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 それから三日後の昼下がり、私はエルヴィンとマリアンネと一緒に馬車に揺られていた。


 王城にいるヘンリックに差し入れを持って行くという名目で、カリナに会うのが目的だ。


 今日は第二王子殿下とヘンリックは午後から騎士団の訓練場に行くことになっており、そういう日は必ずカリナが絡んでくるのだそうだ。

 

 カリナはアンゼルム大公に保護されているが、ある程度自由に行動することが許されている。

 いわゆる、泳がされている状態だ。

 そうやってカリナを監視して、ボロを出すのを待っているのだ。


「お嬢、本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫に決まってるでしょ。

 リックに差し入れして、カリナの顔を見て、それで終わりよ」


「お姉様、腹が立っても喧嘩を売らないでくださいね?」


「そんなことしないわ。

 売られたら買うかもしれないけど」


 エルヴィンとマリアンネはそれぞれ私の心配をしているが、私は気合十分だ。

 

 今日の私は、久しぶりにきちんとした化粧をして、銀色の髪をハーフアップに結い、ミントグリーンの清楚なデイドレスを着ている。

 キラキラ貴公子ヘンリックと並ぶと見劣りするかもしれないが、上品な貴族の若奥様といった装いになっているはずだ。


 マリアンネはというと、キルステン伯爵家にいた時と同じように顔と髪を隠している。

 円満離婚した後にヘンリックと偶然出会うという設定にする予定なので、今は外で顔を晒すことができないのだ。


 それに対し、エルヴィンは精悍に整った顔がよく見えるように前髪をすっきりと上げている。 

 これは、カリナへの罠でもある。

 私が知っているカリナなら、必ず彼に興味を示すはずだ。


 王城の門に着き衛兵にエルヴィンが要件を告げると、事前にヘンリックが話を通してくれておいたようで、訓練場まで案内してくれた。

 

 訓練場では、多くの騎士や従騎士だと思われる少年たちが真剣な顔で木剣や槍で打ち合っていた。


 輝く金髪で長身のヘンリックはすぐに見つかった。


 三十代くらいの体格がいい男性と木剣を構えて対峙しているが、余裕がある表情をしているのは剣術の腕はヘンリックの方が上だからなのだろう。

 

 辺りを見まわしてみたが、今のところカリナらしい女性の姿はない。


 訓練の邪魔をするわけにもいかないので、日陰のベンチに座って大人しく待つことにした。


 複数の歓声が上がったので目を向けると、ヘンリックが相手の喉元に木剣を突きつけたところだった。


「リックは素敵ねぇ、マリー」


「ええ、本当に……」


 マリアンネはぽーっとそんなヘンリックを見つめている。

 家でエルヴィンと鍛錬している時とはまた違うヘンリックの凛々しい姿に、惚れ直しているようだ。

 すっかり恋する乙女の顔になっている妹がなんとも微笑ましくて、私とエルヴィンはこっそりと顔を見合わせて笑った。


「やあ、フューゲル夫人。久しぶりだね」


 そう声をかけてきたのは、ヘンリックと同じように簡素な騎士服を着た青年だった。

 やや神経質そうな印象の整った容貌と、バルテン王家特有の紺色の髪をしたこの青年が、ヘンリックが仕えている第二王子殿下なのだ。


「お久しぶりでございます、第二王子殿下」


 私は慌てて立ち上がってカーテシーをした。

 結婚式の時に挨拶をして以来なので、殿下と会うのはこれで二度目だ。


「今日きみが来るってリックに聞いてね。

 久しぶりに会えるって楽しみにしていたんだよ」


「恐れ多いことでございます」


「まぁ、そう畏まらないで。

 僕とリックは幼馴染みたいなものでね。

 主従ではあるけど、友人なんだ」


「主人からもそのように伺っております」


「そっちのメイドのことも聞いているよ」


 殿下が視線を向けたのは、私の後ろに控えるマリアンネだ。

 

