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「お姉様……本当にこれでいいのですか?」


 簡素だが着心地のいいデイドレスに身を包む私の髪を、普段通りの三つ編みにしながら、マリーが不安気な顔で訪ねてくる。


「結婚したら三年は一緒にいることになるのだから、さっさと素を晒してしまったほうがいいのよ。

 猫を被り続けるのは疲れるんだもの」


 ヘンリックに送ってもらう際、「できるだけ早く前世の記憶があるという証拠を見せてほしい」と言われたので、急ではあったが早速翌日に招待することになったのだ。


 せっかくだから猫を被っていない普段通りの姿をお見せしましょうかと提案すると、ヘンリックもそれに乗ってきた。

 あんな顔で、意外と好奇心が強いタイプなのかもしれない。


「いくら立派な騎士様だからって、昨日会ったばかりの方にお姉様の秘密を明かすなんて……私、心配です」


「大丈夫だ、マリー。

 その男がお嬢になにか悪さをするようなら、俺がさっさと始末するから」


 可愛い顔を曇らせたままのマリーに、エルヴィンはなんとも物騒なことを言う。


「もう、二人とも落ち着いて。

 ちゃんと護身用の魔法具を持ってるんだから、大丈夫よ」


 私がいつも足首につけている細いアンクレットは、エルヴィンが真心と魔力を最大限に籠めて造った私専用の魔法具なのだ。

 これを使って眠らせた昨夜の不埒な男は、今もまだ眠り続けているだろう。


 ほんの少しだけ頬に白粉をはたき、化粧も終了だ。


「さて、これでできあがりよ。

 お茶と昼食の準備はできているわね?」


「はい、抜かりなく。

 さっき厨房で確認してまいりました」


「ありがとう。

 ヘンリック様のお口にあうといいのだけど」


「お姉様、そこに関しては私も心配しておりませんわ。

 アレを嫌いだという方はいらっしゃらないと思います」 


 お茶も昼食も、前世の知識を利用したものを提供することにしている。

 皆にはとても好評なので、ヘンリック様にも喜んでもらえると思う。


 そうこうしていると、扉が外からノックされ、ヘンリック様が到着したことが伝えられた。


「マリー、あなたはいつも通り極力目立たないように。

 エルは、殺気を抑えてね」


「はい、お姉様」


 応えながらマリーは大きめのメイドキャップを目深に被って完全に髪を隠し、黒縁眼鏡をかけた。


「……努力はします」


 エルヴィンも同じような黒縁眼鏡をかけ、さらに前髪を目が隠れるぎりぎりくらいまでおろした。

 

 実はかなり整った顔をしているこの二人は、厄介事を避けるために私以外の前では素顔を見せないようにしている。

 そんな窮屈な生活も、キルステン伯爵家を出たら終わりにできるだろう。


「いらっしゃいませ、ヘンリック様。

 お待ちしておりました」


 馬車から降りてきたヘンリックを出迎えると、エメラルドの瞳が驚いたように見開かれた。

 昨夜の夜会用に着飾った私と今の私では大きく印象が異なるから、無理もない。


「昨日以来ですね。

 陽の光の下で見るクラリッサ嬢も美しい」


 それでも、すぐにこんな歯の浮くようなセリフを返してくるあたり、さすがだと思う。

 そして、こんなセリフすら様になってしまうのだから、顔がいい男というのは得なものだ。


「まぁ、お上手ですわね」


「本当のことですよ。

 きみの前では霞んでしまいますが、我が家の庭で一番美しい花をお持ちしました」


 差し出されたのは、薔薇とガーベラの可憐な花束だった。


「わぁ、きれい! ありがとうございます!」


 一番美しいのはヘンリックの顔だと思いつつ、私は花束を受け取った。

 きれいな花束を贈られるのは、単純に嬉しい。


「中へどうぞ。

 私の部屋にご案内いたしますわ」


 私は自然に差し出された手をとりエスコートを受けながら、私室へと向かった。

 通常、来客はサロンか応接室に通すものだが、今回のヘンリックの訪問はそれだと都合が悪いのだ。

 ヘンリックもそれを察したらしく、黙ってついてきてくれた。


「狭いところですが、どうぞ寛いでくださいね。

 マリー、これを花瓶に生けてくれる?

