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10/25

 結婚式を無事に終えると、翌日からヘンリックは十日間の結婚休暇となった。


 彼にとっては久しぶりのまとまった休暇なのだそうで、ゆっくり読書でもするとか以前は言っていたが、読書そっちのけで彼はマリアンネを全力で口説きにかかった。


 だが、そんな美貌の貴公子の甘い猛攻にも、彼女は容易く陥落したりはしなかった。


 彼が私から貰った三冊の本をまだ読んでいないことを知ると、彼女のアメジストの瞳が瞬時に三角になった。


「お姉様の本を読みもせず放置するなんて、許せません!

 全部読むまで、私に近寄らないでください!」


「わ、悪かった! すまなかった! すぐに読む! 読むから!

 私を嫌わないでくれ!」


 ぴしゃりと拒絶する彼女に、彼は縋りつかんばかりの勢いで謝り、即座に読書を開始した。


 私の近くにいたから影響を受けてしまったのか、不実な父を見て育ったからか、彼女も男性に対しての警戒心が人一倍強い。

 とはいえ、素顔の彼女はとても可愛いから、悪い男性にひっかからないためにもそれくらいでちょうどいいと特に何も言わずにこれまで過ごしてきた。


 私の小説は女性向けの内容だから、彼にはつまらないんじゃないかな? と密かに心配したのだが、幸いにもそれは杞憂だった。


「これ、すごく面白かったよ! 続きはないの?」


 私がのんびりと次作のプロットを練っているところに、瞳をキラキラと輝かせながらヘンリックがやってきたのだ。


「その作品は一巻だけで終わりです。ハッピーエンドだったでしょう?」


「そうだけど、主人公たちが幸せな結婚生活を送ってるとか、そういうのがあってもいいじゃないか!」


「そのあたりは、読者が好きなように想像してくれたらいいのです。

 あまりだらだらと続けても、蛇足になってしまいますから。

 すっきりきれいに完結させるというのも、とても大事なのですよ」


「そういうものなのか……」


 なんとも残念そうな顔で、彼は手にした本に目を落とした。


「それより、早く次のを読んだ方がいいのではありませんか?

 読み終わらないとマリーに近づけないのでしょう?」


「はっ! そうだった! それではまた後で!」


 彼は慌ただしく自室へと戻って行った。


 マリアンネのことを忘れるくらい夢中になって読んでいたのか。

 そんなに気に入ってくれるなんて正直予想外だが、ファンが増えるのは嬉しいことでもある。


 翌朝、彼は夜遅くまでかかって三冊全てを読破したと、目の下にクマをつくりながらも嬉しそうに報告してきた。


「クラリッサ、きみの頭の中はどうなってるんだ!

 設定も展開も独創的すぎて、ページをめくる手が止められなかったよ!」


「ふふふ、それが私の持ち味ですのよ」


 なにせ、前世の記憶からネタを引っ張ってきているからね。


「この三冊以外にもたくさんあるんだよね?

 読ませてくれないか?」


「ええ、もちろんですわ。

 せっかくですから、マリーにお勧めを選んでもらってはいかが?」


 ノルマは達成したのだから、彼はマリアンネに近づくことができる。

 マリアンネは私の本に関しては私より詳しいくらいだし、二人の距離が縮まるきっかけになれば一石二鳥ではないか。


「……わかりました。お姉様がそうおっしゃるなら」


 彼に期待に満ちた瞳を向けられ、彼女は渋々といった様子で頷いた。


「マリアの一番のお気に入りはどれ?」


「一番なんて、決められませんわ。どれも大好きなんですもの」


「それなら、騎士がでてくるような物語はあるかな?

 ほら、私も騎士だから」


「でしたら、『呪われ騎士は漆黒の魔女を篭絡する』をお勧めします」


「……なんだか不穏な題名だね。ハッピーエンドになるの?」


「もちろんです!

 お姉様の作品は、必ずハッピーエンドで終わるから安心して読めるというので定評があるのですよ。

 この作品は、ヒーローが無自覚な人たらしで、照れ屋なヒロインがすぐに真っ赤になるのが可愛いんです!」


「ふぅん、じゃあ次はこれを読んでみようかな。

 他にはどんなのがお勧めなのかな?」


「ファンレターが一番多く届いたのは、『ダンジョンで助けた迷子は隣国の王子様でした』ですね。

 ヒーローは王子様の護衛騎士なんですけど、堅物な騎士がヒロインにだけデレるのがいいって評判で……」


 マリアンネは私の作品について語りだすと止まらなくなる。

 案の定、ついさっきまで渋々だったのに、嬉しそうに内容やお勧めポイントを説明を始めた。


 ヘンリックはちゃんと話を聞きつつも、蕩けるような笑顔をそんな彼女に向けている。

 それでも、彼女との間にはきちんと適切な距離をおき、近づきすぎないように気を付けているのがわかる。


 十年以上ずっと探していた、薔薇色の髪の女の子が目の前にいるのだ。

 本当は今すぐにでも抱きしめたいのだろうに、と思うとなんだか彼がいじらしくて、これからもさりげなく応援してあげることにした。


 十日間の結婚休暇の前半は、そうやって私の本を読みつつマリアンネと仲良くなるのに全力を尽くしていた彼だが、後半にさしかかったところでおもむろに立ち上がった。


「あまりに本が面白すぎてつい没頭してしまったけど、このままでは体が鈍ってしまう!

