第238話 今回だけ、ですわよ
――アル王子の明確な拒絶。
そしてエステルの名を呼ぶ叫び。
それは、会場にいたほとんど全ての貴族たちの視線を一挙に集めた。
「余、余を舞踏に誘って頂けるのは、嬉しく思う! 本当だ! でも、でもっ……余にはやはり、エステル殿しかいないのだ!」
酷く申し訳なさそうな表情で、半ば冷静さを失った口ぶりで、自分を誘ってくれた令嬢に謝罪するアル王子。
あーあ、やっちまったな――なんて言い方をするのは、ちょっと酷か。
アル王子だって、この場でそれを口にする意味くらいわかってて言ったはずだ。
今この瞬間というのは、アル王子がヴァルランド王国の血筋と自らを――ネワール王国を繋ぐ千載一遇のチャンス。
それを不意にしたということを。
たぶんアル王子だって、なんとなく理解しているだろう。
目の前の相手が王族血筋の人間だと。
アル王子の情緒は確かにまだまだ子供だが、頭の方はかなり聡い。
アルベール国王がアル王子をこの舞踏会に誘った時、アル王子はすぐにその意味を理解したことだろう。
王族血筋の中から〝花嫁〟候補が見つかったのだと。
アルベール国王は、その女性と自分を引き合わせようとしてくれているのだと。
実際、舞踏会に誘われた時のアル王子は、これ以上ないくらいに葛藤した表情をしていた。
もし彼がエステルと出会いなどしていなかったら、舞い上がって喜んだはずだったろうに。
そうしてたった今――彼はアルベール国王の厚意を台無しにした。
一人の女性が誘ってくれているのにも関わらず、別の女の名を口にする。
間違いなくアル王子にはその意味がわかっている。
わかっていて、それでも尚、己の気持ちを抑え難かったのだろうさ。
阿呆である。
だが、敬愛すべき阿呆だ。
俺は辺境の領主にすぎないし、一国の王の重責なんざわからないが……それでも、好きな女性を諦められないって気持ちは痛いほどよくわかる。
そんな主を離れた場所で見守る部下は、もう諦めたと言わんばかりに「やれやれ」と首を振る。
アル王子の様子を見守っていたレティシアも、
「アルベール国王――」
アルベール国王へと視線を移し、その顔色を伺う。
「……」
対するアルベール国王は怒るでも悲しむでも笑うでもなく、腕組みしたまま無表情でアル王子を見つめ続ける。
まるで、事の行く末を見定めようとしているかのように。
「余はエステル殿を待ちたい! エステル殿は絶対、絶対ここへ来てくれる!」
「アル王子……」
アル王子なんとも言えない表情で見つめ返す貴族令嬢。
会場のムードはぶち壊しになり、最悪の空気が流れそうになった――
まさに、その時だった。
「――ちょっと。人様の名前を声高に叫んでくれやがる殿方は、いったいどこのおクソガキ様ですこと?」
カツ、カツッという甲高いヒールの足音が、会場の空気を斬り裂く。
同時に、深紅のドレスに身を包んだ一人の女性が舞踏会場へと姿を現す。
――あまりにも見慣れた、グルグルの金髪縦ロール。
しかしその髪型は普段とは比べ物にならないくらい淑女然と整えられ、顔はレティシアを除く他のどの女性をも見劣りさせてしまうほど綺麗な化粧が施されている。
これ以上ないくらい見知った顔のはずなのに、それでも「本当にアイツか……?」と頭の中で想ってしまうほど、艶やかで瀟洒な雰囲気。
そんな――別人のように綺麗な〝エステル・アップルバリ〟が、俺たちの前に現れたのだ。
「まったく……顔を出しづらくなる空気を作るのは、およし頂きたいのですけれど?」
不機嫌さを隠そうともせず、アル王子の下へ歩み寄っていくエステル。
だがその顔があまりにも綺麗に化粧されているせいで、不機嫌な表情がツンとした強面美人のようにすら見えてしまう。
そんなエステルの姿を目の当たりにして、アル王子はポカーンと口を半開きにする。
見惚れてしまって言葉も出ない、と言わんばかりに。
「エ……エ……エステル殿……! 来てくれたのだな……!」
「はいはい、来て差し上げましたわよ。わざわざ招待状まで用意されちゃったんですもの」
そう言って、一枚の招待状を取り出して見せるエステル。
しかもその招待状には国王家の印まで押されてある。
あれ、招待状なんていつの間に……と思って俺がレティシアの方へ目を流すと、彼女は可愛らしくパチッとウインクして見せる。
なるほど、こっそりアルベール国王に用意してもらっていたらしい。
そんなものいつの間にラキへ渡していたのやら。
我が妻ながら抜け目ないな。
アル王子はキョロキョロとエステルの全身を眺めて、