「きみたちにはいろいろと事情があるようだけど、結婚してからのリックは本当に幸せそうだ。

 これからもあいつを支えてあげてね」


 殿下は私とヘンリックが離婚を前提とした白い結婚であることも、離婚後にマリアンネと結婚する予定であることも知っている。

 ずっと探していた初恋の女の子が見つかったことを、殿下は我がことのように喜んで祝福してくれたのだそうだ。


「もちろんでございます」


 私が代表で応えたが、三人同じ気持ちだ。

 

 ヘンリックのためにも、早くカリナをなんとかしなくてはいけない。


「リサ! ルーカス様!」


 私たちがいるのに気が付いたらしいヘンリックが、木剣片手にこちらに駆けてきた。


「お疲れ様です、リック。

 差し入れを持ってきたわよ」


 私がそう言うと、マリアンネが手に持っていたバスケットを差し出した。

 中には、マリアンネお手製のクッキーとサンドイッチが入っている。


「ありがとう。助かるよ」


 蕩けるような笑顔の彼は、さりげなくマリアンネの手を撫でながらバスケットを受け取った。

 マリアンネは真っ赤になり、殿下は呆れたような驚いたような目を友人に向けた。


「リックって、そんな感じなんだ……」


「羨ましいでしょう」


「正直、すごく羨ましいよ……ああ、早くハイデマリーが成人してくれないかなぁ」


 軽口を交わす二人の様子から、本当に仲が良い主従だということがわかる。

 

 カリナの言う漫画の中では、ヘンリックはマリアンネと再会できていないはずだ。


 心に空虚なものを抱えている状態で、仲のいい友人でもある殿下を守り切れず死なせてしまったとしたら、彼が闇落ちしてもおかしくない。

 

 自然に笑い合っている二人に、そうならなくてよかったと心から思った。

 

「ヘンリック様! ルーカス様!」


 甲高い女性の声が鍛錬場に響いた。


「来たぞ。カリナだ」


 さっと表情を引き締めたヘンリックが、小声で注意を促した。


 私は声がしたほうに目を向けると、ピンク色のフリフリなドレスを纏った小柄な女性がこちらに向かって駆けてくるのが見えた。


 心臓がドクンと跳ねた。


 艶やかな黒髪と同じ色の瞳をした、子兎を思わせる可愛らしい容貌には、とても見覚えがある。


 やはり、そうだ。間違いない。


「ヘンリック様! 会いたかったぁ!」


 呪詛の言葉を吐きたくなるのを奥歯を噛みしめて堪え、私はヘンリックに飛びつこうとするカリナの前に立ちふさがった。


「私の夫になにか御用?」


 私より身長が低いカリナを、思い切り上から見下ろした。


「え……? ヘンリック様、このひと誰?」


 彼女は虚を突かれたようで、戸惑ったようにヘンリックを見た。 


「私の妻だ。美しいだろう?」


 彼はニヤっと笑って見せつけるように私の肩を抱き寄せ、同時にさりげなく殿下とマリアンネを背中に庇う位置に立った。

 

「妻って……えぇぇ……そんなぁ……」


「私は既婚者だと、今までに何度も言ったはずだが」


 胸の谷間を強調するように両手を握り、ぱっちり二重で黒目がちな瞳を潤ませて上目遣いされても、ヘンリックには少しも響かない。

 

「始めまして。ヘンリック様の妻、クラリッサ・フューゲルです。

 あなたは、夫とどういう関係なの?」


「ええっと、私、聖女のカリナっていいます。

 ヘンリック様とは、お友達っていうか……その……」


 艶やかな黒髪を揺らしてもじもじするカリナ。

 小柄で童顔で可愛らしい顔立ちをしているから、そんなあざとい仕草も様になる。

 

