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「はぁ? エルが魔王? こんな時に、なにを言ってるんだよ?」
意味が解らないといった顔をするヘンリック。
無理もないとは思うが、状況的にエルヴィンがその漫画に出てきた魔王なのだと私も思う。
「……今から証拠を見せる。驚かないでくれ」
エルヴィンはため息をついてカウチから立ち上がると、目を閉じて意識を集中した。
じわじわと白皙の頬が色を変えていく。
同時に、エルヴィンの背中から黒い靄が溢れだし、大きな黒い翼へと姿を変えたころには、エルヴィンの肌は褐色に染まっていた。
瞼を開くと、いつもの澄んだ青い瞳ではなく金色の瞳が現れた。
ついさっきヘンリックが口にした、魔王の姿そのものだ。
「エ……エル⁉ なんだよそれ⁉」
カウチから転げ落ちそうなくらい驚くヘンリックを、隣でマリアンネが支えた。
「おそらくだが、俺は魔族の先祖返りなんだ」
かつて、この大陸には魔族と呼ばれる人たちがいた。
人間に比べ圧倒的に豊富な魔力をもち、今のエルヴィンのように翼があったり角が生えたりしていたそうだ。
ただ、繁殖力が弱かったため、次第に数を減らしていき、最後の一人が亡くなったのは今から五百年ほど前だと記録されている。
「先祖返り……そんなこと、あり得るのか……?」
「それ以外に説明がつかないだろ」
「ということは、マリア……もしかして、きみも?」
「いいえ、私は違うわ。
母もお兄様のお父様も、普通の人だった。
お兄様だけが特別なのよ」
「そうなのか……」
ヘンリックは、姿が変貌した友人を上から下まで眺めた。
「その……翼に触ってみてもいいか?」
「ああ、いいぞ」
恐る恐る手を伸ばし、烏のような黒い翼に触れるヘンリック。
私も触らせてもらったことがあるが、最高級の羽飾りのような手触りをしている。
「服は破れてないな……これ、どうなってるんだ?」
「その翼は、俺の魔力が顕在化したものだ」
「魔力が顕在化……そんなの、聞いたこともない……」
「俺の魔力は、たぶん闇属性なんだと思う。
わからないことだらけで、自分で研究するしかないんだ」
エルヴィン右手をかざすと、掌の上にふわりと黒い霞が浮かび上がった。
あれが闇属性の魔力なのだ。
「そうなのか……だから、魔力の属性を教えてくれなかったんだな」
あの事件の後、私は図書館に通って魔法や魔力に関する文献を漁った。
だが、彼のように黒い靄を操るような魔法について書かれている本はどれだけ探しても見つからなかった。
もう無理かと諦めかけた時、偶然目についたのは魔族のことについて書かれている古い本だった。
その本によると、魔族は四大元素属性以外にも光と闇属性の魔法を操ることができ、魔力操作により角や翼を生やすことができたのだそうだ。
つまり、エルヴィンはどういうわけか魔族と同じようなことができるのだ。
あの時を堺に、それまでは私と大差なかったはず彼の魔力量は膨大なものとなっていて、それも魔族の特性だとしたら説明がつく。
彼は突然増えた魔力に苦労しながらも密かに訓練を重ね、今では難なく使いこなすことができるようになっている。
「リック、隠していてごめんなさいね。
あなたにも秘密にするって決めたのは、私よ。
だから、マリーとエルを責めないで」
「責めたりはしない。でも、なんで今まで教えてくれなかったんだよ」
「あなたが、バルテン王国に忠誠を誓った騎士だからよ。
このことを知ったら、あなたは上に報告しなきゃいけなくなるんじゃないかと思ったの」
エルヴィンの能力は、とんでもなく有用だ。
なんとしてでもエルヴィンを手に入れて利用しようとするに決まっている。
私が国に仕える立場だったら、絶対そうする。
だから、大切な友人であるヘンリックが板挟みになって悩むことがないように、秘密にしていたのだ。
「それもそうか……理由はわかった。
腹を立ててもいないから、そこは心配しないで」
聡いヘンリックは、すぐに理解してくれたようだ。
「翼があるってことは、飛べるんだよね?」
「もちろん。お嬢とマリーの二人くらいなら、抱えたまま余裕で飛べる。
早馬で十日はかかるような距離も、俺なら数時間で移動できる」
「へぇぇ、それはすごい!」
「お嬢とマリーが持ってる護身用の魔法具も、俺の魔力が籠めてある」
「ああ、あれか。
やたらと高性能だと思ってたけど、そういうことだったのか。
一気にいろんな謎が解けたよ」
これまで三年近く一緒に暮らしてきた中で、ヘンリックは疑問に思うことがいくつもあっただろう。
でも、一度もそれを問い質したりしなかった。
それだけ私たちを信頼してくれていたからだ。
「リック……俺のことが気持ち悪いと思わないのか?」
「そんなの思うわけないだろ!
むしろ、羨ましいくらいだ。
俺もできることなら空を飛んでみたいよ」
言いながら、ヘンリックはぺたぺたとエルヴィンの翼に触れている。
こうなるだろうとは思っていたけど、こんな秘密をあっさりと受け入れてくれたことに私は胸を撫でおろした。
「それにしても……エルが魔王だなんて、どういうことなんだろうな?」
「わからない。
俺は、バルテン王国を滅ぼしたいなんて思ったことはない。
そんなことをする理由もない」
逆に、理由があったらそうするかもしれないわけだ。
エルヴィンがそこまで逆上するほどの理由として考えられるのは。
「漫画の世界では、そのあたりでマリアンネになにかあったのかもしれないわね」
エルヴィンとマリアンネは異父兄妹なのだから、漫画の世界でも一緒にいたはずだ。
もしマリアンネが殺されたとかいうことがあれば、エルヴィンが国を滅ぼすくらいのことをしてもおかしくない。
「今ここにいるエルは、魔王になんかならないわ。
だから、カリナが言ったような未来が訪れることはない。
問題は、それを知っているのが私たちだけで、他の人には知らせるつもりがないってことね」
その上で、ヘンリックがカリナと閨事をしなければならないという状況を回避する方法を考えなくてはならない。
「今のお兄様の姿なら、正体がバレることはないと思います。
このままお兄様がお城に行って、バルテン王国を滅ぼすことはないって宣言すればいいのではありませんか?」
「そうだね、それが一番簡単なんじゃないかな」
マリアンネの案に、ヘンリックは頷いた。
確かにそれはそうなのだが……
エルヴィンがお城で宣言する、というところで私はピンと閃いた。
「いいことを思いついたわ。
聞いてくれる?」
私の策を説明すると、三人はいい笑顔で賛成してくれた。
「さすがお姉様! ざまぁ要素もあるなんて、最高だと思います!」
「これが上手くいけば、一石三鳥くらいになるね」
「もし上手くいかなくても大丈夫だ。
俺がさっきのマリーが言ったことをすればいいだけだからな。
お嬢は、お嬢のしたいようにするといい」
「皆、ありがとう」
私は拳を握りしめた。
「なんで私には前世の記憶があるのか、ずっと疑問だったの。
楽しいことも覚えてるけど、最後の辛い記憶まで鮮明に残ってるから、正直なところ忘れてしまいたいって思ったこともたくさんあったわ。
でも、今になって意味がわかった気がするの。
これは、神様に与えられた復讐のチャンスなのよ!」
私は握りしめた拳を天に向かって突き上げた。
「三沢カリナ!
首を洗って待っていなさい!
今度は私があなたを地獄につき落としてあげるわ!」