「そ、それにしてもその、今宵は随分と雰囲気が違うというか……」
「フンだっ、クラスメイトがクソご丁寧なことに化粧してくれやがったんですのよ。私はいりませんわって言ったのに……」
ほう、ラキの奴が。
ああ……なんとなく想像できるわ。
「国王様の舞踏会に出るなら、おめかししてかなくちゃダメだよ~♪」なんて言いながら満面の笑みでエステルをお洒落させるアイツの姿が。
レティシアから伝言ついでにどれだけの情報を教えられたか知らないが、あの勘の鋭い猫娘のことだ。
アルベール国王が当て馬まで用意して舞踏会を開いた意図を、すぐに見抜いたはず。
だからここぞとばかりにエステルに化粧を施して、送り込んだのだろう。
異性の目を引くことに関しちゃ右に出る者のいないアイツなら、女性なのに女っ気がないエステルを舞踏会の主役に飾り上げるくらいワケないのかもな。
恋バナ大好きなラキからしてみれば、面白半分でやったにすぎないんだろうが。
エステルは〝フンす!〟と両手を腰に当て、
「言っておきますけれどね、私が今日ここへ来たのは、あなたへお断――」
アル王子へなにか言おうとする。
しかし、それよりも早く――
「凄いですわアル王子! 本当に意中の方がお目見えするなんて!」
ついさっきアル王子の手を引いた貴族令嬢が、満面の笑みで声高に言う。
同時に、一斉に〝パチパチパチ!〟と拍手を始める周囲の貴族たち。
そんな歓迎ムードに突然囲まれ、エステルは一瞬キョトンとする。
「へ? と、突然なんですの?」
「いやぁ、これぞ愛の力ですな!」
「美しいですわ! 感動致しました!」
「お二人は本当にお似合いのカップルですわね!」
鳴り止まない拍手喝采。
……直前の最悪だった空気が嘘のような和気藹々っぷりだ。
なんだかまるで――エステルの逃げ場を消し去ったように見えなくもない。
俺はチラッとアルベール国王の方を見る。
「……コレも筋書き通りってヤツですか」
「やーねぇ。もしエステルちゃんが来たら、温かく祝福してあげましょって皆に伝えただけよ~♥」
「ふーん……。あの王族血筋の子にアレを言わせるのは、流石にちょっとどうかと思いますけど」
「ああ、それなら大丈夫よ。あの遠縁の子には、どっちに転んでも美味しい思いをさせてあげられる手筈になってるから」
本人も了承済みだし、と悪びれず言うアルベール国王。
まったくこのオネェは……ホント食えないというか、なんというか……。
「さあさあ、舞踏会の続きですわ! どうぞお二人も手を取り合って、一緒に踊りましょう!」
エステルの狼狽など全く無視するかのように会場には音楽が流れ出し、貴族たちは再び踊り始める。
「ちょっ、あの、違っ……! 私、踊るために来たんじゃないんですけれど……!?」
「いいじゃないエステル。せっかくの国王主催の舞踏会なのよ?」
「レ、レティシア夫人……!」
いつの間にかレティシアがエステルのすぐ傍まで赴き、彼女とふわっと肩を組む。
もうあとひと押し――と思ったんだろう。
頑固なエステルの意志を削ぎ、このまま場の空気で押し流してしまうつもりらしい。
俺? 俺は傍観に徹するさ。
他人の色恋に首を突っ込むなんざ気乗りしないし、面倒だからな。
ま、レティシアが進んで関わるのも止めはしないけど。
なにせ愛する妻のすることだし。
レティシアは悪っぽく笑みを浮かべ、
「フフっ、それとも……アルベール国王のご厚意を無為にする?」
「! も、もしや……あなた、謀りましたわね……!?」
ここに来て、エステルもようやく気付いたらしい。
この舞踏会の会場に足を踏み入れた時点で――もう脱しようがないほど、自身の外堀が埋められてしまったのだと。
レティシアはエステルから手を離すと、アル王子の方を見る。
「それじゃあ――アル王子?」
「う、うむ……!」
促され、アル王子はエステルの前で片膝を突き、手を差し出す。
「エステル・アップルバリ殿……余と一曲踊ってくださいますか?」
「う、うぐぐ……っ」
如何に屈強な意志を持つエステルと言えど、ここまでお膳立てされてはもうどうしようもなかった。
エステルは一瞬頭を抱えるも、遂に観念したように――
「…………ハァ。今回だけ、ですわよ」
アル王子の手を取る。
そして二人は揃わない身長と足並みで、一緒に踊り始めたのだった。
ちなみに書籍版でのみ書いた設定ですが、エステルは普段化粧をしない超の付くすっぴん美人だったりします。
すっぴんなのにまつ毛バチバチ(◔⊖◔)
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