181# 五ヶ月
ローファス含め、六神の使徒や《闇の神》の意を受ける者達の行動の変化により、世界の流れは大きく変化している。
原作との乖離は、物事の変化だけではなく、時間的にも現れている。
原作第一部であった四魔獣による大乱と《魔王》ラースの復活が無く、物事は前倒しに進んだ。
《第二の魔王》による王都襲撃も、帝国軍による王国襲撃も、原作よりも半年以上早くに行われた。
しかし、原作でいう所の第四部、聖竜国編——その舞台となる《竜王祭》の時期は変わらない。
《竜王祭》が行われる季節は夏。
大陸の辺境に位置する小国、僧国でいう所のお盆の時期。
七月一五日——それは年に一度、先祖の御霊が帰って来る日。
物理世界と霊界が最も近付く日。
それはローファス一行が帝国の侵攻を退けてから、八ヶ月もの期間があった。
言い換えるなら、八ヶ月が《邪竜》復活までの猶予。
*
ローファスが、突如として失踪した。
急死したというライトレス領でも大手の養蜂場の管理者、その葬儀に参列していたというのが最後の目撃証言。
父のルーデンスには当然、カルロスやユスリカ等の側近にすら行き先を告げず、突如として消えた。
当然大騒ぎとなったが、ルーデンスはこれを即座に鎮圧した。
捜索に関しても早々に打ち切り、ローファスの失踪に関する情報を規制し、隠蔽を図った事でこの一件が外部に漏れる事は無かった。
失踪は勘違いで、散歩に行っていただけ。
今は帝国での戦闘の疲労が溜まり、体調を崩して屋敷で寝込んでいる——という情報を流して噂の鎮静を図った。
帝国軍の襲撃を退けた救国の英雄ローファス。
しかし帝国での勝手な行動に対する処罰として、国王より形式上の自領謹慎を言い渡された。
謹慎は王命であり、その間の失踪ともなれば命令違反とも取られかねない。
それに、失踪したといってもあのローファスである。
大貴族ライトレスの麒麟児であり、ダンジョンブレイクにより生じた魔物の軍勢を単身で壊滅させ、帝国に乗り込んで精強な帝国軍を退け、襲撃の首謀者を討ち取ってみせるという規格外。
最早この国はおろか、大陸中を探し回ってもローファスをどうこうできる者はいないだろう。
それにローファスが勝手に何処かへ行くのは今に始まった事では無い。
心配するだけ無駄というもの。
寧ろ「またか」というのがルーデンスの感想であった。
ローファスが帰国後、帝国と王国との話し合いは、帝国側より指名されたレイモンドが主導となって行われる事となった。
当初、話し合いに関しては代理人を介して国王自らが行う予定であったが、ある事情からそれ所ではなくなった為、帝国の求めに応じて外交官の父を持つレイモンドに一任された。
ある事情とは、学園長である王弟アインベルの死。
これにより王都、ひいては王国は、先の白き魔人と魔物の大群による王都襲撃や、此度の帝国襲撃以上の衝撃を受けた。
かつて、アレクセイが国王に即位すると同時に王家から独立したアズダール公爵家、その当主であるアインベルの死。
アインベルの子は息女が一人のみであり、諸事情により後継者にはなれない。
つまりそれは、五つある公爵家の内一つが落ちたという事。
王家は元より、派閥関係から貴族全体が酷い混乱に見舞われていた。
何より、実弟の死に対して国王アレクセイは酷く動揺し、帝国との話し合いどころではなくなった。
正しく王国を揺がす程の大事件。
こんな時に、あろう事か謹慎中の英雄が失踪したなどという情報が出回れば、王国は更なる混乱の種となる。
これ以上の混乱は、先の帝国の襲撃のような他国の侵略を許しかねない。
ルーデンスがローファスが失踪したという情報を隠蔽したのも、そういった背景あっての事。
しかしこの謹慎は所詮形式上のもの。
ものの一ヶ月で解除され、国王より直々にローファスに対する召集令がライトレス領に届く事となる。
これをルーデンスは、ローファスは体調不良で寝込んでいるとして、何度も繰り返し届く王宮への呼び出しを突っぱね続けた。
そして——ローファスが失踪した事が公表されないまま、五ヶ月もの月日が流れた。
そんなある日の事、王国の空を、空飛ぶ船が紅き軌跡を描きながら猛スピードで飛来する。
ライトレス領本都に向けて、飛空艇が迫っていた。
*
「はあ…ロー君が失踪してからもう五ヶ月かぁ…」
