㉔ エルヴィン視点
「母さん、俺の父さんってどんな人だったの?」
「とても優しい人だったわ。
母さんの幼馴染だったのよ」
「俺、父さんに似てる?」
「顔立ちは母さん似だけど、他は父さん似ね。
あの人も、黒髪で青い瞳だったわ」
母は優しく微笑んで、父と同じ色だという俺の黒髪を撫でた。
母は俺から見ても美しい人だった。
そのおかげで、伯爵様に見初められ愛人になったのだ。
それがどういうことか、成長するにつれ俺にも理解できるようになった。
俺の父は、俺がまだ赤ん坊のころに亡くなった。
母は俺を育てるために、心の中ではまだ父を愛していながらも愛人になることを選んだのだ。
とはいえ、それはどちらかといえば幸運なことだったのだと思う。
母は体が弱くあまり働けないし、愛人になれなかったら今頃俺も母も野垂れ死にしていたかもしれない。
それに、可愛いマリアンネを授かったのだから、きっと母の選択は正しかったのだ。
伯爵様のおかげで俺たちはひっそりと穏やかに暮らしていたのだが、そんな生活も母が亡くなったことで一変した。
俺とマリアンネは伯爵様に大きな屋敷に連れて行かれ、そこで伯爵様の別の家族に引き合わされた。
俺たちが友好的ではない視線を向けられているというのに、伯爵様は俺たち二人を残してさっさと屋敷を去ってしまった。
かつては足しげく母の元に通っていたという伯爵様だが、マリアンネが生まれた頃から次第に足が遠のき、ここしばらくは数か月に一度おとないがあればいいうちだった。
それでも援助は続いていたので、母も俺たちも伯爵様に感謝こそすれ不満に思うことなどなかったのだが、これはあんまりだ。
伯爵様は、母を亡くした俺たちに少しも興味がないのだ。
俺はともかく、マリアンネは血を分けた実の娘だというのに。
怯えてしがみついてくる妹を抱きしめながら、俺も不安で泣きそうだった。
そんな時、たった今伯爵様の娘だと雑に紹介された女の子が俺たちに駆け寄ってきた。
「あなたたちは、今日から私のものにするわ!
こっちにいらっしゃい!」
艶やかな銀髪の可愛らしい女の子だった。
マリアンネと同じ澄んだ紫の瞳には、はっきりと俺たちを気遣う色がある。
この女の子は、俺たちを憎んではいないようだ。
そう思った俺は、女の子に手を引かれるままについていき、そこで俺の直観は正しかったことがわかった。
クラリッサという名のお嬢様は、俺たちを家族だと言い居場所を与えてくれた。
それだけでなく、俺たちに勉強や鍛錬をする機会までくれて、本当に家族として扱ってくれた。
可愛くて優しくて聡明なお嬢に、俺が特別な感情を抱くようになるのは、引き取られてすぐのことだった。
マリアンネはお嬢の異母妹だが、俺とお嬢は他人だ。
そんな俺だからこそ、お嬢と本当の家族になる方法がある。
きっと、いつか……そう思いながら、俺はお嬢の隣に立つのに相応しい男になるために励んでいた。
それなのに、俺が無力だったせいで、お嬢とマリアンネを危険に晒してしまった。
結果として魔法が使えるようになったが、俺の心には深い後悔が残った。
突然姿が変わったことにパニックを起こした俺を宥め、落ち着かせたのはお嬢だった。
もしあの姿を他人に見られていたら、俺は実験動物にされていたかもしれない。
俺は、またお嬢に助けられたのだ。
あんな異形の姿を見たのに、お嬢は俺を全く怖がることなく、それまでと変わらず接してくれた。
そんなお嬢を守るためにと密かに訓練を重ね、俺は膨大な闇属性魔力を自在に使いこなせるようになった。
かなり大変だったが、お嬢とマリアンネを守るためだと思えば頑張れた。
俺に秋波を送ってくる女もいたが、お嬢以外の女には少しも食指が動かなかった。
俺の胸を熱くするのは、お嬢だけなのだ。
とはいえ、お嬢は男嫌いなので、強引に迫ったりしたら嫌われてしまうかもしれない。
そうならないように、俺は慎重に恋情を隠し、マリアンネと同じような家族として接していた。
そんなお嬢も年頃になり、そろそろ出奔したほうがいいかと思っていたある日、お嬢は弟と実母により夜会に連れ出された。
お嬢の弟ヨーゼフは俺のことを怖がっているから、嫌がらせはしてもお嬢に危害を加えることはないと思っていたのに、俺の考えが甘かった。
表情には出さずとも死ぬほど悔やんでいた俺に、お嬢は涼しい顔で「契約結婚する」と言い出した。
そして現れたのは、無駄にキラキラした男だった。
体つきと身のこなしから、それなりに腕が立つということはすぐにわかった。
お嬢と話をしている様子からも、悪い男ではない。
「お兄様、本当にいいのですか?」
