46# 来訪
それは《緋の風》が天空都市の捜索に出立して少ししてからの事。
ローファスが住まうライトレス家の別邸に、来客があった。
それは女の二人組。
一人は暗黒騎士であるユスリカ。
そしてもう一人は、白を基調とした法衣に身を包み、無地のヴェールにて顔を隠した小柄な少女だった。
ユスリカが白衣の少女をローファスに紹介すると言う名目で、この別邸まで連れて来た。
客間にて応対するローファスは、思いもよらぬ来客に眉を顰めている。
事前のアポイントメントも無し。
本来ならば事前連絡も無い来訪者の相手をするローファスではないのだが、連れて来たのが他でも無いユスリカと言う事もあり、不本意ながら応じる事にした。
しかしいざ対面しても名乗りすらせず、顔すら隠してユスリカに付き添うだけの少女に対し、ローファスが気前良く相手出来る筈も無く、終始仏頂面である。
その雰囲気を感じ取ったユスリカは、ソファに腰掛けて頬杖をつくローファスの足元に平伏した。
「若様、突然の来訪に対し、ご対応頂き感謝致します。事前に連絡出来なかった事、平にご容赦を」
頭を下げるユスリカを見下ろすローファスは、溜息混じりに答える。
「…他でも無い貴様の連れだ、無下にはせん。しかしいい加減、名くらい聞きたいものだな」
ローファスがジロリと、その視線を白衣の少女に向ける。
ユスリカは慌てた様に顔を上げる。
「若様、それは…ご容赦頂けませんでしょうか。そのお方は故あって身分を明かす事が…」
そんなユスリカの言葉を、白衣の少女は手で静止した。
「構いませんよ、ユスリカ様」
白衣の少女は、ヴェール越しに色素の薄い瞳をローファスに向け、そのままヴェールを取り払った。
陶器を思わせるきめ細かい色白の肌に、プラチナブランドの長い髪。
その顔を見たローファスは、目を剥く。
「本日は突然の来訪を受け入れて下さり感謝致します、ローファス・レイ・ライトレス様。紹介が遅れました。私は六神教会総本部にて聖女の任を拝命致しております——フランと申します。本日はローファス様の左眼と左腕の治療をしに参りました」
微笑みを浮かべ、そっと頭を下げる聖女フラン。
それは物語において、主人公アベルの仲間の一人に数えられる少女だった。
*
突然の聖女の来訪。
そしてその聖女は、ローファスの治療をしに来たと言う。
それを連れて来たのは他でも無い暗黒騎士のユスリカだ。
ふとローファスは、以前ローグベルトにて、ユスリカに治療された時の事を思い出す。
ユスリカは左目と左腕の治療を施した後、こう言っていた。
上に掛け合って私よりも腕の立つ術師を近日中に派遣致します、と。
上にと言うのは、ローファスはてっきり騎士筆頭のアルバか当主のルーデンスの事と思っていたが、どうやら違った様だ。
近日中に、と言いながら随分と月日が経過しているが、動くのが教会の象徴たる聖女ともなれば、三ヶ月もの時間を要したのも頷ける話。
ローファスはじろりとユスリカを見る。
「…ユスリカ。貴様、教会の手のものだったか」
ローファスの言葉に、びくりと肩を震わせるユスリカ。
それを庇う様に、聖女フランが前に出る。
「彼女を責めないであげて下さい。ユスリカ様は、ローファス様の身を心から案じております」
ユスリカに代わり頭を下げる聖女フランに、ローファスは鼻を鳴らしてそっぽを向く。
そんな事は、ユスリカがローファスの治療の為に聖女フランを連れて来た時点で察せられた。
そんな事をすれば、自身と教会に繋がりがある事が明るみになる事は明白であると言うのに、である。
しかし、ローファスは納得出来る部分もあった。
教会の出であるなら、ユスリカの卓越した治癒魔法の腕前にも説明がつく。
とは言え、ユスリカ程の治癒魔法の使い手は、教会にもそうそう居ないであろうが。
ローファスは軽く息を吐き、ユスリカを見遣る。
「自分よりも腕の立つ術師を連れて来るとは言っていたが、まさか聖女を連れて来るとはな」
ローファスの言葉に、聖女フランは小さく笑う。
「ユスリカ様の治癒魔法の腕は教会内でも随一ですよ。私など、足元にも及びません」
「六神教の象徴たる聖女が何を言っている」
元より無神論者であるローファスは、ありもしないものを祭り上げる教会の在り方を是としていない。