 鍛錬するついでに、エルヴィンに手合わせ頼めないかな」


 断る理由もないということで、エルヴィンは二つ返事で了承した。


 ヘンリックは、きっととても驚くことになるだろう。

 私とマリアンネは、こっそりと顔を見合わせて笑った。

 

 汚れてもいい訓練服に着替え、庭に出た二人は木剣を構えて向かい合った。


「さあ、どこからでもかかってこい!」


「では、遠慮なく」


 自信満々のヘンリックに、エルヴィンは冷静に応えた。


 そして次の瞬間、ヘンリックの手にあった木剣は弾き飛ばされてしまっていた。


「な……え……?」


 ヘンリックは呆然と少し離れた地面にカランと音をたてて落ちた木剣と、自分の手を交互に見比べた。


「前にも言いましたように、エルはとても強いのですよ。

 騎士としての訓練も受けていますからね」


 愕然とするヘンリックに、私が鼻高々で説明してあげた。 

 エルヴィンは侍従だが、私の護衛ができるようにキルステン伯爵家の騎士たちに鍛えられているのだ。


 ちなみに、弟も貴族の嗜みとして剣技を身に着けるはずだったのだが、情けないことにたった数回の鍛錬で投げ出してしまったのだそうだ。


「そんなに強いのに、なんで騎士にならなかったんだよ⁉」


「侍従でいた方が、敵を油断させられますから。

 俺はお嬢の傍にいられさえすれば、なんだっていいんです」


「もしかして、魔法も使える?」


「使えますが、そのあたりはまだ秘密ということで」


 この国では皆が魔力を持っているが、魔法を使うことができるほどの魔力を保持しているのはほとんどが貴族なのだ。

 平民でも魔法を使える者がいないわけではないが、その数は少ない。 

 私とマリアンネは少しだけ水魔法を使うことができる程度だ。


「秘密、か……」


 ヘンリックは私をチラリと見た。 

 私は当然ながらエルヴィンの秘密を知っているが、それを私から明かすつもりはない。


「秘密だというならしかたがない。

 無理に踏み込むのは止めておくよ」


 ヘンリックは木剣を拾い上げると、再び構えた。

 

「もう一度頼む! 今度はさっきのようにはいかないぞ!」


 そう宣言した通り、ヘンリックはかなり粘ったが、最後は地面に仰向けに転がされて首筋に木剣の切っ先を突きつけられ、降参させられてしまった。


「くそっ! 私は近衛では一二を争う腕前なのに!」


「あなたは十分にお強いですよ」


 エルヴィンはヘンリックに手を差し伸べ、ヘンリックは素直にその手をとって立ち上がった。


「きみはもっと強いじゃないか!」


「私はお嬢とマリーを守らなくてはいけませんから。

 そのために強くなったんです」


「私だって、これからはマリアを守る!」


「マリーだけですか?」


「もちろん、クラリッサもだ。

 私の協力者で、マリアに会わせてくれた恩人なんだからな」


「なら、もっと強くなってください。

 少なくともこの程度では、マリーの夫として認めることはできません」


「望むところだ! もう一度勝負!」


 エルヴィンに発破をかけられたヘンリックは、気合いとやる気を漲らせてまた木剣を構えた。


 養子とはいえ侯爵家令息で立派な騎士なのに、平民のエルヴィンに負けてもヘンリックはへそを曲げることはなく、純粋に結果を受け入れた。

 

 少しハラハラしたが、彼が真っすぐな気性をしていることが改めてよくわかる出来事だった。


 そう思ったのはエルヴィンとマリアンネも同じだったようで、その時を境に二人のヘンリックに対する態度は以前よりも柔らかいものとなった。


 ヘンリックはマリアンネを口説き、本を読み、エルヴィンと鍛錬をして、とても有意義な結婚休暇を過ごした。

 美味しい食事をたくさん食べたこともあり、休暇明けにツヤツヤした顔で出勤してきた彼に、第二王子殿下と同僚の近衛騎士たちは「ヘンリックが奥方に骨抜きにされた」とヒソヒソしていたのだそうだ。


 実は、私が彼を脅して無理矢理結婚にもちこんだという噂もあったのだが、明らかに顔色がよくなった彼の様子に、すぐにその噂は消え去った。

 