ぼんやりと青い空を眺めながら、リルカは寂しそうに呟く。
場所はライトレス家別邸、ローファスの住居の中庭。
黒塗りのテーブルに並べられたティーセットと焼き立てのお茶菓子。
ふと横から現れた黒髪の女中——ユスリカが、カップにコーヒーを注ぐ。
春先の暖かな気温の中で、白い湯気を上げるどす黒いそれを見たリルカは、びしっと元気良く手を上げる。
「私、ミルクとハチミツたっぷりで!」
「横にありますのでお好みでどうぞ」
ユスリカより素っ気なく言われ、リルカはしょぼんとしながら自分で追加して掻き混ぜる。
そして、リルカの向かいに座る人物もにこやかに手を挙げた——まるでリルカの真似をするように。
「私はブラックで。濃いめのものを」
桜色の髪をふわりと揺らし、ローファス邸の中庭でのお茶会に参加しているその人物はカレン・イデア・ライトレス。
ローファスの母、その人であった。
カレンの注文に、ユスリカは困惑する。
「カレン様…濃いめに淹れたものは用意しておりますが、その…あまり無理をなさらなくても」
「ルーデンス様やローファスが飲んでいるのと同じものを。エスプレッソ? というのでしたよね。ちょっとチャレンジしてみようかと思いまして」
「…は、畏まりました」
カレンは普段コーヒーは飲まない。
いつもはミルクとハチミツたっぷりの紅茶、ロイヤルミルクティを好んで飲む。
しかし今日は何の気紛れか、ブラックコーヒーをご所望との事で、ユスリカはカレン用に準備していた紅茶からコーヒーを淹れたポットに持ち替え、カップにどす黒いコーヒーを注ぐ。
「ありがとうございます、ユスリカさん」
ユスリカから受け取ったカレンは朗らかに笑い口を付け——固まった。
想像を遥かに超える苦味に思わず吐き出しそうになり、しかしそんな礼儀に欠いた行いをする訳にもいかず、かといって飲み込むのは体が拒絶していて消えない苦味が口の中に残り続けるという悪循環。
気品ある仕草で口元を押さえながらも、どうする事もできずにぷるぷると震えながら涙目になっていくカレンを見兼ね、ユスリカは布巾を手渡した。
口元を拭ったカレンは、ユスリカに深く頭を下げた。
「ごめんなさい…折角淹れてくれたのに」
「いえ…今、紅茶を淹れ直しますので」
「ありがとうございます。でも、ルーデンス様やローファスはいつもこんな苦行を…」
「苦行とは思われていないかと。お二人とも好んでお飲みになっているので」
「こんなに苦いものを好んで…? なんで…どこに好きになる要素が…?」
衝撃を受けたカレンに、悩まし気に顎に手を当てたリルカが神妙な顔で口を開く。
「私もロー君の影響で最近コーヒー飲むようになったけど、ブラックって本当に苦いだけだよね。しかもロー君が飲むコーヒーって、ただのエスプレッソじゃなくて特別に濃縮した奴でしょ? 味覚障害疑惑があるんだよね」
「障害って、病気…? ルーデンス様もよね。大変じゃない…ユスリカさん、今度診てあげてくださらない?」
当人達が居ない所であらぬ疑いをかける二人に、ローファス程ではないが同じくコーヒー、それもブラックを好むユスリカは悩まし気にこめかみを押さえた。
「味の好みは人それぞれです。因みにルーデンス様が好んで飲まれているのはエスプレッソではなく一般的なドリップコーヒーですし、ローファス様の特製濃厚エスプレッソは、まあ…健康に害が無い範囲に留めておりますので」
まあ間違いなくカフェイン中毒ではあるでしょうけど、という言葉は呑み込んでユスリカは言う。
ローファスは時折酷い頭痛に苛まれる事があるが、それは決まって執務が重なってコーヒーを飲まずにいた時であった。
詰まる所カフェイン切れ。
これは治癒魔法でも治らない為、ローファスはその度により濃厚なコーヒーを求め飲んだ。
濃縮し過ぎると流石に体に悪い為、ユスリカが止めたが。
止めなければ際限無く濃いものを求めた事だろう。
ルーデンスは兎も角、ローファスに関しては味覚障害というのもあながち間違いではないかも知れないなとユスリカは密かに思う。
「所でリルカちゃん。今日もローファスのお話、聞かせて下さる?」
「もっちろんだよカレンさん! 今日はロー君の食べ物の好みね! 好きなものは淡白な魚で、嫌いなものは脂っこい牛ステーキ! 前に帝国の缶詰をねぇ——」