それ故に、その言葉には若干皮肉のニュアンスが混じるが、それを感じ取ったのか聖女フランは苦笑する。
「聖女などと言う肩書は、所詮は教会が掲げるお飾り。私は少し特殊な神聖魔法を扱える故、それでたまたま選ばれただけでございます。純粋な治癒魔法の実力で聖女が決まるなら、ユスリカ様が聖女になられていました」
「…聖女がそんな事を言って良いのか?」
「良くはありませんね。ですので、この話はここだけに留めておいて下さい」
悪戯っぽく微笑む聖女に、ローファスは肩を顰める。
ローファスは物語を思い返し、一人得心する。
そうだった、聖女はこんな奴だった、と。
物語における聖女フランは、聖女らしからぬ人物だった。
よく言えば庶民的、悪く言えば俗物的。
聖女でありながら教会の教義に囚われず、それでありながら神聖魔法の腕は聖女の名に恥じぬ実力者。
それがローファスの、聖女フランに対する印象。
そして聖女フランは、物語においては主人公アベルの仲間の一人であり、それは即ち、四天王戦にてローファスを殺した一人でもある。
しかしローファスは、いきなり聖女が現れて驚きはしたものの、聖女フランに対して憎しみを覚える事はなかった。
それは聖女フランが、回復専門の生粋のヒーラーであり、ローファスの殺害に直接関わっていない為かも知れない。
アベル達を攻撃しても即座に回復され、それに苛立った程度。
かつての敵を相手に、ここまで普通に対話が出来ているのはそれ故だろう。
聖女フランは微笑み、ローファスの翡翠の左目を見つめる。
「それでは、早速治療致しましょう。実は教会の方には内緒で来ているので、あまり長居が出来ないのです」
「は? では教会の目を盗んで王都からライトレス領まで来たと? 聖女と言う立場でよく来れたものだな」
「ええ。ですので準備に時間を要しました。ユスリカ様より、相談自体はかなり前から受けていたのですが…遅くなり申し訳ありません」
頭を下げる聖女フランを、ローファスは手で制す。
「別に謝る必要は無い。こう言っては何だが、元より大して期待していなかった。…が、しかしそうか。ならば教会に恩義を感じる必要は無いな」
無神論者であるが故に教会と言う組織自体にあまり良い印象を持っていないローファスは、これで下手に関わりを持たなくて良いと口角を上げる。
そして聖女フランは、それににんまりと笑顔で返した。
「是非恩に着て下さって構いませんよ。教会では無く、私とユスリカ様に」
聖女でありながら何とも、現金な事を言う聖女フランに、ユスリカは冷や冷やしながらローファスの様子を窺う。
しかしローファスは、それに気分を害した様子は無く、寧ろ機嫌良さげに笑って見せる。
「言うでは無いか。では早速治療を頼む。もしも完全に治療出来たならば、最大限の礼をすると約束しよう」
「お任せ下さい。私も聖女として、最高の治療をお約束致します」
聖女フランの背後に展開される神聖な光を放つ魔法陣。
こうして聖女フランによる、ローファスの左眼と左腕の治療が始まった。
*
展開されていた神聖な魔法陣が霧散して消える。
顔を真っ青にし、項垂れる聖女フラン。
そして治療の補佐を務めていたユスリカも、何とも言えない様子で俯いている。
その暗い雰囲気は、まるで葬式の様。
「あー…まあ、そう気に病むな」
「聖女として最高の治療を、などと息巻いておきながら、何とも不甲斐無い限りで…」
聖女フランの落ち込みようは凄まじく、それは治療されていた側である筈のローファスが、逆に気にかける程だ。
結論から言うと、ローファスの左目と左腕の治療は、聖女の力を持ってしても出来なかった。
聖女フランは神聖魔法全般を高レベルで扱う事が出来る。
治癒魔法に関してはユスリカに半歩劣るが、聖女フランが得意としているのは解呪と浄化。
聖女は正しくローファスの左目、左腕の治療に適任だった。
しかし、ローファスの左目、左腕に纏わり付き、治癒魔法の阻害をしている異質な魔力を、取り払う事は出来なかった。
その異質な魔力も、ユスリカの術により封じられており、これがローファスを直接害する事は無いが、もしもこれが解き放たれた時どうなるのか。
それは現状では聖女フランにも分からないが、どうあっても良い結果にはならないだろう。