 私の前世の時から、まったく変わっていない。

 これにコロッと騙される男も多かったのだが、ヘンリックはただ無表情でカリナを見下ろしている。


「さっき、私の夫に抱きつこうとしているように見えたけど。

 あなたの言うお友達とは、どういうお友達なのかしら」


「えっと、その……私はただ、ヘンリック様と仲良くなりたくってぇ……」


 前世でも、同じようなことがあった。

 あの時のことを思い出し、怒りで胸が内側から焼かれるような気がした。


「怖ぁい、そんなに睨まなくてもいいじゃないですかぁ……

 ルーカス様! 助けてくださぁい!」


 ターゲットを変えたようで、私の横をすり抜けて殿下に迫ろうとしたカリナだが、エルヴィンがそれを阻止した。


「きゃあ! なにすんのよ!」


 手首を掴まれ、カリナは悲鳴を上げた。


「お嬢に近づくな」


「放して! 放してよ! ……って、あれれ?」


 自分の手首を掴んでいるエルヴィンを見上げ、カリナは目を瞠った。


「やだ、カッコいい……」


 ぽっと頬を染めるカリナに、私とヘンリックはそっと目を見合わせた。


 エルヴィンがカッコいいのは私も認めるが、いくらなんでも惚れっぽすぎないか。

 罠をしかけた私でも呆れてしまう。


「ねぇあなた、侍従なのよね? 私に仕える気はない?」


「ない」


 にべもなく突き放すエルヴィン。

 

「彼は私の忠実な侍従なの。手放す気はないわ」


 ヘンリックに肩を抱き寄せられ、エルヴィンに背中で庇われながら、私はふふんと笑って見せた。


「な……そんな……あんたばっかりズルいぃぃ!」


 カリナは簡単に挑発に乗ってきた。


「あんたにはヘンリック様がいるんだから十分でしょ!

 侍従の一人くらい、ケチケチしないで私によこしなさいよ!」


 エルヴィンを指さすカリナに、私はむっとした。


「お断りするわ。彼は物じゃないのよ。

 そんな簡単にやりとりできるわけがないでしょう」


 私が断ると、カリナはエルヴィンにまた上目遣いをした。


「私、回復魔法が使える聖女なの。

 私の侍従になったら、きっといいことがあるわよ?」


「断る」


「ええぇ、なんでぇ? 私、聖女なのにぃ」


「きみは聖女ではない。

 回復魔法が使えるというだけの、異邦人だ」


 涙目になるカリナを、同じくむっとしたらしいヘンリックが硬い声でバッサリと切り捨てた。


「違います! 私は、本当に本物の聖女なんですぅ!

 だって、この国を救えるのは私だけなんですからぁ!」


「この国を救う、だと……?」


 ヘンリックだけでなく、それを聞いていた全員が眉を顰めた。


「どういう意味だ? なにから救うというんだ」


 どうやらうっかり口を滑らせてしまたらしいカリナは、一瞬で空気が変わったことに気が付きオロオロし始めた。


「まさか、災害かなにか起こるというのか⁉」


「あ、ええっとぉ……」


「答えろ!」


 ヘンリックに怒鳴られ、カリナがびくっと肩を震わせた。


「ヘンリック、落ち着け」


 殿下が、そんな彼の肩をポンと叩いた。


「ここでするような話じゃない。

 場所を変えよう」


「……わかりました」


 今のヘンリックには、マリアンネを始めとした大切な人がたくさんいる。

 例えばこの国が大きな災害にみまわれたとしたら、誰かが死んでしまうかもしれない。


 怒りや苛立ち、焦燥などが入り混じった感情を隠そうともしない彼は、美しいからこそ凄絶な迫力を放っていて、私ですら寒気がするようだった。


「答えないというなら、私が手ずから拷問にかけてやろう。

 慈悲などかけず、最初からこうすればよかったんだ。

 おまえの望み通り、仲良くなろうじゃないか。牢獄でな」


 ヘンリックは、涙目になっているカリナの腕を掴んで私たちを振り返った。


「このことはまだ他言無用だ。

 それから、すまないがこれはもう食べる時間はなさそうだ」


「わかってるわ。お仕事頑張ってね」


 私は彼からバスケットを受け取った。

 せっかくの差し入れだが、こんな状況になってはしかたがない。


「エル、頼んだぞ」


 大切な宝物を守ってくれと言外に伝えるヘンリックに、エルヴィンは力強く頷いた。


 カリナを引きずるように連行するヘンリックたちを見送り、私たちも帰途についた。


 なんだか別の問題が出てきてしまったが、とりあえず私の目的は達することができた。


 自称聖女カリナは、やはり私が知っているカリナだった。


 三沢カリナ。


 前世の私の婚約者だけでなく、命まで奪った女だ。


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