我が子の事をカレンが尋ね、それにリルカが嬉々として答える。
これが、ここ最近のローファス邸での日常。
ローファスが失踪してから五ヶ月、リルカはそのままローファス邸に居候している。
英雄ローファスの失踪という大事件、当然大騒ぎとなったが、どういう訳かリルカとユスリカは落ち着き払っていた。
二人とも、まるでローファスの無事を確信しているかのように。
それこそ、影で連絡を取り合っているのではないかとカルロスより疑惑を持たれる程。
ともあれ、リルカは兎も角として、少なくともユスリカが慌てていないのであれば大丈夫なのだろうというのがライトレス家での認識。
カレンは折角帰って来たローファスが直ぐに居なくなってしまった事に肩を落としていたものの、聞くにローファスと親密にしているという少女が別邸に居るという。
居ても立っても居られず訪問し、突然ローファスの母が現れて当初は困惑していたリルカも、ローファスの話をしていく内に打ち解けていった。
最近ではカレンがリルカを膝に乗せて頭を撫でて可愛がるなど、まるで娘に接するかのよう。
リルカの事が余程気に入ったのか、しかしそれにしても距離が近過ぎではないか。
リルカもそれなりに距離感に気を遣っているようではあるが、相手がローファスの母という事で気を抜いているのか砕けた口調になっており、ユスリカとしても無礼にならないか気が気ではない。
そんな内心はらはらのユスリカに対して、カレンは気恥ずかしそうに「ごめんなさい、つい可愛くて。でも私、貴方の事も娘のように思っているのよ」と謎のフォローを入れられた。
ローファスも若干天然の気があるが、どうやら母親譲りだったらしいとユスリカは思った。
——と、そんな女性陣によるお茶会の最中、中庭の扉がばんっと勢い良く開かれた。
そこに居たのは王都に行った筈のフォル。
血相を変えており、どこか落ち着かない様子。
隣にはフォルを宥めるカルロスの姿もあった。
「ファラティアナ様、落ち着いてください」
「落ち着いてられるか! ローファスが行方不明なんだろ!? しかも五ヶ月も前から!」
何で言ってくれなかったんだ! と怒っているフォル。
話の内容から、どうやらフォルはローファスが失踪した事を知らなかったらしい。
フォルはリルカを見るなり、ずかずかと中庭に足を踏み入れる。
「リルカ! ユスリカさんも! ってカレンさんまで!? 何でそんな落ち着いてお茶なんか飲んでる!? ローファスが行方不明なんだろ!?」
「あー…ファーちゃんさ、ちょっと一旦落ち着こ? っていうか知らなかったんだ」
「王都ではアインベルとかいう公爵家の人が死んだとかでえらい騒ぎでそんな情報誰も教えてくれなかったんだよ!」
「へえ、なんか大変そうだねぇ…って、え? アインベル? 学園長の? 光神の使徒の?」
「知るか、お偉いさんだろ。確かアステリアの叔父さんの。それよりローファスだよ!」
「待って待って待って、は? その情報こっち来てないんだけど。なんかこの五ヶ月の間でアステリアと関わり持ったっぽい雰囲気なのも気になるけど、そんな事より学園長マジで死んだの?」
使徒は誰一人として欠けてはならない、それは風神から聞いていた事もあり、本当にアインベルが死んだのであれば冗談抜きに拙いと、リルカはフォルに詰め寄る。
お互いに気になる事が先行し過ぎて話が進まない。
それを見かねたユスリカが一杯のコーヒーを興奮気味のフォルの前に差し出した。
「お二人とも、落ち着いてください。カレン様が驚かれていますので」
「でもユスリカさん…!」
「ファラティアナ様。ご心配には及びません。ローファス様はご無事ですよ」
「…! そ、そっかぁ…」
ユスリカの言葉に一先ず安心したのか、フォルはへなへなとその場に座り込む。
そんなフォルに、リルカは手を差し伸べた。
悪いと、フォルはその手を取る。
「っていうかファーちゃん。ロー君から連絡来てないの?」
「来てねえよ。アタシはアンネさんみたいに念話とかできねえし、そういう魔法具も持ってねえし」
「いや、そんなの無くても使い魔いるじゃん。ロー君の魔力依存だから長距離でも全然繋がるし」
「使い魔…? ローファスが使ってるあの黒い魔物か?」
「そうそう。私とユッちゃんは影の中に使い魔が居て、いつでもロー君と連絡が取れるんだよ。まあ基本はこっちから呼び掛けても応えてくれないけどね。ファーちゃんの影にも居るでしょ?」