聖女フランは、真面目な顔でローファスを見据える。
「ローファス様にこの傷を付けたのは、確か鯨の魔物…でしたか」
神妙な顔で話す聖女フラン。
どうやら事の詳細をユスリカから聞いているらしい。
「ああ」と、ローファスは頷く。
「この左目と左腕に宿る呪いにも似た異質な魔力。努力はしましたが、私の力では払い切る事が出来ませんでした。寧ろこちらの位置を“相手”に気取られる恐れがある為、下手に触る事が出来ません」
「相手…?」
「ユスリカ様から聞いていませんか? この呪いを貴方に掛けた相手です。それは鯨の魔物そのものかも知れませんし、その後ろにいる者かも知れません」
ユスリカは以前言っていた。
その魔物は神の類で、殺しても死なぬ不滅の存在だったか…或いは、その魔物は使い魔の様なもので、本体は別に居るか——と。
何れにせよ、ローファスを呪う何者かがいるのは確かな事。
魔鯨より受けた傷が、呪いの起因。
その魔鯨を殺していると言うのに呪いが継続していると言う事は、その背景に誰かがいると言う事。
「ユスリカ様の封印は万全ですが、呪いの力が強過ぎる為、時間が経つに連れて封印の術式に綻びが生じています。今回、私とユスリカ様の二人掛かりで封印を再度掛け直し、その上から更に追加で重ね掛けをしたので、一年は安全かと思われます」
「封印に綻び? では一年毎に封印を掛け直して貰わねばならぬのか?」
ローファスは眉を顰め、至極面倒そうに尋ねる。
それに聖女フランは、首を横に振り否定する。
「一年は安全、と申しましたが、それは飽くまでも予測。最低でも一ヶ月に一度は経過を見させて頂きます。しかし、私は簡単に王都から離れられない身。経過観察はユスリカ様にお任せします」
聖女フランの言葉に、ユスリカは頷く。
「これは好奇心からだが、もしも封印が解け、呪いが解放されたらどうなる?」
ローファスの疑問に、聖女フランは僅かな沈黙の末に答える。
「…呪いに蝕まれ、ローファス様がお亡くなりになるか——」
聖女フランは一呼吸置き、目を伏せる。
「——或いは、その身を呪いに乗っ取られるやも知れません」
「…この呪いの結末は、死ぬか乗っ取られるか、か。はっ、それは随分と愉快な結末だ」
「笑い事ではないのですが…豪胆な事ですね」
小さく笑うローファスに、聖女フランは呆れた様子で呟いた。
「ではまた一年後に。別にローファス様が王都まで赴いて下されば、一年先の予定を調整する必要も無いのですが」
「聖女に言うのも何だが、俺も色々と忙しくてな。あまり領を空けられん」
「お互い、立場があると大変ですね。しかしローファス様はまだお若いのに、色々と背負うものが多い様で」
聖女フランは小柄であり、12歳であるローファスとそう歳の変わらぬ見た目をしているが、その実既に成人している身である。
ローファスはじっと聖女フランを見る。
「恩に着る。必要な事があればいつでも頼れ」
「ローファス様とは恐らく長いお付き合いになります。それこそ、その呪いが消えるその時まで。その間に困った事があれば、遠慮無く頼らせて頂きますね」
にんまりと笑う聖女フランに、僅かな笑みを見せるローファス。
別れの言葉もそこそこに、聖女フランはユスリカに連れられ、別邸を後にした。
結局、ローファスの左目の視力は戻らず、左腕も欠損したままではあるが、それでも大きな収穫があった。
呪いの力が思いの外強力である事、そして定期的に封印の掛け直しが必要である事。
これを知らずに放置していれば、呪いにより非常に面倒な事態になっていた事だろう。
当のローファスは、その呪いと称される異質な魔力をどう言う訳か感知出来ない為、封印の綻びやその変化に気付けなかった。
「しかし、やはり暫くは治らんか。義手でも作るか」
一人になった客間にて、無い左腕を眺めながらぼんやりと呟くローファス。
と、そこにカルロスが入って来た。
「お客様は帰られましたか。して、ユスリカの件はどうされますか?」
「…教会との繋がり、か」
席を外していた筈のカルロスが、話の内容を知っている事に、ローファスは一々驚かない。
大方、隣の部屋から客間の話を聞いていたのだろう。
有事の際には常に動ける様に備えておく。
これもローファスの専属執事であり、護衛も兼任するカルロスの仕事の一環である。
