理解はできるが、それではヘンリックの気持ちはどうなるのか。
侯爵家を継ぐために、きっと頑張っていただろうに。
「この話をすると皆がそんな顔をするのですが、私からしたらそう悪い話ではないのですよ」
「そうなのですか?」
「孫……私からしたら義理の甥になるわけですが、あの子が引き取られて来た時、私は既に騎士としての腕を認められて、第二王子殿下の護衛騎士になっていました。
殿下は、私の主というだけでなく、親しい友人でもあります。
私はこの仕事を気に入っているのですが、家を継いで侯爵になったらさすがに続けることはできません。
甥を後継にするという話は、私からすれば渡りに船のようなものだったのですよ」
なるほど、そういう理由なら納得できる。
家を継いだら領地経営や社交などが主な仕事になるわけだが、彼としてはそういったことより護衛騎士の方が性に合っているのだろう。
そのあたりは、向き不向きと個人の好みの問題だ。
「予定していた未来は変わってしまいましたが、私は侯爵家の養子になってよかったと思っています。
おかげで、私の弟と妹たちはきちんと学校に通うことができたそうですから。
後継でなくなった今も、養父母は私を気にかけ大切にしてくれています。
早く結婚しろとせっつかれるくらいですからね」
そう言って微笑むヘンリックには、暗い影は見当たらない。
複雑ながらも周囲に恵まれ、真っすぐに育ったのだということがよくわかる。
やはり、彼は契約結婚の相手としてこの上なく理想的だ。
彼が侯爵家を継がないのなら、結婚後に私が侯爵夫人としての教育を受ける必要もいないわけだ。
執筆に集中したい私からすれば、とてもありがたいことだ。
エルヴィンも殺気を発していないことから、ヘンリックに対し悪い印象は抱いていないらしい。
そうこうしているうちに、マリアンネが昼食をカートに乗せて運んできた。
「今日の献立は、中にチーズが入ったハンバーグ、シーザードレッシングのサラダ、カボチャのポタージュスープ、茸のマリネ、それからパンです。
パンだけは普通ですけど、他は私のアイデアを元に美味しくなるよう料理人が頑張ってくれたレシピになっています」
「これは……肉、ですよね?」
「細かく切った肉に、スパイスや卵などを混ぜ合わせて、中にチーズを包み込んだ状態の塊にして焼いたものです」
「細かくしたのを、また塊にして……?」
塊肉のまま焼いた方が簡単なのでは?とヘンリックの顔に書いてある。
ハンバーグのことを説明した時の料理人も同じような顔をしていた。
「まぁとにかく、召し上がってみてくださいな。
そうすれば、そんな手間をかけた意味がおわかりになると思いますから」
毒味も兼ねて私が先に一口食べて見せると、ヘンリックもナイフとフォークでハンバーグを切り分けて食べた。
そして、アップルティーの時よりももっと大きくエメラルドの瞳を見開いた。
「……これは、驚きました。
中に入っているチーズが、肉とほどよく調和していますね」
「ふふ、そうでしょう。他のお料理もお口に合うといいのですけど」
ヘンリックは優雅な手つきながら、私の倍以上の速度で料理を平らげていく。
どれも気に入ってくれたようで、最後にデザートとしてだされたコーヒーゼリーまでしっかり完食した。
「どれもこれも、今までに食べたことのない料理ばかりでした。
王城の晩餐会で供される料理よりも美味しかったと思います」
「満足していただけたようでなによりですわ」
私は食後のお茶を飲みながら、微笑んだ。
「それで?