 そうなると、興味津々な貴族たちから私にお茶会や夜会の招待状が次々と届くようになったが、「妻は病弱なので」ということでヘンリックが全て断ってくれた。

 私としても社交になんか興味はないので、新居に引き籠って快適に過ごしていた。


 こうして、なんだか奇妙なことになってしまった新生活に、私たちはすんなりと馴染んでいった。


 それもこれも、ヘンリックが外見だけでなく中身もイケメンだったからだ。


 一緒に鍛錬するからか、最初に彼と仲良しになったのはエルヴィンだった。

 木剣だけでなく短剣をつかったり、素手でレスリングのようなことをしたりと、庭でじゃれあっている間にいつの間にやらエルヴィンの敬語が消えていた。


 ヘンリックは身近なところで気軽に接することができる友人ができたのが嬉しかったようで、


「私のことはリックと呼んでくれ! 敬語もいらない!」


 と、私たちに言うようになった。

 

「あなたがそれでいいのなら、そうさせていただくわ。

 じゃあ、私のことはリサと呼んでね」


「リサ、だね。リックとリサで、なんか語呂がいいじゃないか」


「ふふふ、そうね。一応、対外的には夫婦だものね」


 私と彼も気の置けない友人になるのに時間はかからなかった。


 私とエルヴィンとの距離を縮めるのと同時進行で、ヘンリックはマリアンネの攻略も着実に進めていた。


 賢い彼は、私の小説をダシとして大いに利用した。

 語りだしたら止まらないマリアンネに蕩けるような笑顔を浮かべながら耳を傾け、小説の中に登場するお菓子や花などをプレゼントするなどして、少しずつ距離を縮めた。

 最初は戸惑うばかりだったマリアンネも、強引なことは一切せず、指一本触れることなく、明らかに熱のこもったエメラルドの瞳で見つめてくる美貌の貴公子に次第に絆されてしまったのも無理はないと思う。


 そんな二人を私とエルヴィンは口を挟むことなくじっと見守り、ついにマリアンネがヘンリックを受け入れると四人だけでお祝いのパーティをした。 


 家に帰ると愛しい恋人がいて、美味しい食事があって、一緒に鍛錬ができる友人がいて、面白い小説を出版前に先読みできる。

 元から美しかっただったヘンリックだが、私生活がものすごく充実したことでさらに美貌に磨きがかかり、本当に内側から発光しているかのようなキラキラ貴公子になった。

 騎士としての腕も研ぎ澄まされ、第二王子殿下を襲撃した賊をほぼ一人で討ち取って勲章を授与されたりもした。

 

 私のほうも、面倒な家族から解放されたことで、以前より創作に集中できるようになった。

 ヘンリックは騎士としての経験と知識から、アドバイスや創作のヒントをくれることも少なくない。

 そこから着想を得て手がけた新作は過去最高の売上を記録し、やがてユカリ・シキブの代表作といわれるようになった。 


 マリアンネは初めての恋人に甘やかされて、隠す必要がなくなった素顔になんだか艶がでてきた。

 幸せそうに寄り添う二人は微笑ましくて、そんな二人を見ると私とエルヴィンも自然に笑顔になった。

 

 以前は私とマリアンネのためだけに生きているような感じだったエルヴィンも、キルステン伯爵家から出たことで気持ちに余裕ができたようで、表情が柔らかくなった。

 心根が真っすぐな友人と、たまに男二人だけで酒を酌み交わしたりしている。

 

 私たち四人はお互いに助け合い支え合い、とてもいい関係を築いていた。


 そうやって快適に楽しく暮らしながらも、私とヘンリックの円満離婚に向けての準備も着々と進めていた。


 ヘンリックはマリアンネと心を通わせるようになると、養父母に事情を正直に打ち明けてマリアンネを養女として迎えてくれる貴族家を探してくれるように頼んだ。

 後嗣にできなかったヘンリックに後ろめたい気持ちをずっと抱えていた養父母は快く引き受けてくれて、後にマリアンネはフューゲル侯爵家の寄子である男爵家の養女となることが決まった。

 

 私はというと、離婚後はエルヴィンと二人で取材を兼ねた長期旅行に行くことにしている。

 今は恋愛小説を主に手がけているが、外国を舞台にした小説や、旅行記なんかも書いてみたいとかねてから思っていたのだ。

 そこから先のことはまだ決めていないが、溜め込んだ貯金もあるし、小説はどこででも書けるから、なにも心配はしていない。

 頼もしいエルヴィンがいれば、大抵のことはなんとかなるだろう。

 

 ヘンリックがマリアンネと結婚すると、私とエルヴィンの義理の弟ということになるから、つまり私たち四人はまとめて正式な家族ということになる。

 私たちはそれを心待ちにしていた。


 そして月日は流れ、円満離婚まで残すところあと二か月となったある日のこと。


 いつになく暗い顔で帰宅したヘンリックは、マリアンネを抱きしめながら予想外のことを言い出した。


「皆、すまない……私はリサと離婚できなくなってしまった」



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