「どうもせん。ユスリカは暗黒騎士だ。素性くらい洗っているだろう。この程度、父上もご存知の筈だ」
「しかし」と、ローファスは思いついた様に口角を上げる。
「それを引き合いに出して暗黒騎士を辞任させ、俺の専属にすると言うのはありかも知れんな」
何れにせよ、ユスリカによる定期的な経過観察が必要である以上、専属にして近くに置く方がローファスとしても都合が良い。
カルロスは首を傾ける。
「随分とユスリカを気に入られている様ですが、どうしてそう近くに置きたがるのです。何か特別な理由でも?」
カルロスの疑問に、ローファスはぼんやりと天井を眺める。
「…黒髪が綺麗だったからな」
ぼそりと呟く様に答えたローファスに、カルロスは顔を引き攣らせる。
「…はい?」
「なんだ」
「それだけですか?」
「悪いか?」
「あ、いえ…少し、いやかなり意外だったもので。坊ちゃんは黒髪好きでしたか」
「無論、卓越した治癒魔法の腕も評価している。神聖魔法の使い手は貴重だからな」
カルロスは溜息混じりにローファスを見る。
「…一応お聞きしますが、ユスリカを寵姫にされるおつもりで?」
「寵姫…? 愛人の事か。別にその予定は無いが…何のつもりで聞いている」
「侍女を直接選び、側に置くと言うのは、そう捉えられても仕方の無い事でしょう。ユスリカもそのつもりでしょう」
「は? 以前俺の側近になるかと聞いた時、是非にと言っていたのだが…愛人になる気で言っていたのかあいつは」
「坊ちゃん程の立場であれば、別に侍女にお手付きされようと咎められる訳でもありませんが…坊ちゃんには少々早いですな」
ローファスは面倒そうに顔を背ける。
「だから別にその気は無いと…」
「それに、いずれ迎え入れる奥方様が嫌がられるやも知れません」
「奥方? 何年先の話をしている」
「そうでしょうか? 案外、成人したその年に婚姻、と言う事もあるのでは?」
カルロスの問いに、ローファスは目を細める。
「誰を相手にした想定だそれは」
「それは…今坊ちゃんの頭に浮かんだ方ではないですか?」
「はっ、下らぬな。引っ掛けのつもりか? そもそも、フォルには貴族に成れと言っている。たったの三年で、平民が貴族に成れる訳が無いだろう」
「成る程。ファラティアナ様が浮かばれたのですね。あの空賊の少女ではなく」
ほっと安心でもしたかの様に顔を綻ばせるカルロスに、ローファスの表情が消える。
「老い先短い命、ここで散らされたいらしいな」
いつになく低いトーンのローファスに、カルロスは「おや」と顔を青くする。
「坊ちゃん、冗だ——」
直後、カルロスが立って居た場所がローファスの暗黒魔法により消し飛んだ。
床が抉れ、土埃が舞い上がる。
ローファスは半壊した客間を見据え、鼻を鳴らす。
そこにカルロスの姿は無かった。
「いやはや、一瞬走馬灯が見えましたぞ」
ローファスの背後で、冷や汗を流しながらも無傷で佇むカルロス。
ローファスは目を細める。
「…今のは外してやった。だが、次は無い」
ローファスはそのまま客間を後にし、扉を冷たく閉めた。
一人残されたカルロスは、額の汗を拭い一息吐く。
「いやいや、今のは当てる気でしたな、坊ちゃん…」
先程自分に放たれた、殺意の高い魔法により抉られた床を見て、カルロスはぼやく。
カルロスはローファスが行った事を確認すると、懐から手帳と万年筆を取り出した。
「…ふむ。空賊の少女、リルカでしたか。恋仲かどうかはさて置き、坊ちゃんと浅からぬ仲であるのは間違い無い。今はまだファラティアナ様に気持ちが傾いている様ですが、油断は出来ませんね。そして——ユスリカ…」
手帳に何かを書き込むカルロス。
「坊ちゃんが女性に興味を示したのは初めての事。こちらも油断なりません。障害は多いですぞ、ファラティアナ様」
書き終えると手帳を閉じ、カルロスは悩まし気に首を捻る。
「まあ、ヒロインにライバルは付きものですか。とは言え、あの坊ちゃんがまさか三角関係…否、四角関係とは」
懐にしまわれる手帳。
その表紙には、でかでかと「続編メモ」と書かれていた。
ノンフィクション恋愛小説「暗黒貴族と船乗りの少女」。
著者、カルロス・イデア・コールドヴァーク。
ライトレス領にて、密かに発売中。