私が前世の記憶を持っていると、信じていただけましたでしょうか?」
今日のヘンリックの訪問は、それを確かめるのが目的だった。
正直なところ、『新しいジャンルの小説』と『目新しくて美味しい料理』だけで、そんな突拍子もないことを信じてもらえるとは思っていない。
ここで大切なのは、本当に前世の記憶があるかということではなく、私がどういう人物であるかということを理解してもらうことなのだ。
少なくとも、それはある程度成功しているとはずだ。
「信じたい、と思っていますよ。
かなり説得力がありましたからね。
そうでなくても、きみがとても優秀であることはよくわかりました。
契約結婚する相手として申し分ないということもね」
私の意図はしっかりと伝わっているようで、ヘンリックも微笑みを返してくれた。
「次にお会いする時は、契約結婚をするにあたってのお互いの条件をすり合わせる、ということでいかがでしょう」
「ええ、そういたしましょう!」
契約結婚に前向きになってくれているヘンリックに、私はやや前のめり気味になりながら応えた。
彼が私の本を読んでみたいというので、特に有名なものを三冊ほど進呈することにした。
「今日はお招きいただきありがとうございました。
驚くことばかりでしたが、久しぶりに楽しい時間を過ごすことができました」
「こちらこそ、楽しかったですわ。
またご招待いたしますわね」
「是非お願いします」
別れ際に、ヘンリックは優雅な仕草で私の手の甲にキスをした。
そして、チラリと私の背後に控えるエルヴィンとマリアンネに目を向けた。
「クラリッサ嬢は、いい使用人を持っていますね。
二人とも、私をずっと警戒しています。
特に彼のほうは、いざとなったら私を殺すのも躊躇わないくらいの心構えでいるようです」
騎士であるヘンリックには、エルヴィンの押し殺した殺気も感じ取れるのだろう。
というか、マリアンネまでそんなに警戒していたのか。
「申し訳ありません、後で叱っておきますわ」
「いえいえ、むしろ褒めてあげてください。
主人を守ろうとするのは、使用人として当然のことです」
どうやら、エルヴィンとマリアンネも高評価を得ているようだ。
二人が褒められるのは、私も嬉しい。
「契約結婚などということ以前に、場合によってはきみを我が家で保護しようと思っていたのですが、彼が傍にいるならその必要もなさそうですね」
「まぁ、そこまで考えていてくださったのですか」
「私は騎士ですからね。
か弱い女性が害されるのを見過ごすことはできません」
柔らかく微笑むヘンリックだが、そのエメラルドの瞳には熱も情念も劣情も宿っていない。
下心も何もなく、私を助けようとしてくれていたのだ。
やっぱり、彼は純粋にいい人であるようだ。
去って行く馬車を見送りながら、ヘンリックに出会うきっかけをくれた弟に、私は生まれて初めて感謝した。
「それで? どう思った?」
私室に戻ってから、私はエルヴィンとマリアンネに尋ねた。
「思ったより素敵な方でしたわね。
お姉様の隣に立っても、あの方なら見劣りしないでしょう」
相変わらずマリアンネの私に対する贔屓目は果てしない。
「腕が立つ騎士というのは本当のようだ。
ただし、俺よりは弱い」
エルヴィンはというと、マリアンネより現実的ではあるが、その視点はどうなのかと思う。
「お兄様より強い人なんて、この国にはいないと思いますわよ」
「そんな人じゃないとダメだというなら、他の大陸にでも行くしかないわね」
私とマリアンネに、エルヴィンはそうではないと首を横に振った。
「あの男なら、誰かがお嬢を社会的に害しようとしたら守ってくれるだろう。
それだけの地位も力もある。
だが俺よりは弱いから、俺ならお嬢をあの男から物理的に守ることができる」
過保護なエルヴィンに、マリアンネも大きく頷いた。
「立場もあって、ある程度強くて、でもお兄様よりは弱い。
そういう意味でも、お姉様の契約結婚相手にはちょうどいいと思いますわ」
私は二人を交互に見た。
「じゃあ、ヘンリック様は合格ってことでいいのね?」
「及第点ですわね。
私はアリだと思いますわ」
「お嬢はしたいことをすればいい。
いざとなったら、俺がお嬢とマリーを連れて逃げればいいんだからな」
エルヴィンもこんなことを言っているが、ダメだと思うなら断固反対するはずなので、つまりはマリアンネと同じ及第点をヘンリックにつけたということだ。
この二人が反対するなら、私はヘンリックとの契約結婚を諦めるつもりだった。
それくらい、私は二人のことを信頼し、大切に思っている。
「では、契約結婚の条件を決めなくてはね。
二人とも、遠慮なく意見を出してちょうだい」
私たちはお茶を飲みながら、真剣に議論を続けた。