「ユッちゃんって…。いや、アタシの影にそんな使い魔居ないけど」
「え…? 婚約者なのに?」
「…なんだ、何が言いたいんだリルカ。喧嘩なら買うぞ」
フォルは額に青筋を立てる。
リルカとユスリカにはあって自分にはない——何やら自分だけ仲間外れにされているような気分。
リルカやユスリカがローファスと親密な関係な事は知っているが、この扱いの差は何だろうかと妙な格差を感じてしまう。
このままではまた言い合いに発展しそうだった為、ユスリカがフォローするように割ってはいる。
「使い魔は連絡を取るのに便利ではありますが、プライバシーの観点から、ローファス様は使い魔を憑かせる相手は慎重に選ばれています。ローファス様がその気になれば、その…極端な話使い魔を介してお風呂やトイレも丸見えですので。無論、ローファス様はそのような事はされませんが、その辺は信用を置けるかという事です」
「丸見え……な、なるほど…お風呂に、と、トイレもかぁ…」
フォルは顔を赤らめつつ、それは流石に恥ずかしいなとぽりぽりと頬を掻く。
「え、でもユスリカさんやリルカは使い魔憑けてるんだろ? 良いのか?」
「私は見られて困るものはございませんし、何よりローファス様を信じておりますので」
「…」
毅然と答えるユスリカに対し、リルカは神妙な顔で己の影を見ていた。
どれだけ思い返しても、自分はそんな説明をローファスから受けた覚えが無い。
気付いた時にはいつの間にか使い魔が憑けられていた。
今まで考えた事もなかったが、確かに入浴やトイレも見ようと思えば見えるのかとリルカは今更ながらに赤面する。
「…ねえちょっとロー君、聞いてないんだけど? お風呂とかはまあもう良いけど…え、トイレとか覗いてないよね? ねえ?」
小声で自らの影に話しかけるリルカ。
しかし聞こえていないのか、敢えてなのか返答は無かった。
そんなリルカを訝しげに見るフォルと、呆れ気味に肩を竦めるユスリカ。
女三人のやりとりをあらまあと楽しげに見ていたカレンは、娘が沢山できたような気分になり一人ほっこりしていた。
*
王都、魔法学園の女子寮の上級貴族の一室。
窓際の魔法植物に水やりをしながら、アンネゲルトはやや不満げに青空を眺めていた。
「…何で誰も王都に帰って来ないのよ」
レイモンドは交渉人として帝国に残っており、ローファスは自領で謹慎中。
ヴァルムは王都への帰還途中に行方をくらませてから音信不通。
オーガスは心配するなと言われたらしい。
心配などするだけ無駄だとはオーガスの談であり、それにはアンネゲルトも同意見である。
一緒に帰って来たオーガスも、先の《魔王》との戦闘で闘争心か何かに火が付いたようで、学園が休校中という事もあり、自領に戻ってしまった。
鍛え直して来るとの事だが、アンネゲルトからすればどうでも良い。
たまにお茶会をする仲になっていたフォルは、突然ライトレス領に蜻蛉返りしてしまった。
王都に一人残されたアンネゲルトは、ただ黙々と魔法研究を進める。
一人きりで研究を進めていると、最愛の彼に会う前の事を思い出す。
好奇心と、孤独との戦い。
思えば彼と出会って研究を共にするようになってからは孤独を感じた事はなかった。
研究の進みの遅さにもどかしさを覚えつつ、相棒とも呼べるもう一人の研究者の顔を思い浮かべて一抹の寂しさを感じる。
「…抜け駆けとかじゃないけど、念話結晶くらいは持ち合うべきだったかしら」
共同研究により生み出した事前の術式構築不要の、いつでもお手軽に話せる念話。
欠点は、長距離での運用はできない事。
王都からではライトレス領は当然、国外にも届かない。
影の中に使い魔はおらず、故にローファスの失踪をアンネゲルトは知らない。
「それにしても——」
魔法植物の水やりを終えたアンネゲルトは、自室のテーブルに置かれた一つの魔石に目を向ける。
ローファスとの共同研究、その成果の一端。
ローファスより、できるだけ早く完成させたいと言われている人造魔石。
「…こんなもの一つで世界が壊れるなんてね。まあ理論上は可能なんだろうけど。作ってどうする気なのかしら。試す訳にもいかないでしょうに」
ローファスからの預かり物を、アンネゲルトは退屈そうにつんつんと突いていた。