俺の気持ちを知っているマリアンネは、お嬢のいないところで俺にそんなことを聞いてきた。
「さっき言ったとおりだ。
お嬢はしたいことをすればいい。
なにかあれば、俺が連れて逃げるだけだ」
出奔するにしても、できればしっかり準備を整えてからの方がいいに決まっている。
キルステン伯爵家に住んでいては、どうしても行動が制限されてしまうため、どうにかできないかと思っていたところだ。
三年もあれば今より資金も増えるし、お嬢は自由に未来を選ぶことができるだろう。
「それはそうですけど……
あの方がお姉様を好きになるかもしれませんわ」
「そうならないよう、牽制すればいいだけだ。
今までとなにも変わらない」
お嬢の傍にいて、その魅力に気づかない男などいない。
屋敷の中では、俺は慎重にそうなりそうな男をお嬢に近寄らせないようにしていた。
もしあの男がお嬢になにかしようとしするなら、俺の鉄拳がうなることになる。
「伯爵家を出るのは、俺たちにとっても悪いことではない。
おまえの嫁入り先が見つかるかもしれないしな」
「もう、お兄様ったら。
私はず~っとお姉様と一緒にいるって、いつも言っているではありませんか。
結婚なんか興味ありません!」
伯爵様に見捨てられ、俺はともかくマリアンネは深く傷ついた。
小さい頃はそうでもなかったのだが、お嬢の男嫌いに引っ張られてマリアンネも男と見れば警戒するようになってしまった。
兄としてはできれば結婚して幸せになってほしいと思いつつも、本人がそれを望まないならしかたがない。
これまで通り、お嬢と三人で暮らしていけばいいだけだ。
三年なんてあっという間だ。
その後で、柵から開放されたお嬢を俺のものにするのだ。
と思っていたのだが、いざお嬢が契約結婚してみると、マリアンネとヘンリックが恋人になるという驚くべき展開が待っていた。
ヘンリックはお嬢の相手としては論外であるものの、妹の相手とするなら悪くない。
地位も力も金もあり、なにより心からマリアンネを愛しているのだ。
お嬢は二人を祝福し、俺も同じように祝福しながらも次は俺の番だと自分に言い聞かせていた。
ヘンリックと妹が愛を育んでいるのを横目に、俺はお嬢と話し合いながら円満離婚後の綿密な計画をたてていた。
明るい未来に、俺たち全員が希望に胸を膨らませていたのだ。
それなのに、四人での穏やかながら楽しい生活がもうすぐ終わりに近づいてきたころ、自称聖女に俺たちの計画は引っ掻き回されてしまった。
もちろんそれにも腹が立ったが、自称聖女が前世のお嬢を殺した女だと知らされて、怒りに目が眩みそうになった。
もしお嬢の計画が上手くいかなかったら、俺の考えうる最も残酷な死を与えてやろう。
そう思っていたのだが、やはりお嬢は俺より一枚上手だった。
エグいというかなんというか……あんなことを思いつくお嬢を、俺はもっと好きになってしまった。
俺はお嬢の指示通り、自称聖女におまけをつけて元の世界に送り返してやった。
その後どうなったのかという結末を見届けることができないのは残念ではあるが、もうアレに煩わされることがないと思うといい気分だった。
俺はお嬢を抱えて夜空を駆け、王都の外の林の中にある数日前から借りているコテージに向かった。
ここに俺たちの荷物が運び込んであるのだ。
「はぁ、やっと終わったわね。
ありがとう、エル。
全部あなたのおかげよ」
「俺は、俺にできることをしただけだ。
礼など言う必要はない」
「そんなわけにはいかないわ。
私が計画したことだけど、結局はあなたの能力ありきの計画だったんだもの」
「俺のこの能力は、お嬢のためのものだ。
いくらでも好きに使っていいんだぞ」
「もう、エルったら。そんなことしないわよ」
言いながら、お嬢は髪をまとめていたヘアピンを次々と外してテーブルに置いていく。
銀色の髪がさらさらと背中に流れるのを見ていると堪らなくなって、小さな体を後ろからぎゅっと抱きしめた。
「エル?」
「お嬢。今まで溜めてあった俺へのご褒美を、これから全部まとめてもらうことにする」
「え? ご褒美?」
「王城の広間での誓い……俺は、本気だからな」
今日から俺はお嬢のもので、お嬢は俺のものなのだ。
もちろん、無理強いするつもりはない。
だが、逃がすつもりもない。
これからじっくり時間をかけて、お嬢の全てを俺のものにするのだ。
マリアンネを口説くヘンリックを間近で見ていたから、どうすればいいかはだいたいわかる。
「え、える……?」
「愛しているよ、クラリッサ。
これからも、ずっと一緒だ」
俺は生まれて初めて、銀色の髪に口づけをした。
次回最終話です。