 エルは、お茶をお願いね」


 ヘンリックをカウチに座らせ、私も向かい側に座った。

 

「ところで、あれから弟さんは?」


「弟はまだ帰宅しておりません。

 今頃どこぞの娼館で眠りこけているのだと思いますわ」


「そうですか……

 またクラリッサ嬢になにかするんじゃないかと、心配していたんですが」


「あら、心配してくださっていたのですね」


「あたりまえです。

 血の繋がった家族とはいえあんな男が同じ家にいるなど、危険極まりないではありませんか」


「大丈夫ですわ。

 家族は誰も知りませんけど、実はこの家の使用人は全員私の味方なのです」


 亡くなった祖母を慕っていた使用人たちは、横暴で自分勝手な両親と弟に対する忠誠心はとっくの昔に枯渇している。

 もちろん、雇われの身だからそれを態度に表すことはないが、私をさりげなく家族から見えないように遠ざけ、攻撃されることがないよう守ってくれているのだ。


「それに、そこにいる私の侍従は護衛も兼ねています。

 弟が百人いたって、彼一人で叩きのめしてくれますわ」


 ヘンリックはお茶を淹れているエルヴィンにちらりと目を向けた。

 エルヴィンは侍従のお仕着せを着ているが、騎士として鍛えているヘンリックよりも大柄な体躯をしている。

 ヘンリックは優美だが、エルヴィンは精悍といった印象だ。

 とはいえ、それは私がエルヴィンの素顔を知っているからで、ヘンリックはエルヴィンをただ野暮ったくて厳つい侍従だと思っていることだろう。

 

「そんなに強いのなら、是非手合わせを願いたいものですね」


「私たちが契約結婚をした暁には、そんな機会もあるでしょう。

 彼とそこにいるメイドは連れて行くつもりですから」


 実際に手合わせをしたら、ヘンリックはきっと驚くことだろう。

 それくらいエルヴィンは強い。


「さて、では早速ですが、私に前世の記憶がある証拠をお見せしましょう」


 私が合図をすると、マリーが予め準備しておいたものをテーブルに並べた。


「これは?」


「私が書いた小説ですわ」


 ヘンリックはまたも驚きに目を瞠った。


「これが四年前に書いたデビュー作です。

 獣の耳と尻尾がある獣人たちが住む国の王様に、人間の国から嫁いで王妃になった令嬢が主人公になっています。

 獣人というの新しいジャンルを創り出したと話題になりました。

 それから、これは十回も重版になった私の本の中では一番有名な作品です。

 竜が人間の国のお姫様に恋をして、人間に化けてお姫様に会いに行って仲良くなるんですど、竜が少し離れている間に隣の国がお姫様のいる国に攻め込んできて、お姫様が攫われてしまうんです。それで竜が怒って」


「待って、待ってください」


 慌てた様子のヘンリックが私を遮った。


「読んだことはありませんが、いくら私でもその本は知っています。

 歌劇になったくらい有名ではありませんか」


「そうなんです。

 有難いことに、歌劇団のオーナーの目に留まったんです。

 おかげで売上がぐんと伸びましたわ」


「この作者……ユカリ・シキブというのは、クラリッサ嬢なのですか?」


「はい。

 前世の私の名前と、とても有名な作家の名前からつけたペンネームです」

 

 日本人だった頃の私の名は、松島|紫≪ゆかり≫だった。

 烏滸がましいとは思いつつ、同じくらい有名になれたらなという希望もこめて、紫式部と私の名をもじったペンネームにしたのだ。


「と、口で言うだけでは信じていただけないと思いますので、出版社と交わした契約書をお持ちしました。

 それから、こちらは書きかけの原稿です」


 ヘンリックは私が差し出した書類を手に取ると、慎重に目を通し始めた。


「前世の私も本を読むのが大好きで、それが高じて自分でも小説を書いていたんです。

 いくつかの作品が好評を得て、出版社から本を出さないかって打診が来ていたんですけど、実現する前に死んでしまいました。

 それが心残りで、また思いつくままに書いてみたら、いつに間にやら本になることになっていたんです」


 前世では、素人が書いた小説を投稿できる小説投稿サイトというものがあった。

 私はコツコツと小説を書いては、ひっそりとそこで公開するのが趣味だったのだ。

 

 ただし、それはあくまで前世の話だ。

 今世にはそんな便利なものはないし、私が得意とするロマンスファンタジー系小説は調べた限りではこの国にはないジャンルなので、受け入れられるとは思っていなかった。

 だから完全に趣味のつもりで書いて、マリアンネとエルヴィンにだけ読ませていたのに、私が知らない間に二人が共謀して出版社に原稿を送りつけていた。

 書籍化が確定し担当までついてから知らされた私は、死ぬほど驚き、同時に飛び上がって喜んだ。


 前世で叶わなかった夢が、生まれ変わってやっと実現したのだ。

 二人にはとても感謝している。


「……原稿はよくわかりませんが、契約書は本物のようですね。

 ご家族はこのことを知っているのですか?」

 

「まさか!

 私がユカリ・シキブだということを知っているのは、私とそこにいる二人だけです。

 編集担当の方とは侍従経由で手紙でやりとりしているので、私の正体を知りません。

 小説家としての収入は、これまた侍従が管理している隠し口座に全額貯金してありますので、結婚後もヘンリック様に金銭的負担はかけるつもりはございません」


「私と契約結婚などしなくても、今すぐ独立できるのではありませんか?」


「可能ではありますけど、絶対に両親と弟が引き留めようとするでしょうから、それが面倒で。

 かといって、なにも言わずに出奔したりしたら捜索願が出されたりして、また面倒なことになりますわ。

 ヘンリック様のような立派な騎士様と結婚できたら、家族にギャフンと言わせつつ穏便に家を出ることができるので、とっても理想的なのです」


「そうかもしれませんね。

 私なら、侯爵家令息という身分もあります。

 キルステン伯爵家からしても、理想の嫁ぎ先といえるでしょう」


 言いながら目の前に置かれたティーカップを手に取り、なにも考えずに中身を口にしたらしいヘンリックは、一口飲んで目を丸くした。


「いい香りでしょう? 林檎の皮を茶葉と一緒にポットに入れてあるんです」


 見た目は普通の紅茶だが、飲んでみると林檎の甘い香りがする、私のお気に入りのお茶だ。

 バルテン王国では、紅茶は産地などによる種類があるが、ハーブティーはほとんど知られておらず、果物をいれたお茶はおそらく存在しない。


「もしかして、これも前世の記憶によるものですか?」


「その通りです。

 とはいえ、私はアイディアを出すだけで、実際のブレンドは侍従にまかせっきりなのですけど。

 私と契約結婚したら、美味しいお茶が飲み放題になりますわよ」


「……正直、ものすごく心惹かれますね」


 ヘンリックは好奇心を隠せないといった目を私とエルヴィンを見比べた。

 エルヴィンは無表情のままそれを受け流し、マリアンネは気配を消して壁際に控えている。

 

 ヘンリックが私を見定めようとしているように、エルヴィンとマリアンネもヘンリックを私の契約結婚の相手として相応しいか見定めようとしているのだ。


「よろしければ、昼食をとっていかれませんか?

 前世の記憶を元にしたお料理を準備してありますの。

 味は保証いたしますわ」


「いいですね。是非お願いします」


 エメラルドの瞳が期待に輝いた。


 予想以上にとても好感触で、私も期待に胸を膨らませていた。


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